情念



その体はどうやってバランスを取っているのかと、嫌味でなく問われたことがある。
自分にしてみればそんなものは考えるようなことですらない、当たり前で、そんな風に不思議がられる事の方が不可解だった。
しかし人というものを観察すれば、彼らには間接があり筋肉があり、様々な器官があって成り立っているようだ。
しかしこの広い世界、人間タイプでない者など幾らでもいる。
形から言えば自分は人間タイプに近い方だと思う。
そう言うと、

「だって天の助隊長、ところてんじゃないですか。やっぱり不思議ですよ」

これは毛狩り隊にいた頃の部下の一人による発言である。
確かに考えてみれば、ところてんのところてんらしい生き方というのは毛狩り隊に入隊して隊長になることではない。
そんなことはよく知っていたので、天の助はそれから数日間落ち込んだ。


それから月日は流れ、毛狩り隊はかつて無いであろう危機に陥っていた。強豪基地は軒並み壊滅、四天王も次々に倒され、それら全てが一人の男とその一味の仕業だというのだから驚く話だ。
天の助も変わった。毛狩り隊を辞めた。もとい、辞めさせられた。
一人の男とその一味ごときに基地を潰される様な隊長は不要であるという、当たり前と言えば当然の判断である。もっともその当時は四天王も健在であった。もし基地の壊滅の前に四天王の誰かがやられていたならば、もう少し温情というのもあったかもしれない。
結局辞めさせられたものはしょうがないので、己に与えられた生き方というのに戻ってみた。
天の助は元々、こうして生きるようにと生み出された存在である。やはりそれを全うせずには終わりたくないという思いがあったし、それ以外に行き場など結局無いのだということが解らないほど子供でもない。
そうして売り場でくさっていたところに、神は現れた。
大げさに聞こえるかも知れないが、天の助にとって自分を買ってくれた相手というのは冗談抜きに神に等しい。
例えその相手が自分をどん底の生活に引き戻した張本人であったとしても。

結局、まだ食われてないけど。




思えば遠くへ来たものだと思った。
毛狩り隊は大騒ぎだ。たった一人の男とその一味の手でその力を次々と潰されていく。
ただ天の助がやられた時と違うのは、その一味の中に天の助自身が混ざってしまっていることだ。
よく思い起こせば、ソフトンも最初は助っ人という立場だった様だし田楽マンもいなかった。二人もまた、毛狩り隊に属していたことがあるらしい。
魚雷ガールもいなかった。彼女、いや彼、やっぱり彼女のことを元毛狩り隊と言うべきかは微妙な話だが。
破天荒もいなかった。彼のことはよく知らない。かなりの使い手で、首領パッチに心底怪しいくらい惚れ込んでいるということぐらいしか解らない。それにしてはノリの悪い男だ。

本当に遠くへ来たもんだ。
ていうか俺、最初何考えてたんだっけ?
そうだ、なんでこの体でバランス取れるかって話だ、んなもん解るか。
俺はずーっとこの体で歩いて来てんだって。
売れ残ってた頃も毛狩り隊にいた頃も今も。
ああ、毛狩り隊か。
みんな元気でやってっかなぁ…

そこまで考えたところで、天の助の思考はその体ごと地に伏せた。
ところてんの身体とて何かに引っかかったら転ぶように出来ているのである。
ちなみにずべしゃ、という音がする。

「ワーイ、今晩はところてんだー」
狩人が現れた。
「…あらやだ奥さん!今なら黒蜜もついてお得なんですのよ」
「私、醤油派!」
「ギャー!こいつ甘くねえ!」
甘くない狩人、首領パッチは醤油派なのに両手にふりかけを持って主張してきた。
ああしかし、ふりかけ。その選択はところてんにとってあまりにも残酷である。
そうだ、天の助はところてんなのだ。どうせ今一緒にいる連中は食ってくれないけど。味の趣味は主張するのに。
「何だよお前、何か用か?」
ふりかけなんてかけられたら本当にどうしようもないので、さっさと本題に誘導することにした。大した理由がないのならばここは回避しよう。避けねばならない、ふりかけだけは。
「……」
首領パッチは、無言でこちらを見てきた。
これは溜めというやつだろうか。そう思って身構えかけて、それとは違うことに気付いた。

しようとして、する表情ではない。どこか歪んでいて、制御しきれていない。
彼らしくないと言えば彼らしくない。そんな顔で何故に己を呼び止めるのか。

…トイレならあっちにあったぞ

と言おうと思ったが、止めた。空気読み間違えギリギリのその台詞より先に、首領パッチが口を開いたからである。

「…破天荒が、わかんねー」

それは少なくとも、今現在のその態度がネタ振りでないことだけは表していた。



天の助と首領パッチは地面に腰を降ろして向かい合っていた。

破天荒が、解らないという。
つまりそれは普段の破天荒ならば解るということだろうか。
天の助には解らない。そもそも主張したがらない男だ。
だが、破天荒という男は首領パッチが絡むとまるで別人になる。
どんな風になるのかと言えば、見ていてすぐ解るのはまるで子供のような感情。長く生きて行く内に失われてしまうような、盲目的で無邪気な信頼。
いつだったか、初めて出会った時に首領パッチ相手に繰り返していた会いたかったという言葉も、その後彼に付いてまわる態度も、曇り無く純粋に見えた。
だから悪い男だとは思わなかった。
その光景はどこか微笑ましく、懐かしいものだった。普段の彼がノリが悪かろうと冷たかろうと、自慢ではないが邪険にされるのには慣れている。

首領パッチに対してはそんな風な男。
他の者に対しては冷静でやや寡黙でいわゆる格好の良い男。

まとめてみると何かムカついてくるものがあるが、つまりはそんな人間であるのだと感じた。
天の助にとってはそこで終わりだ。それ以上のことを解らないと迷うのは、それだけ親密である相手のすることだ。取りあえず破天荒に対して、彼自身が語ろうと思わないところまで追求しようとは今は思わない。
逆に首領パッチならば別に持っておかしくない疑問だとは思う。
否しかし、首領パッチだからこそ今更おかしいような気もする。

「わかんねえって、何が?」
「あー。問題はそれが天の助に解るかだなー」
「そーねえ。…ッてお前、なら話振るなよ!」
「ハイハイ、しょうがねえな」

「……」

なに、この扱い。
まあ別にいいけどね。どうでも。

ところどころに関係のないやり取りを含みながら、首領パッチは三十分は話した。

『破天荒は他の子分達と同じだと思っていたけど、違う気がする。』


「…全然話進んでねえじゃん!ほぼ関係ない事話してるぞ!?」
「えー。お前、ちょっとワガママな」
「俺かよ!?」

ビュティがいたらもっと上手にツッコむのだろうか。
そんなことを考えようと、今ビュティは側にはいないのだが。
というか誰もいない。そう言えば首領パッチは話し始める前、周りを確認するようなことをしていた気がしないでもない。

「違うって、どう違うんだ?」
「お前何聞いてたんだよー。それがわかんねえんだよー」
「そーかそーか…ッつかそれ、俺に解るわけねーだろーが」
首領パッチと破天荒は、師弟である、らしい。
他人である天の助にそれを問われても特別に答えてやれる事があろうか。
しかし首領パッチは、天の助から視線を外すとぽつりと呟いた。
「何が、違うっつーか…

あいつにとっての俺が違うみたいだ」

「…はぁ」
それはつまり、他の子分達が首領パッチを見る目と破天荒が首領パッチを見る目が違うというのだろうか。
しかし天の助は首領パッチの他の子分達のことを知らない。
「つまり、破天荒のお前に対する態度が他の奴と違うのな」
「……」
「それ、いつ気付いたんだよ」
首領パッチはその問いに、妙な顔をした。ふざけた表情ではない。どうしてそんな話が出るのかと言いたげだった。
「何かこう、理由とかきっかけがあってそんな風に思うんだろ?そのへんどーなんだよ」
「…まあ、そーかも」
そうかもっていうか、そうじゃなきゃそうはならないだろ。
頭の中で舌を噛みそうなことを考えながら天の助は首を傾げた。
「違うとお前、嫌なのか?」
「別にぃー」
「じゃあ気にしなきゃいいじゃん」
「…違うと、変な感じだ」
見られている方からすればそうなのかもしれない。
だが、考えてみれば首領パッチがそういったことを気にしたことなどあっただろうか。
考えながら首領パッチを見ていると、それに気付いたらしくむっとした表情で見返してきた。
「何だよ」
「…やー、別に」
「……何だコラ!言え!」
「ギャ−、引っ張るな!ちぎれちゃうー!俺脆いんだぞ、知ってるだろー!」
「うるせー、いつも人間離れした再生しやがって!」
「俺はところてんだ!」
ギャァギャァといつもの様な掴み合いが始まる。
と思えば、首領パッチは意外にもすんなりと手を引っ込めてしまった。
「…何が違うのか、なんで違うのかもわっかんねぇ」

「なんでって………あ」


何が、違うのか。
何故に、違うのか。

ああ、考えてみれば、頭の中で何かが繋がってくる。
意味するものの姿がぼんやりと見えてくる。

『破天荒が首領パッチに抱く何らかの特別な感情』。

解らないままその感情を受けるのが辛い、ということが、天の助に理解できないわけではない。
しかし口に出していいものか。それは、余計な一言にならないだろうか。
天の助には悪い癖がある。時折言わなくてもいいことを言ってしまう。
自覚はないのだが、そうして人から恨まれることが何度かあった。
だから解っていなくても気を遣うようにはするが、解ってしまっていることを言うべきか言わざるべきか。
この合うような、合わないような仲間の抱えているらしい問題を必要以上に深めることになりはしないか。

首領パッチが、こちらを見ている。
天の助が意味ありげな声をあげてしまったために。そして、恐らく彼にとってこれは忘れてはおけないことで、その答を手繰り寄せようとしているから。
今までと違う。
首領パッチが、こうまで何かに対して思い悩むことがあっただろうか。
あるのかも知れない。天の助には見えていないだけかも知れない。
ならば何故今は、見えているのか。
それは首領パッチが天の助を頼りにしたからだ。何らかの理由で、天の助を相談相手に選んだからだ。

解らないままでいられないと。
それでも、己で答を出し兼ねているのだと。
他の誰かに言葉を求めるほどに。
首領パッチにとっても、何かが「違う」のだろうか。

天の助は、意を決した。


「…お前にとっての破天荒はどーなんだ」
「俺?」
「そう、お前。破天荒にとってのお前が他の奴にとってのお前と違うの、お前はどう思う?」
「だから、わかんねえんだって」
「でも、気になるんだろ」
「……」
「知りたいって思うからそのこと、気にしてるわけだよな」

人に頼られるのは嫌いではないが得意でもない。
首領パッチから頼られるなど、それこそあり得ないことだと感じる。
しかし、今の首領パッチはどこか小さく見える。いつもの彼より弱々しく見える。
何が出来るかといえば、思うだけのことをするのみだ。

「…あいつがさ」
「おう」
「違うのは、解るんだ。わかんねえのは、何が違うのかと、どうして違うのかと…」
「どっちもか」
「…どっちかっていうと、どうして違うのか」
それが、首領パッチの本音らしかった。
「知りたいと思うのか?」
「でなきゃ言わねえって…さっきそれ言ったろ!お前が」
「ん…まあ、結局は」

何が違うのか。何故違うのか。
似ている様で異なる二つの問いには、基本的な共通点がある。


「考えてる本人にしかホントのとこは解らねぇんじゃん」


結局それは、都合の良い理屈でしかない。
当たり前過ぎて助言としては余りにお粗末な言葉。
それは天の助の限界でもあった。
三十四年間人の社会で生きてきて、何度も感じたこと。
食物として生まれた天の助に果たして人の気持ちの全てを理解できるだろうか。
理屈で知ることは出来ても、例えば破天荒のその気持ちを代弁することなど出来はしない。
出来ているふり、ならば可能だろう。
理屈でだけ解っているから導き出される答を、さも心で感じたかの様に話す。
だがそんな事に何の意味があるだろうか。

「…そーか」
「ああ」

破天荒の気持ちを知ろうとするのに、天の助は最も不向きであろう相談相手だ。
人間の気持ちを理解したいならば人間に聞けばいい。田楽マンや魚雷ガールでも、天の助よりは答に近いものを出せると思う。それは首領パッチも同じことで、人間タイプでないとは言え破天荒の気持ちを理解できないことにはならない。
しかし首領パッチは成り行きでなく、天の助を選んだ。
意識してかそうでないのか、とにかく最も答から遠いであろう男を。
だから最も相応しい言葉を返す。

「そっから先は、お前が選ぶんだろ」
「…当たり前だろー」
「まあ、そーだろな」

天の助が首領パッチに言ってやれる言葉は、ここで打ち止めだ。
それ以上を語ることはない。
語ることはないから、首領パッチは天の助を選んだのかもしれない。
結局破天荒の本来の気持ちが解るのは破天荒だけだ。
そこにある真実を知りたければ、他の誰でもなく彼から聞くしかない。
本当はそんなことは解っていて、知るためでなく知るための一歩を後押しさせるために自分を選んだのではないだろうか。
天の助は、思った。
それだけ首領パッチにとって、この事は、重い。
他の誰かの力を求める程に。
もしかしたら既に何かを解っているのかもしれない。
それが限りなく正解に近いのか、微かなものであるのかは知れないが、やはり天の助よりも正しいのではないだろうか。

破天荒は首領パッチにとって近い存在である。
首領パッチは破天荒のことをこうも気にかけている。
理解まではいかなくても、何かを感じることはできるだろう。

「じゃあ俺は行ってくるぜ。…武道会に」
「ああ。勝ってこいよ」

天の助にも、言うことはできる。
破天荒がお前に向けている気持ちはきっとあれだと、言うことができる。
しかし首領パッチも恐らくはその可能性を知っている。
そして天の助はその気持ちのことを理屈でしか知らない。
人の感情に対して、理解できそうにないことは何でも理屈で考えてしまう癖ができている。
ずっと人の社会に揉まれていたせいだろうか。少し、厄介だ。

「……破天荒が」
「おうよ」
「…二人で、話したいことがあるって言うからよ」
「そーかそーか」

その背中に、ただ相槌を打った。
天の助が相手でなければその言葉も出てこなかったかも知れない。
何しろ天の助は言わないのだ。
その気持ちを確かには知らないが故に、本気では口にしないのだ。

破天荒が抱く感情は恋愛のそれであろうと。


それ以上何も言わず歩いて行く首領パッチの背中に、先ほどの小ささは無い。
天の助はそれを見ながら、再度心の中で繰り返した。

勝ってこいよ。













愛とか恋とかそういう気持ちにはとても疎い天の助。
優しさや分別は解っても愛や恋が解らないと、自分でそう思い込んでいる。
そんな天の助に何かを求めた首領パッチ。
これはあくまで天の助視点です。ここから幾つか話があります。

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