五秒間



腕の中の感触は、暖かくて柔らかい。
重みなど殆ど感じない。心地よさだけ、触れている腕だけではなく全身にまで広がっていく気すらする。
考えてみれば今、この腕と彼の身体、素肌と素肌が触れ合っているのだ。
それを思うと心地よさの上に波の様な緊張が被さってくる。

思わず腕に力が入る。
破天荒は一瞬遅れてそれを自覚し、慌てて腕の中にいる彼を見た。
くうくうと寝息と微かな鼾をあげてよく眠っている。 
(…良かった、起こしてねえな)
息を吐いて、彼の、首領パッチの眠りを妨げてしまうことがない様に、気を遣いながら足を早めた。






宿に入って部屋割りを決めた時、首領パッチと破天荒は二人部屋の鍵を受け取った。首領パッチは別に大した反応はせず同室の子分に鍵を任せたが、破天荒の方は鍵を受け取りながら心の中で小さくガッツポーズすら決めていた。
常に共にいることの出来る環境であるといっても、なかなか二人きりにはなれない。二人部屋になれる事など久しくなかった気がする。
鍵をしっかり、そのまま真拳奥義まで使ってしまいそうな程にしっかり握りしめて破天荒は首領パッチの方を向いた。

行きましょうか、おやびん

そう言おうとして、い、という声を出したところで、首領パッチが既にそこにいないことに気付く。慌てて辺りを見回せば首領パッチは、今にも息絶えてしまいそうなボーボボに縋り付いていた。
ボーボボはどうやら何者かに襲撃された役らしく、首領パッチは探偵として彼を揺さぶりながら犯人の名を聞き出そうとしている。二人の後ろには『土曜夜の温泉宿殺人事件〜安らぎの中に一筋の悪意・女子高生探偵パチ美あぜ道を走る〜』と書きなぐられた旗が立てられ、悲しげなBGMが流れている。そしてそんな二人を遠くから鬼気迫る表情で覗いている天の助。どうやら彼が犯人らしい。
破天荒は喉の奥からダイイングメッセージを絞り出そうとしているボーボボに対し半ば本気で、そのまま息絶えてしまえ、と意思を送った。


夕食が終わった後、破天荒はボーボボ達の部屋にいた。
正確に表現すれば、首領パッチがボーボボ達の部屋いるので自分もそこにいた。
結局息絶えなかったボーボボと首領パッチの謎解きは佳境に入っており、ボーボボは被害者役改め刑事役となっている。
既にツッコミを放棄したビュティとソフトンはトランプを持ち出してババ抜きに興じている。破天荒はそれに加わる気にもなれず、参加する隙も見付からず、ただそれらの光景を見守るばかりだった。
女子高生探偵と刑事の会話だけでオチが見えるはずもなく、途中で犯人役の天の助が部屋に乱入してきた。どうやら彼の正体は彗星に乗ってやってきたぬの星とやらの魔王だったらしく、そこから話はSFに突入した。
破天荒は物語を長引かせた天の助に対し、二度と揺れないように固めてやろうかこのところてん、という悪意を抱いた。しかしやはり入り込む隙は無く、ビュティは既に眠っていて、ソフトンは彼女に何らかの被害が及ばない様にとボーボボ達のストーリーの進行に気を配っている。
結局相当の時間が経って、ボーボボから「ボボボーボ・ボーボボによるボーボボの為のボ−ボボ一人劇場、ご清聴有り難うございました」という挨拶があって閉幕した。出演者は三名いたはずだが、天の助はダイイングメッセージ『ボーボボ』を残して気を失い首領パッチは安らかな寝息をたてている。
ボーボボがビュティの睡眠を妨げない様に天の助を起こそうと縦に横に極限まで伸ばしているのを尻目に、破天荒は首領パッチを抱き上げて部屋を後にしたのだった。






首領パッチの体をそっとベッドに降ろして、開けたままだった部屋の戸を音を起てない様に閉じた。小さな音をたてて鍵が閉まる。
破天荒は己の手の中にあるこの部屋の鍵をちらりと見て、握りしめた。

鍵。
何の力も無い、ただ扉を閉ざすためだけの鍵。
だが己と首領パッチ、二人きりの空間を守る鍵である。
(…こんな……)
こんな小さな鍵でも薄い扉一枚閉ざすことで、ほんの暫し二人だけの時間を作り出す。
マフラーに触れる。そこには破天荒にとって既に体の一部とも言える鍵がある。だがそれらはどれも同じ様に、首領パッチとの時間も空間も作り出すことはできない。
例えばきっと彼を止めておくことは出来るとしても、
彼の心まで留めておくことはできない。
首領パッチの心を留めることのできる鍵など、無い。何にも縛られること無く生きる彼の存在そのものを一所に留めておくことなどできるものか。
己に出来るとは思っていない。
他の者には、させはしない。
だから彼を留めるものなど何も無い。

だが小さな鍵によって閉ざされた扉は一晩、二人きりの空間を約束してくれる。
それは心ではなく、存在でもなく、ただほんの少しの時間に過ぎない。
それでも。
それでも間違いなく、幸せを感じている。

体を丸める様にして眠る首領パッチにゆっくりと毛布をかけた。
よく寝ている。これならばきっと朝まで目を覚ますことはないだろう。寝苦しそうな様子もない。
彼の側で夜を過ごす時、彼より先に眠ることはない。その安らかな眠りを確かめて、初めて己にも眠りが訪れる。昔も今も変わらない。
違うのは今、間違いなくこの部屋で、首領パッチと二人きりであること。
(…おやすみなさい、おやびん)
他は普段と変わらない。

何も、変わらない。







背中が見える。
あなたの、背中が見える。
小さいのに強大で、明るく鋭く輝いている。
俺には眩しいけれどいつまでも、いつまでも追いかけていたいと思う、
そんな背中。

追いかけながら、走りながら、何かを求めることはない。
あなたはあなたとして歩き続けて、時折俺の方を向いてくれる。
俺はいつでもそれを待っている。
あなたの隣にいられる時を待っている。
求めることはない。求めることは、あなたを妨げるからだ。
あなたは時折俺の方を向いてくれる。
それでいい。
あなたを追いかけることが許されているのだから、その上あなたが俺を見てくれることがあるのだから、それでいい。
俺はあなたの名を呼びながらあなたを追いかけて、あなたの必要な時にあなたの何にでもなる。
だから俺はただ、追い続ける。
その背中を追い続ける。

ふいに、目の前が霞んだ。

全身がぐらりと揺れる。
それは錯覚などではなかった。
バランスを失いながらこの目は、あなたの背中が少しずつ遠くなっていくのを見ている。
足を動かす。
前に進んでいるはずなのに、その背中との距離は縮まない。
それどころか確実に遠ざかっていく。
まるで、
まるで遠ざかるべきであるというかのように、
この身を除く全てが流れていく。
薄れて、いく。

このままでは見えなくなる。
今ですら遠い背中が見えなくなる。
見失う。見失うことが、何より恐ろしい。
この足は、目は、遠すぎるあなたに二度と追いつけなくなるかも知れない。
遠くで背中を見ているだけでいいのに。
他には何も望まないから、
頼むから、追わせてくれ。

嫌だ。嫌だ、やめろ、やめろ。
今ですら求めることもできないのに、手を伸ばすことができないのに、
その背中以外を己が力で見ることすら叶わないのに、
あなたが振り向いてくれることを待つばかりなのに、
見失えば何も解らなくなる。
やめてくれ。

本当はどこかで、求めたいと思っているのだ。
手を伸ばしたいと感じているのだ。
例えあなたが必要としなくても、触れたいと、抱きしめたいと、
隣にいたいと。
あなたのものでありたいと、あなたが俺だけのあなたでいればいいと。
望みたいと望むほど、遠ざかることが怖くなる。
追いかける距離は心地が良い。
近付くことをしない代わりに、それ以上離れていくこともない。
近付きたいと思いながら離れることが恐ろしい、
あなたに対してあまりにも臆病な俺に、
甘過ぎるくらい心地よい距離を

俺から奪うな!

頼むから、これからも届くことを願いはしないから、
見失わせないでくれ。



今が壊れれば俺も壊れて、崩れさってゆくか、あなたを壊してしまうかもしれない。








喉が焼ける様に熱い。張り付いて擦れて痛みを伴っている。
それだけではない、全身が熱い。瞳も乾いている。
全身に軋むような感覚がまとわりついて、動かない。
毛布が伸し掛かってくる。強張った指先は無意識にシーツを掴んでいた。


首領パッチを寝かせた後に自分もベッドに入って眠りの世界に沈んだ。
今もベッドの中にこの身はある。
熱も乾きも痺れも、確かに全てこの身が感じている。呼吸もできている。
夢だ。あれは、夢だった。夢に過ぎない。

だが夢に過ぎないそれはあり得ない現実ではない。
どこかでこの身を待ち受ける未来の影だ。
これは夢だ。
しかし夢では終わらないかも知れない。

首領パッチとの間に存在する見えない扉。
その距離を縮めることはない、しかし引き離してゆくかも知れない扉。
破天荒の鍵では開くことのない扉。
その先に届くことがないのだと解っている。
だが遠ざかることで見えなくなる日が来るかもしれないと、考えたくはなかった。
考えたくは、なかったのに。

「…どーした?」

その言葉に、破天荒は反射的に身を起こそうとした。しかし体が意識に間に合わずに首だけ上がった不自然な体勢になる。それでも視線だけはその声の方を向いて、言葉を紡ごうとする。
「…いえ」
喉の奥から絞り出して、笑おうとした。
しかしそれを見た声の主、首領パッチは明らかに眉を顰めて、破天荒に向けていただけの体をベッドから起こす。
「お、おやびん…本当にそんな」
「ウソね!顔がブルーハワイだぞ」
ベッドの縁に腰掛け、身を前に乗り出して覗き込んでくる。破天荒は上体を起こそうと身じろいだ。
「こら、寝てろ」
「でも」
「ブルーハワイがメロンソーダになっちまうぞ」
俺は当然コーラ派だけどな、と付け加えて、首領パッチは有無を言わせぬ視線を送った。
「…すみません。お気を遣わせて…起こして、しまって」
「別に謝るこっちゃねーっての」
「もう、平気です。おやびんも眠ってください」

それでも顔だけは笑って、そう言った。そうすれば首領パッチはそれ以上深入りしてこない、納得するはずだと思っていた。
だが首領パッチは動こうとしない。

「…おやび、ん」
「破天荒……お前、俺に言えないならはっきりそう…あー、くそ」
「お、おやびん?」
「ちょっと待ってろ。他の奴呼んでくるから」
「ちょ…っと、待ってください、なんで」
ベッドから飛び降りた首領パッチを引き止めようと、破天荒は身を起こした。
だが、睨み返され中途半端な体勢で停止する。
「苦しくても俺には言えねえんだろ、苦しいッて」
「……そんなんじゃ」
「…俺といる時のお前、いつもどっかで我慢してるじゃねーか」
「どうして」
「今お前に必要なの、俺じゃねえよ。…いいから寝てろ」
扉に向かい歩き出した首領パッチに、破天荒は表情を引き攣らせた。

苦しい。苦しいと言わない。言えない。
そんなものは己が意識するだけで済むのだと、ずっと思っていた。
そうではない。そんな意味ではない。

「ち…がう!」
「……」
「待ってください…おやびん、待って」
体はもう動くようになっている。今度は、意識が追いつかない。
スタンドの小さな明かりに頼りなく照らされる部屋に、懇願するかの様な声が散った。
「違う、違うんです。誰かだからいいとか駄目だなんて…そんなんじゃ、ない」
「…苦しいんじゃねえのかよ」
「……解らないんです」
首領パッチに対して口に出せるものではなく、己ですらどんな言葉で形容すればいいのか解らない。
だがそれは、ここにいない他の誰かによって解かれるものではない。
「…でも、俺は大丈夫、なんです。ちゃんと息だってしてるし、熱だってない」
「ホントかよ」
「本当です」
「じゃ、確かめさせろ」
言うや否やベッドに飛び乗ってきた首領パッチに、破天荒は思わず身を引いた。
「顔、こっち持ってこい」
「え、あ…は、はい」
言われるままに首領パッチのいる方に顔を向け身を乗り出す。

(…近い、な)
近い。
近付くことならば、出来る。
だがどんなに近くても、本当は、遠い。

そんな風に考えていると、額に何かが触れた。
「お、おやびん…!?」
「確かに、熱はねーみたいだな」
触れているのは首領パッチの、額。
破天荒は慌てて飛び退きそうになったが、その前に首領パッチが自ら離れた。
「…ほんとに大丈夫なんだろーな、お前」
「え、あ、も、もちろんです!…もう、大丈夫」
しっかりと頷いて見せれば、首領パッチは暫く考え込んで片手を上げる。だが、ちらりとその手に視線をやった後に降ろしてしまった。
「手袋してっからわかんねーな、これじゃ。…おい、自分でも触ってみ」
「え?」
「ここだ、ここ」
そう言いながら示すのは己の額、そして破天荒の額。
破天荒は迷ったが、首領パッチから感じる視線にはどうやら拒否はできそうにない。
触れる。
許されてさえいれば、触れることだけならば、容易い。
「…こう、ですか」
「そうそう、熱くねえか?お前」
「…いえ。…おやびんは、暖かいですね」
首領パッチは額に触れられたまま、驚いた様な表情をした。
「俺、熱ある?」
「そうじゃなくて。いつも、いつだって暖かいんです…暖かすぎて、遠い…」


何故触れただけ、触れることが許されているだけで、こんなにも温もりを感じるのだろう。
こんなに遠いのに、見えなくなるかも知れないほど遠いのに、
届かないのに、
残酷なほど暖かい。

「俺には…俺には扉のずっと向こうの…ッ……!」


両手を己と首領パッチの額から離して、口元を抑える。
遅かった。
既にその言葉が、首領パッチにも聞こえただろう。

「…なんだ?扉って」
「忘れてください」
「言えよ」
「違うんです、違う」
「何が違うんだ。それ、俺に言おうとしたんだろ」
「……」

声に出してしまえばこうなるだろうと、知っていたのに。
あなたは決して鈍い人ではない。黙っていれば解らないままでいてくれる人ではない。
あなたから隠すには俺の想いはきっと汚れている。
だからずっと、ずっとこの距離を保ち続けていたかった。
ずっと。

「…扉が……あるんです」
「なんのだよ」
「俺とおやびんの間に、扉があるんです。その扉には鍵が付いていて、開かないんです。でも向こうは見えていて、俺にはあなたが見えていて…」
きっとこんな風に言っても首領パッチには解りはしないだろう。
解らないだろうし、解らないでいてくれた方がいい。
「そこからあなたが見えても、届かないんです。ただ、おやびんがどれだけ遠いのか…それだけ……」

けれど解らないままでもきっと伝わってしまうだろう。
俺があなたに向けた、あなたにだけは知られたくなかった、
この想いを。

「…みま、せん」
口に出すことで、己の中にすらそれが伝わり広がっていく。
吐き気すらした。
「すみません、すみま…せん…」
取り繕う言葉など浮かばない。
破天荒はただ口が勝手に漏らすその言葉を繰り返しながら、目を逸らした。
もう何も見たくはなかった。
きっとここで何が狂おうが時は修正されてまた流れていくだろう。
しかしそこで何かが狂ったという事実が何ひとつ変わるものか。


「…破天荒、こっち向け」

破天荒は、そちらを向かなかった。向けなかった。
だが、それは再び響いた。

「こっち向け。向いて、もう一回触ってみろよ、俺に」


「…どうして」
「いいから」
「けど、俺は」
「俺は、ここにいるぞ」
目を逸らしたままの破天荒に、首領パッチはきっぱりと言い放った。
「お前の言ってること、わかんねーよ。でも俺はここにいる」
「…おやびん」
そろりと視線を戻した破天荒に、繰り返す。
「ここにいる。…手、伸ばさなきゃわかんねーじゃんか」
暫く間があって、手が伸ばされた。
許されるならば触れることは容易かったはずだが、許されたのではない、触れろと言うのだ。
この手で。

そこに、確かな意味を持って。
首領パッチがここにいるのだと。

破天荒の手が恐る恐る伸びて、首領パッチの頬に、触れた。
「俺はここにいる、だろ?」
「…は、い」
「お前の言ってること、わかんねえよ。でも俺はここにいるし、お前と向かい合ってて、届く所にいる」
「…でもそれは今、おやびんが」
「俺はそんな扉だとか鍵だなんて知らねえぞ。それにお前のことも見えてる」
扉。
それは、首領パッチに見えるはずのないものだった。
破天荒にとって首領パッチは扉の先にある背中で、彼が時折こちらを向くことがあったとしても、そんなものを意識しない。するはずがない。
ただ、彼がこちらを向いた時のみ、その扉の先にある温もりに触れることが許される。

だが、それでも。

「おやびんは、ここに…いるんです、ね」
「いるし、お前もここにいるだろ」
「…はい」
言いながら破天荒の腕を軽く叩いて、首領パッチは笑った。破天荒はただ掠れた声で小さく返して、首領パッチを見る。
「扉だとかドアってのは、開けようと思わなきゃ開かないまんまだろ」
その姿はこちらを向いて、確かにそこに在った。

「…怖かった、んです。開けてしまった先にあるものが」
あなたに、置いていかれることが。

ただ口から、せき止めてきた言葉が紡がれる。
首領パッチは優しい。
何故こんなにも優しく、己の言葉を受け止めてくれるのだろう。

「その先なんて、誰に解るんだよ」
「……」
「お前が開けなきゃ決まらねえだろ、そんなの。勝手に決めんな」
こんな風に優しい言葉を、こんなにも優しい言葉を、与えてくれるものだとは思わなかった。
恐れていた。
何より都合の悪い言葉を恐れる故に、心のどこかで望む言葉ごと、それが聞こえない様に耳を塞いでいた。
一つの言葉を口にはしないことで。
一つの気持ちを心の奥底に押し留めておくことで。


俺はあなたが好きです。好きなんです。
好きだから、だから、俺は。


「…俺、あなたを追いかけてもいいですか」
「…」
首領パッチはただ、破天荒を真っ直ぐに見つめていた。
対して破天荒は目を瞑り答を待った。断罪を、待った。
額に、暖かいものが振れた。
「…てやっ」
俯いた頭が押し上げられ、上を向いた。
バランスを崩しそうになり慌てて両手を後ろにつく。ベッドの上とはいえ、転倒することはどうにか免れた。
「…お、おやびん…?」
破天荒の額を指先で押したその体勢のまま、首領パッチはじっと黙っている。
「おやび…」
「寝る」
「…へ?」
「夜更かししすぎたわッ!お肌荒れちゃう」
「へ、あ、は、はい…」
あまりに突然のことに、破天荒は後ろ手をついたまま間の抜けた返事をした。
そして。
「それじゃ、電気消すわよ」
「え、えぇッ!?」
首領パッチはなんと破天荒のベッドにそのまま潜り込んだ。
「あ、あの、おやびん…?俺があっちで…?」
「バカ、ここはお前のベッドだろーが」
「で…でも」
「もうこんな時間じゃないッ!一人で寝るのは怖いわ!」
そう言い切って毛布を持ち上げ、両方の身体にかかるように引き寄せて、スタンドの電気を消してしまう。
「な、な…!」
破天荒が何も言えないまま、部屋は暗闇になってしまった。

(……)

恐る恐る毛布の中に潜り込む。
隣には首領パッチがいる。辛うじて救われるのは、彼がベッドの外側を向いて寝転んでいることだ。
(な、なんで…こんな事に…)
近い。
許されさえすれば、近いことはむしろ幸せだったはずだ。
その温もりだけは感じていられる時間。
近い。こんなにも、近い。
なのにそれを素直に喜ぶだけではいられない。
(…どうして)
どうして首領パッチはこんなにも優しいのだろう。
己から逃げ出さないのだろう。
こんなにも近くにいてくれるのだろう。

あなたを追いかけても、いいですか。

その答が。
彼がそこに出した答が、解らない。
「…破天荒」
「…!!」
声は近く、遠い場所から聞こえた。
背中合わせになった首領パッチが己の名を呼ぶのが小さく、しかしはっきりと響いた。
「俺はずっと俺のままだからな」
「…」
「ずっと離れたままだったら、見えなくなるかもしれないんだからな」
「……」
それはよく、解っている。
いつか見えなくなることを、認めたくなかったとしても解っている。
痛む胸を押さえつけて、破天荒は小さく息を吸った。


「…でも、今はここにいる」

その呟きは、すぐ側から耳を貫く様に響いた。
首領パッチがこちらを向いている。
あちら側ではない、己を、この背中を見ている。

「お前も、こっち、向け…よ…俺が……」

それは少しずつ小さくなって、沈黙に変わった。

恐る恐る、身体を回して反対側を向く。
「ッ……」
そこには首領パッチが、いた。
あまりにも近かった。あまりにも近くで、こちらを向いて、目を瞑っていた。
頭を少し動かせば先程の様に、額と額の触れ合う距離で。
彼は、眠っていた。

「…おやびん」

鼓動が幾らか穏やかになるのを感じながら、呟く。
あまりにも確かで、あまりにも遠くに感じていたその名前。
破天荒はそっと手を伸ばして、その柔らかい身体に触れた。
自ら、触れた。
「……」
暖かい。
涙が出るほどに暖かくて優しい。

あなたはここにいる。ここにいる。ここに、いる。
俺の、手の届く距離にいる。

手を伸ばせば、触れようと思えば触れられる場所に、
あなたの心はあるのだと。
自惚れてもいいのだろうか。


その温もりを掌に感じたまま、目を閉じる。
五秒間。
五秒間数えて、この温もりが消えぬなら。
その時はもうこの手が扉を壊してしまったのだと思うことができる。
あなたの知らない扉。
俺にとってあまりにも強大で、
触れることすらできなかった扉。

けれどその向こうのあなたを追うことが、求めることが許されるのならば。
あなたの中の俺が、どんなに小さくても何らかの意味を持つのならば。

(…だめだ、それじゃあ)

頼ること、迷うことを繰り返すばかりでは始まらないのだと、
あなたは手を伸ばしてくれたのだから。



五秒間。

掌はまだ、その温もりを確実に感じている。

破天荒はそっと、その小さくて柔らかい身体を包み込んだ。
起こしてしまわぬように、見えない扉では抑えられぬほどの想いを込めて、抱きしめた。


あなたのことを、愛しています。




夜は安らかに、穏やかに過ぎていく。












屁天より先に流れが決まっていたはずなのに、色んな意味で長かった…!
何かを解っているような、解っていないようなおやびん。
破天荒は葛藤しすぎです。させすぎてしまいました。男前でなくて申し訳ないです。
屁天の方と同じ夜の話、破パチの「五秒間」でした。

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