何を用いてそこへと至るか。
速やかにこなしてしまおうとするなら、その為の手段は大体にして汚いのだ。
薄汚れた路地裏で物心をつけた少年は、まず人々の間での約束事を知った。
延々と流れていく時の中で、社会が社会として廻っていくために必要であったもの。
それが無くては今日の世の中は成立しなくなるのだろう。
だからこそ、それは確かに存在する。
それを用いることで大体のものが手に入ってしまうことは解った。
約束が依存となり、今や支配すら叶うほどの『もの』。
その存在をただ、切望した。
生きていくためにはそれが必要だと思った。
見下されないためにはそれが必要だと思った。
幸せになるためにはそれが必要だと思った。
何しろ、それらに間違いはない。
少年の生まれた頃には既に『それ』が根付いた後だったのだ。
人と人との間で、『それ』は無数の事柄に関わり続けてきた。
少年の理解は早かった。
飢え続けた日々が彼にそれを囁き、知らせた。
しかし少年は人であるがゆえに、
そこに忘れてはならぬことも知っていた。
『それ』は絶対ではない。
『それ』により動かされないものも間違いなく存在する。
『それ』は約束であり約束に過ぎず、
人を支配しながら人の作りしものに過ぎない。
だから、もうひとつ必要なものがある。
多くのものを握りたければ、それらをまとめて攫っていける方法が望ましい。
何故ならそれが最も合理的で、
最も恐れられるのだから。
恐怖。
恐怖は、恐怖を知らない者以外の心を支配する。
恐怖を生み出すことが必要だ。
服従させることが必要だ。
誘導することが必要だ。
それでも抗い邪魔をするというのなら、
破壊することが必要だ。
この手を伸ばさなくては何も手に入らないのだ。
少年はそれを感じ過ぎていた。
少年の視線はただひとつに向いた。
ただひとつに、しなくてはならないと。
金と、力。
少年でなくなった時、彼は恐怖を生み出す側にいた。
恐怖だけでなく、様々な感情をも導き出す側にいた。
服従させる側にいた。
破壊する側にいた。
不可能を押し込めながら、路地裏から遠ざかっていった。
その『元、少年』は、何をどうして笑うべきかを忘れた。
笑顔を生み出すのは成功だけでいい。
否、成功にすら大抵はその必要がない。
『成功することは当然なのだ』。
そうあれなかった時どうなってしまうか、彼は幾度もその目で見てきた。
彼が少年と大人の間を漂っていた頃、
同い年か前後かという歳頃の影が目の前に舞い降りた。
それは人にしては妙に人じみていなかった。
しかしそれは彼の視点であるがゆえそう見えたのに過ぎず、
よく見ていれば確かに人であった。
ただ、彼の視界が『そんな風な存在』を捉えるのが、たまたま初めてであっただけだ。
影は、彼が力によって得たものを既に持っていた。
影は、力そのものすら持ち合わせていた。
眉を顰める彼に、影は笑った。
彼の表情を、ではない。
生き様でもない。
過去でもない、現在でもない、未来でもない。
そして同時に、全てであったかもしれない。
おまえはうつくしい、とただ笑った。
それは彼が味わうようになったどんな賞賛とも賛美ともどこか異なり、
影の瞳もまたこれまで出会った何とも異なった。
彼はふと、自分も笑っているのに気付いた。
何もかもを握るためには、まず世界を簡略化しなくてはならない。
一通りのことを終えた彼は、
後ろを向けばその影が見える場所へと落ち着いた。
その小さな生き物は、同じ場所に何人も仲間がいるにも関わらず、気付けば寄ってきていた。
『何人もの仲間』たる鼻毛の男率いる毛狩り隊に抗う一団といえば、
阿呆の様に叫ぶか踊るか、黙ってそれを見ているか。
「お前もあそこに混ざってくればいいだろう」
「やなのら。飽きた」
「貴様…」
他にといえば目に付く場所に例の布を被った男がいるが、あれは何かと気に入らない。
いつぞやのふざけた双六で降ってきたのは奴に違いない。
加えて、何かとサービスサービス連呼しているのも気に障る。
サービスの最高峰はハレルヤランドだ。
「カリカリしてるとせっかくふわふわの髪がうすくなるのら」
「煩い!」
小さな生き物をはたきおとしてやろうかと思ったが、
無遠慮にもがっしりとしがみついている。一筋縄ではいかなそうだった。
「何が楽しくて敵の頭上にいる?」
「人の頭の上のっかるの好きなのら」
「……」
「肩でもいいのら」
「どちらも御免だ」
「クラさんの肩って硬そうなのら。その鎧が痛そーなのら、きらきらだけど」
「誰がクラさんだ!いっそ降りてしまえ」
「やなのらー。できればここで一眠り」
「するなッ!」
それが頭に乗っているために、他に目をやる気も起こらない。
本当に何が楽しいのか。恐ろしくはないのか。
だがよく考えてみればどうも、この怖いもの知らずは『子供』の様だ。脅せば効くだろうか。
「聞き分けないと一円にしてしまうぞ」
「えー。…一田楽がいいのら」
「…なんの単位だ!私の機嫌が悪ければ貴様などとっくに一円玉だぞ!」
「ひでー。天の助よりやっすい」
「私がマルハーゲ四天王だと忘れているのではあるまいな」
「オレ、元Zブロック隊長」
「…それが何故ここにいる?」
「天の助に先に聞けなのら」
苛立つ。
白い生き物が遊んでいる、どころかこちらが遊ばれている気すらしてきた。
「金持ちがケチケチすんななのら」
「……」
「相手は生後半年のいたいけな子犬なのら」
「誰がいたいけだ!自分で言うな……半年?犬?」
「人間年齢だとだいたいきゅーさいなのらー」
「…そんなガキがどうして隊長などやっていた」
「オレ、犬に見えないのら。親兄弟と上手くいかなくて出てくことになったのら」
「……」
「出世させたのは偉いひとなのら。そっちに聞け」
白い生き物は幼子の声で淡々と語った。
毛狩り隊は、実力さえあれば生きていくには不自由しない場所だ。
気付いたら頭上にしがみついていた、
不思議なほどに重みを感じさせないその生き物は、
その日の糧を抱えて逃げるような真似をしただろうか。
毛狩りと比べれば拙い犯罪。
毛狩りに浴びる憎しみや悲鳴に代わり、罵声を受ける行為。
「マスカット食べたくなってきたのら…」
「…貴様は煩い。もう黙れ」
「のっかってていい?」
「少しでも騒いでみろ、あそこにいる布を被った男に引き渡すぞ」
「いいねー」
「なに!?」
「でもできればその隣のがいーのら」
「…ぐるぐる巻きがどうした」
「ボーボボの三倍は優しいのらー。オレのこと、おもちゃにしないしね」
ボーボボ一行が侵入してきた際に一緒にいたこの生き物は、
ハレルヤランドにどんな夢を抱いたろうか。
もう少しだけ適当に相手をして、
経営の参考になる意見でも引き出せたならばその後にでも放り出してやろう、と。
ハレクラニは、頭上にしがみつく田楽マンに叫ぶのを止めた。