俺はいつだって、お前の先を歩きたがっていた。

そこには俺が歳上だったとか、少し後ろを向いてついてくるお前と話すのが楽しかったとか、そういう子供じみた感情が幾らでも存在していたに違いないが、
奥底ではお前に前を歩かれるのが恐ろしかったのだ。
嫌だったのだ。
逆にその背中を見ることになって、その後は追いつけずに離されていくなど御免だった。
手の届かないところへ消えてしまうもの。
お前だとか、俺と同い年だったお前のすぐ上の兄貴だとかにはきっと解るまい。ひたすらに強く仲睦まじかった兄弟達よ。
例えばあの無口だった歳下の、別種の真拳の使い手ならば、今頃は成長して誰かに似たようなものを感じているかも知れない。

今はもう語れまい。
俺はこんなに遠くまで来てしまった。
失いたくないものを必死に目で追いながら、手を伸ばすことができずにいるままに。

お前はいつだって俺の欲しいものを持って先へ行ってしまう。
お前自身のことすらも。


俺に拳を渡したかつての親友よ、
お前は俺を笑ったか?











「…あ、軍艦!!そこに倒れてたのかっ」

微かな頭痛をやや共有した聴覚に、無遠慮に飛び込んでくる声は誰のものだっただろうか。
覚えがあるような気もしたが記憶の中の何らかとは直結しなかった。
しかし声の主は軍艦が悩む前に、今度は視界の中へとまた無遠慮に飛び込んでくる。
四角い影が倒れ天を向く軍艦を覗き込んだ。

「生きてる?うん生きてるよな」
「お前……………だれだっけ?」
「…ええー」
影は明らかなる不満を表情と声で表した。
非ヒューマンといっても色々な姿をしたものがあるが、どうやら表情の変化の解り易いタイプだ。
「お前俺んことちゃんと見てなかったのかよー」
「見てたも…なにも」
いつ、どこで。
そんなことを考えていると、首から頭の真ん中に少しいった辺りがまたずきりと跳ねた。
鈍痛と同時に思い出す。
「んーまあ仕方ないわな。どーせ俺部外者だ……」
「……ああ、ガムに負けてたヤツか…」
「…ほっといてくれぇ」
思い出してやったというのに、影ときたらまた不満そうにというかがっくりと落ち込んだ。
軍艦にしてみればある意味では生き残った彼こそ勝者のようにも思えるのだが、本人にとっては胸を張れぬ完全な負け試合であったらしい。
確かに解るまい。軍艦はとりあえずヒューマンタイプであって、ガムとそして彼は食物タイプであるがために。

ぷるぷると揺れて動く寒天だかゼリーのような彼は、確か心太と名乗っていただろうか。
ボーボボが連れてきたのだ。始め再会した際には姿を見なかったが、こちらの五人衆に対抗するためにと新たに拾ってきたらしい片割れである。
そのもう片方は激しい戦いと狡猾なる作戦の末に封じ込めてやった。我ながら見事であった。
しかし彼の方は姿を消したり出てきたりして、戦いにもあまり関わってこなかったために、軍艦の記憶の内では薄い存在だったのである。

ガム。
ああ、ヨーグルトガム。
惜しい男を亡くした。
軍艦は薄らとその喪失を思い、涙を堪えた。
あの立派な部下がどの様にしてマントを纏い動いていたかはよく解らない。
あとなんで五人衆なのに六人いたんだろう。解らない。

「俺、ところ天の助っての」
軟体動物は空気を読まずに、爽やかに軍艦へと語りかけてきた。
「ところてん食うか?」
「……いらん」
そんな気分ではない。ところてんにところてん食うかと言われるのも複雑な話ではある。
それとも俺はところてんを食いたそうな顔でもしているのだろうか、と思ってはみたものの、起き上がれないので確認するのも儘ならない。
「お前、ボーボボに、ついて…いかなかったのか」
「ん?…お前大丈夫かよ?苦しそう」
軍艦の問いを聞いていたのかいなかったのか、彼、天の助は柔らかい腕で軍艦をつつく。
大丈夫には見えまい。大丈夫ではなかった。
ボーボボの野郎が甘えちゃだめだとかぬかして、とどめの鼻毛を炸裂させてくれたがために。
(ああ、ちくしょう)

あいつときたら全く成長しちゃいない。
軍艦の記憶の裏から、普段はまともだったり格好いいことを言うくせに、たまに弾けてわけの解らないことをやりだす少年が飛び出した。
体だけはすっかり筋肉質になった男の姿と重なる。外見は大きく変わっていたものの、軍艦は青年がかつての少年であることをすぐに解った。
思えば彼もそうであったのだろう。
外見が変わったといえば軍艦も同じだ。幼い頃はリーゼントの素晴らしさを知らなかったので、髪の毛はそこそこ短く切って遊ばせていた。
(そう、俺は成長している……)
たぶん。
しかしそうは言い切れないかも知れない。
だがたった今そんな思いに耽るには、軍艦の表情を漏れなく見られるほど傍に在る他人というか他心太が邪魔であった。

「ボーボボのやつこっぴどくやったよなぁ。僕たちは甘えちゃだめなんだー」
「……なぜボーボボと行かなかったんだ。あいつは行ったんだろう」
軟体動物のやる気のないボーボボの真似を流して、軍艦は再び問うた。
「…ビュティがもどったから」
「ああ……あの、小娘」
「俺、それ手伝うためにここに来たんだよ。でもお前が無傷で帰してくれたから、それはその時もう解決しただろ?」
「…ボーボボを誘き出して、もう用済みになっただけだ」
ヘッポコ丸を煽りボーボボを誘い出すことができる存在。
関わりのない彼女に、悪いことをしたなどとは思うまい。それではあまりに己の行いに対して中途半端になる。
実際軍艦は後悔などはしていなかった。
「思い切ってていいな、それ。男前」
倒れたままの軍艦の隣に体育座りのようなことをして、天の助はまた覗き込んでくる。
「…俺最近まで敵だったしさぁ、あの子…あー、ビュティにも悪いことしたしさあ。ほんとはついて行きたかったのかもしれないけどさー」
「俺とボーボボが戦ってる後ろで、一緒にはしゃいじゃいなかったか」
「あれはその場のノリに助けられてたからさ。…ビュティが戻って来て、あいつら四人で喜んでて」
「……」
「俺、そろそろここにいちゃ駄目かなぁって……じゃねぇや。なんていうかこう…ここにいるの怖いなぁって思って」
「…やめたのか?くっついて行くのは」
根が人の好い軍艦は、愚痴のような話に言葉で相槌をうってやった。
それが出来ぬほど辛くはない。首より上はそれなりに冴えているのか、話すのは苦ではなかった。
天の助が何故ここでこんなことを愚痴するのかといえば、軍艦が彼にとっては関わり薄い他人であるからこそだろう。
否、先程まで敵対した者同士であったのは間違いないのだが、どうやら彼は軍艦を『大丈夫かどうか心配で愚痴を言っても構わぬ相手』と見なしているらしい。
軍艦には解らぬ感覚である。
しかし、聞いてやろうと思うのに嫌な感じはしないのだ。
心は気恥ずかしさも悔しさも通り過ぎてしまったのかやけに晴れ晴れとしていた。天の助の先程までを忘れたような態度も何となく接し易い。
軍艦にはそれで良かったが、例えば四天王の他の連中だったとしたら、こんな雰囲気には苛立つのだろう。
企みを話すことなどあるはずもなかった三人の顔を思い出して、笑った。
「そんな臆病者が、どうしてこんなところへ来た」
「ボーボボが俺のこと買ってくれたから」
「…ほう」
「十円で」
「?」
どうも会話が繋がらない。眉を顰めると、天の助が吹き出す。
「買ってくれたって、お前が思ってんのとたぶん違うぞ。だって俺ところてんだろ?」
「…まあ、そうだな」
「だから売り物なんだよ」
その言葉に、すんなり成る程とは言えなかったが合点がいった。

「…なー軍艦ちゃん」
立ち去る気配のない体育座りの心太は、恐れた様子も無く軍艦に語りかける。
「誰がちゃんだ」
「帝国からさ、呼び出しとかあっても行かない方がいいぞ」
「…呼び出し?そんなもの今更行くわけないだろう。なぜお前がそんなことを」
「お前、帝国裏切ろうとしてたんだろ?今回のことで確実にばれただろうし」
だからもしかしたら、四世直々に呼び出して詰問でもするはずだと言いたいのだろうか。
応じる理由も今やない。残念ながら、ボーボボとの戦いで状況は大きく後退したのである。
そもそも温室育ちの帝王をそうまで恐れたことなど無かった。
「四世ってさ、言われてるほど甘ちゃん帝王じゃないんだぜ」
天の助が厳しい表情を見せたので軍艦は重ねて不可解を感じた。
いい加減動くようになった身体をどうにか起こして、そこらの瓦礫に寄りかかる。すっかり穏やかなる『聞く側』になってしまったが、彼の含みある言葉は気にかかった。
「……四世に逆らったやつがどこ行くか知ってるか?」
「さあな。国外追放でもするのか」
「まあ、そうだな…でも国の外に出すんじゃないぞ。そんなんじゃ自由になっちまうだろ」
その言葉の意図が解り兼ねて何も返さない。
天の助はそんな軍艦の様子を見ることなく、複雑そうに表情を歪めた。
「気に入らない奴はこっそり捕まえて、出れないとこに放り込んじまうんだ。……身内だって」
「やけに詳しいことだ」
具体的なようでそれを一歩避けた話し振りは、滑稽な作り話か何かに思える。四天王である軍艦ですらそんな場所など知らない。
やや馬鹿にした物言いに天の助は首を振った。
「信じなくていいけどさ。『あそこ』から帰ってきたヤツ、たぶん誰もいないんだ」
「………」
「俺は何年か前のことまでしか知らないけどな。だってそんなになっちまったらヤだろ……いやいや」
ぶんぶんと更に激しく、振り切るようにまた首を振る。
「…言えやしねぇか。…俺がやってたことだし」

自己完結してしまった天の助の、その思うところは解らない。
だが軍艦は僅かに感じた引っ掛かりを遅れて掴んだ。
この軟体動物は、つまり。

「…四世の部下だったことでもあるのか?」
静かに問うてやると天の助は顔をあげて、
『まだ言ってなかったっけ?』とでも言いたげに頷いた。



「俺、つい最近までAブロックで隊長やってたんだぞ」
「…そうだったのか。俺は毛狩り隊の方のことは見てなかったからな」
「だろうなー、俺だって四天王のことよく知らなかったし。…ええと最初は雑用やってて、そのあと本部に移って、そっからまた色々あってAブロックに行って」
「随分と長いじゃないか」
「そーだな。二十年は超えてるんじゃねぇかなー」
軍艦は軽く目を見開いた。
Aブロックの隊長だったという話もどうにも信じられないが、それはどうやら嘘でもないらしいのが話から解る。
しかし二十年も四世の下にいたというのはどうも信じられない。
「その割にはやけにあっさりクビになったんだな」
「お前の幼馴染みのせいだぞ?」
天の助は拗ねたように空を見た。
「あっさりしたもんだよな。あー切な……ま、買ってもらえたからいいかぁ…」
かと思えばうっとりとした表情を見せる。
「…食ってもらえなかったけどー」
なら離れなければ良かったのにと、軍艦には言う気が起きなかった。
天の助の言っていた怯えというのが何となく解る。彼の抱いたのはまだ浅い、可愛らしい程度の臆病さだったのだろうが。

ここに在ると己を支える足場が危うい、そう感じた時にどうするか。
天の助は黙って離れた。
『何も起こしたくないから』離れた。『起こってほしくなかったので』離れた。

「お前が元Aブロックの隊長だとしたら、なぜ俺にそんな忠告をする?」
「だってお前ボーボボの親友じゃん」
「…もう、昔の話だ」
「またまたぁ」
ころころと表情の変わることだ。今度はけらけら笑ってみせる。
「ま、それもあるし、あと俺お前に直接恨みなんかないし、普通に心配だし…」
「……心配?そんなお人好しだからクビになるんだろう」
「うえ。ひでぇ」
笑顔がくしゃりと崩れた。
「歳上は敬えよなぁ」
「俺はもう二十八だぞ」
「そうかよ。俺は三十四年だよ」
「…マジで?」
「マジで」
三十四年も経ってしまえば、なるほど犬も喰らわぬわけだ。


もし本当に帝国のどこかに『裏切り者を放り込む場所』というのがあるのだとしたら、それは避けねばならないだろう。
確かに四世にはどこか得体の知れぬところもある。
基本的には彼の認める者ばかりを集めた本部には謎が多く、実は軍艦にも解らないことが多かった。

「…そもそも『心配』から解らん」
「しちゃ悪いか?」
「おかしいとは思うがな」
「おかしくなんかねぇだろ。いいじゃん」

これを利用すれば或いは、未知の情報を引き出せるかもしれない。
まるで子供のような物言いをしてみせる元毛狩り隊、元本部勤務隊員、元Aブロック隊長。
臆病で情に飢えているらしいリーゼントも作れぬ非ヒューマン。

利用できると、そう思っただけで行動しようと感じるには至らなかった。
何故だろうかそうしようとは思えなかった。

「…言っておくがな」
失せろとも未だ言わず、軍艦は律儀に付け加える。
「俺がボーボボと親友だったのは子供の頃だぞ」
「子供ってオマエ」
「貴様だって半分も生きてないような頃だ。その時はあの毛の王国も健在だった」
「…ああ、それなら二十年くらい前だろ。俺行ったよ」
「は?」
天の助は何やら目を細めて平然と語り出した。
「まだ雑用だったけど出世したかったから隊長と副隊長にひっついてってさぁ、なんかガキが二人……は、よく覚えてねーや…あ、ネコがいた」
思い出したいのか軍艦相手に語りたいのか、中途半端なところをうろつきながら言葉にして紡いでいく。
耳を傾けてやっている己もお人好しなのではないかと思わされる。
「おもしれーネコだったぜ。髪はえてんの、ワカメみたいのが」
「…………………へー」
思い出しかけた記憶は面倒を引き起こしそうだったので取りあえず封じた。


代わりに、幼かった頃の『自分』を思い出した。
その詳細はもうよく覚えていない。
ただ今思えば確かに、欲しかったのは世界そのものではなかった。
ボーボボの存在する自分の世界の確立であった。
自分の存在するボーボボの世界の証明であった。
子供心には世界は広い。だが自由であるがゆえに、掴んでおきたいと思う世界はそこまで広くもない。
軍艦のその渇望は、他の世界を知った今になっても途切れずに残った。

そして再会した馬鹿野郎は馬鹿野郎のままそこにいたので、
それなりに満足をしている。


「ボーボボ、言ってたじゃん。お前はオレの一番の親友だーって」
「…バカ」
世界を知らぬ代わりに制限せぬ幼心か、世界を知って行き詰まることもある頃の感情か、この天の助というのはいまいち解らない。
ボーボボのあんな言葉を恥ずかしげもなく繰り返す。
「…言葉では何とでも言えるだろうに」
「でもお前、その方が嬉しいんだろ?」
「なにを」
「で、疑ってるってほどでもないんだろ?…ボーボボが本気だったのちゃんと解ってんだろ?」
口ごもる軍艦に、天の助は責めるでもなく言い聞かせるでもなく問を重ねた。
「人間ってそういうとこ、難しいよなぁ」
羨ましいのに、と重ねて呟く。
「…うらやましい?あんなに貶されたのがか」
「なんだお前ちゃんと聞いてたんじゃんか。だってボーボボがああ言ったのはさあ…」

努力家で不器用で、形ある力とその先にだけ傾倒した軍艦。
ボーボボはあの場にいた仲間達と、そして軍艦本人の目の前でそんな言葉を惜しげもなく並べていった。当然ながら軍艦の怒りを買うほどに。
しかし散々煽ったあとボーボボが最後に付け加えた言葉まで、天の助の聴覚にも聞こえていたのだ。

「お前がそういう奴で、それで誰に嫌われたって認められなくったって、それでも俺はお前の親友だーって」
「…おまえな」
軍艦はいよいよ恥ずかしくなって、髪の毛を掻き回した。
よくも覚えているものだ。ついでに今思い出したのだが、そういえばリーゼントが崩れたままだった。
長い髪の毛は降ろしていると邪魔でならない。
「…あいつ、お前のこと全部見て言ったんだろ?」
黙らせる気にもならなかった。
皮肉るでも嘲るでもなく、確かに羨ましそうな顔すらしてそんなことを語るのだから。
「いいよなー」
先程には人の汚いところも知っているような仕草もしてみせたくせに、無防備に懐いて絡む犬のような顔もする。

「…そう、か?」

ああ、そんな輩と話しているとどうにも巻き込まれてしまうのだ。
恥ずかしくなる。無闇に焦る。
懐かしさに沈んでいた感情が改めて今に引き戻された。子供の頃などは恥ずかしいと思う暇もなかったのだ。
「そうそうー」
伸びる語尾をぼんやり耳にして、否定する気がまた薄れていく。
仕方ないので溜息混じりに笑った。
すると、天の助が横で吹き出す。

「…お前って、なんかかわいいんだなぁ」

「…っ」
突然言われて、軍艦はやや前のめりになった。
慌てて姿勢を戻しついでに胡座をかいて座り直す。
「…オマエ、また突然何を……」
「ボーボボもさ」
くつくつと堪えた笑いは心底可笑しそうだ。
馬鹿にするというより、可愛くて堪らないといっているようで何処か大人びてもいる。
「好きなら素直に好きって言っちまえばいいのにぃ」
「な、何が好きだッ」
馬鹿を、と言おうにも聞きやしない。
余計に笑う。
「…あのなぁ」
「うんうん」
仕方なく言ってやれば解ったような顔をして頷いてくる。横に伸ばしてやりたくなった。
「…思ったことをあっさり言うなんて、…そう上手くはいかんのだ」
「へー」
天の助は体育座りをやめて、ぱたんと足を投げ出した。
また空を見上げる。
「…俺、お前らのそーいうとこ好きだなー」
お前ら、というのはどうやら、軍艦やボーボボに限らず人間そのものを指しているらしい。

食物タイプはなかなか長生きをしない。したとしても、天の助のような生き様を確立することはそうはないだろう。
それでも買われたことを喜んでいる。食べてもらえなかったと寂しがっている。
ゼロから始めて長い間、人に揉まれて生きてきたのであろう天の助。

「天の助」
「ん…あ、俺の名前おぼえた?」
「…お前、ボーボボボーボボ言う割には俺との戦いに出しゃばらなかったな。俺が四天王だったからか?」
「まさかぁ」
ぱたぱたと足を振りながら呑気に返す。
「さっきも言ったけど俺、四天王のことよく知らねって」
「いい加減だなぁ」
「それにさ。あれはボーボボとお前の戦いだったろ?」
俺の出るとこじゃないだろ、首領パッチなんかもあいつなりに気ぃ遣ったんだろうしさぁ、と、どんな感覚なのかやはりのんびりと語るのだ。
「…そうだな。俺も貴様と同じということだ…死に損なったけど負けたし」
「なに言ってんだよ。お前、あいつと殺し合いなんかしてなかったじゃんか」
その上また解ったようなことを言うのだが、苛立たせるものでもないのがやはり不思議だった。

子供同士で会話をしているようにも感じる。
軍艦自身も気付けば幾らか子供の頃に戻ったように錯覚した。
戻る、というよりは今を放ることができている。彼との会話は軍艦の『今』という重みを、無下に捨てさせるではなくそっと横へと置かせていた。


十に満たぬ頃、修行の為と重い岩を担いで竹槍の上を歩いた。
手入れなどされていない野を駆けた。
たまの休息には木陰に腰を降ろした。
そんな風にして、数少ない心許せていた者達と他愛のないことを話したのだった。彼らはじっと休んでいられない軍艦を笑いながら引き止めたものだ。

今は自ら胡座をかいて座っている。
そんなことをしている状況ではないのに、そんなことをするべき相手でもないのに、こうしていられるのは軍艦が少年だった頃とはもう違うからだろうか。
しかし、彼が寄って来なければこんなことをしてはいまい。
忘れかけていた。記憶を漁れば辛うじて出てくる、ついこの間目にしたくだらないことを楽しげに笑い語る己。
穏やかであった。
今も、穏やかであった。もしかすれば、あの頃とはまた異なって。


「…お前」
「んん?」
「俺と来るか」
ふいに出てきた言葉に、軍艦自身が驚いた。
何か考えて発した言葉ではなかった。
ただ漠然と、そうであったら良いしそうであるべきだというように、声になる。
もしかすれば、元々は紡ぐ言葉などこんなものだったかも知れない。幾つも嘘や深読みを重ねる内、忘れてしまっただけで。
「…なんで?」
天の助は目を見開いて、それは不思議そうに首を傾げた。
そんな彼に心の奥で笑う。
俺も不思議だ、と。

「俺がお前を欲しいと言ったら、お前どうする?」

売れない商品。
値段による取り引き。
行く先も帰る場所もないこと。ふとした疎外感。
縋る。求める。裏切られる。

「…ん。…実はすげぇ、嬉しいけどさ」

世界を恨みはしなかったろうか。
根元では恨み続けていたのかも知れない。
ただそれは恐らく彼にとって既に過去のことであり、軍艦はそれを知らなかった。
あの国で我武者らであった幼い頃、彼は既に売り物ではなくなっていたのだ。
そしてついこの間までは、今思えば笑えるほどすぐ傍にいたのだという。
気がついた頃には離れてしまっていた。


「やめとくよ」
悪気無く、寧ろ嬉しそうなのを押さえながら天の助は首を振る。
「思ったんだけどさ。…たぶん、許してもらえるんなら俺ボーボボと一緒にいるべきだと思うんだ」
そんで、いたいんだ。
きっとそう続けたいのだろう、くすぐったそうな顔をする。
「世界征服なんぞに興味はないか?」
「俺豆腐嫌いだから豆腐廃止は目指してーけど、しばらくいいや。いっぱい動いたしなんか疲れた」
三十四というにはどうにも可愛らしくて純粋だ。
少なくとも、今この場で軍艦にとっては。

「…なら、ちょっと寄れ」
「なに?」
「いいから」
手招きする軍艦に、天の助は身体を捻って近付いた。
元より何も考えていない顔をして横に座っていたのだから距離など殆どない。
わざわざ声をかけたのは、向かい合った方が楽しかろうと思ったから。

「…おわっ」

軍艦にしてみればあまりに小さい、容易く潰れてしまいそうな柔らかい身を引き寄せた。
片腕を使って胸に軽く抱き込んでやる。
本当にやわらかい。幾らかつめたい。

「な、ちょ、なによ?」
「柔らかいな、お前…」
腕の力を加減してやらねばならぬのが、不思議と慰められているようでもあった。
胸がじんじんと鳴る。
ああ不思議だと、軍艦は心の内で呻いた。そんな感情は何もかもこいつが妙な奴だからだ、と。
「…最近はそんなのも忘れていた」
やわらかさ。
思えばそれでも柔らかく優しいものには恵まれていただろうに、それも今更改めて嬉しくありながら、

ああ、今はこんな小さいものがひとつ愛しい。
世界すら握ろうと企んだ男が。

「いいか。…俺がお前の愚痴を聞いてやったのは、お人好しだからじゃないぞ」
彼が己に愚痴をしたのが他人であったからこそと思えば、今は寂しい気もした。
「したかったからそうした」
話すのが楽しかったなどと言うのはおかしいし照れくさい。
天の助は身体を縮めるようにして暫し抱かれたままでいたが、動かぬままぽつりと呟いた。
「…うん」
頑張って頷く幼子のように。
「俺たち、もう敵同士じゃないもんな」
「そうなのか?」
「違うのか?」
「ふん。お前リ−ゼントを作れないからな」
「だって俺、毛とか生えねーもん。…でも軍艦さ、リーゼントじゃなくても似合うぞ」
抱かれたままで顔をあげる。
いっそそのままにしちまえば、渋くていいじゃん、などと笑う。
この体勢に何も意識していないのかと考えればそれも虚しい。
だがしかし却って楽なようにも思えた。ここには他に邪魔をするものなど何もない。
ボーボボもいない。
「…お前と話すのは楽しかった」
堪えて言ってやると、少年じみて見える表情が恥ずかしげに輝く。それを被せて隠すように天の助は呟いた。
「…軍艦、おまえ、血のにおいするぞ」
それは軍艦の生き様を揶揄したものでなく、単にたった今の軍艦に向けて発したものらしい。
「人間はケガしたら、簡単には血ぃ止まんないんだろ。…ちゃんと手当してもらえよー」
ああ、と頷くとよし、と返してきて、
そして天の助は軍艦の腕からすり抜けてしまった。
無意識の行為らしかったが、軍艦の腕は思わずそれを追いかけて抱き直しそうになった。



「…軍艦はこれからど−すんの?」
「他の連中を探す。ポマードリングも再建せねばならん」
「ええ、これまた作るのかよ…入るのめんどくさいんだぞ。飛ばなきゃなんないんだぞ」
「簡単に侵入されちゃ困るんだから、それで良いんだろうが」
住む家を作るんじゃないんだぞと言うと、そりゃそうだけどさぁと不満げな声を漏らす。
「新しく出来たらまた来るか」
「…もう落ちない?」
首を傾げた天の助に、軍艦はいよいよ声をあげて笑った。
そういえば墜落の原因は他でもない己だったのだが、首を傾げる仕草がまた心臓を撫でるので、震えるのを誤魔化すように笑った。

「笑うなよなぁ。…じゃ俺もう行くから」
「…ボーボボか」
「…んー。まだちょっと覚悟できてねーから、スーパー戻る」
「それでいいのか?」
一緒にいたいと言ったくせに。
解らないでもないが、大人しいひねくれ方だ。
「でさ、またボーボボに会えたらおっかけようと思うわけよ。も一度偶然があったら、もうそれでいいってことだろ?」
その上ロマンチスト。
軍艦もまたそこそこ夢見がちな方だったが、これもそういえば大人になってからの話だ。
思っている内にぱたぱた音がする。天の助の足音だった。
そのまま遠ざかるかと思った背中は、軍艦が声をかける前に数歩分離れた場所で振り返る。
「あのなあ、軍艦!」
「…なんだ!」
先程より距離があいたので、心做しか互いに語調が強まった。
「俺ここにいたの、ちゃんとお前のこと心配だったからなんだぞ!だから残ってたんだからな!」
妙な言い方をして胸を張る天の助。
軍艦は返す言葉が思い浮かばずぽかんとそれを見つめた。
「そんで、あと、」
そんな向かいの相手に構わず、天の助の方の言葉は続く。

「…かわいいけどさ、でもやっぱかっこいいよな」

ふ、と零すように笑って、

「……ボーボボもお前も!」

そこまで言い切ると、またくるりと反対側を向いた。
「…あ、おい!お前…!」
「じゃあな、軍艦!ケガ治せよー!!」
わたわたと叫びながら、滑るように駆けていってしまう。
小さな背中が今度こそ遠ざかり、
軍艦はまたそれを引き止め損ねた。


見えなくなった頃、我に返る。

「…なんだ、あいつ……」

こっちの返事も聞かないで。
しかもボーボボの名前の方を先に挙げやがって。
気が付いたら見えないところへ。

怒る気よりも後悔のようなものが滲むのは、ああ、どうやら大分やられてしまったらしい。

彼の言葉が素直なものであれば己はボーボボと同じ程に成長したのだろう。
先の戦いでも解った。喜ばしいことだ。
どうせなら天の助がボ−ボボと再会できなければ、実は喜ばしいかもしれないのに。
そんなことを考えてはどうしようもないなと己を笑う。
邪魔などするまい。彼がボーボボと会いたがっているのに。
邪魔など、するまい。




ボーボボ。幼馴染み。親友。にくく愛しい親友。
あいつは言う。俺はボーボボのものだと言う。
ボーボボと先に出会ったからだ。あいつの望む形で誰より先に手を差し伸べたのが、ボーボボだったからだ。
先に出会ったのが俺だったらどうだったろう。
今では遅い。
気付いたのが今さっきではもう遅い。
あいつの進む道はボーボボに繋がってしまった。
俺自身の発した言葉の幾つかも、恐らくそれを助けてしまったのだろうが。



「…ふん。またか、ボーボボ」
汗の乾きかけた肌を撫でる風は、優しすぎて友へ言葉を運びはしないだろう。
今去って行ってしまった背中にすら。
だからこそ、軍艦は呟いた。

「俺の方がずっと長い間、近くにいたんだろうになぁ……」

出会えない内に動いてしまった。
求めた頃には既に別の影のもと。
彼が抱いたとしても、あの身体は小さかろう。


お前はいつだって、俺の欲しいものを持って先へ行ってしまう。





失いたくないものがある。
手を伸ばしたいと思うものがある。
だから俺は久し振りに見付けたお前の影を、
離れていても今度こそは見つめておくことにしよう。

次に向かい合うことができた時、奴はお前の傍にいるのだろうか。
そう考えれば感覚の端がほんの少し焼けるように思えたが、
ならば確実に見失いはするまいと、微かに笑って首を振る。


声を張り上げて自分の名を呼ぶ少女の声が聞こえた。
よく知った彼女の名を叫び返しながら、片隅では先程まで聞こえていた響きを思い出す。



『…あ、軍艦!!』

それは無遠慮で、低いくせに軽く、

『…お前って、なんかかわいいんだなぁ』


「……かわいい、か」



どこか透き徹って、時折軍艦よりも大人びたような色を帯びる言葉だった。











軍艦を語るに、天の助を語るに、ボーボボの存在は不可欠(大きな存在であり繋ぐもの)では…
と思っていたらメインっぽく目立ってしまいました。そして長い!
ハジケ大戦みたいな二人も好きですが、これはややハジロワ方面を意識しがちで(こんな和気藹々ではなかったですが)
天の助がボーボボについて行かなかった理由云々の辺りは捏造です。

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