その硬貨は例えば、日に焼けた遊び帰りの少年達が握っていた。
赤ん坊を抱えた女性の財布の中に入っていた。
会社帰りの男の背広の中で揺れていた。

どこにでもある当たり前の小さなそれのたった一枚が、
自分の価値だった。





一枚



「…あー…」
眠れない。
夜も更けたというのに、テントの中には皆の寝息が響いているのに(その内幾つが本物かは不明だ)、天の助の目はいつまでも冴えたままでいた。
疲れていないわけではない。
なのに眠気が起こらず、無理矢理目を閉じても息苦しくなるだけだった。

結局眠くなることを待つしかないのだが、眠っている仲間達と同じ空間にいるのではどうしても気を遣う。自分の身体の上まで転がってきた首領パッチをそのまま転げ落として、テントの外に出た。

外は星が多く出ているおかげで、そう暗くはない。
こういう夜もいいだろ、とキザったらしく思ってみたが、考えてみたら明日眠くなろうが同行している連中は容赦してはくれないだろう。それを考えると不安になる。
(…ま、なるよーになるわな)
なるようにしかならない、とも言う。
天の助は再び星空を見上げた。
例えば同じように煌めく宝石ならばそこに価値を決めることが出来るだろうが、空の星はあれだけ数えきれないほど存在するのに値段など付けられもしない。
(十円だぜ、俺なんて)
星には星なりの苦労があるのだろうが。
仮に値段を決めるとしても、十円ぽっちの星など在りそうにはなかった。



十円玉。
金には間違いないが、それこそ子供のポケットの中にだってある。地面に落ちていたとして、目に止まったとしてもどれだけの人がそれを拾い上げるだろう。
十円玉、一枚。
それと代えられるものなど知れている。駄菓子屋の小さなチョコレートか、ガムにだってもう少し高い値段が付くのではないだろうか。
天の助にもその価値は解る。金と品物のやり取りがあるスーパーにいたのだし、毛狩り隊にいた頃はずっと給料を受け取っていた。
たった一枚の十円玉の、
それが自分の価値だったことに対する、
意味が解る。

恐らくは意思を持った、二足歩行した、確かに生きている、実際三十四年生きてきた自分には食べ物としての価値はないのかも知れない。
もっと器用ならば売れていただろうか。
黙ったままでいたら食べてもらえたろうか。
それならばまだ、救われる。
こうして立って歩いていることが食べ物であることへの否定になるとしたら、天の助は生まれながら心太であってはならなかったことになる。
その通りなのかもしれない。
スーパーにいた頃はどんなに努力しても上手くはいかなかった。
毛狩り隊に入った後の努力はそれなりに報われた。それこそ死ぬ気でいたからかもしれないが、その分だけ地位を上げることも出来た。あの頃は本当に食物として生きることを諦めようとしていたのだ。
今現在も、心太であることを活かせはしても食べ物として認められているとはどうも思えない。


ところ天の助というのは何者なのだろうか。


(…やめとこ)

難しいことを考えて、ろくな結果になったためしがない。
天の助はぷるぷると首を振った。
散歩でもして、夜風をあびる内に忘れてしまえばいいのだ。
歩みを進めれば草がかさりと音をたてた。







「…うわ!」
テントから大分離れた場所まで、ぼんやりとそろそろ戻ろうかと考えながら歩いた頃だった。何かに蹴つまずいて足下を確認すれば、目の前に広がる様にして何人もの男達が倒れていた。
何も考えないようにして空ばかり見ていたので、本気で気付けなかったのだ。
「…なんだ、こりゃ」
思わず口に出しながら恐る恐る確認する。生死までは不明だが、一目見て解るのは毛狩りされた者と元から坊主頭だった者が混じっていることだった。
毛狩り隊ではない。制服を着ている者はいないし、毛がある者が混じっていることがそもそもあり得ない。髪型の自由を許されている地位の者ならば、こういったつるみ方はしないだろう。
よく見ると彼らだけではなく、もう走れないであろう車らしき残骸やら不揃いな家財道具やらが散らばっている。
(…夜逃げ?)
否。
夜盗の類であろうか。
毛狩り隊には逆らってこないが、そういう連中がいるというのは聞く。いや、聞いた。毛狩り隊にいた頃のことだ。
どこぞの村で仕事をして、帰りに隊員に出くわしたのだろうか。
(運の悪い奴ら…)
やられた側にしてみれば天罰と言えるのかも知れないが、その相手が毛狩り隊である。複雑な話だ。
どちらにしろ、この場所を早々に離れた方が良さそうだった。
ボーボボ一味といえば帝国をあげての指名手配犯である。裏切り者である自分の顔も知られているだろう。
一般の隊員になら負ける気はしないが、これだけの狩られぶりを見るとあまり関わりたくない。触らぬ神に祟り無し、関わらぬ強敵に痛み無し。
痛みは好かない。
怖いのも嫌いだ。逃げ足には自信がある。

(…まあ、一度や二度マジでやられても)

己の体をどうにかして、逃げ果せることができるだろう。
自分ならば。


そうして振り向いた先の暗闇に、
月とも星のそれとも違うぎらりとした光がはしった。


(…あ、鋏)
天の助はぼんやりとそんなことを考えながら、その光とともに視界に現れた影を確認した。本当はあまり確認したくなかった。
そして、叫んだ。
「ギャー!大魔王アスパムテールだー!!」
「誰が甘味料だ」
甘そうな魔王の名がお気に召さなかったらしく、鋏の男は獲物をずばりと一閃させて天の助を切り裂いた。



「…あれ、やったのアンタ?」
「ならどうする」
「怖いです」
「そうか」
「あ、やっぱ見事です!見事ですから!蹴らないで踏まないで」
「まだ何もやってねえだろーが」
「…解っているわよ!そんなこと!」
「……」
「あ」
まだ何もされない内にぽよんと蹴りを入れてしまったため、天の助はまたも真っ二つに斬られた。
元に戻りながら、溜息を吐く。
「魚雷先生はー…?」
「さあな」
「テントで寝てたと思ったんだけどなあ、あの人…」
「じゃ、いたんじゃねえか」
「あんたいるじゃん、ここに…」
ぼやいていると、またも睨まれた。
「わ!ゴメンナサイ!」
「…謝るなら最初から言うな」
そしてやはり、
斬られる。
(結局それかよー…)


鋏の男の名は、OVER。
出会った時は敵だった。いや、恐らく今も敵だ。
味方と呼べるのは彼の真の姿である魚雷ガールの方だ。
もっともその魚雷ガールも、天の助のことを時折敵視してくる。
何故かと言えばOVERとの戦いでの行いがよくなかったのかも知れないが。いや、よくなかったのだろうが。

OVERは恐ろしい男だ。最凶の二文字がよく似合う。
何かをすれば必ず斬り返してくる。
解り易く残酷で恐ろしい。
何かをすれば必ず同じ反応が返ってくる。
天の助が切り裂かれようが細切れになろうが元に戻ることを知っていて、それでも。

(俺、構われたいのかなぁ)

無視されない。言葉だけで罵られるわけでもない。


(…まさか。敵だぞ、敵)
「くらえ!ぬのハン…ギャァ!」
そんなことを考えながらぬのハンカチを構えて、貫かれた。
「何のつもりだ」
「いえね、あの、怒らせたらまた魚雷先生になるかなーって」
「…試してみるか?」
「ややややめとこーかなァ、痛いのヤだし…がふッ!」
鋏の腹でガツンと殴られる。


俺はアンタを殺すほどの力もないのに、
何をされようが元に戻って同じことを繰り返すのに。


「…ってぇ…けど、どーせ……同じだ」
「あ?」
「それじゃ、死なない」
「喧嘩売ってんのか」
「…その気はないけど…あ、待って待って!今斬らないで!ないけど、いっつも斬ってくんじゃねえか、あ…だから今はやーめてー!」
地面を滑るようにして逃げながら、天の助は喚いた。
「言っただろうが。殺してやると」
「…でも俺を殺すならそれじゃ終わらないって、アンタ知ってるだろ」
「死にてーのか?」
「あ、違う!そーじゃないんです!スンマセン!………あれ?」
再び銀色の閃光がはしって、切り裂かれるかと思った。
だが目を瞑ってもいつまでもその感覚が来ない。
「…なんで?」
「どうせ元に戻るんだろうが」
「……」
「なんだ、そのツラ」
なんだろう。
不満そうにしているのかも知れない。安堵しているのかも知れない。
「…なんだって聞いてんだ。テメーはぶった斬られたいのかそうじゃねえのかどっちだ」
「…あんたも俺のこと殺したいのかそーじゃないのか…どっちだ?」
OVERはその問いに答えず、黙ったままだった。

「ていうか俺、どうやったら死ぬんだろ…」
「……」
「斬られても死なねぇし、食ってももらえねーし」

「…ならテメーはなんのために、あの男の側にいる」
「へ?…あの男?」
「あの男だ」
誰のことだと聞けばまた斬られそうな気がして、天の助は暫し黙った。
「…ボーボボ?」
肯定はないが否定もない。間違っていないのだろう。
「買われた、からかなぁ」
「非常食としてか」
「ちげーよ、誰も俺のこと食わねーって…あーくそ、とにかく十円で」
「十円?」
OVERがふざけているのかと言いたげに睨んでくるので、慌てて首を振る。
「十円だよ、マジ!十円玉一個」
「……」

十円玉ひとつ。
何処の誰もが持っていておかしくないそれが、天の助の値段だった。

けれど。

「…でも嫌だと思ったらきっと、とっくに逃げてんな」
「どこへだ」
「さあ、どこだろ…わかんねぇけど」
それでも嫌だと思うなら、ここまで一緒には来なかった。
再会した時ここにいたいと思ったから本当に仲間になって、いつの間にか馴染めていた。
それは決して食物としての価値ではない。
それでも。
「俺のこと必要だって思ってくれた奴らと同じ場所にいて、それでいいと思える…から」

少なくとも今の自分は精一杯生きている。
そして今の時は、誰かに買われて食べられていたならば無かっただろう。

言いながら、思い出した。
目の前にいるのはOVERなのだ。
それなのに何を語っているのだろう。


「…あ、あの、怒った?」
「…殺す」
「やっぱりー!ギャ…」
「テメーはいつか、俺が殺す」
「…え?」
OVERは天の助に背を向けると、呟いた。
「俺以外に殺せるか」
「…へ」
「テメーみたいないつまでも懲りねぇ奴が」
その言葉の後すぐに、背中は遠ざかっていく。

「あ…お、おい」

引き止める理由はないのに、勝手に手が伸びる。
それでも彼は立ち止まらなかった。

彼はここにいたいと、思うのだろうか。
魚雷ガールとは違う彼が。
だとしたら彼はどこへ行くのだろう。

「…また俺のこと、殺しにくるのか?」
「…」
「来るのか?魚雷ガールじゃなくて、OVERが」
「…同じだろうが」
「同じじゃねーよ。魚雷先生とアンタは違う」
「……」
「あ、背中向けたまま鋏構えないで!怖いから!怖いんだってばー!」
一歩引いて喚いたが、それでもOVERは振り向かない。
「ケッ…バカが」
「…来るなら来やがれ」
「…は?」
「どうせ俺は斬られたって元に戻るんだぜ。お前なんか怖くね…!」
「……」
その言葉に今度こそ、OVERが振り向いた。
「…やっぱり怖いよー」
「阿呆か」

その時。
泣き伏せた天の助には見えなかったが、
男は鋏を片腕にほんの僅か口元を緩めた。

「アホだもーん」
「ケッ」
「アホって言ったヤツがアホなんだもーん。ベー」
「……」

ピー。

「…あ!溜まった!?アンタ冗談通じねーよ…うわぁ!」
「魚雷ガール!!」
その叫びと同時に繰り出された突進が、天の助を吹っ飛ばした。
「…ギョラ?ここはどこ?」
「ど、どこでしょーね…」
「ん、ちょっとアンタ!ソフトンさんはどっちの方角にいるのッ」
天の助はあっちかなあ、と力なく言いながら自分のもと来た道を示した。
「ふん」
辺りに倒れている連中を、彼女は気にも留めない。
その表情は間違いなく魚雷ガールのものだった。
天の助はゆっくりと、鋏を構える男を思い起こした。
やはり彼と彼女は違う。

「それじゃ行くわよ魚雷!付いてらっしゃい!オラァ!」
魚雷ガールはどこからか網を取り出すと、天の助を捕獲した。
「え?ちょっと?何これ?」
「ゴー!」
「ギャー!」

引きずられながら見上げた空には、未だたくさんの星が出ていた。




この身についた値段は十円だったが、星と同じに値段の決まらぬものを一つ持っている。
己の過ごす今日も明日も、
あの男に切り裂かれることも、
十円玉一枚のみで手に入ったわけではないのだ。














一度この二人を表でもやりたかったのですが、ラブラブにもならずこんな感じに…
公式設定で「天の助のキャラはOVER戦で固まり、OVERのキャラは天の助のおかげでたった」ですから…!
この二人のやりとりって自分らからじゃれ合ってるようにも見えてみたりして。暗黙の了解みたいな……
…それはいくらなんでも私のフィルターかかった目にだけかな(…

text