壊しにこい
思うのだ。
愛しくて愛しくて愛しくて堪らないのに、
保つべき距離が、
保つことが出来れば今現在の幸せの続く距離が、
遠過ぎるのだと。
今のまま、納得していればいいのに。
「俺は、女々しいでしょうか」
「なにが?」
「…あ、い、いえ」
思わず出てしまった声は消すこともできず、本気で女々しいものだと己を呪った。
「女々しいって、おんなおんなしいって書くんだっけな」
「あ…字、ですか?」
「そう」
「ええ、まあ」
女という字を二つ重ねて、めめしい。女性相手に使われることもあれば男性に使われることもある。
褒め言葉として聞くことは、あまりない。
「お前、女なのかよ?」
「いえ…そうじゃなくて」
「だよな」
首領パッチは、破天荒が確実に男であることを知っている。
破天荒のその裸体はどう見ようが男のもので、その腕に抱かれる距離でそれを見ているのだから。
「お前が俺にするようなこと、どっちかっていうと男がすんじゃねぇの」
「…ま、あ。そう、です」
するようなこと、と具体的にその口から聞くのは、恥ずかしかった。
『お前』が『俺』にするようなこと。
触れる。
抱き締める。
口付ける。
撫でるように口付けて、舐め吸い取りたいと切望し、噛み付いてしまう前に唇を離す。
つい最近まではそれすらあり得ないことと思っていたはずが、
いざ許されればその先を貪欲に求めている。
「…しねぇのか?いつもの」
「…したい、です」
己にそれを許してしまえば、あとは本能の渦巻きに自ら飲み込まれ彼を貪ってしまうであろうことは知れていた。
カードの表裏には全く違う柄が刻まれている。
返してしまえばそれはもう別世界だ。
そこには、薄闇が広がっている。
愛しいのだからものにしたいのだろう。
捕まえておきたいだろう。掌に転がしたいだろう。思うまま愛でたいだろう。
その外から内まで己の手で穢してしまいたいのだろう。
壊してしまえ。
彼を彼のまま上手に、この腕の中に彼の身が収まるように。
それを彼に対して口にしてしまうかもしれないし、実行してしまうかもしれなかった。
それで上手くいくはずがない。
上手くいった気には、なるのだろうか。
「したいなら、すればいい」
首領パッチは、
抵抗をしようとしない。そんな風に無防備さを晒すあなたが悪いのだ。
あなたが。
「…おやびん。俺は、あなたを壊してしまうかもしれませんよ」
「壊すって…砕くのか?潰すのか?」
「そうかもしれない。解らないんです」
「うん、俺にもお前の言ってることわかんねぇ」
「解らないんですよ、それが俺なんです。何をするか、こうしていてもさっぱり自分が見えてこない」
首領パッチは寝かせていた体をぐいと起こすと、破天荒に触れた。
「見えなきゃ、困るか?」
「今こうしているおやびんの手を、飲み込んでしまうかもしれない」
ふ、と微笑した破天荒の手が、首領パッチの頬に伸びる。
「それを考えてもこうして平気で話していられる俺自身が怖い。俺を壊してしまうかもしれないあなたも…」
「怖い?だって、壊れるのは俺じゃないのかよ?」
そんなことをあまりにも小さなことのように尋ねてくる首領パッチの様子は、彼らしい。
彼らしく、甘く残酷だ。
「…きっと、先に俺が壊れてしまうんですよ。そうして、おやびんを壊してしまうのかもしれません」
「むずかしいな」
「でも、先に壊れるのが俺ならその時もう動けないぐらいに壊してしまえばいいんです」
まだどこか冷静でいる内にそう考えておこうと思った。
もっとも、最初から己は彼に狂っている。
狂おしいほど、愛しいからこそ。
「そうしたら、おやびんを壊さずに済む。おやびんを壊してしまうぐらいなら、俺が壊れましょう」
それが何よりも、自然だ。
「ばぁか」
「馬鹿ですよね」
「そーじゃねえよ。お前は、甘い」
首領パッチから返されたのは、不敵な笑みだった。
「お前、俺を壊せると思うか?壊せる気か?」
「壊してしまわないと、言い切れません」
「俺が黙ってそれ、受け入れると思うのかよ?」
「…いえ」
それだけを単純に考えれば、答えは違うのかも知れなかった。
ずきり、と。
胸が、痛む。
受け入れられない。
これから、受け入れられなくなるかもしれない。
「俺は簡単には壊されねーぞ」
「……」
「お前がどう思おうが勝手だけどな」
首領パッチが、立ち上がる。
既に離れている破天荒の手を乗り越えるようにして、金色の短髪に手を埋めた。
受け入れてやるから。
「遠慮なく、壊しにこい」
真っ直ぐに、押し付けるように唇を重ねる。
「…俺は。きっと、どんどんわがままになりますよ」
「なる前から言ってんじゃ、まだまだだな」
「いいんですか?」
「嫌だと思ったらそん時は本気でやだって言うぞ。抵抗もするし」
「…わかりました。おやびん、おやびんが俺にどうこうされるわけなんてないですね」
「なんだ、納得しちゃうのかよ?」
「おやびんはおやびんですから」
再び、唇を重ねる。
深く。
破天荒の下を、口づけに慣れぬ首領パッチはそれでも真っ直ぐに受け止める。
カードの裏に溜まった泥は、そこに飛び込んで笑う彼によって押しのけられた。