ばりん。


何かを突き破るようなハジケた音が、昼下がりの村に響き渡った。




特等席



「あーああ、ハジケすぎだろー」
真っ先に駆けつけたコパッチが慌て混じりに呟く。
「なんの騒ぎだ!…わあ、みんな動くな!」
「どーした!事件か!」
「違うよ、鏡が割れたんだよ!」
飛び散った欠片を見渡しながら、後続達が後ずさる。
「誰か、ほーきほーき」
「ちりとりちりとり」
「あと、掃除機!」
「みんな踏むなよ!」
振り向いて後ろとぶつかる者、駆け出してつまずく者、てんやわんやのコパッチ達。
野次馬はどんどん増えていき、状況の見えない場所に最後尾ができた辺りで『コパッチ』ではない存在が到着した。

「どーした?」

「あ、おやびんだ」
「おやびーん!」
「廊下の鏡が割れました!」
「でかいやつだったんでえらいことです!」
「でもケガ人はいませーん!」
「原因は不明です!」
揃ってびしりと気をつけをするコパッチ達の報告を聞きながら、首領パッチが前へ出る。
黄色い集団は左右に別れて道を作った。
「あー、こりゃひでー」
「なんででしょーね?」
「そーだ、片付けなきゃ。ほーきほーき」
「ちりとり!」
「掃除機!」
後ろの者がわらわら動こうとする。
そこに、また新たな影が現れた。


「おやびん」


コパッチの十倍、とはいかないが八倍ほど、首領パッチと比べても四倍ほどの人間タイプ。
性別男、冷たげに整った容姿に金色の髪。どこか近寄り難い雰囲気も持つ。
が、今は違った。
両脇に挟んだ小さな箒に塵取り、手で抱えた掃除機、そしてそれらを支える為の前屈みな姿勢がどこか微妙に可愛らしい。無表情なものだから、やや間が抜けてもいる。

「お、破天荒。気が利くな」
「おやびんは下がっててください。お怪我されたら大変ですから」
「うん、解ったけどお前、一回掃除機を降ろせや。震えてんぞ」
両脇両手が塞がった状態で、破天荒の体はアンバランスに揺れていた。
「破天荒ー、オレほうきやる」
「オレちりとりー」
やや危ない片付けも得手なものがほうきとちりとりを取ろうとする。
破天荒の、脇から。
「い、今抜くな…うわッ」
ごつり、と音をたてて破天荒は膝をついた。
「だいじょぶかー、破天荒」
「なに?」
「破天荒がコケたってさ」
「えっ、バンソーコーいる?」
「鏡が割れたのはあっちだよ」
「いいからお前ら、散れ!こんなにいちゃ片付けもできねえだろう」
掃除機を降ろし、破天荒が軽く怒鳴った。
コパッチの波がきゃっきゃと引いていく。ほうきとちりとりを取った者を残して、皆その場から去っていった。

「…やれやれ」

一気に静かになった空間に一息つくと、顔を上げる。
破天荒の視界にオレンジと青が広がった。
「掃除機、俺がやる」
「え…でもおやびん」
「俺のが得意だしな」
「おっしゃる通りですけどおやびん、ケガなんてしないでくださ…」
掃除機を手に取りながら、青が瞬く。
「俺がケガなんてするかよ」
「確かにそうですが」
「してもすぐ塞がるからいーよ」
「…いえ、ケガはしちゃだめです!」
オレンジの体に青い瞳の首領パッチを目で追いながら、破天荒は慌てて叫んだ。





「おやびーん、片付け終わりました」
「床もピカピカですね、おやびん」
箒に塵取りを仕舞い、鏡の欠片を詰めた袋を始末したコパッチ二匹が戻って来た。掃除機の片付けだけ引き受けて既に戻って来た破天荒も、床を再度見渡す。
「もう大丈夫でしょう」
「よっし。んじゃあ、解散」
首領パッチの合図に、仲良く両手が挙がった。
「はーい、おやびん」
「おやびん、また後で!」
「でもなんでいきなり割れたんだろ?鏡…」
「わかんねー」
たたたた、と廊下を走る軽い音。二つの背中はすぐに消えた。
首領パッチはそれを見送ったが、普段からどこでも駆ける彼は廊下を走るなとは言わなかった。


あの小さな生き物達がおやびん、おやびんと望んで繰り返すのが、破天荒にはよく解る。
おやびんがおやびんだから。
それに相応しく、望ませるひとだから。
その場から一人で去る気にはなれず、破天荒は首領パッチの方を見た。
青い瞳は鏡のあった場所を見つめていた。



「あ…そういえばおやびん、鏡の枠が…まだ欠片もついてたでしょう」
「それなら、お前が掃除機片してる間に持ってった」
「おやびんが?お一人で?」
「そ−だけど、どーした?」
思わず、屈んでその体を上から下まで確認する。
小さな体。その体の中に限り無ない力が備わっていると知ってはいるが、それとこれとは別だ。
とりあえず、傷の心配はないらしい。
「言ってくれれば…」
「お前は掃除機、片付けてたじゃねえか」
「どっちだってやりましたよ」
「そう気ィ使うなよ。俺にしてみりゃ鏡のひとつ、家のひとつに星のひとつどーってことねえッ」
「はい、流石です!おやびん!」
首領パッチの、おやびんと呼ぶことを許した相手に対する熱く優しいこの態度。
破天荒にとっては何よりの幸せで、輝きでもあった。
「でもそんなパチ美でもやっくんの心ひとつには翻弄されるわけよ…わかる、この気持ち!」
「は…はい、おやびん」
もちろん、これ以上の望みが無いわけではない。
おやびんとその名を繰り返して、それは幸せではあるが。


そこより先を、望まないものでもない。
彼の目に己がどう見えているか。手を伸ばしてもいいものか。
いや、いっそ伸ばしてしまいたい。
立場が違う、種族が違う、抱くものも違う、器の大きさも違うだろう。
それでも、そこより先を望まないものではない。

だがその光のような橙から与えられる幸せがあるが故、破天荒はただ笑い返した。


「…そういえばおやびん、どうして鏡が割れたんでしょう?」
向かいの部屋、窓、入り口、原因がやってきそうな場所は幾らかある。
だが割ったのは自分だと名乗り出る者もいなければ、手がかりになりそうなものも見付かりはしなかった。
「さぁ、なんでだろ?」
「うん…まあ、新しい鏡を用意するなり他の何かを飾るなりしましょう」
ただ、破天荒にとって大したことではない。
これが首領パッチに切り傷のひとつでも付けたならば大きな問題だが、せいぜい掃除機をかける手間と鏡を片付ける手間を与えたほどだ。
それも破天荒にとってすんなり納得するものではないが、自分がやれば良かったのだと思えば割れた鏡への怒りもない。
掃除機は首領パッチが自ら手に取った。適当に命令することも出来る立場だというのに、なんと謙虚なことか。

それは楽しげに踊るように掃除機を滑らすおやびん。フライパンを握り炎と一体化したかのように料理をするおやびん。あれだけ強いのに、細やかなことも出来るのだ。

「…おい、破天荒?」
「…は、はい!すみません、ちょっと」
「んー、まあいいけどよ」
言って、首領パッチは再び鏡のあった場所を向く。

「残念だったなぁ」

「…あ。鏡、ですか」
「ああ」
「なら、また鏡を飾りましょう」
破天荒が励ますと首領パッチはふっと笑ったが、緩く溜息をこぼす。
「ここの鏡ってでかかったじゃねーか。縦も横も」
「…ええ、確かに」
大きな鏡ではあった。破天荒が映ってもはみ出さず、まだスペースのあるほどに。
「同じ位に大きいものとなると、なかなか…」
言いながら、情けなくもなる。
首領パッチの悲しみひとつ裏返してやれないのだ。そうなると鏡を割った何かへの怒りも沸いてくるが、手がかりはない。
「だよなー」
「…はい」
「…なんで、お前がそんな顔してんだよ」
「あ」
気付くと、首領パッチがこちらを見上げてきていた。
慌てて首を振る。
「探しましょう、おやびん」
「そうだな」
笑顔を見せて、頷く。そんな彼の表情につられるように、破天荒も笑った。
「あんだけ大きな鏡だったからさ」
首領パッチの目線が、もうない鏡を追うように動く。
破天荒もそれを追いかけた。
まるで、そこにまだ鏡が残っているかのように感じる。
細工の少ない大きな鏡。時折、コパッチ達が楽しそうに磨いていた。

「俺とお前だって一緒にうつれたもんな」

「…!」

その瞬間、無いはずの鏡の内に己と彼が並んでいるように。
大きく波が広がって胸を打つように感じた。

「ここの前通って鏡見ると、ぜってーお前と一緒なんだ。俺が前でお前が後ろ、はみださないでうつっててさ」
首領パッチは一歩破天荒に寄ると、けらけらと笑った。
「俺だけの秘密だぜ」
「…おやびん…」
「あーでも、言っちまったから俺とお前の秘密になったな」
「…はい」
頷くと、首領パッチも頷く。それから、少し上の方へ視線を移す。
「鏡かけんなら、今は小さいのしか残ってねえしあの辺だな」
「でも、それじゃおやびん…達が映りませんね」
「ま、ここのはもともと飾りだったし」
自惚れだろうか、その響きがどこか寂しげに聞こえる。
破天荒は首領パッチの視線の先を改めて見つめた。
確かにその辺りがいい位置と言えばそうで、破天荒の顔ならば映るだろう。肩の辺りまで入るかもしれない。
だが、並んで映ることはない。

彼と。

「…あ」
「ん?」
ふと、そこに鏡があるようにまた、思えて。
幻の小さな鏡の中、二つの影が並んだ。
「……あ、あの。おやびん」
「なんだよ」
「鏡…」
一瞬浮かんだ光景に現実を合わせるように、無意識に手が伸びる。
「おやびん、失礼します」
「おわっ」

破天荒の腕が、首領パッチを抱き上げた。

「…こうすれば、映ります」
「え」
「…ね?」
破天荒の腕は首領パッチを丁寧に抱えたまま、胸よりも少し上へ。
首領パッチの顔と破天荒の顔が、やや重なりながらも並ぶ、はずだ。
「…おお、ホントだ!頭いいな、お前!」
「あ、ありがとうございます…!」
「でも腕が疲れねえか?」
「いえ、まったく!」
むしろ軽くなる程だった。
緊張して冷や汗でもかこうものなら首領パッチは不快だろうから、耐えながらも頷く。
「このまま歩いたら、小さな鏡でも一緒に映れます」
「うーん…いーかもな、それ」
「…ほ、本当ですかッ」
「でもそれじゃコパッチどもに不公平かなー」
「……」
思わず黄色い生き物達を思い浮かべる。
何匹ほどいたろうか、増えたり減ったりしているような気もする。真剣に数えたことはない。
「…さすがに」
「だろーな」
答えると、首領パッチは体をひねった。破天荒の腕から外れ、床に飛び降りる。
「あ、おやびん」
「よし、破天荒」
「は…はい!」
明るく笑って、人差し指を唇にあてる。


「これも、俺とお前の秘密な」


「…は、はい、おやびん…」
と、いうことは。
「…また、やって良いんですか?」
「え?」
「い、いえ!喜んで!」
「よし」
心から嬉しそうな破天荒の笑顔を見て、首領パッチは今度こそ満足げに頷いた。






翌日にはそこに小さな鏡がかけられて、コパッチによって磨かれる時には倉庫から台の出番となる。
破天荒の腕の中は、彼が村から旅立つ日まで秘密の特等席とされた。



首領パッチが旅立った後も、なお。
鏡は小さいまま、その場所にかけられている。












おやびんは、飛び上がれば鏡に映れます。台に乗っても映れます。
身長150メートルを目論むこともできます(足しか映らない)。
でも、特等席。

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