つい最近までは活発過ぎるほどだった太陽が、今はもう昼過ぎから息を潜めている。
もう暫しすれば冬が来るのだと感じさせる。
否、もう来ているのかも知れない。
気の早い街はイルミネーションに溢れ、静けさよりも騒がしい夜を演出しようとしているのだ。
月を数えるともう年の終わりの方がずっと近い。そう考えると不思議だった。
わすれない
「何、見てるんだ?」
それは確か、まだ今月の始めかそのぐらいの頃だったと思う。
世の中はもう夏を忘れて充分に寒かった。
「あ、コンバット様」
「遅いですよー」
「ん。悪い」
場所は本部だかどこだったか、彼女達のことを自分が待たせていたことだけは確かだ。
彼女らとて普段は季節相応の服を着込んでいる。そして、合図ひとつでいつでもお望みの格好になれますよ、と胸を張る。
色んな意味で頼もしいと思った、
それはともかく。
「ちょっとで済むと思ったんだがな。どこか別の場所で待っててもらえばよかったか」
思い出した。
確認し忘れたことがあって戻る間、基地の前で待っていてもらったのだった。
そんな用事はすぐに済むはずが思いの他自分の整理が悪く時間をくったのだ。その上どうしても二週間ほどしたら出番の来る『あれ』が気になって、一度だけそこまで確認したのもよくなかった。
少しだけ待っていてくれ、と言ってしまったものだから、二人もそこから動くわけにはいかなかったのだろう。
「ここ、何もないもんなぁ」
「でも花壇がありますね」
「前に来た時よりお花、増えてます」
「そうか?」
花壇があることは知っているが、どんな花があるのか、いつ増えたり減ったりしているのかまでは知らなかった。自分のブロックのことで『そこにある』のを解って楽しんでも、近付いてじっくり眺めるような機会はなかなか無い。
別に何も妙なものは仕掛けられていないだの、そんな色気のないことしか気付けないでいる。
この時期の花はどれも鮮やかに咲いているようだ。どれが何かまでは、疎くてよく解らなかった。
「…見てたのはこれか」
「コンバット様のブロック、ちょっと味気ないですよー。もっと増やしてもいいと思うな」
「私はこれくらいでいいと思うけど」
「花とかのアクセサリー好きなのに?」
「そりゃ好きだけど、たくさんあったらそれだけ良いってことないじゃない」
「そうだけどー」
もっと増やしてもいいと言うガールは白いファーの付いたコートを着ていて、このぐらいでいいと言うギャルが着ていたのはベージュのシンプルなデザインのものだった。
そしてその下には本人達の言う通りなら水着を着ていたのだろうが、その日は戦いもなく残念ながら、もとい取りあえず解らなかった。
そんな二人は声を揃えて自分の着るコートを色気が無いと言うが、別にそれも趣味だからいいじゃないか、と言うと納得する。
それでもマフラーの時期が来たら合作をプレゼントしてくれるそうだ。
どうも自分の趣味にはマフラーそのものが似合っていない気がしてならないが、そんなことはどうでもいい。楽しみに待つことにする。
「それでね。コンバット様」
「ここだけほら、土の色が違うの」
「うん?…あ、本当だ。濃いっていうか乾いてないな」
「ここに植えてあるの、なんですか?」
「花じゃないですね」
「…えーと…うん、たぶん食える」
「そんなこと聞いてるんじゃないですってばー」
それはどう見ても、花ではなく野草か何かの一種だったと思う。
名前も持たないかも知れない。いや、知らないだけで名が無いということはないのだろうか。
それは同じ花壇に並んで植えられた花々と比べても異色な存在だった。花と花の隙間に列を外れるようにぽつんと植えられて、その周りの土だけが違う土地の様に別の色を持っている。
考えても正体は解らなかった。
誰かがここに持ってきて何らかの気まぐれで植えたのかも知れない。
けれどもなぜそこだけ土の色まで違うのだろう。土ごと持ってきたのだろうか。ただの野草というなら、なぜここに植えられているのだろうか。
とりあえず食べられるのだけは間違いないと思う。
それ以外は誰にも何も解らず、不明のままもう半月は過ぎていた。
「ただの雑草だろ」
菊之丞はあっけなく言い放った。
「多分な」
「じゃ、なんでそんなの植えてんだ?」
「知らねぇよ。テメーんとこの花壇いじってる奴に聞けよ」
半月、なんだかんだとあってそんな追求のことなど考えもしなかった。
今そのことを菊之丞に問うたのも、訪ねた彼のブロックは自分のところよりもずっと草花の類に溢れ、それでたまたま思い出したまでだ。
「しかも土ごと」
「土ごとじゃねーだろ」
「え?」
言い切る菊之丞は今、Gブロック隊長室の窓辺に座ってぼんやり外を見ている。
迎え慣れた客を相手にするのに気遣いの必要性など思わなかったのだろう。
訪ねた側のコンバットも、彼が相手ならばその方がずっと気が楽だった。
「でも、そこだけなんか土の色が違ったぞ。空気が違うっていうか…」
「元は同じ土だったんだろ。そいつを植えたせいで変わった」
「じゃあただの草じゃないのか?…なんか果物みたいな匂い、したしなあ」
「匂いがある雑草なんて幾らでもあんだろーが」
コンバットが植物のことにはさっぱり疎いのを彼は知っている。
『当たり前』のことを解らないと言えば苛立ちながらも説明し、時折馬鹿にもするが、今は口調はともかくただ普通に言葉を寄越してくるだけだった。
解らなくてもおかしくないことなのか、たまたま機嫌が良かったのか。
「雑草は雑草だろ。何処だか、遠い場所の」
「…そうなのか?」
「植物が土を変えるってのは別に珍しいことじゃねーよ。その前にくたばるのもいるがな」
菊之丞は普通の花や草のこともよく知っていた。ただそれは知識というより、彼にとっては当然のことのようだった。
そしてそれと戦闘とはまた別物として考えているらしい。
「匂いがあるっつったな。…まあテメーが言うんだから、食用だろうな」
「あ、正解?」
「喜んどけ、単純」
「…おまえ褒めてないだろ」
菊之丞はこちらに目線を向けて、表情だけで笑った。
「どうせクセが強くて舌に合わないっつって埋め直した奴がいるんだろ」
「律儀なことするなー」
「ただの草だと思わなかったんじゃねーか」
「どうやって食うんだ?」
「薬味だ。普通はな」
彼が言うと、それらの言葉もおかしくはないのではないかと思えてくる。
それでもやはり植物に疎いコンバットにはいまいちよく解らなかった。
「…植え直しでも、普通に育ってたぞ。立派なもんだなー」
「ああいうのは凍っても枯れても新しい芽が出んだよ」
「マジ?」
「…そんなに面白いか」
「ああ」
面白い。
素直に頷くと、菊之丞は妙な顔をする。
彼にとっては本当に当然のことなのかも知れないが、コンバットには十分に楽しかった。
「すごいな、雑草。この寒いのに」
「妙なことに感心しやがって。ガキ」
「誰がガキだ。凄いだろ…名前知らないけど、お前解るか?」
「見ないと解らねーよ」
「じゃ、今度見に来る?」
「…ま、いいだろ」
仕方ない奴だ、と言いたげに菊之丞が頷く。そこまでに何を考えたかは口にしない。
彼はそんな風にしていることが多かった。
もしかしたら自分が今日、何故ここに訪ねてきたのかも解っていないかもしれない。
「菊之丞」
「なんだよ」
呼びかけたまま待っていると、視線を向けてきた。
包みを取り出して軽く放る。
「…?」
「やっぱり忘れてたのか?」
「何が」
「今日お前、誕生日だろ」
受け止めた包みとコンバットとに視線を往復させながら、菊之丞は暫し黙っていた。
「…そんなのもあったな」
「忘れてたのか」
「忘れてねえよ。どうでもいいだけだ」
呟きながら、視線はコンバットに向いたところで留まる。
「よく覚えてやがったな」
「…毎年、先にお前が覚えてるんだ」
言い返すと菊之丞は笑った。
「そうだったか?」
「そうだ」
そちらのことは覚えているらしい。
彼が彼自身の生まれた日に対して抱く思いは解らないが、それは毎年繰り返される『確か』だった。
菊之丞の誕生日より三ヶ月ほど早く、コンバットの誕生日が先に訪れる。
それは夏の真っ盛りの頃で、今の時期より太陽が落ちるのも遅い。
菊之丞は必ず太陽が落ちる前に自分を訪ねてきていた。そしてなんだかんだ言いながら何か渡してくれるので、まるでそれに返す形になっている。
とはいえ別に返そうという気はない。
彼と同じに、たまたま三ヶ月遅く渡すだけだ。
なんとなく日の落ちる前に彼を訪ねて。
「雑草のこと聞きに来たんじゃねぇのか?」
「まさか」
まさかと言っても、もしかしたらそのぐらいのことで訪ねた日もあったかも知れない。
それでも今日は別だ。
「開けてみー」
「…ガキ」
「お前と同じぐらいだ。誕生日、三ヶ月早いし」
「中身はガキだ」
菊之丞は面白そうに笑いながら言い切った。
こんな様子でいる時の彼は、こちらの言い分を聞き流していつまでも楽しそうにしている。
それでも今日は腹を立てるのは止めておいた。いっそ、そんな必要などないのだと思った。
「…時計?」
「前、気に入りのが壊れたって言ってただろ」
「何時だよ。まだ代わり、買ってねぇけどな」
「お前からのも時計だったしな。…それは忘れた?」彼から受け取ったのは銀色の腕時計だった。いつだか飾りげが無いのが好きだと言ったのを覚えていて、テメーの方が忘れてねえだろうな、と言いながら放ってきたのだ。
「忘れてねえよ」
彼に渡したのも銀色の腕時計だった。彼は少しぐらい飾りげのある方が好きだ。花だのなんだのというよりは、そこそこ繊細な模様の程度。
「まあ、悪くないな」
菊之丞は解いた包みの類いを机の上に除けて、時計だけを手にした。
腕を通して結ぶ。
「あ、ここで付けてくれるのか?」
銀色は自分よりも、彼に似合うと思う。
日焼けは少ないし手首も細い。自分の見立ては間違っていないと思った。
「…あのな」
時計のついた手首を軽く振ってから、菊之丞はコンバットの方を見る。
「…お前がそうしたの、忘れたんじゃねーだろうな」
「……そうだった」
無論、忘れてしまったわけではない。
「…あ。外、もう暗い」
「もう冬だからな。帰るの面倒くせぇんじゃねーか」
「面倒なんだけど…実は今日中には帰らなきゃならないんだった」
「…仕方ねえ奴。それは忘れてたのかよ」
「いいだろ、そのくらい。…なあ」
「なんだよ」
「花壇の土、来年になってもあのままかな」
「花壇?…ああ、そっちのか」
「一年なんてすぐだもんなー」
「能天気なテメーにはそうだろうな」
「明るいとかポジティブとか言ってくれない?……あ、笑うな」
来年の八月には彼はまた自分のところに来るだろうか。
来たらいいし、もしかすると来なくてもいいのかも知れないと思う。
今日も別にプレゼントを返す、渡すためだけに来たのではなかった。草の話のためでもない。
それらの行為にはもちろん意味がある。だがまず第一に、会いに来たのだ。
何かの決まり事をどうしても求めることはない。
ただ出来るなら穏やかな日であればいい。
顔を合わせて、笑っていることができればいい。
それが自分達にはどれだけ愚かな願いであっても。
「じゃ、今度来た時見てくれよ。俺にはさっぱりだ、植えてある花も同じに見えるし」
「バーカ。…いつだ」
「いつでも」
「じゃあ、明日」
「わかった」
「…いいのかよ」
「忘れるなよ」
「俺は忘れねーよ。…お前が忘れるな、コンバット」
笑う彼の腕にその時計はよく似合っている。いつまでも付けていてほしいだとかそんなことを思うのではないが、それは何となく気分がいい。
出来るなら来年の今日も、ここに彼を訪ねてきたいと思った。
訪ねてこようと思った。
「俺、花より雑草のが似合ってるよなー」
「そうだな」
「そうだろ」
「諦めの悪いところがな」
「それ言うなら、せめて根性のあるところって言え」
一度抜かれても芽を吹くことを忘れきらない、
生きる土の色まで変えていくもの。
今年ももう夏を忘れて寒空の広がる季節になっている。
コンバットはこの冬になりきらない時期を、嫌うよりむしろ好いていた。