はじめは問題あるだろうと思って気にしていた自分も今ではすっかりそれに慣れてしまった。
彼は喋らない。
けれどもその強靭過ぎる程の肉体の中に、
確かな忠誠心は秘めている。
「あの人達はサイバー都市へ行きました」
彼はこちらを向かなかったが、かといってそれは自分への敵対心などではない。
今は自分ではない存在を見ているがゆえだ。
それでもどうやら、こちらの声を聞いてくれてはいる。
「恩返しをするつもりだったけれど。逆に面倒をかけてしまったかもしれない」
クライムハイタワーでは人質にされた。
その後一円玉にされて、暫し意識も飛んだ。
目を覚ました時には戦いは終わっていた。
港で別れてしまったが、彼らは無事に都市へと辿り着けたろうか。
金を集めて金にされかけた様に、オブジェを見つめてオブジェにされたりはしないだろうか。
「…ひとまず今は、軍艦様が目を覚ますのを待つだけ」
それでも彼らならば大丈夫だと思える。
ハレクラニすら倒した彼らならば。
あの恐ろしい都市でも、立ち回れる様に思えるのだ。
「ここまで、あなたに任せてしまってごめんなさい」
側近の立場にあるのは自分だ。
けれども暫しそこから離れるために、では誰に任すかといえば真っ先に彼が浮かんだのだ。
彼は強い。
今思えば、もしかすると軍艦より強いのかも知れない。
彼自身の無口ぶりも手伝ってよくは解らなかった。
本当はどれ程強いのか、なぜ軍艦の部下としてここにいるのか。
彼は強い。
軍艦にすら見えていなかった何かを、彼ならば見ていたかも知れない。
それもこれもはっきりと解りはしないが、ひとつだけ確かなのはその忠誠だ。
黙したまま『その存在』を守ってくれていた。
誰も近付けはしなかったのだろう。
彼の、そして自分にとっても主である、軍艦へと。
得体の知れぬと彼を疑った自分に、軍艦はただ言ったのだ。
彼は信頼に足る人物だと。
見かけは恐ろしいかも知れないが、
必要以上に無口かも知れないが、
きっと立派な部下になってくれるだろうと。
軍艦が言うならばそれは真実だ。
そして、今はもう確信している。
「軍艦様を守ってくれて、ありがとう」
彼は首を振った。
それはきっと、礼を言われるようなことではないと、そんな意思を示しているのだろう。
言葉は無くともそれなりに解るようになってきた。
軍艦はもうずっと前から、そんな風に彼を理解していた気がする。
「軍艦様が目を覚ましたら、皇帝決定戦に備えましょう」
「……」
「…留守番をしていてくれるの?」
「…」
「あなたなら、選手として上を目指せるかもしれないのに」
「……」
「資格だってきっと取れる」
「………」
「…いいの。いいえ、私だってそうだけれど」
自分が権力を握ることに興味はない。
それよりも、軍艦がそこに立つための支えになりたい。
「…そうですね。今は、軍艦様を」
「……」
「大丈夫。じきに目覚められます」
きっと。
否、絶対に。
スズには確信があった。
だからこうして、それを待つことができる。
硬い棘の鎧を纏い顔に幾つも傷を付けたその大男は、
強い。
強いけれども、敵には容赦をしないけれども、その忠誠心は確かで、
そしてどこか優しいのだ。
スズは彼の隣にしゃがんで、未だ眠る軍艦を見た。
その表情は安らかで、
きっと目覚めの準備をしている。
他の言葉も見付からず、探したのではないけれど、
ぽつりと零したのはそれだけだった。
零すことができたのは、それだけだった。
その背がどこか冷たくて硬そうに思えた。
噂通りに固められて動きを止められていたのならその名残かも知れない、
そう思ってから、否定する。
そんなものではない。
あれは凍るほど冷たいのとも違う。
温もりなく硬いのとも違う。
「誰だ」
「…そんなに警戒しなくたって、あんたをどうこうしに来たんじゃないわよ」
「……」
「だからって別に何かしに来たんでもないけどね」
「…生憎、俺はそんなに暇じゃない」
「どうして」
「関係の無いことだ」
「無いっていうほど無いとも言い切れないと思うけど。
…暇じゃないのは、なくなったものを追いかけるため?」
そこまで話をしたところで、やっと男はこちらと正面から向き合った。
元より感情の読めない男だったが今もなお表情の変化を見せない。
ただ、ちりちりと感じさせるものはあった。
やり場がないのだろうか、それを身に纏っている。
「聞いたの?」
「何をだ」
「聞かなくたって、聞こえてくるわね。OVER城の話」
「…四天王のNo2が部下共々全滅。それがどうした」
「その原因はハレルヤランドにまで突入して」
「……」
「裏切り者がまた増えた」
「…くだらない」
くだらない。
確かに、くだらない。
噂にして騒ぐ様なものではないのだ。
「Aブロックの副隊長には、まったく関係のないことじゃない」
「Zブロックの隊員にもな」
「お咎めはないけれどね」
「…当人でもない」
「それでも、放ったままでいられない」
ZブロックとAブロックの元隊長の『裏切り』は、
ハジケブロックが壊滅した時いよいよ騒ぎになった。
軍艦の件に関しては彼自身の企みもあり、帝国本部での扱いもやや異なった。
だがハジケブロックの方はそうはいかない。
切り札だったはずが勢い良く攻略され、雇われのライスは個人の意思を優先した戦いを行い、
ボーボボ一行によるその撃破には元Aブロック隊長が深く関わっているというのだ。
後に待ち構えたOVER城では、その人数を減らすどころか元Zブロック隊長まで加わった。
ツルリーナ四世は四天王の手綱をいまいち握れていない。
しかし彼らに任せる他それらしい術はなく、そのカードも既に残り一枚にまで減っている。
そうして彼の焦りが深まると同時に裏切り者達は敵視され、
しかしその元部下達には咎めどころか説明もない。
「……別に」
「私のこと、覚えてた?」
「…ヒビ、だろう。副隊長よりもずっと、Zブロック隊長の側にいた」
「キバハゲはじっとしていたくない質なのよ。隊長もそれを解ってたし」
「それで、ちょろちょろそこら中に甘えていたな」
「それはAブロックの元隊長だって一緒でしょ?…特にあんたには」
男はどうやらこちらと会話する意思を持ったらしいが、
しかしはっきりと目を向けてはこなかった。
纏う空気も変わらない。
「あんたは考えてもいなかったろうけど。うちの隊長、よくあんた達のこと見てたわ」
「……」
「もしかしたら声をかけたかったのかもしれないし、羨ましかったのかもしれない」
「………」
「どっちにしろ聞けないまま今まで来ちゃったけど」
「…『あいつ』の話をするな」
声色を微かに歪め、男は呟いた。
「聞きたくないから?」
「違う」
「追いかけるの」
「あいつを倒すのは俺だ。それだけだ」
「戦えるの」
「倒す」
それは決して確かな答にはなっていない。
倒せるかではなく、
戦えるのか。
『倒す』。
既に戦うか否かだけは決めきっているのだろう。
そうだとしても。
「…お前、俺のことを捕まえて何が言いたい?」
「だから、別に。物騒な後姿を見たから声をかけただけ」
「物騒な人間なんてここには幾らでもいる」
「あんたには見覚えがあった」
「…くだらない」
「…そうでもないわ」
気にかけて欲しくないなら、せめて何も感じさせなければいいのに。
もしくは『何も感じてなどいないのだ』と装わなければいいのに。
彼が離れていったものに抱いている感情、
彼の身近にあった者達の感情、
自分の感情、
自分の身近にある者達の感情。
同じ様な場所に向けられ、
そしてどれも異なる。
「…本当に、戦えるの?」
「…俺が倒すと言ってる」
俺が。
そう繰り返す男に気にしているのは、実力の話ではない。
感情のレベルのことだ。
彼にとって、隊長だった男がどれ程のものだったか具体的には解らないし、
その隊長だった男がどれ程強かったかもはっきりとは知れない。
「元隊長だろうがなんだろうが、どうだって関係のないことだ」
言うと、男はこちらに背を向けた。
「もういいだろう」
何も言わずに立ち去らないのが、律儀だ。
そんな何となくの性分なら元よりそれなりに知っている。
どこか気の抜けた上司の横に溜息混じりに並んで、何かと世話を焼いたりしていたのを、
自分『も』見ていたのだ。
側には大抵自分のところの隊長がいた。
キバハゲがいたこともあったし、シルエットがいたこともあった。
そして相手の方も二人きりでなく、周りにわいわい騒がしい連中を連れていたことがあった。
日常に溶けかけていた光景。
今はもう、過去になった光景。
「行くの?」
「元からそのつもりだった」
「…そのままじゃ、怪我するわ」
「しない。…している場合じゃない」
「でしょうね。だからよ」
「…お前は行かないのか」
「……私」
向けたままの背中がどこかつめたく、どこかかたい。
けれどもそれはそのどちらでもない、
きっと言うならば何か寂しげな空気を纏ったままに、遠ざかっていく。
「…私は、まだ行かない」
「…なら、本当に関係のないことだった」
「そうね。こうして呼び止めはしたけど」
「…いや」
「……」
「……じゃあな」
じゃあね。
それが声になったか否かが解らない内に、
声が届くかも解らないほどに距離は開いた。
何か追ってしたいことは今は無い。
ただ、気がかりであることに間違いはなかった。
ねえ、もしかしたら今だって、あの人のことを隊長だって思い続けているの。
だから追いかけるのだろうけれど、
自分が倒すと言うのだろうけれど、
倒したら、倒せなかったら、あんたはどうするのかしら。
理解らないではなかった。
そして自分がどうするのかが、それこそが解らなくもあった。
どこかさびしげな背中。
「…あんた、不器用よ」
彼だけではないのかも知れないけれど。