月のあるころ



朝炊いた米が程良く仕上がったからだろうか。
昨日までの雨が嘘のように晴れて、暑さの過ぎることもなく、濡れた地面を乾かしてくれたからだろうか。

思い出せばどうということもなかったかも知れないが、何故か今日はいい日になるのだと予感していた。
確かにそれからも、ささやかな幸せが、いくつか。
そして日の落ちた後に、本当に望みの叶う時間がやってきた。



「驚いたよ」

確率を考えれば高くはないに決まっている。
示し合わせもしないのに。

「会えたことにも驚いたし、こうして二人きりになったのにも驚いた」
「うーん、そうか?」
「そうなってほしい、ってなんとなく思い描いてることがいきなり叶ったら驚くものだよ。そういうこと、あるだろ?」
「うーん、ところてん主食…て、俺は思い描いてるだけじゃねーぞ!努力してるもん!」
「僕だって何も考えてないわけじゃないさ」
「?」
「まあ、その話は後でね」


ライスはキングオブハジケリストの称号をボーボボに渡した後、一人旅を続けていた。
確かな目的はない。それまでは首領パッチを探し確実なるキングになるため旅をしていた。だが結果は敗北、予想外の男に証を渡すことになってしまったのだ。
後悔はしていなかった。
純粋に勝負を挑み、そして負けたのだ。むしろ不思議なほどに清々しかった。
ハジケリストとしての腕を磨き今度こそその証をしかと握るのだと、目標を作っての旅は悪くなかった。



「お前、まだキングになりたいの?」
「あれはハジケリストにとっては最高の誇りなんだ。解らないかな」
「俺、ハジケリストじゃねぇもーん」
「…マジで?」
「…そんなに驚くなよー!そう名乗ったこと、ねーぞ!」
「じゃあ名乗るといい。むしろそうじゃないことに、驚いた」
驚きの安売りをするライスに、彼と向かい合っている相手は顔をしかめはしなかった。むしろ褒められたと感じたのか、喜びを抑えたような顔をする。
「マジで?」
「マジで」
互いにささやかに笑い合うと、まるでふたりは親しい友人のようにも見える。だが、出会うのはこれで二度目だった。
「…あ、そーだ。じゃあ結局俺、ボーボボ達呼んできた方がいいのか?」
「違う違う。言ったろ、会えたことに驚いたって」
「うん、だから」
「そうじゃないんだ。僕は」
ライスは確かに首を振ると、向かい合う相手を真剣に見つめた。

「あなたと二人きりで話をしてみたかったんだよ、天の助さん」

今度は、相手の方が驚いた顔をした。



「…ビックリした?」
「いや、なんでって…」
「だから、叶ったから驚いたんだ」
ライスの行動をなぞっているわけではないだろうが、天の助はぷるぷると首を振る。
「そ−じゃなくて、なんで俺?」
「ひどいな、忘れちゃった?」
苦笑い混じりに返して、ライスは彼に正面から一歩近寄った。
「な、なに?」
「怖がらないでよ」
「怖がってねーよ!」
「そう?」
米真拳に捕えられたことをよくない思い出としているのか、ひとりだと心細いのか、後ずさりしようとする天の助を言葉で押しとどめる。
「『ところてん促進』」
「へ…?」
「三回ね。覚えてる?」
「…あー」
戦いの最中に二度、終わった後に一度。
「…あー、そうそう!そうだった!やだなーもう、早く言えってば!」
どうやら思い出したらしい。天の助の態度は急に明るくなった。
「それで?ところてんの美味しい食し方の研究か?任せろなーんでも聞きなさーい!」
よほどそれを話したいのか、むしろずいずいと前に出てくる彼にライスは動じることもない。笑顔が返される。
「なんでも聞いていいの?」
「おーよ!」
「じゃあ、どうしてボーボボさんと旅しているか聞いてもいいかな」

その『問い』に、暫し沈黙が流れた。

「…ボ、ボーボボ?ところてん?じゃねえや、なんでボーボボ?」
天の助が口をぱくぱくと動かして狼狽える。
「ボーボボさんと旅をしてる、理由」
ライスは冷静に、その笑顔を崩さず繰り返した。
「それ、してみたかった話なのか?」
「うん、その一部」
「…うーん」
なんでも聞けと言った以上首を振ろうとも思えないのか、天の助は腕組みをしてへにゃりと俯いてしまう。
ライスはその様子を、瞳を緩く細めて笑った。
「真面目なんだ?」
「…お前が聞いたんじゃねーかぁ」
「ああ、悪く言ってるんじゃないよ。ちょっと意外だった」
気軽に答えてくれればいいよ、と付け加えると、天の助が軽く息をつくのが見えた。
「ボーボボと旅してるっていうか、まあ、買ってもらったからって…いうか?」
「買ってもらった?」
「……俺、売れ残りだったわけよ。つまり」
気軽には語れぬ過去なのだろうか、やや低い声には普段の軽さがない。
「売れ残り…?」
「スーパーで売れ残ってたとこをクビになって毛狩り隊に入って、ボーボボに負けたからそこもクビになって、スーパー戻ってやっぱり売れ残ってたとこをボーボボに買われたってーか…」
落ち込んだ声で語られるそれは、つまり真実なのだろう。
ライスは、その中のある単語に眉を緩くひそめた。
「…毛狩り隊?」
「こー見えてもAブロックで隊長やってたんだぜー」
「でも、確かあなたハジケブロックにいたんじゃ…」
天の助は首領パッチやボーボボとともにライスの前に現れたが、調べてみればそこまで遠くはない、ハジケブロックの門番の部下だったはずなのだ。
だが天の助は売れ残っていたところをボーボボに買われたのだという。
「ああ、それな、うん。買われたあとまた別れてスーパーに戻ったとこでキャプテン石田に買われて、そのあとハジケブロックで」
そこまで続けて、少し照れたように声がどもる。
「…一緒にくるか、って言われたからさ、まあついてってやろーって」
「…そうだったんだ」
言葉こそ偉そうにしたものの、聞けばそれが恥ずかしくも良い思い出だったのだろうと解る。
ふにゃりとした笑顔に、ライスは己の笑みを僅かに歪めた。



こちらからひとつ問いをしたから、今度は何か好きなことでも語ってくれまいか。そうせがむライスに、天の助はところてんの食べ方というものを誇らしげに説いて聞かせた。
出汁醤油が王道だの、ポン酢は個人的に好かないだの。ボーボボ達はそんな話は聞こうとしないだの、その様子は純粋に嬉しそうだった。



「…なるほど。うん、勉強になった」
「そーかそーか。お前も頑張ってところてん促進しろよー」
「ボーボボさん達はしてくれないのかい?」
その問いに、天の助は深く溜息を吐く。
「アイツ等洋食派だってさ…」
「そうなんだ。僕は和食派だけど」
「そーだよな!俺もパンよりごはんのが好きだ!」
「…って、天の助さん主食は?」
「え?普通に食うよ、カレーとか」
当然のように答えた天の助に、ライスは吹き出した。
「面白い」
「えー?なんで?」
「さあ、なんでかな。なんでか面白かったんだ」

どうということのないやりとりは、ただ穏やかに過ぎていった。
木の少ない場所で影はないとはいえ辺りは暗く、しかし両者とも時を忘れつつある。

(…このまま)

このまま全て忘れてしまってもいいと、口から出そうになったそんな想いを、
ライスは心の内に飲み込んだ。



「…あ。なんか長話しちまったなぁ、今何時…?」
「僕はいいよ。ええと、ボーボボさん達は」
「アイツら、もう寝てるだろー。たぶん」
「…そうか」

月明かりのおかげか、気分が良いからか、不思議なほどに明るい夜。
それでも時は絶えず流れ、いつかは朝が来る。昨日降った雨の、その匂いも気配も既に残ってはいなかった。
朝になれば彼は戻るのだろう。
仲間達のところへと、『戻る』のだろう。
こうして出会うまでは、出会うことばかり望んでいたのに。
いざともにいれば別れる時のことばかり考えている。
胸を、痛めている。

「…天の助さん」
「うん?」
「ボーボボさん達と旅するの、楽しい?やっぱり大変?」
先程のものと似ているような異なっているようなその問いに、天の助はやはり首を傾げた。
「…両方、かなぁ」
しかし、すぐに答が返ってくる。
「…実はさ、これナイショにしてくれる?」
「うん?いいよ」
「いや、こう黙ってるのも恥ずかしいし当人達には言いたかないしー…ヒミツな」
繰り返すと、声をひそめて続ける。
「お前と戦った頃ってさ、すげー不安だったんだよな」
「不安?」
「俺昔は敵だったし、いつ置いてかれるか、捨てられるかって考えてさ。そしたらどうしたらいいかもわかんなくて」
ライスは軽く眉を顰めた。そういった様子を感じた記憶は、ない。
「ああ、でもふざけ始めたらすっげぇ楽でさ。楽しいんだ、すごく」
「…うん。楽しそうだったと思うよ」
「でも多分、こうやってひとりではいられなかっただろーなぁ…あいつらんとこに帰れるか解らないって、怖くて」
「怖い、か」
「今は怖くねーぞ。馴染んできたらきたでなんか虐げられてるけど、楽しいし」
楽しい、と。
その言葉に偽りがないことを、ライスは痛いほどに感じていた。

「…僕はね、天の助さん」

だからこそ、今度こそ口に出さずにはいられなかった。
伝えなければ引き寄せることすらままならない。

「ああ?」

「僕は、あなたに会いたかった」

「うん」
「あなたに会いたかったんだ。首領パッチ先輩に会いたいと思っていて、会えただろう?でもまだ心残りがあって、どうしてなんだろう、って」
「…うん」
「でも、それがあなただって解ったんだよ。何かじゃなくてなんでもいいから、こうやって二人で過ごしてみたかった」
「……」
「…難しければ、解らなくてもいいから。…それに気付いてから、はじめてあなたに会えた」
天の助の、緩むでも顰めるでもない表情に語りかける己はどんな顔をしているだろうか。微笑みを浮かべているつもりではあるが、それもそう頑丈でないことは自覚している。
「今がディナータイムだったらもう少し積極的になれたんだろうけどね。残念ながらもう食後の時間も終わった後だし」
「…えーと、六時になった頃は俺ら…た、確かに夕飯食ってたしなぁ」
「夕ご飯、何?」
「カレー」
「ご飯、美味しく炊けた?」
「あー…ちょっと焦げた」
「そう」
いまいち話について来れていない天の助に、ライスは笑った。自分が付いていけない話をしているのも解っていたし、彼が追いつこうと頭の中で考えを巡らせているのも嬉しかった。
「…さっきのこと。僕がボーボボさん達じゃないから話せたんだね」
「……まあ、うん」
「悪い気なんてしないよ。きちんと秘密にしておくし」

そして、もうひとつ。
揺るぎない事実を確認する。

「天の助さんは、やっぱりボーボボさん達の中のひとりなんだね」
「…へ?」
「仲間なんだってことさ。朝になる頃には…もうちょっと早いかな、そこへ帰っていく。引き離そうとしたって、無理だ」
天の助はその言葉の意味を暫し考えていたようだったが、遠慮がちに口を開く。
「…あのさ。お前なら、たぶん俺よりかは早く馴染めると思うんだけど」
「ああ、違う。混ざりたいんじゃないんだよ、ボーボボさんのことは尊敬してるけど」
ライスは緩く首を振って返した。
「もちろん首領パッチ先輩のことも。…ビュティって子には少し悪いことをしたね。ヘッポコ丸君は、彼、優しいだろ」
「お、おう。ヘッポコ丸はいい奴だし…ビュティは……実は俺も人質にしちゃったことあったんだよな」
「毛狩り隊の頃に?」
「うん。…謝ろうと思ったらあっちが忘れてた」
「ははっ………その頃に会えてればよかったな」
ライスの、月を見上げるように細めた視線を、天の助は追った。
「毛狩り隊のころか?」
「可能性はあっただろ?…ハジケブロックじゃなくて、Aブロックに雇われてたら会えたかな」
「う−ん…うちじゃハジケリストの募集はしてなかったしなぁ」
「だろうね。後悔するようなことって、当然過去のことだから不確かたけど。そもそも意味がない」
「まあ、そーだな」
「でも僕は今も悔しいと思ってる」
ライスはゆっくりと、天の助の方に視線を戻す。

「あの人達よりも先に、あなたと二人きりで出会いたかった」


時間を忘れたかのように話す彼を見て、そのままボーボボ達のことを忘れてしまってくれないかとすら思った。
先に出会っていればどうなるか。そんな夢をみた考えを巡らせて、己で己を笑う。
既にありえないこと。
前に進むには振り返るばかりではならない。
するのだとしたら、覆すこと。


「…」
天の助は、返す言葉を必死で考えているらしい。視線はライスを向いているものの、見てはいない。

「考えなくていいよ」
「…あ」
「考えなくていいから、こっちを見て」
「…ライス?」
「何も考えなくてもいいから。ちょっとした軽いわがままだよ」
「……」
「そんな顔しないで。気にしないでいい、こうして話すのも楽しかったよ」

決してつまらないことなどない。
ライスは己の後悔を告白することでそれを捨てた。
捨てることが、できた。

「…なぁ。なんか俺、できる?」
少なからず悪くない気持ちを持ってくれてはいるのだろうか、天の助が気を遣っているのを感じる。ふざけている時や目的を達しようとしている時の勢いはボーボボ達についていける程だというのに、そういう面もあるのだとライスはぼんやりと考えた。
はしゃぐのは好きなのだろう。格好をつけるのも好きなのではないかと思う。だが肝心なところでくたりとバランスを崩したり、心遣いをしてみせようとするのもまた彼なのだろう。

「…じゃあ」
「ああ」
「じっとして」
「…こう?」
「そう」

囁けば、妙な雰囲気を感じたのかその身が小さく震える。
逃げられる前に。
覆うようにして肩に両腕をまわし、軽く抱き締めた。

「…わ!」
「苦しい?」
「いや、そーじゃね…!」
「何もしないよ」
「なにもって…」
「抱き潰したりしない。突き飛ばしたりもしない。こうしてるだけだから」

彼の根本は生真面目で、頑ななのだろうと思う。
無理に捻ろうとすれば必死で睨みつけてくるだろう。
それを見るのも悪くはないかもしれない。
だが天の助はライスを睨むことはなく、縮まるようにして固まっていた。

「よければ覚えておいて」
「……」
「こうして君を抱きしめるのが、僕だ」

柔らかに穏やかに、どこか艶やかに、ゆっくりと流れていく時間。
己と彼以外には作り出せはしないだろう。
それを確信したからこそ、後悔は捨てた。
新しい時はそこから築き上げればいい。

それが例え今は、月の明るい内のみに許されるだけのことであったとしても。


「目を閉じて」
「え」
「何もしないよ。いなくなるだけだ」
「…どこに?」
「君が戻るように、僕も戻る。でもまたきっと会いにくるよ」
「また、て…」
「黙って」


声が止まって、数秒。
その体を抱く腕に僅かに力を込めて、それからゆっくりと離す。
天の助は律儀にも、固過ぎるぐらいに瞳を閉じきっていた。

別れの言葉を呟くことはしない。
どうせまた出会うのだから。

ライスはなるだけ音をたてず、素早く、その場所から離れた。





心臓が高鳴ってはいたが、不思議と落ち着いていた。
単純なことだ。
ひとり道を歩いていた己が、他の道に目をやったに過ぎない。
そうしてそこから目を離せなくなったに過ぎない。
単純なことだった。
強引にでなくゆっくりと、しかし確実に、彼をその道ごと己の側に引き寄せたくなった。
それだけだ。


幾らか暗くなってしまったような気のする、月明かり。それを見上げて、ライスは彼の姿を想った。
未だあの場で固まっているだろうか、それとも望む場所に戻ったか。
黙れと、その言葉で作り上げた沈黙に紛れた、自らの傲慢さが笑えてくる。
だがそれは作り物でも皮肉でもなく、今は己の思い上がりすら愛しいがためのものだった。


あれだけ。
あれだけきつく、こちらの言う通りに目を閉じてくれたのだから。
唇とはいわなくとも、その瞼にぐらい口付けてしまえばよかった。



瞳を細めて再び夜空を見上げると、月は彼とともにあった時と同じように、
高く明るく咲いていた。












ライスはこうだと思ったらばっさり割り切ってしまう気がします。
欲しいんだったらアプローチ。会いたければすぐ決める。
天の助のハジケはやや劣り気味で、とりあえず上を取られてしまいそう。
でもハジケ合ったらなかなかいいコンビだと思うのですが。共通点はマゾっ気…

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