否定はしない。
こんな戦い方をしていたらひとつの場所から動けないし、あまりに奈落へ近過ぎる。
けれども自由に動けないと誰が決めたのだろう。
紐に弄ばれる次元から脱却すれば幾らでも好きに動けるようになる。
お終いが隣にあると誰が決めたのだろう。
その場所で相対することになる敵方も同じ条件下にいるわけで、
そもそも慣れてしまえば恐怖も何もない。危険など何ということもない。
その場所を自分のものにすることが出来た時、不利は不利でなくなる。
その戦いを自分自身が望んでいるのだ。
そこにいなければどうしようもないと言うなら、守備固め要員とでも名乗ればいい。
何より俺は、この景色が好きなのだ。
「よろしく」
「…は、い」
幾らか緊張に固められながら、ソニックは頭を下げた。
電脳六闘騎士の総長を前にしているともなれば当然だ。
「そんなに畏まるなよ。僕のことは呼び捨てでいいし、口調も気にしなくていい」
「いや、ですが」
「総長とはいうが、つまりはまとめ役で……そうだな、同僚と言い切ってしまえば気楽になれるかな?」
自分より歳下か同い年か、というぐらいの男。
名は、詩人。この都市に来てすぐ知ることになった名のひとつだ。
「同僚……ですか」
冷たげと思えばそれなりに気さくで、噂通りに本に囲まれて生活しているらしい。
「…じゃあ。よろしく」
「よし」
それでも、寧ろ噂よりか優しげな表情。
どうにか全身が解れていく気がした。
都市に来てからそう経ってはいない内に、六闘騎士の名を頂くことになった。
意外というよりもどう言っていいか解らなかった。
未だ都市内の地理すら危うい新入りだというのに。
しかし詩人曰く、六闘騎士は外から連れてこられることも少なくはないらしい。
それは帝王たるギガの決定として、否となったことは一度とて無いのだという。
『気に入らないと思ったら、すぐにオブジェにしてしまうんだけどね。あの方は』
冗談にならない詩人の発言に、ソニックは押し黙るしかなかった。
だが、総長殿が続けて言うには、怯えさせたつもりなどはないそうだ。
『君なら大丈夫だよ。そう簡単にはオブジェにされない』
『この話も、そう思ったからしてるんだ』
まだあまりにもこの都市に慣れぬソニックには、その理屈もよく解らなかった。
六闘騎士は、欠員を自分が埋めて六人だ。
総長の詩人とは既に会った。持ち場を離れることの出来ないJには、いつ挨拶しに行くべきだろうか。
王龍牙は処刑とはまた異なる任務を受け、出かけているのだという。
自分の次に新顔であるというクルマンの持ち場は、現在いる場所からやや離れているようだった。
(…その前に、ひとり)
今歩く通路のすぐ側で、『仕事』をしているはずの男。
やはり噂には聞いたことがある。面識はない。
確か長い髪に目の細い、車輪の男。
「こんにちは」
その声に振り向いて、ああなるほどこんな男だと納得してから、
ソニックははじめて驚きの声をあげた。
「ソニック、で合ってるな?」
「あ、ああ。ええと、パナ…さん?」
「パナ。さん付けはいらない」
彼もまた、噂からの想像以上に軽やかな印象のある男だった。
含みのある様な笑みも整った顔立ちには似合っている。
「じゃあ、パナ?」
「いいよ、それで。これから同僚としてやってくんだからな」
「ああ。…驚いたことにな」
組織への新入りが幹部である六闘騎士に選ばれて、彼とていい思いでいるだろうか。
が、パナは軽く首を振った。
「いいんだよ」
「…って、詩人にも言われたんだが」
「ああ、その通りだ。ギガ様はそういう方なんだから」
パナが言うには、帝王ギガが側近として認めるか否かのポイントはふたつ存在するらしい。
実力が伴っているか。
そして、彼自身に気に入られたかどうか。
「気難しい方だから、お気に入り以外はなかなか近付けたがらないんだよ」
その言葉が本当なら、自分は気に入られたのだということになる。
ソニックにはそれがどうにも信じられなかった。
ありえない、と言われ続けた戦い方でそれなりの成果を出したことには、誇りを抱いている。
挑戦者としてそこに立ったのではない。
自分にとってあらゆる意味で望ましい在り方が、そうだったというだけだ。
都市で仕事をはじめてすぐに、帝王からお呼びがかかっていると聞かされた。
何を言われるかと死ぬ思いだった自分の背を、
心配いらないらしいぞと叩いて案内してくれたのがクルマンだったのを覚えている。
彼は六闘騎士の中でも、誰より話しかけやすいだろうとよく言われていた。
ギガを前にして、ソニックは自分からは一言たりとも喋ることなど出来なかった。
顔を合わせることすらままならなかった気がする。
それでもどうにか覚えているギガの表情は、確かそれは楽しそうだった。
彼の両隣の女性達が笑いながら促してくれて、帝王は自分へとひとつだけ問うた。
お前、あんな戦い方していて楽しいか。
その問いに、ソニックは反射的に言い返していた。
どの言葉をどう繋げたかは既によく覚えていないが、
楽しいからというものばかりではなく、決して酔狂ではないのだと。
そこには確かに楽しみが存在するが、それは生き方でもあったし、追求でもあった。
否定されたと思うとどうしても少しばかり饒舌になってしまうのだ。
けれども今思えば、ギガには馬鹿にしたつもりなど無かったらしい。
だろうな、と。
最初からこちらの答えを知っていた様に言うと、声をあげて笑った。
そして退室を命じる直前に一言、まるであっさりと言い放ってきたのだ。
『お前、明日から六闘騎士な』
それは、気に入られたことになるのだろうか。
「そういう考え方で人を動かしてしまわれるんだよ。…まあ、その内解るようになるか」
「…解るか?」
ギガを前にしていると、それだけで自分の理解などとうに超えているのだと感じる。
その実力も、頭脳も、存在そのものが。
「あの方は、あれで結構子供らしいところもあるんだ」
「…子供ねえ」
パナの笑顔の底も、どうにも見えにくかった。
「これからどこへ?」
「ああ、挨拶しにクルマンさん…じゃない、クルマン、でいいのか?」
「あいつなら間違いなくそれでいいって言うさ」
「あんたは?」
「仕事だ。明日からはお前も仕事だから、自分のフィールドも確認しておけよ」
「…フィールド」
「ギガ様がとっくに用意してくださってるはずだから」
同じことを詩人にも言われた。
六闘騎士の仕事というのは、一部の例外を除いて定まっている。
自分の領域にて処刑を行い、脱走を許さず、また、侵入を阻止すること。
この都市を守ること。
「…そうだ、ソニック。お近づきの印にひとつ聞いていいかな」
「ああ?」
「お前」
「うん」
「逆さまの世界は、好きか?」
「……」
逆さまの世界。
この世のもうひとつの景色。
どこか別世界の様で、確実に繋がっている。
「…好きだな」
「そうか」
その言葉を交わした瞬間。
ギガのことは未だに理解しきれていないが、
少なくとも目の前のパナという男とは上手くやっていけるように思えた。
ここでの新しい生活はこれから始まっていくのだから、
今はきっとそれでいい。
最初から荒れ果てていたその大地は、硬い靴底によってさらに踏み掻き混ぜられた。
滅茶苦茶に足跡が連なり、膨らみ、所々色の変わったその場所は、
先程まで行われていた乱戦の残り香を砂煙まであげて匂わしている。
そこに己が立つのは、まったくもって似合いだと思った。
灰色とも茶色とも紅とも異なる、それが視線にうつるまでは。
女性に優しくというのは、幼い頃からそうあるべきだと考えてきたことだ。
別に差をつけて扱えということではない。
自己でも認めるほどにはっきり煩悩を現し始めたのはもう少し後のことで、
その考えそのものとは特に関係がなかった。
結果的には結びついてしまった気も、するといえばするが。
その柔らかさが好きだ。
同時に、心許なくもあった。
こんな世界ではもしかしたら崩れてしまう。
自分が何を考えようと男だの女だの大したことではないとは解っていたが、
その柔らかさが好きだったために、気にせずにはいられなかった。
本当に幼い頃にはたまたまそれを感じずにいたのだ。
初めて甘えた相手に柔らかいな、と呟いた時、可愛いじゃないと笑われた。
作ったつもりは無かった。
相手もそれを解っていたのかも知れないが、どこか気恥ずかしかった。
自分にはその『柔らかさ』があるはずもない。
それどころか、必要以上に頑丈ですらある。
そんな自分を嫌いではなかった。
選び出した世界で生きていくためには必要なことだったし、
ひと時の盾にもなれる。
『彼女ら』が戦える人間だと理解していても、やはりどこかで必要以上に気にかけてしまっている。
第一印象は可愛らしい、だった。
その頬を血砂に濡らしてはならないと思った。
思わずそれを呟くと、彼女らはやはり笑っていたように思う。
そんな微笑みを貰うことが多かった。
彼女らと約束をした。
いつか三人でチームを組めるようになったら、その時には命令を、と。
二人は声を揃えて、待っていますと言ってくれた。
そんなことをしても意味はないと解っていても、戦うのは自分一人でいいと思った。
彼女らの仕草が、膝が、声が、柔らかく暖かい。寄りかかり甘えたくなる。
意識の保てる限り前に立とう。
それが自分に出来ることだし、
そうしなくてはならないと思った。
きっと二人にも、そんな自分のどうしようもなさを知られてしまっている。
火薬の残り香を吸い込みながら、吐いた息は砂の混じる風に消えた。
たったひとつ、
鮮やかな黄と緑とのそれは、茶色い砂を被って無言で潰れている。
そんなところに、ひとりでいるから。
どうしてひとり、この場所を選んでしまったのだろう。
種がここまで飛ばされてきたからだろうか。
こんな荒れ果てた荒野で、おそらく真っ直ぐに咲いていた。
一度根付いたならばもうそこからは動けない。
何がどこに生き活きるか、そこには自由が許されているだろう。
自由とはいっても誰も何かしら制約を持ってはいるが、その中で。
それを理解しても心は情けない声をあげる。
もっと穏やかな場所に咲けばよかったのだ。
柔らかいところへ咲けばよかったのだ。
そうしたら、こんな風に踏み潰されてしまうことなどなかったろうに。
くたりと地面に張り付いたそれは、その存在ゆえの柔らかさを持っていた。
花にも人にも、またこんな風に考えてしまう。
身勝手にも思える言葉が口から出てきそうになる。
怒りを買うこともあったし、笑って撫でられたこともあった。
誰もがきっと強かった。
何度も、感じてきたはずなのに。
だから、これもまたきっと立ち直るのかもしれない。
触れた指をそっと退いてそこから立ち上がった。
柔らかいものは優しくて、甘えたくなる。
優しすぎるものを想わずにはいられなかった。
自己の正義と愚かさの天秤の真ん中で、銃弾の触れ合う音に時を重ねて生きている。
自分はもうここには場違いだと思った。
それをどう扱っていいかすら解りもしないのに。
ふとひとりでいることが妙に寂しくなって、
なんとなくまた煩悩の発揮に思いがいくのは、確かに子供じみている証拠かも知れない。
感じずにはいられなかった。
本当に脆いのはなんだろうか。
戦い続け勝利の上に立つためには、時にその柔らかさをも利用しなくてはならない。
侮れぬ相手なら尚更だ。
現代の毛狩り隊が集めたというデータを一枚一枚確認して、息を漏らす。
もうすぐ、いや既に、この歓声溢れる遊園地は戦場になる。
アトラクションの外にはみ出さないことはせめてもの約束だ。
今の標的は、戦いを知らぬ人々ではない。
この写真の連中を侮ってはならない。
つい先程、宇治金TOKIO達がやられたのだという。
自分が目を覚ます前にもひとり。
菊之丞が、やられた。
この中で一番柔らかいのは誰だろうか。
元現毛狩り隊だという『ところてん人間』がそうかも知れないが、
いくらやられても再生するというのはどうやら真実らしい。
それならば。
そうして、まだ幼い少女の写真に目を付けた自分を小さく嘲る。
自分にとってならば煩悩の対象にならない程に、歳の離れているであろう少女。
柔らかくて優しげで、そしてその意思の強そうな。
戦闘能力はないというからきっと後ろに退がっているのだろうか。
女性には優しく。
同時に、戦士であれ。
あの連中を侮ってはならない。
確実に。
確実に。
自分に呼びかけてくる二人、大切な二人へと頷きながら、
コンバットは再び全ての写真に視線を走らせた。
柔らかいというだけでなく、
大切なものなら幾らでもある。
傷付けてはならない。
確実に勝たなければならない。
『敵である者達』。
最後に少女の写真に視線を止めて、それから全てを伏せた。
勝利のためにその存在を利用して、
俺はまたひとつ愚かになろう。