繰り返す時間
街を出て暫く歩いた後、携帯用食料の買い足し忘れに気付いた。次に買い物ができるのはいつになるか解らない。先のことを考えると一度戻った方がいいのでは、と言うヘッポコ丸に、ボーボボは少し考えてから答えた。
「俺が行ってこよう」
全員で戻るとなると時間がかかる。歩幅や体力のことなどを考えればそれが一番効率的だし、道中敵が出てきても速やかに対処することができるだろう。
本人が言い出したのなら反対するようなことはない。
じゃあお言葉に甘えて、という空気になったのでボーボボはひとつ頷いて、軽やかに一回転をきめた。
「はじめてのおつかいね!頑張らなくっちゃー!ぼったくらなくっちゃー」
「いや、買う側でしょ!?」
ボーボボはくるくると回転しながら街のある方へ移動していく。
「お財布もったー!?お買い物メモ持ったー!?買い物かご忘れたー!…ドンマイ!」
最後のドンマイだけドスのきいた声で叫ぶと、首領パッチのトゲをガシッと掴む。
「私の買い物バッグ!」
「おやびん!?」
首領パッチは蝶に混ざって飛び回り、破天荒はそれを微笑ましそうに見ているだけで買い物云々の話には参加していなかった。今更のことで誰も何も言わなかったが、そこに割り込んだボーボボを破天荒が睨みつける。
「おいコラ、ボーボボ…」
「環境のためにマイバッグをお持ちください!!」
しかし叫び返したのは首領パッチ改め買い物バッグだった。
「レジの人にちゃんと袋はいいですって言うんだぞ」
「そーですとも!そーですとも!使用後は分別してくずかごへ」
「え?俺使い捨て!?」
ボーボボは首領パッチ改め使い捨てバッグを片手に、瞳というかサングラスを輝かせて走り出した。
「再利用しろよー!持ち歩けよー!」
「待てボーボボ、おやびん離せ!」
しばらく黙っていた破天荒はやはり不満らしく、鋭い声で彼を呼び止める。
「えーでもォ、これはわたしの体操着だしー」
「買い物バッグじゃないの!?」
「なら俺も行く!」
「まあ待て」
混乱する状況に静かな声を響かせたのは、首領パッチ改め体操着だった。
「破天荒、あんたは留守番よ」
「え…でも、おやびん…」
「私たちが舞踏会に行っている間にミケちゃんたちの面倒を見てるのよ!」
「ミケちゃんって俺たちか!?」
ヘッポコ丸の問いに答は返ってこない。
破天荒はまだ少し不満げだったが小さい声ではい、と呟いた。
「よっしゃー!行きましょ、お母様」
「オーケー!!」
ボーボボは首領パッチ改め義理の姉を高々と掲げると、力の限り放り投げた。
「お…おやびーん!」
「待ってー、私の靴袋ー!」
破天荒の悲痛な叫び声が響く中、ボーボボと首領パッチ改め靴袋は買い出しへと出かけて行ったのだった。
そんな事があって留守番させられた三人の間には、ただ沈黙が流れていた。
ボーボボと首領パッチがふざけるのはいつもの事だ。しかし幸せであろう時間を横取りされた破天荒は明らかに不機嫌である。
(…ボーボボさんもボーボボさんだよなあ)
わざわざ首領パッチを連れて行く理由はあったのだろうか。
ヘッポコ丸は溜息をついて、辺りを見回した。ふて腐れている破天荒と、黙って座っているビュティと、こうして居心地の悪さを感じている自分。
今の所は何か大変なことが起こりそうな気配はないのが救いだ。
「破天荒さん、ごめんね」
ふと、ぽつりと呟いたのビュティだった。
「…なにが?」
破天荒はこちらを向きはしなかったが、静かに問い返した。
「首領パッチくんが破天荒さんは残れ、って言ったの私のせいかなって」
「そ、そんなことないって!」
「へっくんなら大丈夫なのにね。強いもん」
ビュティは微笑んで言い返してくる。
確かに、ヘッポコ丸にも自分の身を守る自信ぐらいはある。しかしビュティのことまで守れるのかと聞かれればそれには不足かもしれない。そう思うと複雑だった。
「別にあんたのせいじゃない」
破天荒は今度は二人のいる方を向いてしっかり言い切った。あまりにあっさりと、しかも自信に満ちていてビュティも逆に驚いたようだった。
「そ、そうかな…?」
「何が起こるか解らないなら、俺が残るのは正解だ」
遠回しにけなされたようでいい気分はしなかったが間違ってはいない。自分でも不足かもしれないと思うのに文句など言えなかった。
「その辺りのこともちゃんと考えておやびんは…」
ふいに黙って、破天荒は小さく首を振った。それきり言葉は途切れてしまった。
「…首領パッチ、ここに残ってもよかったのにな」
その様子はどこか寂しげで、ヘッポコ丸は思わず呟いた。
「俺が行ってもよかったんだし」
ビュティもそれはそうだと頷く。
「そうだね」
二人で顔を見合わせてから、破天荒の様子を伺った。不満を溜め込んで我慢している様子ないが、自分たちに対して何かしら発散できるならそれもいいと思ったのだ。
だが、彼は不満など言ってはこなかった。
それどころか溜息を吐くように笑っていた。
「な、何だよ」
馬鹿にするというほど邪気はないが、気を遣ってみたら笑われるのではいい気分はしない。
破天荒は謝りも否定もせずに、ただゆっくり空を見上げた。
「おやびんが俺にここに残れと言った。だから俺はここで待つ」
呟いて、今度は口元だけ吊り上げて小さく笑った。
「それが一番いいんだから」
その続きは、無かった。
「……」
その視線は、空を向いてはいたが見てはいない。
続けて言葉が紡がれることもなければ、ヘッポコ丸やビュティも聞こうとはしなかった。
二人はただ無言で破天荒から目を逸らした。
初めてこの男の中にあるものに触れた気がした。目にすることはあっても関わることはなかった彼の想いの断片が見えたようだった。
首領パッチは例えば、破天荒を邪魔だなどとは考えていないだろう。ボーボボとふざけるのも悪くないからついて行く。二人残して三人で行くほどではないし、危険もあるから残れと言う。確かに意味や理由はあるのだろう。
破天荒はそれに不安も不満も口にはしない。引き寄せることがあっても、自分から駆けて行くことがあっても、引き止めることはない。意味や理由があるからではない。
首領パッチが言うことだから、それに従うのだ。
「俺とおやびんの時間は、交わったり離れたり…」
暫しの沈黙の後に破天荒の声が聞こえた。
それは誰かに向けたものであったかもしれないし、彼自身に対するものだったのかもしれない。あるいは意味を持たない独り言なのかもしれなかった。「それでも見えなくなることはない」
その呟きの意味を知るには、彼の想いを理解するには、ヘッポコ丸もビュティも破天荒を知らない。首領パッチとの間にあるものも解りはしない。
ただ、そこには普通ではない何かが見え隠れしている。考えて言ったのではない、勝手に出てきてしまったようだった。
その理由を尋ねるだけの言葉はなく、三人の間にはまた沈黙が続いた。
ボーボボと首領パッチが大勢のクマを引き連れて号泣しながら戻って来た。
それを迎えた後、破天荒は一行に別れを告げてきた。
先ほどの様子に何らかの原因を予想していたヘッポコ丸とビュティでさえ驚いたのに、ボーボボや首領パッチはまるで知っていたかのように見送った。
知っていたのではなく、解っていたのかもしれない。
彼がいつか離れていくことを。ヘッポコ丸は首領パッチを見て破天荒のことを問おうと思ったが、やめた。
ただ放たれて消えていった言葉を思い出した。
交わったり離れたりを繰り返す時間。
それでも、見えなくなることはない。
破天荒が首領パッチを忘れないからだろうか。
首領パッチが破天荒を忘れないからだろうか。
こうして別れても心は離れないと言いたかったのだろうか。
首領パッチはそれをどう考えているのだろうか。もし首領パッチが交わらないことを選ぶとしたら、破天荒はどうするのだろうか。
姿の見えない、恐らくは確かな、もしかしたら不安定な絆。
そこにある狂おしい想いを、それ以上知ろうとすることはできなかった。