親しい連中が騒ぐのに、一緒になってふざけることもあれば脇でただ見ているだけのこともあった。
一緒になるのは全体を見てその余裕がある時だ。
主君は側ではしゃがれたところで相手にはしないといっても、機嫌を損ねぬわけではない。最初の方から良くなかったりすれば尚更である。
だから脇でただ見ているといっても、本当にぼうっとしているだけではない。
はしゃいでいる連中と、側にいるなら主君にも、無言のままで気を配る。
自分もそれに混じるだけの余裕を確認して、そうしたいならば思うまま遊ぶ。
臨機応変であることは何においても必要だ。例えば戦いの中、一瞬の判断が明暗を分けるなど当然に等しい。

それはインダス文明にとって、決して苦ではなかった。
楽しげな仲間を見ているのは楽しい。そこに混じるのもその先に立つのも当然楽しい。
主君にしても、短気に見えて筋の通った男で決して理不尽に怒るのではないから、様子を伺う伺わないなどとは関わりなく同じ空間に在ることができればそれが嬉しかった。

基本的には、物静かに世界を見ているつもりだ。
それで何もかもがあっさり上手くいくのではないけれど。







「インダス」
庭の植物に水やりをしているインダス文明の背に、低い声がかかった。
暇を持て余してそうしているわけではない。普段はガンプが黒子達を引き連れてする仕事を、たまたま通りかかったので手伝っているだけだ。
対して珍しいことでもない。この城の住人は基本的に仲も良く、身分の差など定められているほどには気にしない。
城主はそれに文句を言わなかったし、他にも実際咎めるものはなかった。
「OVER様?何の御用で」
現に、たった今インダス文明に声をかえて尋ね返されたのがこの城の主その人だった。
「サイバー都市から逃げ出して、この辺りまで来ようって連中があっただろう」
「はあ、聞きました」
三日程前に耳にした噂であった。
脱走は不可能とされているあの要塞の都市から、海路と陸路とを上手く使ってどうにか逃げのびようという『処刑予定者』がいたのである。
実際には船に乗る前にあっさり捕まったらしい。問題はその逃亡者が都市の知らぬところで電車の切符を手に入れていたことであり、その切符というのがハレルヤランドからOVER城までのものだったそうだ。
「おちょぼ口に調べさせたがこの辺りに面倒なのはいねぇ。その報告書をわざわざ受け取りにきやがるらしいが、受け渡しは外だ」
「外で?」
「城まで入れるのは面倒だ」
「えー」
サイバー都市は帝国からは独立した、帝王ギガの治める領土である。
よって帝国とは大きく異なった法が成立する。とはいえ帝国でも四天王などは好き勝手をしているが、帝王直属の部下を処刑人などと呼ぶのはサイバー都市ならではであった。
インダス文明もサイバ−都市の法をそう詳しくは知らない。
噂程度の知識である。読書は苦手な方ではなかったが、わざわざそれを書き表した書物などそうは見たことがなかった。実際、都市にて物事を決めるのは帝王のその日の気分だとも聞く。
それはやや極端な話であろうが、何にしろわざわざOVER城からまで報告を求めようとは律儀な話だ。
「ハレルヤランドの方は?」
「さあな。とっくに渡してんじゃねぇか」
「素早いですね」
「元々しょうもねぇ記録の山を作ってるだろうが、あそこは」
そして、都市との関係も深いという。
「それで俺は何を…」
なんとなく解ってはいたが、一応問うておいた。
「駅まで手紙を持ってってやれ。この後の仕事は他の連中にまわせばいい」
「何か向こうから了解の印を貰ってきましょうか」
「必要ねぇ」
一応、渡しておけばそれでいいという程度の扱いらしい。
書類が必要だというのも誰かが強く望んだことではないのだろう。気まぐれと噂の帝王などは、どうでもいいと思っているかもしれない。
「向こうの移動手段は?もう暫くは電車の来る時間でもないですが」
「自力だ」
サイバー都市には帝国とはやや趣の違った技術がある。
機械という点ではとくに優れていると聞くから、確かに困らないのだろう。
そこまで大人数で来ることもあるまい。ひょっとしたら何かのついでなのかも知れない。
「了解しました。ではご挨拶と手紙の受け渡しを済まして、早々にお見送りします」
「…やっぱテメーが適任だな、インダス」
笑みを浮かべたOVERに、インダス文明は放られた書簡を受け取りながら一礼した。

OVERは大人しい手筈などというものを好かない。
向き不向きというのがあるしどうしても必要なものでもないし、こういう時こそ部下が動くものだ。
それを他の連中が解っていないわけではない。ただ一番そつなくこなすという意味では、確かに比較的インダス文明が適任であるかも知れなかった。
同時にインダス文明に向かぬ仕事もある。
適材適所結構という考えの彼にとっては、推薦されれば断る理由もない。

「ではじょうろを返してから行きますね」
「貸せ」
「え?」
「…いいからとっとと行ってこい」
インダス文明から奪うようにして緑のじょうろを受け取り、OVERは踵を返した。
「………」
去っていくその背中をただ見送る。
OVERはああ見えて草木だの果物だのというのを嫌いではない。
じょうろはそこらに放ってしまうのかもしれないし、もしかしたら使うのかも知れなかったが、もし後者であったなら恐らく誰かに見られでもすれば機嫌を損ねるだろう。
インダス文明は少しだけ困った。
別の仕事が入ったガンプはこの場にいない。だが面倒見のいいおちょぼ口が、少しだけ離れた場所で鼻歌混じりにじょうろを傾けているはずなのだ。



おちょぼ口の無事を信じて、インダス文明は出発した。
人の好いおちょぼ口のことである。OVERを見付けたところで寧ろ気軽に挨拶などするかもしれないし、OVERも何だかんだでそこまで怒りはするまい。
じょうろはただ片付けられたのだという可能性もある。

書簡を入れた筒を片手に、駆け足でよく知った道を進む。
駅はOVER城からやや離れてはいるが、それでも身近なものだ。前を通り過ぎることも珍しくはない。生まれた頃からあの城にいる蹴人などは、出来たばかりの駅から出発する電車を見送るのが好きでよく通ったものだと言っていた。
待ち合わせまでは少し時間があるので慌てる必要もないが、遅れるよりは良いだろう。
城には急ぎではないが別の仕事も残してきている。どちらかというと帰りに急いだ方がいいかもしれない。
途中、サイバー都市から来るのがどういった人間かというのを確認しなかったことに気付いたが、恐らくOVERも細かいところまでは解らないだろう。
都市の住民が外に出向くのも珍しいと聞く。
外から入るのにも手続きが必要で、周りを囲む海は護衛部隊で固めているというのだ。それでもどうにか出入りしようと密航する船は後を絶たないらしい。
実際にその光景を見たことのないインダス文明にとっては、何もかも知識でしかなかった。
ただ今回問題になっている脱走者は、その密航船と電車とを使って出来る限り都市から離れようとしたのだろう。
都市から出てもハレルヤランドの側はやはり毛狩り隊が固めている。それに、サイバー都市の関係者もハレルヤランドにはよく出入りをするという噂だ。
その目的は知れないが、取りあえずそれに比べたらこの辺りなど呑気なものだ。

その聞こえは決して良くはないが、その場所にはその場所のやり方というものがある。
都市には都市の、OVER城にはOVER城の判断の仕方があるのだ。
サイバー都市もまさかOVER城の誰かが密航に関わっているなどとは疑うまい。それをする者が実際にあるとも思えない。
何でもない限りは早く書簡を渡して帰ってしまえばいいのだ。

そんなことを考えている内に、ハレルヤランド行きの電車のために作られた駅へと辿り着いた。
毛狩り隊やそれに関連する者達の大半はその存在を知っている。ハレルヤランドの設立と同時に出来たもので、OVERは今でも時折「この辺りにわざわざそんなものを作る意味が解らない」と苛立っていた。

電車はそう頻繁に通るものではない。時刻から外れた駅には人気が無かったが、小さな乗物がぽつんと停まっていた。
一人乗りの飛行艇らしい。ルビーなどはこれを見たらきっとはしゃぐだろうが、インダス文明にとっては物珍しいという程度の感覚だった。
興味が無いわけでもないが、今は書簡を渡す相手を見付ける方が先だ。
辺りには何故か誰の姿もなかった。

(…遅れたか?)
否、そうとも思えない。
乗物があるからには待ちくたびれて帰ったということもないだろうし、こちらのことを探しに出かけてしまったとも考えにくい。
それならば時間潰しにでも辺りを散策しているのだろうか。
とはいえこの辺りには本当にぽつんと駅があるだけで、こうして駅の付近に立てばそれが解る。
(どうしたもんか…)
インダス文明はその場からも離れかね、何となく乗物へと近付いた。
一見車のようだが車輪はない。一人しか乗れないようになっていて、恐らくは宙に浮くのだろう。
OVERはこういった類の機械を好まないが、他の四天王達は何かしら取り入れている。サイバー都市に至ってはこれが名物といってもいい。
人によっては、処刑こそを名物と呼ぶのかも知れないが。

やはり興味は捨てきれず、インダス文明は厚いガラスの窓から中を覗き込んだ。
「…わ」
そして小さく声をあげた。
驚愕しながら、しかし無意識に声を押さえたのである。

乗物の座席に人間が一人、膝を抱いて寝転がっていた。
何やらどんよりと落ち込んでいるのが窓越しにも解る。あまりに小さく丸まっているものだから、外からは死角になっていたのであった。


インダス文明は考えるまでもなく、少しばかり戸惑いはしたが、書簡を持ち替え開いた右手でガラスを叩いた。
もし彼がサイバー都市の人間であるなら、こうでもしないと仕事が終わらない。そうでないならそれはそれでやや大事だ。
そうであっても体調不良など起こしているのなら、まず医者を探さねばならない。
声で呼びかけるより、振動で呼びかけた方が伝わり易いように感じる。

ダンダンといまいち頼りのない音で繰り返していると、その『人間』はゆっくりとこちらを向いた。
格好は奇抜だが珍しいものでもない。例えばハジケリストと呼ばれる人種は、競い合って印象に残る格好をしたがるものだ。
どちらかというと気になったのは頭に被っている紙袋で、どうやら抱えて持つタイプの買い物袋のようなものだった。
そんなものを被って前が見えるのだろうか。
しかしそれはどうやらきちんと穴を開けてあるらしく、その穴がこちらを向いて視線を放ってきた。
目はその先だ。表情は知れない。

男はふらふらと片手を動かして何かのスイッチを押した。
すると、ガラスが音をたてて開いていく。
「…どちらさん?」
「いや、手紙を…」
持ってきたのに違いはないが郵便屋というわけでもない。
もっとも、そんな誤解が生じることもないだろう。彼がサイバー都市の人間ならだ。
だが男は暫しの沈黙の後、ぼそぼそと返した。

「…デス・レターなら間に合ってるよ……」

「…死神発じゃないぞ」
別にOVERは死神でも何でもない。
皮肉っているわけでもないらしい男は、未だ起き上がろうとしなかった。


小柄なインダス文明では、外から中へ話しかけようと思うと機体にしがみつく形になる。
それは苦しいだろうと思ったのか単に気分が変わったのだろうか、やがて男は乗物から降りてきた。
正確にはインダス文明が瞬きひとつする内に、
「………御用をどーぞ」
背後へ。
「早ッ」
「上るのならともかく降りるならこんなもんさ…」
「そりゃまたネガティブな考え方だなぁ…」
どうにも不自然な紙袋は、しかし不気味というよりは寧ろ可愛らしいようにも思えるのが不思議だ。
しかし今気になるのは見かけよりも、彼から離れぬ重苦しい空気の方である。
(……俺が気にしてもしょうがないか)
インダス文明はひとまず、書簡の筒を差し出した。

「報告書がこれに」
「車ん中放り込んどいてくださーい…」
「え」
差し出した手はそのままに、頷けはしない。
「いや、いいならいいけど…」
相手は本気のようだったので仕方ないから放り込む、わけにもいかず車体によじ上る。
背伸びをしてもやや身長が足りない。五忍衆の中では一番小柄なインダス文明である。そういった意味では、黄河文明などの方が適任だったのではないかとも思った。
(いや、ただ渡すだけの仕事だしなぁ。つまり)
だが実際には手渡しでは済まなかったようだ。
座席の隅の丁寧に筒を置くと、インダス文明は飛び降りて車の主の方を向いた。

「えーと」
「…あ、どうも……うぅ」
「…あ。もしかして酔ったとか」
「いや大丈夫、酔っちゃいません…酔っちゃったのはうちの上司でー…」
「上司?」
「ハイ」
思わず問うてしまったインダス文明に、男は嫌な声もせず相変わらずに沈んで答える。
「俺の上司が来るはずだったんですよ、ここに。で、ついでに真拳狩りもして帰る予定だったらしいんだけど………話は数時間前に遡る…」
そして回想まで始めてしまった。


『……よし。今日の処刑はこれで終了』
『もう終わりっスか』
『ああ、俺は後からちょっと外で仕事があるからな…珍しく。スーパーラビット、絶望君もお疲れさ……』

『あ〜俺ももうすぐ完了……』

『…あああ、こら!ちょっと待て!自分の縄切っちゃだめだってば、ああ、ほんとに切れる…!!切れ…き……』
『……なに?』
『な…なんかやば……もーだめ…………ぅ』
『…あ、気絶した』
『ただでさえ血が上ってるのにあんな大声出すから……』
『たぶんお前のせい』
『………超絶望……』
『まあまあ、落ちんなや。ほらこの人運ばんと』



「と、いうようなことがありました……」
「……そりゃ困った」
きっと彼は困ったのだろうし、それ以外に上手い返し方も見つからなかった。
縄を切るだのというのに関しては是非ともひとつ突っ込みたいところであったが、聞いたところで彼は浮かばれもしないだろう。そしてタイミングも逃した。
(真拳狩り…のついでだったのか)
真拳狩りというのは確かサイバー都市帝王の命じる、その名の通り真拳使いの捕獲行為である。
捕まれば戻らないと聞く。その目的まではインダス文明の知るところではなかったが、ギガ直属の部下である電脳六闘騎士によって行われるものだとは聞いていた。
「それじゃあんた、六闘騎士の部下か」
「…まあね………」
呟きながら男は遠くへと視線を飛ばした、らしい。瞳が見えないので、インダス文明には微かに感じられたのみだった。
どうやらまたも回想に突入するつもりだ。


『…うん、そりゃ困ったな』

『責任取って腹、切りますか……』
『いやそれは落ち着け。おいソニック…大丈夫か、ソニック?……だめだな、起きない』
『どうしますかね総長』
『真拳狩りは元々龍牙の仕事だ。ソニックにお前もやってみるかなんて言ったのはギガ様だけど、あくまでついでだし…』
『絶望〜』
『だから落ち着けってば。ほらスーパ…いや、スパー?ラビットも止めてくれ』
『落ち着けってさ』
『やだー』
『やだーじゃなくて。龍牙には僕から話しておくから…ギガ様もまあ、呆れるかお笑いになるかするだろうけど怒りはしないだろ』
『もうやだー』
『だからやーめろって』
『……一応僕の話も聞いといてくれ。問題は手紙、っていうか書類なんだがな』
『手紙?』
『デス・レター?』
『死神発じゃないぞ。OVER城発だ…この前の脱走者の件で報告書を頼んであるんだ。ハレルヤランドから出てる電車の駅があるだろ、そこに受け取りにいくはずで』
『名前が書いてあったら絶望だな…』
『消しゴムで消せばいいって聞いたことがあるぞ』
『…よし。もう絶望君行っておいで』
『……えー』
『どうせ問題無しでほぼ決まりの書類だから、散歩するつもりで行ってくればいい。外の空気でも吸って』
『…うぇー』
『ソニックの代わりをすると思ってくれよ。…ほら取りあえず、他の連中が休憩入ってこっち来たら騒がしくなるから。パナとか』
『俺は?』
『スパー…?ラビットは、処刑はいいからソニックの雑務の方を整理してやってくれ』
『スーパーですよ』
『いや、スパーだろ』
『死神〜』
『…絶望君、行ったらちゃんと帰ってくるんだぞ』



「みたいな流れになって、俺が来ましてね…」
「…まあ、六闘騎士も色々忙しいって聞くからなぁ」
「いっつもこーだよ」
寝転ぶのはいつの間にか止めていたものの座り込んだままの男は、なるほどそういった理由で落ち込んでいるらしい。だが聞いたところを思い出すと元々から悲観的であるようだった。
「ソニック様と同じ仕事が出来るわけでもないし、まあ任せられる器があるでもないし…」
インダス文明はこのタイプに免疫がない。
OVER城の住人達は真面目にするにしろ不真面目にするにしろ、基本的には楽天的である。落ち込む姿を思い出しても目の前の彼とは様子が違った。
サイバー都市とOVER城では全く環境が違うというのは当たり前のことだが、住んでいるのは同じ生き物だ。何かを肯定することもあれば否定することもある。
ではこの男はというと、既に否定にまみれて見えた。
どうやら最初からそんな風で、ここに来るまでに更に沈んで、それは誰かの為なのだろうが自分自身を嫌悪する。

それでも諦めきれずにいるのも、また彼の生き方なのだろう。
けれどもそれは苦しいのだろうなと、インダス文明は息を飲んだ。
彼の放つ悲しみは人を苛立たせる類のものではない。寧ろ深すぎて、目の前にあればこちらまで溺れそうになる。
引き寄せようとしているのではない。引き込もうとしているのでもない。
ただ彼自身の心が既に暗い世界の中をゆっくりと落下していくのが、目に見えるようにすら思えるのだ。
例えば今は書簡を受け取るという己の仕事を解っていて、それに対する責任感とはまったく違ったところで立ち上がれないでいるらしい。
それはそれこそこちらに対してどうかという話だが、インダス文明の中に怒りは生まれなかった。

ただ落ち込んで見せているのではなく、元より沈んでしまっているものに、
どんな言葉をかけたらいいのだろう。

彼にとっては余計な世話もいいところであるかも知れないが、それでも言葉を探した。
何故だろうか探さずにはいられなかった。このまま見送るだけでいようと思えなかった。
いじけているのではないだろうに。
悲しんでいるだけでもないだろうに。
それならばどうして彼はこうも、絶望的な感情を抱いたままでいるのだろうか。

必要な言葉も、すくい上げる言葉も、簡単には見つかってくれない。


「…そんなに悲しいなら、それだけ」
「…んー?」
「サイバー都市って、あんたには好い場所なんだな」
「……どうだろう」
ぼんやりとした言葉に、インダス文明は頷いた。
「俺はOVER城務めだけど、あそこが好きだぞ。マルハーゲ帝国に関係がなくても、あそこにいたいし役に立ちたいし」
「そりゃ偉い」
「…あんたはどうなんだ?」
膝小僧を抱えて座ったままの男は首を傾げる。
「…俺には決まった居場所なんかないな。たまたま流れた先があそこだったから」
「でも、あの要塞都市にわざわざ入って務め始めたんだろう」
「絶望まみれだからね」
淡々とした言葉に、しかしそれはOVER城とて違わないのではないかとインダス文明は思う。
都市に溢れる絶望は狩られるものの嘆き声だ。
OVER城が狩らぬわけではない。マルハーゲ帝国四天王の居城である。
「そりゃ、あんた自身のことじゃないだろ」
「俺にとっても、同じことを繰り返す場所だよ。俺の上司は六闘騎士だから」
「…ああ。俺達に比べれば自由も少ないんだろうなぁ」
必殺五忍衆には電脳六闘騎士と違い、日々行うという形で管理された様な業務がない。
そう毎日毎日毛狩りを行うわけではない。強いていえば城の護衛だが、それこそ捕まえてでもこなければ四天王の城に乗り込んでくる者など滅多になかった。
「でもその上司は優しいんだな。心配してくれるんだから」
「真面目だけどちょっと抜けてる人だよ」
「…四天王にはいないタイプだなぁ」
「俺は、あの人達を困らせたいんじゃないんだけどな……」
無気力な声がほんの少しだけ、困惑を含んだ。

彼の求めるのは哀れみですらない。
そこに抱かれるものは純粋ですらあり、そしてサイバー都市という場所に対する愛着とも別物なのだと、インダス文明は察知する。
では『あの人達』とは彼にとって、それでも『そこにいたい』と思うだけの希望を生み出してくれるものなのだろうか。
流れた先がと言う彼は、いつか都市をも離れるのかも知れない。
その時には何らかの思い出も抱いて行くのだろうか。
インダス文明は、OVER城から離れた己の姿など考えたこともなかった。


彼はきっと純粋に絶望を喰らって、希望を飲み込んで、そして思うがままに流れているのだ。
それが彼の生き方なのだろう。
けれども彼を放っておけない者には、そんな姿こそ危なっかしくて堪らない。
その思いが純粋なものと感じられれば尚更だ。


「…まあ、ここに来たってことは仕事はしようと思うわけだろ?」
「そりゃ、もちろん……どつぼに嵌っちゃって。すまない」
「それは構わない」
勿論のこと任されたからには真面目にするべきに違いないが、それは己の言うことでもないと思った。
言ったところで何か問題のあるわけでもないだろう。だがインダス文明はそれでいいと思ったのだ。彼はこちらの話をきちんと聞いているし、気持ちの方はどうやら真面目で、だからこうも沈んでいたらしい。
「都市が好きなら、はしゃいじゃいけないことはないんだし素直にやればいいと思うぞ」
「そうか?」
「まあ俺はそうしてる感じだ」
この時はこうすればいいと思えば、そうする。
明確なデ−タなどに基づいているものではない。それで良いのだろうと思うこと、それだけの自信を持てることには胸を張るのみだ。
そこに在るもの達を敬うからこそそうしている。
「都市には都市の空気があるんだろうし…」
その場所なりのやり方があればその者なりのやり方もあろう。
もっとも、サイバー都市について詳しく語れはしない。
「ただ、お前の上司達は困ってるだけじゃないと思うぞ」
「そうかな」
だがただ一つ何となく解ることがあった。
「散歩するつもりで行ってこいっていうのも、終わったら帰ってこいっていうのも、あんたのための言葉じゃないのか。もしかして」

彼の直接の上司ではないという六闘騎士の総長の言葉は、話を聞けば彼に対しても彼の上司に対しても優しく思えた。
その上司の代わりをというのも彼が落ち込んでいたからこそではないのだろうか。
書簡の受け渡しなど誰にでも出来る。それだけを彼に押し付けたのではなく、気分転換にでもなればいいと思い付いたのだろう。

「…君も、やさしーなぁ」
男はやはり膝を抱えたままで、ぽつりと呟いた。
「そうか?」
「絶望してばっかりの人間は、小さな幸せに弱いんだ」
そこに含まれる響きはどこか柔らかい。
彼が背負いながら嘆く淀んだ空気が、少しずつ晴れていくようにも思える。
「…そういう時は弱いっていうものか?」
優しいという言葉をどうにも照れくさく感じて、インダス文明は被せるように問うた。
すると男は否定をしない。しかし肯定するでもなく、ただ首を傾げた。

「じゃあ、嬉しいのかな」

今度こそ本当に照れくさかったインダス文明は、一言だけ、
「…ナイス判断」
それだけ、己の好きな言葉で返した。




男はきちんと立ち上がって、礼を言って飛行艇へと乗り込んだ。
そして本当に浮き上がると、あっという間に飛んでいってしまった。
どうやら実は器用な男であるらしい。思えばあれだけ沈み込んでいながら、ここまで操縦してきて辿り着いていたのだ。

書簡が都市に届くかを少しだけ気にかけはしたが、
空に見える窓から小さく手を振った男を見て、大丈夫だと思った。



帰りは走った方がいいかと思っていたが、気分を変えてのんびり歩く。
六闘騎士総長の言葉は間違っていない。普段なかなか改めて見渡さぬ風景の中で、たまにはこうして空気を吸い直すのも悪くない。

先程彼に送った言葉があれで良かったのかは、インダス文明自身にも解らなかった。

臨機応変、適材適所などという言葉は固いだけではない。
だからこそ難しいのだ。


再び何処かで彼と出会う方がずっと容易そうだったので、
インダス文明はなんとなく、彼がもう暫く都市から流れていかなければいいのにと思った。











インダス文明はふざけていても物静かで、なかなか冷静な行動を取ってくれます。
「ナイス判断」とかノリも人もいいんだなあと感じさせてくれるところです。
絶望君は静かというかまああのテンションで…でも高い時は高い。
OVER城とサイバー都市はどちらも毛狩りをしながら雰囲気などかなり違うので、改めて色々妄想してみました。

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