当然の様に外へと向かっていったその背中を、ただ見送った。何を言っても薄っぺらなだけで意味を成さないように思われた。
何を言っても彼に対しては相応しくないように思われた。
何も言わずにいたかったわけではないのに。
ならばどんな風にして、歩いていく彼の力になれただろうか。
この辺りに陽が昇ってからもうどれ程経つのだろうか、辺りは不思議なほどに穏やかだった。
風雲マルハーゲ城では既に皇帝決定戦本戦が開始されている頃だろうか。始まってはいないにしても予選は昨日の暮れには終了しているというので、城門が閉め切られて大勢の参加者も十数名にまで減っているはずだ。
その僅かな本戦出場者の中に『彼』が含まれているか否か、カネマールは疑いもしなかったが、それでも気がかりには違いない。
おこがましいのは承知で、彼の無事を自らの目で確認したかった。
そして出来るならその戦いぶりを見ていたいとも思う。本戦会場の中へ入れないならば、待っているのでもいい。じっとしていられなくなったというのが本音である。
ハレルヤランドからは当然の如くハレクラニがエントリーし、そして覇王もエントリーしてメガファンとビープがくっついて行った。
他のメンバーは通常通りにハレルヤランドを運営する約束になっていた。皇帝決定戦は一般人のほぼ関わらないところで行われ、客足が途絶えることはない。
しかし決定戦の状況を確認する術すらなく、遂には一睡もできなかったカネマ−ルがその約束を確実に遂行しているとは言い切れなかった。結局はナイトメアにいいから行ってこいと背中を押され、わざわざ持ち場を離れてきたガルベルとT-500に無言で見送られ、電車担当のスタッフ達にまで後押しされる形でハレルヤランドを飛び出してきたのである。
ハレクラニが気がかりだった。
無論覇王たち三兄弟はどうにでもなれというのではなかったが、彼らは共に行動しているに違いない。
ハレクラニはどうだろうか。参加者には四天王もサイバー都市の人間もいるだろうし、最近噂になっている三世世代も含まれているのだろう。だがハレクラニが誰かと組むとしても、それはその必要を感じた時だけなのではないか。
外部からではエントリーも予選の光景も確認できず、今現在彼がどんな状況に置かれているかは全く見えなかった。
勝ち進んでいるだろう。
彼は強い。
エントリーの資格だけ与えられたような連中とは違うと、思ってみれば増々心配などはおこがましいのだとも感じる。
それでもカネマールにはハレクラニが気がかりだった。戦いに赴く彼の背を、思い返せば思い返すほどそれは深まっていく。
彼のためなのかも知れないが己のためなのかも知れないと、乱れた息を振りきるように走りながら思った。
太陽が高い。既に時刻は昼近くになっている。
会場付近に来るまでにランド従業員用の少人数乗りの移動艇を使ったものの、時差もあって思うようには到着できなかった。
思わず笑みが零れる。
本当に思い切ったことをしたものだ。己で己を呆れ笑いというのも情けない話だが、後悔はしていなかった。「…ッ」
足がもつれる。
少し走り過ぎたかと、留めれば軽く痛みが奔った。脚力に自信は有るが全速力で無理をしすぎたらしい。
立ち止まり辺りを見回してみれば、全く人気がなかった。
平地になってはいるが、現在カネマールのいる辺りも『予選会場』であったはずだ。風雲マルハーゲ城を目指しながら互いの証を取り合うのがルールだったと聞く。
大勢の参加者も覗きに来たギャラリーも確かにここにいたのだろうが、今はその影はない。
(…もう少し早く来ておけばな)
予選を適当な場所から追いかける分には許されていないわけではなかったのに。
ただ、ハレクラニはそれを望まなかっただろう。
彼にとっては自分が戦うことと同等にハレルヤランドが気にかかる。エントリーするという三兄弟を止めはしなかったものの、残ったもの達にそれを託したのは間違い無いのだ。
ならばなぜ、俺は今ここにいる?
木に背を押し付けてカネマールはまた自嘲した。
ハレクラニの勝つところを見たい。知らぬところでハレクラニの傷付くのを望まない。
どちらもまるで子供の様な理屈で、しかし己は確かにここまで来ることを望んでいたのだろう。
だから周りの連中も呆れて送り出してくれた。
首だけ動かして空を仰ぐが繁る木の葉が邪魔をする。
その間をぬって少しずつ吹く風に、薄らと汗の滲んだ額が撫でられた。
ハレクラニ様。
不出来な部下の姿を見て、笑いますか。怒りますか。
俺はあなたの前すら守れなかったのに、
あなたを追いかけてここに来ずにはいられませんでした。
そんなことを繰り返す内に頭も冷えてくる。
そしてカネマールの脳はようやく、木の上から己を捉える視線を感じ取った。
「…!!」
思わず飛び退き木陰から離れる。
殺気こそ感じられなかったが、視線は鋭くカネマールを包む。言葉無く視線だけ上にやろうとすれば、
相手は姿を見付ける前に影となって目の前に降りてきた。「……なっ」
突然のことに、何だお前はと問おうにも舌が思う様に回らない。
カネマールより少しだけ小さな影は軽く眉を顰めた。
「…なんだと言いたいなら、それは貴様自身に言うんだな」
幾つか歳の下であろうという少年だ。鋭く澄んだ顔立ちが、より大きな存在だと錯覚させる。
(…違う)
カネマールは自らの考えを否定した。
錯覚などではない。彼はただの少年でなく、『参加する資格を与えられたのみ』の輩でもなく、恐らくは己より上の実力を持った戦士だ。
もし敵であったならばとうに隙を突かれている。
彼がそうしなかったのは、先程までの己が疲れに喘ぐただの小童だったからだ。
「…あんた、誰…だ?」
そう問えば返された視線は思うより冷たくはなく、しかし生温くもない。静かに燃えるのみでいる炎すら思わせた。
「俺が先客だ」
軽く肩を竦めて呟く。
少年の言葉をもっともだと思った瞬間、カネマールは赤面した。
「そう…だよな。すまない」
「お前は何だ」
素っ気の無い問いに、再び彼の顔を見る。
確かに少年であった。とはいえそう歳も違わないだろうが、だというのにこちらを子供扱いするかの様な表情がどうも居心地悪い。
「…別に、なんでも」
「決定戦の参加者か?」
「いや」
決定戦の参加資格は、実力というよりかは立場で判断され与えられる。
ハレルヤランドにおいて参加資格を与えられたのはハレクラニ、そしてヘル・キラーズだった。そのうちガルベルとT-500は興味がないからと放棄してしまっている。
「あんたは?まさか迷子」
「ふざけるな」
「…だろうなぁ。でも俺より歳下みたいだから」
「………」
「いや、ええと…まさか皇帝決定戦はもう終わったのか?」
「……いつここに来た」
「え?俺…俺は、ついさっきここに」
言うと、少年は溜息をついた。
「確かに終わったといえば終わったな」
「まだ昼間なのに…!」
カネマールは何がどうなったんだと問いたいのに問い兼ねて、出会ったばかりの少年の前で青ざめる。
「勘違いしているな」
少年はやや面倒そうに、だがしっかりとカネマールに視線を合わせると歩み寄ってきた。
「決定戦は横槍が入って中止だ。優勝者はない」
「…!?」
そして両目を見開く姿に微かに笑った。
「残念だったな?」
「……あんた、何を知って」
「貴様の目的なら知らないぞ。…よくまあそんなに驚けるな」
「………」
確かにその表情と己の童顔とを考え比べると、どちらが歳上なのだか解らなくなってくる。
だがからかうような物言いにカネマールはむっとした。
「…なら皇帝はどうなるんだ」
「さあな。主催者は逃げ出したらしいぞ」
「まさか」
「俺もよくは知らない」
言い捨てると、少年は改めて視線を向けてきた。
先程近付いた距離が更に短く感じられる。カネマールが後ずさりをしようとする前に、少年は続けて口を開いた。
「お前は何を見に来た?」
「え……」
無口なのかと思えばはっきりと喋る。
物静かな様だといってもカネマールにとって身近なT-500などとは異なって、一言一言が強い。
「参加資格もないのに」
「な…い、いいだろう!俺はハレクラニ様にッ」
言いかけてまずかったかと自らの口を塞ぐが、少年を見れば驚いた様子は無かった。
恐らく彼も毛狩り隊だろう。ならばハレクラニの名を知らないはずがない。
だが、少年はゆっくりと呟いた。「……誰だ?」
「え」
頓狂な声とともに、カネマールは瞬きをした。
「…あんた、毛狩り隊だろう?」
「…まあ、そうだな。だがハレクラニとやらは知らん」
「四天王だぞ!?」
「そういえば今はそんなのもあるんだったな……ああ」
言い返しながら思案顔をしていた少年が、思い出したように声をあげる。
「金色の鎧の男か?」
「…あ、ああ」
「確かにいたな、そんな派手なのが」
敬うもなにもない言い方だ。
カネマールも怒るに怒れず、何も言えずにいた。
「ボーボボどもと地上に戻って来ていた…」
「ボーボボ!?」
その名に身を乗り出したカネマールに、少年は動じず言い返す。
「その横槍を相手にだ。…共闘したんだろう」
多少不機嫌に歪んだ言葉に気付かず、カネマールはまた狼狽えていた。
「まさか…そんな、ハレクラニ様がどうしてッ」
「知るか」
ボーボボの名が気に入らぬのか、その共闘に関わる出来事に気に入らぬものがあるのか、少年は口をつぐむ。
「……何があったんだ」
消え入るような声でカネマールは呟いた。
ハレクラニがボーボボと共闘したというのを、気に入らぬわけではない。
確かにボーボボは憎い。だがカネマールにとってそれは半分は個人的な感情であり、もう半分はハレクラニのためのものだ。そのハレクラニが理由を持ってそうしたのなら、否、例え理由が無かったとしても信じぬことはない。
少年の言う横槍というのも決定戦の中止も、知らぬ間に様々なことがあったのだろう。
カネマールには『それ』が情けなかった。
見知らぬ少年の語るハレクラニの行いは、己の知らぬ内にある。
彼は一人で戦った。一人で判断をし、一人で選択をした。
部下として何ら役に立てなかったように思うのは、ボーボボ一行と戦った時にも似ている。
歩いていく彼に対してどんな風に力になれただろうか。
彼の信頼を放棄する形で後を追い、何ができたというのか。
一人で不格好に踊るのを繰り返しているだけだ。
「…ハレクラニ様ぁ」
小さく漏れた弱々しい響きは、最早少年を意識してはいなかった。
だがその刹那である。カネマールは右手首を掴まれ、あっという間に木の幹に押し付けられていた。
ただ背を預けていただけの先程とは違い、痛みを伴う。
「な、何する…!」
無表情のまま、カネマールをそんな風にしたのは少年だった。
その瞳が今は間違いなく冷たく貫いてくる。彼が意識して、それを向けてきているのは間違いないだろう。
カネマールは少年を振りほどこうとしたが、足掻けどびくともしてくれない。
決して非力なわけではない。総合的な実力はともかく、素手で戦う分には自信があった。
だが少年の力がそれを超えて、強い。
「離せ…!」
「…この世代は本当に甘くさい連中だらけだ」
ほんの少しだけ、どこか嘲る様に笑って見せてくる。
「そんなにハレクラニとやらが大切か」
「…何を…ハレクラニ様は俺の上司だぞッ」
「群れるのが好きなんだな」
カネマールの震える視線に己の視線を合わせた、少年の言葉は先程に増して熱い。
燃え盛り少しずつ揺れ始めた炎。カネマールは反射的に足を使おうとしたが、寸でのところで封じられた。
「お前の大切な上司様は…確か最後には一人で去って行ったぞ」
「なんだと…!」
「俺には必要以上に群れたがる人間の気持ちは解らない。だがその男はどれだけ貴様を信用していただろうな」
手首を締める力が強まり、ぎりと音をたてた。
カネマールは表情を歪ませながら、しかし必死に少年を睨み返す。
そうすればするだけ少年の中の炎は大きくなるようにも思えた。まるで獲物を捉えるかの様にこちらを向く視線は、もはやただ冷たいのみではない。
「貴様の表情は解り易いな。怖いのか、悔しいのか、悲しいのか」
繰り返される言葉がカネマールを抉る。
怖い。
悔しい。
かなしい。
どれも決して誤りではない。
「そんな男がそこまで愛しいのか?」
「ぐ…!」
その言葉にもし馬鹿にしたような色があったならば、ただ怒りを露にするだけでいられただろう。
だがしかし少年の声は深かった。まるで探るようにして、「どうする」
試すようにして、
「…お前など必要ないと言われたら」
響く。
「……!!」
「…いい顔だな。絶望を押しのけた屈辱の色だ」
「な、に…!」
少年の気配が変わる。
薄くオーラの様なものを感じさせ、『何か』をしようとしているらしい。強い。
頭の隅にただ思い、カネマールは頬に汗の伝うのを感じた。先程まで滲ませていたものとは異なり、冷たい。
彼は強い。
ハレクラニに対して感じるものと色は違えど似通っている、畏怖のようなものすら感じる。
「…貰ってやろうか。その表情」
少年の囁きは震えるほどに甘く残酷に感じられた。
だがその瞬間に感じたのはそれそのものへの恐怖ではなく、
記憶に眠る感情だった。
正直に失敗を報告すれば、ハレクラニは己に罰を与える。
彼に対して己が行動の結果を包み隠さぬのは、なんの苦でもなかった。
与えられる罰は甘んじて受ける。
罰を与えられるということは、まだ己に放り出されぬだけの価値が有る証なのだとも思えた。
ただその度に感じて止まないのは、
自分が彼のために何をしただろうかということ。
他の何でもない。
己の無力さが憎くなる。
「……めろ…」
痛みも何もかも忘れ、喉の奥から声を絞り出す。
「…やめろッ」
何を。
腕を掴むのをか。これから己に対して行われる、何らかの行為をか。
「ハレクラニ様をそんな風に言うな…!!」
彼はきっと馬鹿になどしていない。それだけ、その言葉は刀の様だった。
『そんな男』と、そう称されるままにはしておけない。「…ッ知ってるんだ、そんなこと…」
例えば彼の金に対する思いは、それだけへの盲信ではなく全ての基盤としての信頼だ。
彼にとって金は自分自身の力の象徴でもある。そうと言えるだけの形を創り、そしてそれは彼の絶対的な自信にも繋がるものなのだ。
だから彼は、一人で歩いていくことができる。
それを望むこともあろう。
支えなど要らぬと言われれば、無理に手を出すことなどない。「あの方がどれだけ強いか、何を選ぶか、解ってるつもりなんだ…!」
だから彼は、一人で歩いていった。
何を捨てたのでもない。見放されたのでもない。
ただこの場所を任すとだけ言い放ち、そして離れて行った。
何かを尋ねる間などなかった。
止める間もなかった。
あの日以来、ボーボボ達がハレルヤランドを去っていった日以来、ろくに言葉を交わせずにいた。彼を守れなかった申し訳なさがただ、心の内で燻っていた。
ならばハレクラニの何かが変わっていたというのか。
目に見えて変わっていたのかも知れないし、同じところへと辿り着いたのかも知れない。
結局は自分自身のことにばかり必死でいたのだ。
そして戦いへ赴く背中に、彼を上司以前に一人の男としてこんなにも尊敬しているのに、言葉ひとつすら送ることのできなかった自分。
俺は、我が侭でここにいる。
「それでもッ」
せめて彼を見守っている気分でいたかった。
彼の戦いを見届けたかった。
せめてそれだけはやり遂げたのだと、己自身に言い切ってやりたかった。
「必要だと思われたいに決まってるじゃないか…!!」
路を開いていないのはハレクラニでなく己だ。
ハレクラニはかつて己を拾い上げてくれた。ただいい加減なだけに扱われているのではないのを、解っている。
怖いのは捨てられてしまうことよりも、
彼に何も表せない自分自身だった。
「…あんたは……強い、な」
「……」
無言のままカネマールの叫びを聞いていた少年は、なお無言で返した。
ただその視線は今もしっかりとカネマールに向いている。
「俺が弱いのかもしれない。でも俺は、俺より強いあんたが羨ましい」
手首を掴む少年の熱が、はっきりとその存在を示している。
責める様には思えなかった。痛みすらどこか、優しくも思える。
叩きつけるのではなく、
包み逃さないように。
「…大切なものを、守れるだろう?」
群れるのを嫌うと言った彼の態度には強い何かを感じる。それこそいい加減なものではなく、きちんとした感情を持ち合わせたものだ。
それはどこかハレクラニに似ているような気もした。
もし彼に大切な存在があるなら、きっとその為に何かに立ち向かっていけるのだろう。
羨ましかった。
「…違う」
長い間響かなかった少年の声が、カネマールの聴覚をゆっくりと抜けた。
「俺も、非力だ」
「………」
「…悪かったな。離してやるよ」
言葉とともに手首を締める熱が解かれる。
少年は既に、また静かな炎へと戻っていた。
「赤くなったな」
先程まで握っていたカネマールの手首を示して、呟く。
「…このくらい」
首を振れば少年は笑った。
「怒らないのか?お人好しめ」
「………」
カネマールが何も言い返せなかったのは、その笑顔がこれまでを忘れさせるほど優しげだったがためである。
「俺はもう行く。手首のことは許せ」
「あ、ちょ…手首はいいんだが」
「ハレクラニとやらはまだこの辺りにいるかもな」
「…え!?」
「狼狽えるなよ。力になりたいんだろう」
赤面して黙り込んだカネマールに少年は背を向けた。
「……お前」
そのまま小さく、問う。
「名前は」
「……カネマール。帝国四天王ハレクラニの部下、カネマールだ」
「帝国はもうない」
「…じゃあ、ハレクラニ様の部下」
「大切らしいな。その肩書きが」
肩書きだけではないか、と付け加えて、カネマールが反応する内に少年の姿はその場から消えた。
「……俺はお前に想われる男が羨ましい」
それがどう発せられどう届いたかは、誰も知らない。
「………」
カネマールは黙り、少年の消えていった場所を見つめていた。
酷い人間だという印象はなかった。手首は痛むが、己を叫ばせたのはつまりは己自身であったし、今思えばハレクラニに誤解など抱いてはいなかったのだろう。
(…恥ずかしい)
ならどうしてと彼の行為を説明付ける言葉は無かったが、今思えば恐らくは歳下を相手にあんな姿を晒した自分の方が恥ずかしかった。ああそれよりも、ハレクラニだ。
まだこの辺りにいるかもしれないのだと言う。
一体何が起こったのか、彼がどうしていたのか、解らないことばかりだったがその無事が確認できれば何よりいい。「そんなところで何をしている」
何より、
「……!!!!?」
そう問うたのは、今度は見知らぬ少年などではなかった。
よく見知った金色の鎧の男が目の前に佇んでいる。
「……ハ、ハレクラニ様…!!」
「そこで何をしていると聞いている」
落ち着いているのか、もしかすると怒っているのか解らぬ声に、カネマールは慌てた。
『狼狽えるなよ』
「……う…」
『力になりたいんだろう』
「………申し訳、ありません!ハレクラニ様のことがあまりに気がかりで、業務を放棄いたしましたッ…!」
「…それで?」
「…俺の我が侭です。他の皆には戻ったら詫びるので、罰はその後に」
カネマールが俯いたまま言い終える前に、ハレクラニはすぐ側へと歩み寄ってきた。
「…手首」
「え」
「…手首はどうした」
慌てて腕を上げれば、未だ手首は目に見えて赤い。
思い出せばじんじんと痛んでもくる。
「あ、あの…これは」
「…まあいい。後で聞く」
「ええと……その」
さっと踵を返すと、彼は視線だけをカネマールへと向けた。
「気長に帰ろうと思ったが気が変わった」
「は、はい!小型艇を停めていますっ」
「私は少し眠る。…到着する前に目が覚めたら、何が起きたかも話してやる」
「ハレクラニ様……」
「…その前に手首を冷やせ。荒い運転は望まん」
「……はい!!」
それ以上は続けずさっさと歩き出したハレクラニの後ろを、カネマールは走るようにして追った。
身体の疲れなどはとうに無くなっていた。
「ランバダ様!」
「レム。…宇治金TOKIOは落ち着いたのか?」
「…まだちょっといじけてるみたいで」
少女は困った様に、少年へと呟いた。
「ハレクラニという人はどこへ行ったんでしょうか?」
「……さあ、な。ハンペンは」
「ハンペン様、それがまだいらっしゃらないんです。ジェダも見当たらないし…」
「まとまりがないのは相変わらずだな」
他の連中も三狩リアすら望まぬ男には言われたくないだろうが、実際そうに違いない。
エントリーしていたはずのコンバットや、菊之丞の姿もここには見当たらなかった。
当然ながらツルリーナ三世もだ。
「辺りはどうでしたか?ランバダ様」
そんなことを思う少年とて、辺りが騒がしいから散歩をしてくると一人で離れて今戻ってきた身だ。少女、レムが宇治金TOKIOをどうにか慰めるのに忙しそうで、手持ち無沙汰だったというのもある。
「…猫が五月蝿くてな」
「ねこ?」
どうしてこんなところに、という呟きに少年は首を振った。
「飼い猫だった」
「…参加者の?まさか迷子」
「……逆に疑われたがな」
「えぇ?」
いまいち事情を掴めずにいるレムに、微笑して答える。「飼い主を迎えに来た、律儀な猫だ」
そしてもう見えぬその姿に、心の内で呟く。
そんなに甘い声でハレクラニと呼ぶから、少しばかり言ってやりたくなったのだ。
けれど貴様も決して動かぬだけの駒ではなかった。
ここまでやって来たのだから。もし貴様が百年前に生きた男だったなら、
そしてやはり毛狩り隊にいたのなら、
その男のいない時代に貴様はどんな風に生きていたのだろうな。
俺は百年前の毛狩り隊、Bブロック隊長のランバダだ。
サイバー都市の技術である小型移動艇は、スピードを上げてもほぼ揺れることはない。
それでもゆっくりと進んで行きたかった。
ハレクラニは後部座席で、腕を組み本当に目を閉じている。(…覇王さん達、大丈夫かな?)
ひとつの気がかりが解決すると、大丈夫だと思っていたことまでも気になってくる。
それでも無事でいるのだと祈ろう。
彼らは出かける際には、心配は自分たちなどよりもハレクラニのためにすればいいと笑っていた。
そして何があったにせよ、状況を知っていたらしいあの少年もああして穏やかだったのだから。手首を冷やすために濡らして巻いた布が、柔らかく擦れて手首の痕を自覚させた。
ハレルヤランドでは留守を任されたハレクラニの部下達が、上司と仲間達の帰りを内心ではただひたすらに待ち望んでいた。
誰もただ呆れてカネマ−ルを送り出したのではない。
彼ならばきっと見届けることも、無事に連れ帰ることも出来るだろうと、
信じてその背中を押したのだ。