たとえばなし



ヘッポコ丸は宿屋のロビーにて時間を持て余していた。
隅に転がる幾冊かの本の中の、特に古ぼけた一冊を手に取って捲る。この宿に昔から置かれているのか、誰かの私物か、客が忘れていったのか。
そこには遠い昔の物語がいくつも集められていた。
本を読むのは好きだった。
戦いの為に必要なのは実技のみではないと、何冊も読んでは勉強した。
昔話にも決して興味が無いわけではない。本に触れた手は離れずに、自然と視線を滑らせていった。




目が覚めたのは、宿の夕食が始まる頃だった。
読み終わった本を片手にうたた寝をしてしまっていたらしい。
正確には『目が覚めた』のではない。首領パッチの突進によって、『覚まされた』のが正しかった。


「へっくん、何読んでたの?」
横を歩きながら問うてくるビュティに答えようと、残る眠気で上手くまわらない口をぱくぱくと動かす。
「うん…なんか、むかしばな」
「えっちな本よ!きっとそうね!そうだわ」
首領パッチが勝手に軽蔑の視線を送ってきた。
「おいガキ、人目につくとこでンなもん読んでんじゃねぇよ」
そして同調する破天荒。
「…昔話、ね」
「…ああ」
あえて流す二人。首領パッチだろうか、チッと小さな舌打ちが聞こえてくる。
「どんなお話?シンデレラとか、白雪姫とか」
「うーん…そういうのとは、ちょっと違うのかな」
「名前は?」
「…天岩戸、だったっけ」
ぽつりとそう呟いた頃には、四人は食堂の前まで到着していた。
他の仲間との合流もあって、その昔話について続きを語るには至らなかった。






「アマノイワト?…んー、知らねぇなぁ」
「そっか」
「漢字読めねぇから、俺は」
詩集を読んだり書いたり、将棋だのをするくせに天の助はそんなことを言う。
「『伝えたいあの言葉』は読めるのか?」
「んー?いい言葉ってのはな、読めなくてもこう、聞こえてくるもんなんだよ」
ヘッポコ丸は苦笑した。格好の良い台詞も、彼が口にするとどこか気が抜けている。
「あれ!?ここ笑うとこ?」
「笑ってないって。…天の助、恥じらいのポエム集は?」
「…うわ!思い出さすなぁ、俺の人生の汚点ッ!」
天の助はロマンチストだ。
ということが見ていて誰にでも解るのだが、本人自身もそう言って格好をつける割にはあまり内面を見られたくないらしい。ふざけている時は人間離れしているのだと解るのに、そういうところは妙に人間くさいのが面白い。
今度こそ吹き出したヘッポコ丸を天の助は笑うな、とどついたが、柔らかい感触に押されるそれに衝撃はほとんどなかった。



小さな宿は入浴の時間が決められていて、そこでまた合流するまでは各々好きに過ごすことになっている。ヘッポコ丸には特に約束はない。他の誰かの部屋まで行って何かをするほど時間が空いているわけでもないのだ。
天の助にはボーボボなり首領パッチなりとの約束があるのではないかと思いはしたが、彼にも特にどこかへ行こうという様子はなかった。

「…なー」
「ん?」

唐突に話しかけられて、仰向けにベッドに寝ている天の助の方を向く。
「アマノイワト、ってどんな話なんだ?」
「へ…」
何のことかと問おうとして、それが先程話した昔話のことだと思い出す。
「やー、なんかさ。気になっちまって」
「いや、いいと思うけど…ええと」
説明することは構わなかったが、読み終わった後に眠ってしまったためかはっきりとその姿が浮かび上がってこない。
「…ああ」
ぼんやりと、紙に刻まれた文字が蘇りはじめた。
「…神様の、話だった」
「へー」
「そんな、おとぎ話みたいなのじゃないぞ」

実際は細かい設定のある物語なのだろうが、その本には恐らくは大まかにしか綴られていなかった。
弟の愚行に腹をたてた太陽の神が岩戸の中に閉じこもってしまい、太陽を失った世の均衡は崩れ不幸が訪れる。そこで神々は対策を話し合い、岩戸の前にて宴会を開いた。楽しげな雰囲気で誘き出そうという、ヘッポコ丸にしてみれば子供でもそうはひっかからないだろうと思うような作戦だったが、これが上手くいく。
出てきたところを捕まえて岩戸は封印され、めでたしめでたし。
めでたい終わりでないとは言わないが、あまり後味はよくなかった。

「めでたくねーのか?」
「いや…だってさ」
細かいところまで話を知ればそうは思わないのかもしれないが、どうも納得がいかなかった。
「神様とはいえ、生き方があるだろ?ちょっと強引かなって思ったんだ。まあ、責任ある立場なのにって話でもあるけどさ」
「ふーん…神様の生き方かぁー」
そんなん難しすぎて考えたことねぇな、と呟いて、天の助は難しそうな顔をした。
ヘッポコ丸もどうも気まずくなって頬をかく。別にそうまで気に入らないわけでもないし、そもそも昔話というのは都合の良過ぎるぐらいの方がそれらしいのかもしれない。
「……」
「…そんな、難しく考える話でもないから」
何ごとか考え出してしまった天の助にそう声をかける。
「…いやさぁ。思ったんだけど」
「うん…?」

「もしもシリーズ。閉じこもっちまった神様が首領パッチで、誘い出す役がデコッパチだったら」

「…へ」
何故そこでその二人に発想が飛ぶのかと、問いたかったが問えなかった。思わず頭の中にその光景を思い浮かべる。
何かに機嫌を損ねて、洞窟に閉じこもり岩の扉をしめてしまう首領パッチ。
それをどうにかして外へ誘い出そうとする破天荒。
昔話に仲間の二人を当てはめただけだというのに、妙にリアルにその光景が浮かび上がってきた。
「きっと演技して外に出すなんてできねーぜ。『おやびーん、出てきてくださーい!』っとか叫ぶんだよ」
「ぷっ」
天の助の破天荒の物まねが本物の幾倍か情けないのがかえって笑えて、ヘッポコ丸は思わず吹き出した。
「ぜ…全然似てないぞ、天の助」
「えー?でも、セリフは合ってねぇ?」
「まぁ…な」
確かに、破天荒ならば首領パッチを相手にして騙し打ちなど思いつきもしないだろう。嘘を吐こう、ひっかけようとは始めから考えず、それはもう必死に叫んでいる光景が頭に浮かぶ。
だが首領パッチなら、すぐに飽きてしまって外に出てくるのではないだろうか。実は宴会で誘き出すという手段が誰より効くのは彼なのかもしれない。
ヘッポコ丸にとって破天荒は決して信用のできる相手ではないが、首領パッチと向き合う彼を考えるとどうも力の抜けた光景ばかり浮かんでくるのだった。
「んじゃ、もしもシリーズその2だ。閉じこもったのがソフトンで、誘き出すのが魚雷先生ー」
「え…」
どうやら今度は、想像してみろ、と話を振られているらしい。
思わず真面目に腕組みをする。
そもそもソフトンが、機嫌を損ねてどこかへと閉じこもってしまうことなどあるだろうか。ないと言い切ることはないが、例えそうだったとしても彼ならば閉じこもるのではなく、どこかへと姿を消してしまうのではないだろうか。
「ど、どうだろな」
「えー。解りやすいじゃん」
「……どーせ俺には想像力がないよ」
「まぁ、いじけんなって。魚雷先生ならあれだ、まず岩をぶっこわすな。そんでもって中に入って、改めて蓋をする」
「へ?蓋?なんで…」
ヘッポコ丸は思わず首を傾げた。
「『入ってくんじゃないわよ、あんた達!』」
「ぶっ」
やはり似ていない天の助の物真似は、破天荒の時よりは少しはましな気もする。
「そ…れ、魚雷さんか?」
つまりソフトンのいる天岩戸に突入して、そのまま一緒に閉じこもってしまうというのだ。彼女もソフトンに対してなら強引過ぎることはしないだろうが、そのぐらい勢いがあるというのはなんと言おうか、らしい。ソフトンも、例え機嫌を損ねていたとしてもそれを忘れてしまうのではないだろうか。

破天荒と首領パッチ、魚雷ガールとソフトンをあてはめた、例え話。
妙な話になるだろうが、考えてみればどちらも相手を引きずり出すような真似はしない。
自ら出てくるのを待つか、もしかしたら加勢してしまうかもしれない破天荒。
外に出すどころか一緒になって閉じこもってしまおうとする魚雷ガール。
あれだけ仲の悪い二人なのにどちらも相手に尽くすのだ。

「…面白いな。うん」
「だろー」
それが知っている相手だということもあるが、元の話と同じ様にはいかないというのもまた可笑しかった。
同じ様な例え話なら幾らでも出来る。
例えば首領パッチと魚雷ガールにそれをやらせたなら、どうなってしまうのかさっぱり想像がつかない。
例えば、ボーボボに。例えば、ビュティに。例えば。

「…あ」

思わずあがった声を、天の助は聞き逃さなかったようだった。
「ん?」
「…いや、さ」
冗談の様な答でもいっそ構わない。
誤魔化すよりも聞きたいという思いが勝る。

「…もしもシリーズ、その3」
「え」
「…俺が閉じこもったら、お前どうする?」


いっそ冗談の様な答が返ってくる方が気が楽かも知れない。
それでも、他愛のないことを聞いたはずなのに、心臓は高鳴っている。

「んじゃ、待つよ」
天の助は、それこそあっさりと返してきた。
「…待つ?」
「お前が出てこようって思うまで、外で座って待ってる」
「出てこなかったら?」
「わかんねぇじゃん、そんなの。ていうかお前って真面目だし、いつかは出てくる気がするなぁ」
確かに、そう言い切ってしまえばそうだ。
しかし想像すると、それはやや気の遠くなる話だった。
「…寂しいぞ。多分」
いつ来るか、解らないものを待つ時間。
閉じこもってしまった自分を本当にひとり待っている天の助を想像するとやりきれない気持ちになる。そうして耐えるのは、彼には似合わない。
「そーか?」
「…だって、一人になるかもしれないし。いつまでか解らないし、それでもずっと…」
「ひとり?なんで?」
天の助は本当に、そうではないと言いたげな表情で首を傾げて。
ただあっさりと、言い切った。


「岩の向こうにはお前がいるのに?」

「…あ」


確かに、その通りだ。
厚い岩を隔てた向こうにヘッポコ丸がいるのだという『設定』。

「……お前、なぁ」
「へ?なんか間違ったか?俺?」
「…いや…いい。いいんだ、それでいいなら」
それを聞くと、不思議そうにしていた表情をやや崩して天の助は笑った。
「ああ。でも退屈になったら…うーん、三十分に一度くらい話かけるかもしれねーぞ」
「…機嫌損ねて閉じこもってるヤツにか?」
「あれ?俺が怒らせたことになってるのか?」
「いや、違うだろうけど……そっか」
確かに、こうも言い切るのだから彼自身それで構わないと本当に思ってくれているのかもしれない。
けれどどうしてもどこか頼りなげで寂しげにしている彼を思い浮かべてしまう。
そうして、気にかけずにはいられない。


やはり、成立しない。
話しかけられれば答えてしまう自分を、そうでなくても数時間もたずに出て行ってしまう自分を想像する。
頑なな神様にはなれそうになかった。


「なんだよ、なに笑ってんだ?」
「いや。別に」
ヘッポコ丸は、思わず浮かんでしまう笑みを隠しはしなかった。



「…あ、時間。風呂いこーぜ、風呂」
「あ、ああ。…ああそうだ、天の助!」
「ん?」
「あんまり浸かりすぎるなよ、溶けるんだから。体洗うのに擦りすぎてもためだぞ、すり減るから」
「わーかってるって」
「そんなこと言ってて、いつもやるじゃんかお前…」

溜息をひとつ。
懲りない彼にも、思わずそれを言ってしまう己にも。
やはり『あの』物語は成立しない。
彼をいつまでも放っておくことに、恐らく耐えようと思えない。



ふと、逆を考えてみる。
だが岩の扉の中、いつまでもひとり閉じこもっている天の助を想像できはしなかった。
そして自分はきっと、彼はすぐ出てくるだろうと考えながら外に座っている。
岩の向こうにいる彼を待っているのだ。


それを想像してみると確かに、焦りでも寂しさでもない。
不思議な温もりが沸き上がってくるのを感じた。














例え話かよ!屁天はなんとなくお互いをほったらかしにしておけない気がします。
何か別の用事があっても見に戻ってきちゃう、みたいな…
でも気を遣ったりして、引っ張り出そうとできなくて、実はふたりとも岩にぴったり体くっつけてたりして。
(お前昔話をなんだと思ってるんだよ…)

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