ブレーク



「これが先週分の報告書です。隊長」



この部屋に入ってから挨拶に続き、二言目。
彼はよく喋る男ではなかった。
「おし、そこ置いとけー」
返事をする方にも特にそれを気にする様子はない。彼がよく喋る男ではないこと、それが彼にとって楽なのだということをよく知っている。

だが。


「きちんと確認してください」
「手、空いたらな」
「今、してください」
「忙しいんだよー」
「ソリティアに熱中してパソコンを睨んでるのを忙しいとは言いません」
「えー」
「この前みたいにコーヒーカップの下敷きにして、ないない騒がれては困るんです」
「しょーがねぇなー」
「しょうがないのは隊長ですよ」
確かに間違いなく彼はよく喋る男ではないはずが、聞けば相手よりも喋っている。
誘導をようやく聞き入れて、『隊長』は書類を手に取った。
「…うーん」
「読めないんですか」
「…うーん」
「読めないんでしょう」
「…うーん」
「読めないんですね」
「…うん」
「いちいち振仮名を付けるわけにもいきません。それはそのまま出しても大丈夫です」
繋がっているようないないような会話の果てに、書類を読めない隊長は曖昧に頷いた。
「うー…お前がそー言うなら、いーか」
「…どうも」


毛狩り隊Aブロック副隊長、カツ。
元々そう喋る男ではない彼だが、以前と比べては幾らか饒舌家になった。もとい、ならざるを得なかった。




カツが現在所属するブロックの隊長は、手のかかる男だ。
その立場にあるだけはあって実力や能力がないわけではないが、要領が悪い。十のことをすれば五はこなすが、三につまづき二を見落とす。本人自身にそれを挽回する能力もまた無いわけではないが、それを待つならば下の者がフォローした方が早い。
Aブロックは各基地の中でも上位とされている。回される仕事も少なくはないのだ。
気が付けば自然と、どこか気の抜けた気楽な隊長を必要以上に支える立場となっていた。

人間タイプではなくはっきり言えば食物で、その割に人間くさく、大人なのかお子様なのかどうにも解らない男。
毛狩り隊Aブロック隊長、ところ天の助。
彼はカツのことを、特に考えるもなく素直に信用しているようだった。




「書類の仕上げ…漢字が読めなくても出来るものなんですね」
「だってそこはパソコンで作るじゃん?そのために隊長になる時に覚えたんだからー」
「読めなくても打てるんですか?」
「変換押して最初に出たのが正しいんだよな。違うと思ったら、それっぽいの探すし」
「…」
カツは思わず、上層部に提出する前に再び自分が確認した方がいいのではないかと考えた。
「……キーボード。打ちにくくありませんか」
「んー?慣れ慣れ」
天の助はスプーンやらフォークやら箸やら(何故か食べる道具ばかり思いついた)を器用に扱っている。だが本人曰くビーズアクセサリーは作れないらしい。その割には絵が得意だという。
その辺りの基準は、さっぱり解らなかった。
「あ。コーヒー飲む?」
「…隊長が副隊長に茶、用意してどうするんです」
「飲まねぇの?」
「自分でやります」
彼がコーヒーを用意するのをただ待っているのを想像すると、どうも居心地が悪くどこか気恥ずかしい。
だがそのやり取りは何故か、カツが部屋を訪れる度に繰り返されるのだった。
「あー…目、しばしばする」
「いつまで悩んでたんですか、ソリティアで」
頭を使うゲームはあまり得手ではないらしい。本人が認めなくともそれは確かだ。
「…外でも見ていたらどうです」
「そーする」
ところてんとて、目は疲れる。
彼に会ってから知ったことのひとつではあった。


二人の現在いる部屋は『隊長室』ではない。
建前はそうなっているが、正確には天の助に与えられた私室の一部をそういうことにしているだけだ。
それというのもAブロックには何故か基地が無く、必要以上にいかつい要塞のような隊員寮を兼基地としているのである。
なぜAブロックに基地が無いのかは誰も知らなかったが、天の助の要領が良ければその問題は既に解決されていただろう。それでも隊員達から彼に対する恨み声を聞かないのは、ある種の諦めがあるのと、天の助本人の性格のためでもあった。
爽やかなのか湿っぽいのか、大人なのか子供なのか、情けないのかそうでもないのか。
基本的には頼りにならないのだと思っていれば時折格好をつけてか隊長らしいところも見せる。かと思えばミスをしていじけるものだから、見ている方は気が休まらない。
それでもするべきことを成した時には子供のようにはしゃぐものだから、皆呆れることはあっても苛立ちの方を忘れてしまうことが少なくはないのだった。


カツは元より一歩距離を置いて他人を見る男だったが、他の連中が天の助をそう見ていることまでも何故か知っている。
気付くと彼のペースで会話していることもあれば、己から彼に歩みよっていることすらあった。

(…放って、おけない?)

カップに注いだコーヒーの湯気を眺めながら考えた言葉は、自分にはさっぱり似合っていない。
それを保留にして、カツは天の助の方を見た。
「…何か見えますか」
窓の外を見る天の助がどこかに視線を釘付けにしている。
気付いたら自然に問うていた。なぜか答を求めていた。
確か自分は、そうして何かを気にすることなど滅多にしない人間だったはずだ。

(…なんでだ?)

だが深く思い悩むことはない。
「花がさぁ」
それをしない内に、自然と会話が流れていく。
くだらないこと。
どうでもいいこと。
本来ならば必要ないはずの会話。
「ずっと向こうに、赤いのがいっぱい咲いてる」
「花ですか」
「うん」
よほどそれが気に入ったのか、視線を外すことはない。
カツは一口飲んだあとのコーヒーカップを机に乗せて、視線を落とした。すると見慣れぬものが目に入る。
「…隊長。この本」
「ん?」
「本なんて、読みましたっけ」
それこそ、どうでも良いことのはずだった。天の助の読書の有無などカツには関わりの無いことだ。
だがやはり自然と、口から。
問う言葉が、出る。
「…あー。それ本じゃねえよ、日記帳」
「…日記?」
「なんかさぁ、漢字読めないのもどうよって気がしてなー。練習になるかなって買ったんだけどさ。そこに置いたまんまでさっぱり書いてないわ」
「ダメじゃないですか、それ…」
何かのために何かをすると、それで上手くいったと思えて満足してしまう。どこか人間くさい、彼らしいと言えば彼らしかった。
ページを捲ると確かに中は真っ白で、見かけは本の様だが日記帳として作られているらしい。
「まあいいや。カツ、お前持ってく?」
「これを?隊長、自分のために買ったんでしょう」
「だーってさー、なんかたぶん書かないと思うんだよなーこのまま」
自分で言ってしまうのだから仕方がない。
日記帳、をぱらぱらと捲るが、それはどこまでも真っ白だった。

それでは意味が無いのだ。
彼のものであったとしても。

(…欲しいのは)
何が欲しい。
それを思えば欲しいのは、彼の断片だった。
情報。思い出。とりとめのない会話。関わっている時間。
手に入れれば満足するのではない。
真っ白な日記帳ではない。部屋に放ったまま身に付けない、奪ったアクセサリーの類ではない。
知りたいという欲求。
関わりたいという願望。
だから、彼のことを考える。

(…ああ)
カツはぼんやりと己に呆れていた。
あまりにも自然に気付いた。逆に、己が解らなくなる。
ささやかな本音は、自分でも子供らしいのではないかと感じるようなものだった。
だが、それでも構わないとすら思えてくる。


こうして共にいる時間が、不思議なほどに穏やかだ。


「…昔の偉い人は言ったもんだ、『花はキレイだぜ』ってさ。いや、ホントだよなー」
「…そうですか」
「なんでこんなにキレイなんだ…」
「…さあ」
「真っ赤な花はキレイだよな」
「そうかもしれませんね」
「俺の情熱が燃え上がるぜ、って感じだよな」
「……」
「あ、でも黄色い花もキレイで……何してんだ、カツ」

天の助はようやっと部下の方に視線を戻して、彼がペンを片手に何か書いているのに気付いた。
「日記帳」
「え」
「隊長が自分で書かないのなら、俺が代筆しようかと」
「…えー?なんだよそれ」
興味はそちらに向いたらしく、窓から離れて覗き込む。
「花はキレイだぜ……ってなんじゃこりゃ」
「隊長、そう言ってたでしょう。キレイを漢字で書いたら読めないでしょうから、片仮名で」
「そーじゃなくて!ていうか俺、真っ赤な花はキレイだ『ぜ』とは言ってないぞ!」
「この方がリズムが揃いますから」
「…うわ!文字にするとすげー恥ずかしい!消せ消せ!」
「消しゴムじゃ消えませんよ。鉛筆やシャーペンじゃないんだから」
「何やってんだー!」
カツは平然と、天の助の言葉を彼の買った真っ白な日記帳に記していたのだった。
天の助本人も読んでいると恥ずかしくなってくるらしい。
「いいじゃないですか。隊長の日記帳なんだから」
「わー!ダメだダメ!俺日記書くなら、そんなの書かねーもん!」
「その日思ったことやあったことを書くのが日記ですよ」
「それじゃあ天ちゃん恥じらいのポエム集になっちまうよー!」
「じゃあもう、そうするって手もありますね」
あくまで無表情に冷静に対応するカツに天の助は慌てたが、日記帳は彼の手の中にある。
「返せー。返せかえせよー、わーん!」
「…しょうがないですね。はい」
「チキショー、俺の日記帳が…」
「書く気ないって言ってたじゃないですか……あ」
カツの視線が、天の助のいる方向にかかっている時計に向いた。
「…もう行かないと」
「お前、何しに来たんだよー」
「書類を渡しに来たんです。仕上げはしてくださいね」
「解ってるよ!…あ、コーヒーは?」
「いただきますよ」
先程机の上に置いたまま冷めていたコーヒーカップを、一気に傾けた。
「時間がないから、後でカップは洗って返します」
「いいよ、そこ置いとけ。ていうか俺がいれるのになぁ、コーヒーぐらい」
どうやら天の助は既に、日記帳のことを放り出してしまったらしい。
カツは机の上に置かれたそれに視線をやって薄く笑った。
自分の書いたページは放っておかれるか、後に彼が思い出したなら破かれてしまうのかも知れない。それでも何故か満足だった。
「…隊長。有り難いんですが」
ただ会話をして、じゃれ合いのようなことをするのが『楽しい』。
他の者が見ている前でもしようとは思わないが、そう考えると寧ろまた二人きりになりたかった。
隊長と副隊長という立場は都合がいい。

知ることをするにも、欲しがるにも都合がいい。

「隊長の好みで煎れるコーヒー、俺にはちょっと苦いんですよ」


そんな些細なことを、自然に解っている。


「…じゃあ、失礼します」
「もう来んなー。あ、ウソウソ。また来いよ−」

その言葉に再び笑ったまま、カツはその表情を暫し崩さなかった。

「そん時は、苦くないコーヒーいれてやるからさ。俺が!」

手のかかる隊長の下に使える副隊長というのも悪くはない。
恐らくは彼でなければ相変わらず、喋ることをしない己であっただろうが。






カツの記したそのページがどうなったかというと、破かれはしなかった。
真っ白だったその日記帳がどうなったかというと、表紙には天の助恥じらいのポエム集と刻まれた。
恥という字をわざわざ調べた天の助は最初のページを捨てることはなく、他人に見せられないような恥じらいをそこに書き綴ったのだった。
難しい漢字は飛ばされたが、そう不器用でない彼の字は決して下手ではなかった。



彼にとって計算外だったのは、後にメルヘンチック遊園地に持ち出したその日記帳をある男に発見されてしまったことだった。
失くしたかと諦めかけてみれば彼の懐から出たのだから驚きもしたが、取り返して今は自分で持ち歩いている。


中身が人生の汚点であろう何であろうと、捨てられない理由があるのだと。



その『理由』を問われても天の助は答えない。
ただ少し困った風に、くすぐられた様に微笑むだけだ。












闇夜叉戦(カツ天再会)前に書きました。
内容はさておき捨てられない理由がどうのこうのっていう感じで、その…
メルヘンチックなのは私の頭の中でしたー!

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