おやびん。 どうしたらいいですか。 あなたはその小さな手でどこまでも広い世界へ俺を導いてくれて、 そんなあなたならば答えをくれるでしょうか。 おやびん。 どうすればいいのでしょう。 どうにかしてくれなんて言わない。 あなたのその背に預けるにはこの想いはあまりに濁っている。 どうにかしてくれなんていわない。 助けてください。 伝わりきらないことを知っている。 どうしたらいいでしょう。 残された世界の中から答が見付からず、 あなたを愛おしいと想う気持ちを、
どうすればいいでしょう。
たくさんのものがその背中に目の眩むほどの輝きを見ます。
俺の輝けるひと。
どうすればいいのか解りません。
俺は俺をどうしたらいいのか、
どうにもならないんです。
どうすればいいですか。
教えてください。
教えてください。
その背にだけは。
その背だからこそ。
どうすればいいですか。
もし必要なら俺の息の根すら止めてくれて構いません。
この気持ちごと止めてくれて構いません。
あなたの手ならばそれでいいんです。
ああ違う、
その手にさせるわけにはいかない。
あなたにそれを求めるのとはちがう。
だから俺から伝えなくてはどうにもならないのに。
あなたへ届けることがどれだけ困難だか知っている。
俺がどうにかしてこの想いをあなたの側に。
あなたの手によってはなかなか繋がるものではないから。
どうしたら。どうしたら。どうしたら。
同じような場所ばかり彷徨い続けています。
このままいればあなたのその手に葬られるか、
この腕が先にあなたを襲うかも知れない。
口を開くことが苦しい。あなたを飲み込んでしまいたくなるから。
腕を動かすことが苦しい。あなたを引き寄せて締め付けてしまいたくなるから。
どうすればいいのかわかりません。
数分後。
「おやびん」
「なんだ。やっぱり手、返してほしいのか?」
「いえ、別の問題が発生しました」
「緊急事態か」
「はい。俺の足を預かってくれると助かります」
破天荒はその場にしゃがむと、己の膝の辺りを視線で示した。
「俺が持っているとちょっとまずいんです」
「そうか。でもお前、足を使う時はどうする」
「おやびんに預かっていただくわけですから、俺はおやびんの指示通り」
「そうか。ちょっとめんどっちーな」
「すみません」
「でも楽しそうだからオッケー」
「ありがとうございます」
二つ目の問題が解決した。
「おやびん。更に緊急事態です」
破天荒の声は低いが、心底焦っているようにも聞こえる。
「今度はなんだ」
「俺の目を預かってほしいんですが」
「今度は目か」
「はい。あ、とりあえず閉じておきますから」
「そーか」
「お願いします」
いよいよ本当に緊急の事態らしい。
「よっしゃ。ここらでちょっと整理しようぜ」
「はい」
「まずひとつめ」
「俺の手と腕です。放っておくと大変です」
「どう大変なんだ」
「おやびんを抱こうとして暴れます。逃がさないようにきつく閉じ込めておこうと暴れます」
「…ふたつめ」
「俺の足が…おやびんをやっぱりしめておきたいみたいで、ぐるりと」
「……で、さいごに?」
「俺の目が。おやびんをどうにかしようと、あと少しでなにか変な力が目覚めかねません。おやびんを見ているほど不安になるんです」
「お前も大変だな」
「はい」
顔を見合わせ、頷き合う。
「やっぱ全部返す」
問題はふりだしに戻った。
会議の後の食堂で、書類に突っ伏して鼾をたてているところてん。
声の主、Zブロックのヒビは小さい子供にするようにして田楽マンを撫でた。
「隊長は居眠りなんてしませんものね」
「のらー」
目の前の自ブロック用の書類をぽんぽんと叩いて、頷く。
副隊長のキバハゲはいつもの癖でふらりと旅立ってしまっていて、
彼女は仕方ないわねと言いながら代わりに会議に同行してくれているのだ。
ポン太郎などは『旅はいいものです』と爽やかに言うしで、Zブロックの連中は寛容だ。
「さあ田楽マン様、アイスクリームが溶けますよ」
「わーい、バニラなのらー」
ヒビは優しい。
取って来たアイスクリームを田楽マンの前に置いて、にこにこと笑う。
そして自分の前にもコーヒーを置くと、書類を手にした。
「のら?」
「田楽マン様はアイスを食べていていいんですよ」
「でもオレ隊長…」
「このぐらい私に任せてください」
ヒビの言葉は頼もしげだった。
信用していないわけではない。
ヒビが優しいのは本当だし、自分のことを可愛がってくれるのも本当だ。
何でも知っている大人に見えて普通の女の子のような顔もする。
少し不器用なところもある。
彼女のことは、好きだ。
田楽マンはなんとなくポシェットを抱きながら、スプーンを取ってアイスをすくった。
こうした時、たまにヒビが食べさせてくれることもある。
まるで子供扱いで恥ずかしいこともあったが、嬉しかった。
Zブロックの人間は誰もが優しい。
ヒビやシルエットはいつも側にいて世話を焼いてくれる。
キバハゲはカードゲームやハジケに付き合ってくれる。
ポン太郎やラジオマン、ショウ=メイは面白いものを見せてくれる。
一流シェフは美味しいご飯を作ってくれる。
ケルベロスは一緒に遊んでくれる。
『小さな子供みたい』。
犬の年齢のままでも人間の年齢に直しても、確かに田楽マンは子供だった。
「田楽マン様、アイスはおいしいですか?」
「…おいしい」
「そう。よかった」
ヒビはまるで優しい母親のようだ。
それは田楽マンにとって憧れでもあったのだけれど、
たくさんの相手から愛されることはとても幸せなのだろうけど、
いつか自分は『田楽マン』になれるのだろうか。
「急いで済ませてしまいますね。田楽マン様」
田楽マン、様。
溶けかけたアイスクリームにスプーンをさしたまま、田楽マンはふと前を見た。
先程まで鼾をかいていた、一度も話したことのないところてん。
突っ伏したその背中を私服の男がゆさゆさ揺すっている。
「隊長。隊長、起きてください」
「んー…カツ、あと五分…あと五分ちょーだいな…」
「寝るんならせめて書類を枕にしないでください」
「えー…」
「…俺の肩に寄っかかっていいですから」
「わーい…」
「…あと五分寝たら仕事、しますよ。でなきゃ帰れませんからね」
「はーい……」
天の助隊長。
田楽マン、隊長。
ブロックの位が違うだけで、同じ。
同じだろうか。
「…あいつ、おとなげないのら。ダメところてんなのら」
「そうですね」
ヒビもそこまでの光景を見ていたらしい。
田楽マンの声を聞くと、くすくすと笑った。
彼女はきっと田楽マンが眠いと言ったら、少しだけ膝を貸してくれるだろう。
書類の手は止めない。
もしかしたら起こさないで、ブロックまで連れ帰ってくれるかもしれない。
田楽マンが何も言わない内に、
バニラアイスクリームは器の中で白い水たまりを作っていた。
『…電車一?』
『はい!』
あまりに誇らしげに笑うものだから、
そんな称号があっただろうかと暫く考えてしまった。
どこか少年らしさの抜けない無邪気な笑顔だった。
走る電車の上に何も動じず立っている姿は、不思議にも見える。
軽装のためにその体格は容易に知れた。
筋肉は付いているが細い、身軽そうな体。
『あの、大丈夫ですか』
『…気にするな』
『本当にここで見てるんですか?』
『見られていたらやりにくいか』
『いえ、それは平気なんですけど』
『…俺は電車の上の戦いなど知らない。知らないものは見ておきたい』
この左目にはこれまでの人生に知る限り、全ての戦闘のデータが記録されている。
知らないものに出会った時はそれを追求せずにはいられない。
素肌にかけた弾丸が風圧でばちばちと鳴るのも、何も気にはならなかった。
彼の戦いを、見たい。
その姿を、今もこの片目が覚えている。
戦いとして特に面白味があったわけではない。
彼は自由自在に伸びる槍を手に、車内に潜む敵を引きずり出した。
車上から侵入しようとした者を捕えてみせた。
戦っているというより、まるで踊っている風にも見える。
自分は手を貸す機会があるわけでもなく、黙ってそれを眺めていた。
『…参考になった』
『そ、そうですか?なら良かったんですが…』
『感謝する。…お前』
『はい。T-500さん』
『名前は』
『え?あれ…』
『名乗ってないだろ』
そう言いはしたが、本当は自分が尋ねていないだけのことだった。
戦闘のデータに名前まで必要とすることはそうはない。
『そうか…ええと。俺、カネマールです』
『電車一の?』
『…はい。電車一の』
だが、それは決して無駄な会話などではなかったと感じている。
『よろしくお願いします』
ハレルヤランドに来てそうは経たない頃に見たその姿は、
今でもこの片目が覚えているけれども。
ふと思い出すと、生きたそれが見たくなる。