毛狩り隊本部の通路は、常に静寂と緊張に包まれている。
皇帝ツルリーナ三世は気難しく、人を嫌う。故に地上よりも彼の在る場所に近いフロアともなると、殆どの隊員は必要以上に出歩くことはない。隊長クラスですら通路を歩く際にも気兼ねする。
ただ例外は、三世が己の直属の部下と定めた七名のブロック隊長である。
彼らは皇帝に認められた屈指の戦士として、担当するブロックのみでなく毛狩り隊全体を纏め上げているのだ。
戦場に咲く花
薔薇百合菊之丞もその内の一人であった。
Gブロックの隊長である彼は記号だけ見れば七人中最も格下ということになるが、実際は大した上下関係など無い。扱いなどが違うこともなく、実力の面でも三大権力者とされ一目置かれているハンペンやランバダを除けば並んでいる。
本部での仕事を終えた菊之丞は、Gブロックのことをぼんやりと考えていた。
さして急がねばならない用もない。かといって、本部でこれ以上すべき事もない。
ここ最近は反勢力も大人しい。菊之丞だけでなく、恐らくどのブロックの隊長も本部で退屈していることだろう。
現に他の連中の姿を見ない。
本部に来た時は誰かしらと会うことが多いが、今はその気配も無かった。
が。
ふいに、カタン、と小さな音がした。
何か固いものが微かにずれる様なそれが菊之丞に与えたものは、緊張でなければ殺意でもない。
菊之丞はゆっくりとそちらを向いた。
己に向けられているそれは悪意でなく、より真っ直ぐとしたよりくだらないものであると解っていた。ついでにそれが何者によって引き起こされたのかも知れたことだ。
音が鳴った方角を伺えばそこにあるのは通気口だったからである。
地上より三世の存在する空間の方が近いこの場所で、通気口に潜み、菊之丞の存在を確認して、敵意を持つわけでもなく飛び出してこようとする者。
ダン、と床を打つ音がする。
続いて、ガンと鈍い音がする。
菊之丞の目の前に一人の男が落ちてきて、着地し、同時にバランスを崩して横転した。
「うう…痛いよー」
「何やってんだ、テメーは」
男は起き上がらずに嘆いた。
頭を打ったわけではない。瞳が隠れるまで深く被ったメットがそうさせないだろう。
「いい子いい子してくれたら治るでちゅー」
「してほしいのか?」
「いや、男にされてもなぁ」
男はそう言うとあっさり立ち上がって、己の膝の辺りを軽くはたいた。
「驚かんな、菊之丞」
「この通路のこの通気口から俺様を驚かすためだか何だか知らね−が、わざわざ出てきやがる物好きがテメー以外に何処にいる。…コンバット」
「失礼な。我がブロックでは日々身近な場所に潜む訓練を行っているのだ」
「ンなことさせてんのもテメーだけだろよ」
Eブロック隊長、コンバット・ブルース。
彼を初めて知った者はその名をよく似合うと言い、彼を少し深く知った後は改名しろと言い、慣れてしまうと最早どうでも良くなってくる。
菊之丞と彼の付き合いは、もう随分長かった。
結局は、並んで通路を歩く形になった。
「お前は仕事か?」
「もう終わった」
「そうか。私も先ほど終わらせて降りてきたところだ」
通気口から。
菊之丞は、追求しなかった。
コンバット・ブルースという男が何故そんなことをしたがるか、それは彼が彼だから故に。
そう言える位には彼のことを知っている。
「相変わらず阿呆だな、テメーは」
「戦場の痛みは耐えねばならん」
「…さっきのあのセリフはどーなんだよ」
「いい。次に水着ガールと水着ギャルに会った時に慰めてもらうもんねー」
コンバット・ブルースは自他共に認める女好き、通称エロガッパである。
そんな彼を甘やかす二人の隊長についてはともかく、その位のことは知っている。
「テメーの言う戦場ってのは公園だの空き地だの、痛みもクソもねーだろーが」
「解っていないな、菊之丞。戦う男の人生は戦場なのだ。…オレの人生は戦場だー!」
コンバットは斜め上に向かって叫んだ。
普段は気取って自分を私などと言うくせに、すぐに気を抜いてはそれが崩れる。
そういう男だとも、知っている。
「あーハイハイ、良かったな。付き合ってらんね」
「人生の同行者は……優しい女性がいいなー」
「…そーかよ」
知らないものも、幾らでもある。
例えば菊之丞は、彼の素顔を知らない。
「…どーせまた三世様の前でも脱帽しなかったんだろ、テメー」
コンバットは愛用しているメットを常に被ったままでいる。外したところを見た者をいないと聞くが、三世の前ですら取らないのだから誤った情報でもないのだろう。
「三世様は帽子を脱ぐ脱がないで人を判断することはないぞ、ランバダも脱がんし。どーせ脱いだところでどうにかなるお方じゃないっていうか」
「それ、本人の前で言ってみやがれ」
「…命は惜しいかな。これは機密事項ということにしてくれ」
声をひそめ、そんなことを言う。
「そうまで気に入ってんのか」
「装備とは戦う男にとっては体の一部、これを失えということは頭を失えということに同じ」
「ケッ、格好良いねえ」コンバット・ブルースはよく解らない男だ。
馬鹿の様なところは解り易過ぎるほどによく解るのに、隠すところは触れられないほど謎にする。
阿呆だが仕事はこなす。人も決して悪くない。
大抵の者はそこまでで満足して、彼を突き放すなり受け入れるなりをする。慕う者もいる。
だが菊之丞は彼のその『解らない』ところが、ずっと気に入らなかった。
ずっと、意識していた。
初対面の時だった。
睨み合いになったことを覚えている。
その話を今の彼らを知る者にすれば、皆原因は菊之丞であろうと言い切るかも知れない。
だが、それは違う。火を付けたのはコンバットの方だった。
それは菊之丞も、そして彼自身も認めていることだ。
戦場に花など要らん。
その一言が、始まりだった。
コンバットが菊之丞に、まるで当たり前のことだという風に言い放ったその言葉は、一瞬で険悪な雰囲気を作り出した。今思えば殺し合いにも殴り合いにすらならなかったのは不思議な位である。
ただ、その直後の毛狩りにて、菊之丞は敵味方を問わぬ血みどろの戦いぶりを見せた。思えばそれはコンバットの肝を冷やすためのものだった。
全てが終わった後、菊之丞はコンバットを見て、出来る限り冷酷に笑ってやった。そうすれば彼が怯えると思ったのだ。
だがコンバットは顔色ひとつ変えなかった。その頃から被っていたメットのために瞳は見えなかったが、口元すら歪めなかった。
ただ、一言。
お前は、強いな。
当たり前の様に、言った。
そして、
私はお前を弱いと思っていたが強いんだな、と。
失礼なことを言った、と。
当たり前の様に頭を下げた。納得しない菊之丞に、コンバットはゆっくりと己の足下を示した。
雑草に紛れた小さな花が、誰かに踏まれたのかくたりと折れていた。
私はずっと、花は弱いものだと思っていた。
戦場に咲いていればこうして潰されるか、焼き払われるか、そうでなくても寿命を縮めてしまうだろう。
そして戦場という空間は花を愛でている余裕など与えてくれないのだ。
だから私の戦場に花は要らないと思っていた。
だが、お前は強かった。
そうしてコンバットは最後に、
お前の花は美しいが、もしも敵であったなら震えるほど恐ろしい、と
呆れるほど恥ずかしげもなく付け加えたのだった。
それをプライドの欠片もないと言うか、潔いと言うか。
しかし本心から出た言葉にしてはあまりに切り替えが出来すぎている。
だからといって本音でないならば、ああもはっきりと響くであろうか。
その時からコンバット・ブルースは菊之丞に、他の者達に対する時と変わらず当たり前の様に話しかけてくる様になった。
菊之丞は彼の情けないところや変態じみたところを知りながら、彼を他の連中と同じだとは思えなくなった。
彼についての解るところと解らぬものを意識する様になった。
そこまで思い出したところで、菊之丞は己の足が止まっていることに気付いた。
コンバットもまた、少し前で立ち止まりこちらを見ている。
「菊之丞、真っ直ぐ帰るのか」
「…最近暴れてねえからな。少し狩っていくぜ」
「お前らしいな。どうせまた敵味方問わずに攻撃するんだろうが、部下を大事にしないのはいかんぞ。戦場は」
「戦場は、チームワークだ。…ってか」
「あれ?なんで解る?」
「テメーは俺に何回同じこと言ったと思ってやがる」
コンバットにとって菊之丞は、何であろうか。
強き者とは認めた。
だが彼は己の人生を戦場と呼び、そして戦場に花は要らないのだと言う。
ならば例え認めたとしても。
菊之丞は、彼の中には不必要な存在であり続けているのか。
「ケッ…敵だろうが味方だろうが、血を吸った花は綺麗に咲くんだぜ。色濃くな」
「程々にしろよ」
口煩くものを言うと思えば、そう節介を焼くわけではない。コンバットの返答はたった一言だった。
「テメーは花を馬鹿にしてやがるが」
菊之丞は小さく、低く呟いた。「俺様の花は、テメーの血も吸うかも知れねぇぜ」
そして、コンバットを見る。
彼はやはり表情を変えなかった。
菊之丞は心の中だけで小さく笑った。
解っていた。
自分が、花を操る自分が、彼が好む女でもない自分が、彼が望んで隠すようなその顔を歪めることなど出来るはずもないと。
知って、いる。
「知ってるぞ、そんなこと」
「…は?」
知っているというその答は、知らない響きを持っていた。
「お前の咲かせる花は、戦場に咲く花だ。だから戦場でも潰されはしないし私の血も吸うかも知れないな」
「…テメ、そんな風にいつから」
「初めて会った時にも言っただろう、お前は強かったと。身を隠してくれることすらない脆いだけの花などいらないと思っていた私は、あの時初めて戦場に在るべき花を見たぞ」
「……」
「花の一生は戦場にない方がいい、その方が幸せだからな。だがお前の花はお前と共に、戦士として戦うだろう」
「…」
菊之丞はぼんやりとその言葉を聞いていた。
あの時この男は、本当に自分のことを認めてああ言ったのだ。
あんな風に。あんなに、当たり前の様に。
「菊之丞。お前は私の同志だし、お前の花も私の戦場にあるぞ」
「は…何だそりゃ、テメ……!」
「…ああそーだ、毛狩りに行くならこれを持ってけ」コンバットは何か小さい塊を、菊之丞に投げて寄越した。
「…ンだ、これは」
「通信機だ。お前、危なっかしい男だから必要だと思って」
ひらひらと手を振りながら自信有りげに返す。
「…ッ誰が危なっかしいだ、コラ!」
「戦場には不可欠だぞー、通信機は。それで定期的に私に連絡を取るのだ!」
「な、ンでテメ−に」
「言ったろう。戦場に必要なのはチームワーク」
だが菊之丞はケッと唸って、その小さな通信機を睨みつけた。
「要るか、馴れ合いなんて」
「馴れ合いとは違う。あ、ちなみに水着ガールと水着ギャルのとお揃いだぞぉ」
「揃えてんじゃねーよ!」
叫んで、負けるかとばかりに皮肉に笑う。
「俺が負け犬になったら、テメーは泣いてくれんのか?」
それはまるで試すような、手を伸ばすかの様な一言だった。
「泣かん」
「……あー、そうかよ」
「戦場に情けあり。だが涙を流す暇があるのなら、オレはお前の仇をとってやる」「…」
それもまた、当たり前の様な、平然とした、
そしてどこか彼らしい一言。
もう一つ、知った。
彼はそんな人間なのだ。
「その時は巨大なウォータースライダーを舞台にしよう。水着ガールと水着ギャルも喜ぶだろうし」
「…ッ結局それか、テメーは!それ以前にこの俺様がマジで負けるかッ!」
「まあ、それならその方が良い。あーでも水着は惜しいなあ、水着…」
「言ってやがれ!クソが!」少しだけ彼を大きく見てしまった菊之丞は内心己に溜息を吐きながら、それでも思う。
これが、コンバット・ブルースかと。
「…で」
ならば、もう一つ問おう。
「仇とやらを取った後、テメーは悲しんでくれんのか」
「……」
コンバットは、よくまわるその口を突然に塞いだかの様に閉じた。
「……悲しむのはー…ジェダにでも任せとけばぁ?」
「けっ…あいつの言う悲しいってのは単なる口癖だろうが」
それは答としては物足りなかったが、菊之丞は満足した。
彼がまるで照れを隠すかの様に俯いたからだ。
なかなか見れるものではない。
それもまた、初めて知った彼だった。
「まあ、いい。こいつは貰っとくぜ」
「…ああ。それがいーだろ」
それを聞きながら、菊之丞は早足で歩き出した。
そして未だ立ち止まっているコンバットの横で一瞬スピードを落とし、
何事か、囁いた。
「…!?」
コンバットの瞳の見えぬ表情が、明らかに引き攣った。
菊之丞は小さく笑ってまた早足になり、そこから立ち去る。
追って来る気配はない。
しかし、珍しいものを見た。
コンバット・ブル−スがあんな風に戸惑うところはきっと、彼の部下も、彼の信頼する二人の隊長も知ることはないだろう。背後で何かを開く音がして、閉じる音がした。
荒々しいそれは、コンバットがまたも通風口に飛び込んだために鳴ったのだろう。
彼にとってその感情は、少なくとも今は身を隠さねばならない敵であるらしい。
次はテメーを頂くかも知れないぜ。
俺の花は血を欲しがるが、俺はお前が欲しいんでね。
侮るなよ、コンバット・ブルース。
俺も、戦場に咲く花も、お前の隙を狙い出す。
あー、私は薔薇百合菊之丞とコンバット・ブルースを何だと思っているのか。
コン←菊でも菊コンでもいいな、と思いながら書いておりました。
あの性格の菊之丞が通信。他の隊長が聞いてた様子もないし、個人的にやってるの?
という妄想がこんなんなっちゃいました。コンバットは馬鹿だけどこだわりのある男だと勝手に思ってます。
コンバットの一人称については原作で二種類あったのでこんなことになりました…
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