数年前までは、眠れぬ夜が続くことも珍しくなかった。
眠らぬのではない。寝て起きるという行為そのものが虚ろにしか思えず、何となく目を閉じて開いたのだという程度の感覚しか持てずにいた。それでは気も休まりはしない。
その頃は探すべきものの影すら見えないのに焦り、故郷とそこに残った者達を思えば焦り、そして突然の出会いにより繰り返されることとなった不測の事態にも焦っていた。
全ての道を塞がれどこにも行き詰まっているように思えたのだ。
そして遂にはある日、もう終いだと自嘲をしたが、
薄れる意識の中に全てを塗り替えるものが現れた。

そうして俺は段々とすくわれる。

今では己でも気付かぬほどに深くなった眠りが、別の不測を引き起こしはしたが。







解放した能力を念入りに施錠して、破天荒は深く呼吸した。
『封印解除』には幾つかの危険性を伴う。確実に決着をつけるために使用したが、そうそう何度も長時間など繰り返せるものではない。
領域系の技と同様に一種の切り札である。

振り向くと、己に封印を解除させた男は無言のまま立ち尽くしていた。
永久錠の効果に問題はない。視線を前に戻し、固い地面をゆっくりと蹴る。
先程まで大勢いた捕われの連中は、何時の間にあの檻から解放されたのか一人残らず消え去っていた。

どうやらここは毛狩り隊に関わりのある場所で、ちょうどボーボボ達が殴り込んできている最中らしい。
隊員達も出払ってしまったらしく通路に人気はなかった。
ここまで連れてこられたのは面倒どころか寧ろ幸運と言えるだろう。
殺印が消えて命の心配をすることの無くなった今、必要なのは早々にボーボボの実力を見極めることだ。こうしている内にも毛の王国では全てが動いている。
そして、ボーボボを見付けたならば首領パッチとも再会できる。
ボーボボとやけに気が合ってしまったらしいのは癪だが、今度こそ何も隠さず接することに一歩近付けるはずだ。

破天荒はいずれ首領パッチにも、毛の王国の現状を話して協力を頼むつもりでいた。
敵は強大だ。それでも首領パッチならば何とかしてくれると、純粋な希望を抱かずにはいられないでいる。
しかし彼もまた強大である。もしかすれば、全てを超越して。



(…広ぇな)
辺りを見回して小さく舌打ちする。
真っ直ぐに歩いているはずが通路は複雑に絡み合い、いつまで経っても出口やら階段らしきものに辿り着けない。
このまま延々迷っているようでは合流どころではなくなってしまう。
五つにも分かれた通路の前で、遂に立ち止まる羽目になった。
いい加減に苛々してくる。もう何度同じところをぐるぐる回っているか知れない。
いっそ壁を壊して進んだ方が早いのかも解らないが、目立つのは避けたい。

「どこだ、出口は…!」

「左から二つ目を行って次を右に曲がれば、外には出れるよ」

「…そうか。ありがとよ」

親切な奴もいたもんだと、その言葉に幾らか余裕を取り戻した破天荒は素直に例を告げた。
誰かに。
誰に。

「その先は一方通行だけどね……」
「ッ誰だァテメー!!」

慌てて振り向くと隣には何者かが立って、ではなくぶらさがっていた。
破天荒の苛立ちが酷かったためか彼の気配が薄かったためなのか、たった今まで気付くことができずにいたのである。

「あー…俺も落ちてー」
「誰だっつってんだろ!」
「俺?むしろお前が誰だって話ですよ…」
「ぐっ」
確かに破天荒は侵入者であるため、とはいってもここの人間に連れてこられたのだが、のうのうと話していられる立場でもない。
だがしかしその男も十二分に怪しかった。
頭に紙袋など被っているし、他はほぼ何も着ていないし、何より天井と床の間が大して広くもない空間でぶら下がる意味というのが解らない。
首領パッチ以外の変態には厳しい破天荒だが、彼を変態と分類していいかすら判断できなかった。
これもハジケというものだろうか。こういったタイプは見たことがない。
「…名乗る名前はねぇよ。出口を教えてくれたのは感謝するが……本当に出口なんだろうな」
「ちゃんと出れますとも」
「ならいい」
「窓だから」
「…ああ?」
「ちなみにここが何階かというと…」
「…もういい!」
どうやらそこからは出られないことが判明したので、破天荒は踵を返した。
「気持ちよく落ちれるのになぁ。二十四階だし…」
「死ぬだろうが!」
二十四が己の年齢だから生き延びられますというのものでも、あるわけがない。
男の言動は聞けば聞くほど危ういものだった。
「付き合ってらんねぇ…じゃあな」
「そんなことを言ってるとまた迷うよ」
「…………」
「この階は捕まった奴を逃さないための迷路みたいなもんだから、隊員はみんな地図を持ってる……お前ここの人間じゃないな」
「…だったら、どうする?」
その男を即施錠することも想定して、破天荒は構えた。
改めて見れば本当に妙だ。
ぶらさがっているとはいっても縄らしきものを巻き付けたのは片足だけで、頭を上にしてその縄を抱くようにしがみついている。
そのため体を捻ってはいたが、視線は破天荒の方をただ向いているのだった。
瞳は袋に隠れて見えない。けれどもこちらへ送られていると解る視線は、睨む貫くどころか何の色も感じさせはしなかった。
「お前、ここで何かやったか?」
「…別に」
答えると、袋の男は無言になった。
破天荒も沈黙で返しそれは暫し続いたが、やがて軽い音にて破られる。

「嘘つき」

恨みも悲しみも抱かぬ、乾いた声。
何かをぶつけられたかのように錯覚した。

「龍牙様を止めてしまったくせに」
「……そんな名前だったのか、あの男」
「ここはサイバー都市。お前が止めたのは六闘騎士の王龍牙様」
こちらがそれを認識しきれていないのを知っているのか、男は丁寧に喋る。
先程は捕まった奴などと言っていた。誰かが連れられてくることは、珍しくはないのだろう。
「他にも逃げた連中がいたみたいだが、何人かは捕まった。何人かはたぶん運良く別の階へ出た」
「…お前はいいのかよ?こんなところにいて」
「俺の仕事はそれじゃないし」
男はどうやら間違いなく『ここ』の人間だ。
サイバー都市といえば、破天荒にも聞き覚えがある。現代では本当に珍しいマルハーゲ帝国から独立した場所のひとつだ。
毛の王国もまたそうには違いなかったが、破天荒はサイバー都市を見たことはなかった。
だがしかしたった今そこに立っているということらしい。

「行きたけりゃ行けばいいよ」

縄にしがみついたまま、男はまた軽く言い放った。
「…なんだとテメー」
「出口は教えてやれないけどな。だってお前は脱走者だし」
なら捕まえるのが筋なのではないかと、破天荒の方から言うのもおかしな話だ。
だが男はこちらを試すでもなく何を企むでもなく、優しいようなやる気のないような言葉を繰り返すだけだった。
「俺はそんなにこの都市に忠誠を誓ってるわけでもないから、お前はまだ敵じゃない」
「六闘騎士とやらを『止めても』か」
「ここでお前を倒して龍牙様が目を覚ますのならともかく、そうとは限らないだろう。それにあの人が勝てなかった相手に俺が勝てるはずもない」
言った途端に、男はその手を縄から離した。
上半身から重力に従い逆さ吊りの状態となる。縄の軋む音と風を切る音に、破天荒は一歩退いた。
「俺はソニック様という人の部下だから」
地面すれすれの逆さ吊りで、下の方から破天荒へと語りかける。
苦しがる様子はない。強いて言うならば彼は、最初から無気力なばかりであったのだ。
しっかりと嵌った袋は重力に従わぬようだった。
「ソニック様が龍牙様のために泣いたら、お前は敵になるかな」
「…お気楽に言いやがるな」
「龍牙様をあんな風にされて悲しくないわけもないが、こうしてたまたまお前を見付けて追ったところでどうこうできるわけもなく…」
男の視線は破天荒を通り過ぎ、五つに分かれた通路へと向く。

「どの道を通ろうが、待っているのは絶望だけ」


縄がきしりと小さく音をたてた。
「俺のことも『止めて』くれないか?」
「……」
「死ねたことがないんだ」
「…死にてーのか」
「死ぬだなんて、いつだって側にあるものだ。俺はすぐに生きてる方が嫌になる」
男の言い分は滅茶苦茶なはずだったが、あまりに淡々と語られるゆえに説得力を抱いていた。
無気力に死を求めては裏切られる。
破天荒はそこにまで達したことはなかったが、一度だけ抗おうとしなかったことならあった。
嫌になっていたのだ。
理不尽な現実も、重荷の連なる世界も、非力な自分も何もかも。

男がそういったものを負ったがために嘆いているようには見えなかった。
何かではなく全てへの絶望。
やがて諦観を通り越し、その先を見ようともしない。

破天荒は、かつて一度だけ目の前に感じたものを思い出した。
もう抗わず死んでしまおうと思った瞬間のことだ。
あの時そのまま何も見えなければ、そこに達して朽ち果てていたかも知れない。
男にとってそれは、生きながらも常に目の前に見えている存在なのだろうか。

「龍牙様は金色の髪をしていて…あ、お前もか。ソニック様もそうだったから、俺は時々見比べたりしていた」
破天荒が視線を合わせようとせずとも、彼は苦もなく破天荒に目を向けていた。
寧ろ破天荒の方が彼に目を合わせられなかった。
彼の抱く純白の絶望が、いずれは己をも飲み込んでしまうのではないかとすら感じたのだ。
『引き戻される』。
『あの一瞬に』。
「だから龍牙様があんなことになってしまったのにも絶望しているし、どうにもできない自分にも、できるはずがないと思っている自分にも絶望する。でもこのぐらいのタイミングがちょうどいいんだ」

「だから俺を」

「死なせてくれよ」

ちょっとあれを取ってきてくれないかと、
そんな些細なことを頼むような声で注がれる言葉が、
逆に悲しかった。


彼と、破天荒にとって光の源であるにも等しい存在との間には、一つだけ共通点がある。
無垢なまでの在り方だ。
『あのひと』がひたすらに前を見て笑い走るのなら、この男は何も映さぬかのように下を向く。
堕ち行く穴を探すために。

破天荒にとってその無垢さは憧れと、時に崇拝の対象であった。
だからその欠片に似たようなものを持つ、この男のことが気に入らない。
それ以上に哀れで堪らない。
せっかく出会ったのだから殺してくれと、無垢ではいられぬ己に対して願うのが。


「…断るね」
破天荒は声を絞り、ただ否定をした。
「どうして。俺は何も抵抗しないから、簡単だろうに」
「抵抗しねぇからだ」
そんな相手に使う技はない。

そしてこの男がそうして死んでいくのを、見たくはないような気がした。
ましてやこの腕によって。
例え今彼の感じる絶望の源に、間違いなく己が在るとしても。

「鍵が勿体ない…」
付け加えたような理由に、男は笑いも責めもしなかった。
ただぽつりと残念だと呟く。
破天荒にはその呟きこそが痛く、黙したまま目を閉じた。

「…別れたくねぇ相手はないのか」
「友達がいるけど、長い付き合いだから解ってくれている」
「上司は」
「あの人は律儀に優しいし許してくれないだろうな。でも俺が死んで悲しんだって、ちゃんと慰めてくれる相手が周りにいるから安心だ」
「……」

それは首領パッチにとっての破天荒も同様である。
自分が消え去ろうが彼は一人きりになどなりはしない。
しかし破天荒は彼にとっての唯一の『自分』になりたいのであって、代わりがどうこうなどと考えようとはしないのだ。
彼の上司とやらが彼についてどう考えているか、破天荒には知れない。
だが彼は自分を必要あるまいと割り切ってしまっている。

「…なんでそんな顔するんだ?こっちまで絶望するじゃないか」
「……うるせぇ」

破天荒と首領パッチの間にあるものと、彼とその上司の間にあるものはきっと異なっているだろう。
彼にとってこのサイバ−都市は帰るべき場所となり得るのだろうか。
破天荒にとっての帰るべき場所は毛の王国である。とはいえ二十年前に一度滅びて以来、その姿を大きく変えてしまった。
破天荒にとっての帰るべき場所はハジケ村でもある。隠し事など抱いてばかりの内はそうとは言えぬのかも知れないが、いつかそう呼べる日がくればと思い続けている。

悲しむ姿を気にかけるのなら、彼にとってここは一つの記憶ではあるはずだ。
そしてここに在るものを、破壊して立ち去ろうとしているのは己である。
それでも何故か思わずにはいられなかった。
これまで誰かのためにそう考えたり、願ったりをする余裕すら持てないでいたはずが。

立ち去る俺ではお前を掴めないのだろうか。
ならばせめて、此処にいるのなら此処でせめて、
少しでも幸せであれ。
包み抱く絶望の殻が絶対の鎧ではありきれないように。



「ならお前は」
男は逆さ吊りのまま、そんな破天荒に小さく問うた。
「死にたいだなんて考えたこと、ないのか?」

破天荒はゆっくりと笑んだ。

「一度だけ」

歪みかけた表情を消せぬまま、
もしかしたら今にも泣き出しそうな顔をして、
それでも笑った。
そうでなくては伝わらないと、彼に対しては伝えておかねばならぬのだと。

「…でも光が見えて、死ねない理由ができちまった」

毛の王国の生き残りを探すという目的は、いつか限界が来れば同時に終わってしまうのだろうと薄々思っていた。
だから絶望を受け入れようとした。
その絶望を真ん中から割って差し込んできた光が、寸ででこの手を引いたのだ。
「そうかぁ」
男はのんびりと、破天荒の顔を見ながらまた呟く。

「希望ができたんじゃあ、仕方ないなよぁ…」

目を瞑ることが幾らでもできるのならば、それをさせないものも在る。
彼が死なずに生き続けるのも、彼が希望と呼ぶ何かのためであろうか。
それならばいい。
破天荒は声に出さず、ただ想った。



「…真ん中の道を真っ直ぐに行って、行き止まりの壁の右端を三回叩いてみるといい」

「……??」
唐突に男が発した呪文のような言葉に首を傾げる。
「そうしたら壁が開いて非常階段が見えるから」
「……お前」
「その先のことは知らないが」
男は軽く勢いをつけると、ぐるんと回って始めの体勢に戻った。
器用に片手で縄を掴み直す。

「でも、死なないように頑張れよ。お前の希望がかなしむ」

気の抜けたものではない、真面目な響きを抱いた言葉に破天荒は目を見開いた。
「…あ、ああ」
男は相変わらずの無言に無表情だった。
その視線の色も、読み取れるものではない。
しかしただ言わずにはいられなかった。

「…お前も生きろ」

「そうじゃなきゃ、たぶん俺は…いい気がしねぇからな」

それは破天荒にとって造らぬ言葉である。
己が光だと感じたような存在を、恥ずかしげもなく希望と呼べるように、伝えるべきに惜しむことはない。
それでも言えぬと諦めかけたことは幾らでもあった。
今は何もかも、望むなら間違えなく伝えておかねばならないと思う。
目の前の男のその腕を、今この場所では掴んでやることができないのなら。

「それはちょっと解らない」
「…バカ、なら約束しろ。お前と俺はまた会うんだ」
「どこで?」
「どこでも」

男は袋をかぶった首を傾げ、そうかと呟いた。



背中を向けると、男はじゃあなと声をあげた。
破天荒は笑うのみで返さなかった。
約束の言葉を最後に置いて、確実なものにするためだ。

男が確かな意思で己を見送ってくれるのを、本当に喜ぶべきことであるように感じた。


そうして俺は、また一つ救われる。





絶望君にとって、絶望という感情は茨であれば暖かなベッドでもあった。
常に身近に存在している。
そして絶望君にとって、希望という感情は些細なものの繰り返しであった。
たまにそれで死にそこねたと思うこともある。しかしそこから何か与えられるたびに、結局は両方と上手に付き合っていけばいいと思うのだった。
絶望君にとって、絶望という感情は撥ね除けるものではない。
けれどもそうでない者達にとっては、感じるより感じぬ方が良いのだろう。

上司とその同僚と似た髪の色をした男が、絶望を感じぬようにと小さく願った。
止められた上司の同僚を思えば本来考えることですらあるまい。
しかしもし彼が笑ってまた光と出会えるならば、それが己の希望になるような気もするのだ。
絶望君にとって、絶望は愛おしむものである。
そして希望は受け入れるものであった。

彼との約束を果たすにしろそうでないにしろ、久し振りに遠くへ出かけてみるのはどうだろうか。
ソニック達の嘆きが和らいだ頃にだ。こうして逆さ吊りになってみることも、それなりに気に入っているというのもあるが自分なりに彼への忠誠である。
もしかしたら龍牙を戻すために、あの男を探す動きも出てくるかもしれない。だが己にそれを手伝えるともやはり思えなかった。
ただぼんやりと、
例えば絶望などしないと言葉の吐けるようになるぐらいには、
それなりの実力の脱走者相手でも一人で戦えるぐらいには、
多くのものを見ておきたいと感じた。






非常階段から下のフロアに出て、破天荒はそこが本当に二十四階であったことを知った。
切迫したざわめきが重なり聞こえてくる。
どうやらボーボボ達には追いつけそうにもなかったが、何故か不愉快な気分にはならなかった。

いずれ必ずあの連中とは合流する。
するべきことは幾つもあるが、まずは敬愛するものに何よりどれだけ会いたかったかを伝えよう。



誰をも悲しませはしない。
俺はそれを目指すのだから、お前もどうか捨て去るな。
そうしたら次に出会う時、
俺はお前の希望になれるかも知れないのだから。











時間的には破天荒の龍牙撃破〜ボーボボ一行のギガ撃破の間くらいを考えています。
絶望君はこの後都市の核まで降りてスパーラビットと「お恵みを〜」をやるってことで
たぶん彼は普通にエレベーターで降ります(…
それぞれの身近な存在として首領パッチとソニック(存在)が大分出張ってしまったのですが(汗)
ハイドレード戦での絶望君の「絶望!?しませんよ僕は」の叫びは印象深いです。

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