「ここに在るのは皆、生き物だ」
新設アトラクションの収益とやらが、数字になってがしゃがしゃと奴の背後をまわっている。
桁を数える気にもならない。
大して面白くもない遊具だと思えば、砂糖の山が蟻を集めるかの様に人を吸い寄せている、らしい。
「どれが」
「どれもだ。栄え廃れるもの、利益を吐き出すもの、消えては戻るもの」
「…どいつもこいつも、斬り甲斐の無さそうな面構えだがな」
「ほう?人ならともかく、お前にも金の表情が理解るか」
「見ての通りだろうが。揃って同じ顔をしてやがる」
「そんな事はない」
「テメェと一緒にはするなってことだ」
どれも。
彼がその言葉にこの空間のどこまでを含めたのかは知ったことではないが、
モニター、メーター、それを取り巻く機械類、舞い散る紙幣とコインの山。
全ては『カネ』に繋がっている。
極端に言えば椅子やテーブル、甘くさい飲み物を包む女々しいカップにすら、
この男らしく面倒なほどの値段がついているのだろうから。
そんなものに興味など抱かぬが、それの意味するところは知っている。
この部屋に山ほど転がる紙切れと金属で世の中はまわっている。
少なくても彼の理屈では、そうだ。
彼が金という存在をこうまで愛するのは、それに代わる頂点などあり得はしないと嘲笑うのは、
例えば『それよりも大切な何か』が在ったとしても、
そのすべてを持つ代わりに『それ』が無いのではどうにも生きていけないことを知っているからだろう。
『それ』を求め引き寄せなくてはどうにもならないのだと。
随分と極端な話ではあるだろうが、
『それ』を持たずにこの世界を生きねばならなかった頃の記憶は彼の中に根強く残っているらしい。
失わない為に求める。貧欲に、求める。
彼にとっては『それより大切な何か』など夢の様な話、空言に思えるのかも知れない。
例え『それより大切な何か』を認めるようなことがあったとしても、
『それ』に対する執着を決して捨てはしないだろう。
もっともそれは断片的に聞き覚えたもの、想像に過ぎなかった。
自分では彼の中に残る記憶を理解するに至らない。
それは彼にとっての自分もまた同様であり、
ただ確かなのは、そういった彼の思考と己の思考とは決して食い違ってはいないらしいということだ。
彼が『それ』を求める様に己は力と血を求める。
執着という点では不本意なことに共通しているのかも知れないが、
しかし当然ながらものが違うのだから背景も違う。
自分がそれを求めるのに理屈など無い。愉しいから求める。欲しいから求める。
そこに哲学を生み出すことなどがこの先あろうとしても(御免だが)、
何がきっかけだったのだと語ることは無いし、結局は他の何と比べるようなものでもない。
直接的な敗北を味わったことは未だ無かった。
ただ幾度か、気付けば全てが終わっていたことがあるだけだ。
彼の哲学は己に似て遠く、交わることは滅多に無い。
彼の力は己を超える。彼自身もそれを知っている。
己の真の姿は彼を超える。彼自身もそれを知っている。
よってしかし己にとって彼は、
この男は、
「冷めたな」
「…あぁ?」
「そのカップの中身だ。替わりを持たせるか」
「いらねぇよ」
「遠慮するな」
「するか。好みじゃない……笑うな」
どこを見ているのだか怪しい、その瞳が揺れる。
何が憎たらしいといえば無駄に爽やかなのが気に入らない。
深い血の色にでも塗り替えてやろうか。
いいやそれは御免だ、こちらと揃いになってしまう。
くだらない。
あんなくだらないことを考えるものではなかった。
後悔と言うほどでもないが、それもこれもこの男が悪い。
「我が侭だな。前に出したのも飲み干してはくれなかった」
「俺には同じだ」
「味わおうとしないからだ」
「いらねぇよ」
「流し込んでやろうか?」
「いらねぇっつってんだろうが…!」
訪ねる度にくだらない言葉ばかり唇から流すこの男が、
何より一番くだらない。
「お前は金では買えそうにないな」 その理屈でいくと二番目にくだらないのは、そんな男のところへと通う男だということになる。
「けッ。残念だったな、金の亡者さんよ」
「金で手に入らないものは力で買うことにしている。…お前は、血でなら買えるか?」
「煩ぇな、テメ−の血をまとめて飲み干すぞ」
「ふん。それは良い」
「…何がだ」
しかし男はそんなことなど考えもせずに再びカップを揺らして、その中身の七割ほどを喉の奥に流し込んだ。
そうでもしなくてはこの男、本当に何かやらかしてくる。
ちがう
そうじゃなくて
あったのかもしれないけど
それが『この身にでき得る最上の方法』だったから
僕は色んな悪いことをしました<
いいえ本当はいつも見ていただけだったけれど
安全なところにばかりいさせてもらっていたけれど
つまりそれは悪いことを見守っていたんだし
やっぱり悪いことをたくさん考えてはいました
そのあと更にもうちょっと悪いことをしました
『そこ』から出ていかなくてはならないことになったので
また出ていかなくてはならなくなったので
泣いていたら手を伸ばしてくれた人がいたから
頼って甘えてしまいました
僕はうらぎりものになりました
それは間違ったことではなかったのかもしれないけど
仕方のないことだと思われたかもしれないけど
自由のうちだと言ってよかったのかもしれないけど
そうしたくなるようなことがあったのも確かだけど
何より僕の選んだ道なのだけど
やっぱり悪いことだったと言われても仕方がないのでしょう
悪いことを考えなくてもよくなった僕は
やっぱり悪いことを少しだけ考えているけど
『もうちょっと悪いこと』はずっと持ったままで進んでいるのです
これは捨てられないのです
捨てるわけにはいかないのです
捨てたくないのです
いつか然るべき場所に置く日が来るのかもしれないけど
それまでは手放す時ではないのです
僕はいまが好きです
いまがとても好きです
でもあの日だって好きだったんだ
大事だったんだ って
これは本当です
今だって忘れていないのです
暖かかったこと冷たかったこと楽しかったこと悲しかったこと寂しかったこと優しかったこと
誰にも言わないけど
誰も知らないけど
いいえ
実は
それを知っているかもしれないひとなら
いるかもしれません
たぶんいるんです
もし僕が地獄に落ちるとしても
ひとりではないかもしれません
同じ場所に並んでいけるかもしれません
僕だけが行くのかもしれないし
そいつだけが行くことになるかもしれないけど
でももし僕が地獄に落ちるとしても
僕はそいつの能天気で情けないところが気にくわないので一緒に行きたいとは思いません
地獄なんて場所があるなら天国なんて場所もあるんだろうから
そっちぐらい目出たければ嫌がることもないかもしれないけど
そう
めでたい奴だから
地獄だとかそういうのは似合わないと思います
似合ってるかもしれないけどやってけないと思います
僕と似たようなものを背負ってきたとしても
僕たちは知っていても
それを語らないけど
クリムソンはその瞳が好きだった。
ただじっと見つめられているのが好きだった。
穏やかに冷たい視線に晒されるのも、それが永久の様に己へと真っ直ぐ向いてくるのも、
いつかそこに灯る蒼い炎に焼き尽くされるのを待つのも好きだった。
彼は己を愛でてはくれない。
それでも時折に触れ撫でてくれるから、それが愛しい。
彼は己を切り裂いてはくれない。
しかし一瞬の先にはそうではないかも知れないとぼんやり考えて、
三の瞳をゆっくりと閉じる。
何時もならばそのまま意識すら保てずとも構わないと身を預けるが、
しかし今は呟かずにはいられなかった。
己に彼を縛り付ける権利はない。
しかし、眠りにつく前に呟かずにはいられなかった。
「白狂様」
聞いてください。
「もしも俺を引き裂いて、それで貴方の気が済むのなら」
俺の声を聞いてください。
「そうしてください。何もかも捧げますから、そうしてください」
頷かなくても、
首を振らなくてもいいから。
「…そうして……そうしたら」
それが貴方にとっては間違ったことでも望まぬことでもないと知っているのに、
それでも見ているだけでいられないのは俺が愚者だからです。
哀れなほどに愚かだからです。
どうかこの愚か者の声を聴いて、
そして笑ってください。
笑ってください。
「もう貴方自身のことは、どうか斬り刻まないでください…」
その言葉がどれだけ滑稽で馬鹿らしいかどれだけ意味を持たぬものか、
どれだけあなたにとってくだらない戯言であるか、
知っているのに。
けれども俺はそれを見ていると、
堪らなく壊れてしまいたくなるのだ。
街中にはたくさんの声が入り交じり踊っている。
声の主は皆それぞれに笑い合ったり、忙しなく走り回ったりをしている。
使いを言いつけられて一人そこを歩く時には、なんとなく辺りを気にしながら進んでいた。
程良い騒がしさは心地よい。
ただじっと黙って見つめているのは辛いが、その流れの中に在ったり動いていたりするのは楽しい。
まったく同じに廻る日はなく、そこへ入って行くだけで心をくすぐられるのだ。
だが一人でない時はそうもいかない。
同じ雑用扱いの隊員やら、そうでなくても一般の隊員ならばまだ余裕もあるが、
何らか都合があって隊長やら副隊長やらと歩かねばならない時は違った。
雑用と呼びながら自分をこき使ってくる彼ら。
役立たずと呼ぶ割には、『少なくても雑用には』使ってくれる彼ら。しかし毛狩りには付いて来るなと言う。
もしかして怒鳴りつけたいだけなのかも知れないが、
何にしろ出世のチャンスとなり得るものは逃せはしない。
まあまあ器用なところを見せることが出来れば雑用ではいられるだろうし、
後は無理矢理にでも機会を見つけて戦果を挙げればいい。
逆にそうでなくては、この毛狩り隊で出世はできそうになかった。
ここを追い出されればまた居場所を失ってしまう。
張り詰めていなくてはならなくても、望まぬ戦いまでしなければならなくとも、
何もかも無くなったあの瞬間とは大きく何かが違った。
少なくともここで『この場所で』生きていられる。
同時に、生まれた瞬間定められた生き方は失ったままでいなくてはならないけれど。
「……あれ?」
「…おいコラ天の助、この役立たず。立ち止まってんじゃねぇ」
「や、だって副たいちょー。あっちあっちホラあっち」
「何がだ!テメーは放っとくとすぐ気ぃ散らしやがって」
「えー、聞こえませんかぁ…」
「だから知るか。とっとと行くぞ、オラ」
「や、え、えー…」
「持て」
「ハイハイ」
「あと店ひとつまわるぞ」
「ハイハイ」
「今度はまともに歩けよ」
「ハイハイ。重いです」
「知らねーよ」
「ハーイ……ハイ。で、副たいちょー、さっき」
「あぁ?」
「さっき俺立ち止まったとこ、あんなとこに病院できたんだなーって思っててぇ」
「病院?」
「赤ん坊の泣き声がしてたんすよー。産まれたばっかだったのかな…」
「は?だから何だ……産婦人科か何かだろ」
「まぁ、そうでしょーけど」
「くだらねぇ」
「スミマセン…」
「あぁ、もういい。とっとと行くぞグズ」
「ハーイ…」
足を踏み入れた人間の世界は、生と死に溢れている。
それは人の世だけではない。
誕生と消滅は大抵のものに訪れる。例えば、幾日か前に咲いていた花の枯れること。
そうして土に還り、種となって、世界はまわる。
食べ物にしても本来ならばそうだ。
例えば作物や肉にも寿命は訪れるし、加工食品も一定の期間を過ぎれば破棄される。
自分はその期間をとうに過ぎたが、こうして『ここに立っている』。
定められた時を過ぎたはずが、『ここで呼吸している』。
理由も意味も価値も与えられないまま、『こうして歩いている』。
「遅いっつってんだろうが!」
「あー、待ってください待ってー」
「役立たずめ」
「…解ってるのに急かすんだもんなぁ」
「あ?」
「何でもないでーす」
ひとつの輪から中途半端な形で外れた自分は、
新たに開けた別の輪の中でどうして生きていくのだろうか。
生きていく。
生きていきたいから、上を目指す。
容易く壊れるが容易く再生する身体は、どうやらこの世界では誇れるものだ。
けれども生きていって、そうして終わりに待つものは何だろうか。
それでも。
とりあえずは何としても偉くなって、
心配しなくてもいいだけの地位を確保して、
それからその時はきっと部下を大切にしよう。
一緒に買い物に行った時の荷物だって分担して持つのだ。
天の助は浅く呼吸をしてから、苛ついた様子の副隊長のところへ柔らかい足で駆けて行った。
病院のあったあの道と花のあるあの道をもう一度通れるだろうか、
それが少しだけ気になった。
もし俺があなたの時折褒めてくれるような
撫でてくれるような金の髪色でなかったら
あなたは俺を拾ってくださいましたか
もし俺があと少しでも不器用だったり
あと少しでも器用だったりしたら
あなたは俺を拾ってくださいましたか
もし俺がこうしてひとつのものに執着して
求め極めようとする男ではなかったら
あなたは俺を拾ってくださいましたか
戯れに触れてくださるのも
気まぐれに囁いてくださるのも
不機嫌に叱ってくださるのも
それはあなたと俺を繋ぐ現実のひとつであって
とうに俺の内においては
零れてはならぬものなのです
だからもし俺が今の俺でなかったらと考えて
それが故にあなたに出会えなかった見知らぬ日々のことを考えて
そして感謝するのです
何にでもなく
俺が俺であってよかった
作らず偽ることのなかった道の先に偶然であっても
あなたに出会えてよかった
その上にただあなたに感謝するのです
あなたが拾ってくださったから
俺はあなたの側にいるのです
あなたのお心の内を知り尽くせずとも
俺はあなたをお慕いしています
そして俺が俺であるが故に俺として
ただ俺として
不器用に
あなたにこの身を捧げたいと思います
俺が俺でよかった
あなたがあなたでよかった
問いかけは不安でも不満でもなく
ただあなたへの想いに繋がっている
こんなことを考えてしまう俺は
やっぱりどうしようもない男で
どうしようもない、あなたの部下でありたいと
ひたすらに走っています
『例えばあなたに恋をしてしまったのだとしたら
考えてから戸惑い瞳を閉じると
頬にあなたの手が触れた』