ハレルヤランド。
世界中に知られるその名は二つの意味を持つ。
老若男女、すべてのものに夢を売る巨大テーマパーク。
もしくはマルハーゲ四天王、最強の男の居城。

その場所への線路を夢みるものが走る。
目的、時には憎しみを抱くものが走る。


彼の楽園に、その妨げになるものの侵入を許してはならない。
それを考えてばかりいた挙げ句に油断した。









包帯に薄く巻かれた腕を軽く撫で、カネマールは溜息を吐いた。
結果がどうであろうとしくじってしまった証だ。
傷の痛みは殆どないが、気が重い。


カネマールの仕事は、ハレルヤランドから出た電車が再び戻ってくると同時に終了する。
電車到着後の乗客の動きについては管轄ではない。だからこそ走行中には気を配らなくてはならないのだが、どうしても行きより戻りに気力が傾きがちだった。
ハレルヤランドに向かおうとするならば、当然OVER城付近の駅の方から乗車することになる。
駅数こそ少ないが走行時間は長い。その内に少しでもぼろを出す者があれば、引きずり出して捕えるのがカネマールの使命なのだ。
ならばその対象が『ハレルヤランドに向かう者』のみなのかというと、それは曖昧だった。
ハレルヤランドと外とを繋ぐためと言って間違いはない電車だ。
OVER城側の駅も城のすぐ近くにあるのではなく、それなりの距離をおいた場所に設置されている。
だから『OVER城への移動手段』として電車が利用されるのも、たまたまのことだと言えるかも知れないが。

(…よくはないよなぁ)


運が良かったか、それとも悪かったのか。
ハレルヤランドからOVER城付近へと電車が向かう間、カネマールは一応は電車の上にスタンバイしている。
それでも戻りに比べれば軽く見回りをするぐらいだ。
駅に到着した時点でランド内に入ったことになる戻りとは違い、人を外に出す走行なのだから当然といえば当然だった。
OVER城のことはOVER城の者に任せる。無責任な様だが、どちらにとっても色々な意味でその方がいい。

それでもこの目に見てしまえば放っておこうとは思えなかった。
OVER城への侵入を企てていた一味。直前まで気を抜いていたのが祟って一撃が擦ったが、普段通りの仕事はしたつもりだ。
OVER城付近の駅では多少の騒ぎになった。
城への引き渡しについては、自分が怪我の治療を受けている間に済んだらしい。
駅にも駅員数人を含めてそれなりに戦える者が配置されている。乗客の目を気遣って行動することに関しては自分より彼らの方が上手だ。
その後に無限蹴人に会った。
騒ぎのことで来たのが彼だったのかと思えばそうでなく、事情は知らなかったらしい。少しだけ会話をして別れた。




駅で彼と出会ったのは久し振りだった。
確か初めて会ったのはカネマールがまだ今の彼より歳下だった頃で、やはり場所は駅。
サッカーボールを大事そうに抱えていた幼い少年は、電車を好いていたようだった。毎日電車が出て行く時間には駅にいて、きらきらした目で見送っている。
声をかけられたのがきっかけで時折話をするようになった。
恐れられる四天王の部下という立場でありながら、小さな子供と会話をするのを不思議なことのように感じた時もある。
とはいえそこまで年齢の差があるわけでもない。身の回りにいる同年代の者は限られていて、外に知り合いができるのは悪い気がしなかった。

時が経つにつれて彼も駅までは通って来ないようになったが、再会はそう遠くはなかった。
駅ではなくハレルヤランドの中。
電車で働いている男と少年ではなく、ハレクラニの部下とOVERの部下としての再会。
彼はやはりサッカーボールを大切そうに抱えていて、
やはりそれはあくまでボールなのだそうだった。




運が良かったか悪かったかはともかく、やって悪かったとは思っていない。
蹴人には傷の心配をさせてしまったが、大したものでもない。何かに差し支えるようなことはないだろう。

それでも、失敗は失敗だ。
発見が遅れたのも事実でOVER城の者にはやや面倒をかけた。
そのことをハレクラニに報告せねばならない。
失敗には当然後悔する。罰せられるのがどうかといえば、嫌だ。
けれど繰り返そうが嘆こうが変わらないのは、判断をするのは己ではないということ。
事実は事実として伝えるのみだ。
罰がどうなるか、それを決めるのは。


ハレクラニ。


主の名を思うと、意識の外で心臓が大きく鼓動した。
どこか謎めいた男。
力強くありながらどこか儚げで、その仕草が綺麗な男。
恥ずかしげなくそんなことを思えるのは昔からそれに見とれてきたからだ。
いっそ気持ちのいい程に金だけを愛する男で、しかし醜いとは思えなかった。

出会いから数年経った今でも、彼は自分の中で謎めいて不思議に塗れている。


ずっと昔、まだ五忍衆ではなかった蹴人に問われたことがあった。
ハレクラニのことを恐ろしくはないのかと。
現在の彼の主君であるOVERも恐ろしいかといえばきっとそうだろう。けれど恐ろしさという点で、彼らを同列にして比べてみようとは思わない。
ハレクラニのことが恐ろしいか。
恐ろしいと思うこともある。
けれども、恐ろしいのと同時に。

(…やめよう)

もうあと少しで彼の前に立たねばならないというのに、そんなことを考えているわけにはいかない。
その場所に向かって歩いているのは間違いなく自分の足だ。しかし、まるでその動きが別の何かによるもののようにも感じられた。








報告を聞きながら、ハレクラニは半ば無表情でいた。
その裸体を紙幣と硬貨の海に沈めている。何を思うのか、彼は昔からよくそうしていた。
見慣れぬ頃にはそれも時に恐ろしく、異なる世界のことように見えていた気がする。
いつか呑み込まれて消えていってしまうのではないか、と。


報告を『聞く』のにハレクラニが喋る必要はない。
それが解っていても、どうしても自分のみが話している状況には慣れなかった。
気にしなければならない事の無い時はいい。しかし後ろめたい、彼の目を見て話し難いことでもある様な時は居心地も悪かった。

失敗とは言い切れない。
成功とも言い切れない。
黙って、その答が出される瞬間を待つ。

ざ、と音がして、思わず顔をあげた。
視界に捉えかねていたハレクラニの姿が目に映る。彼が、沈めていた身を起こしたのだということが解った。
感情の読み込めない瞳がこちらを向いていた。

とっさに息を詰め、喉だけで息を荒げる。
ハレクラニの気を損ねたのなら、その末路をカネマールは繰り返し体験していた。
様々な形で。
彼の怒りはそう容易く晴れるものではない。

だが、その指先はこちらに向こうとはしなかった。
そして彼がこちらへとその身を寄せることもなかった。
ただ視線のみ向けてきて、緩く貫いてくる。

「見せろ」
「…ハレクラニ様?」
「こちらへ来い」
「……」

低くやや穏やかな声が頭の中、脳を撫でるように繰り返される。
カネマールはゆっくりと立ち上がり、ふららとそちらへ向かった。
行かねばならない。
それのみを考えて。




ハレクラニはいつの間にか、その姿のまま浴槽の端に移動していた。
外にまで溢れる紙幣や何やらを避けるようにしながらカネマールが跪き直すと、片腕を伸ばす。
「腕だ」
「……!」
どこを、と問う前に宣言して、指先が今度こそ伸びてくる。それはカネマールの左の二の腕で止まった。
包帯の上からなぞり、結び目に触れ、強引に引く。
「…ッ」
カネマールは視線を落として小さな痛みに耐えた。
ハレクラニの表情は、見えない。その手が留められることもない。歯を軽く食いしばる。

ぶつん。
微かに音がして、包帯はあっけなく解けた。結び目の横が引きちぎれ、頼りなく腕を伝って地に落ちる。
視界の端にそれを感じていると、手首を掴まれ引き寄せられた。
「あ…!」
「大人しくしていろ」
その声とともに反射的な抗いは留まった。
バランスを失いかけた身体を、体重のかかる足をやや痛ませながら支える。
べり、とやや濡れた音がした。
ひやりとした感触。触れられるのとは別種の僅かな痛み。
カーゼもテープも解かれて、傷口が外気に触れたのだ。

(…冷たい)

汗が薄らと吹き出してくる様に感じる。
傷口が外に晒される。
しくじった証が、ハレクラニの眼に晒される。

どこでもない場所を見ながら浮かべたくらくらとした思考は、直後に妨げられた。
より形ある痛みが一瞬、奔る。
ぴり、と脳裏に電撃が流れたように思えた。
「つッ!」
目を堅く閉じて耐えながら、恐る恐る現実を確認する。
傷口に、触れた。恐らくは爪先。
整えられた、ハレクラニのもの。
「無様だな」
「…すみ…ません……」
血は流れてはいないようだが、薄らとは滲んでいるかもしれない。
短い真っ直ぐな傷。まだたった一夜しか経たず、塞がる気配も当分はない。
もしかしたら引き裂かれるのかもしれないと思ったが、抗えはしなかった。
「誰に触れさせた」
「え…あ…」
唐突な問いにも言葉が上手くまわらない。思考が現実から逃げかけている。
「…駅の、隊員が。手当…してくれて……」
「……」
視線も、ハレクラニをしっかりと捉えることは出来ていなかった。
ハレクラニが自分に触れている。
すぐ側に彼の柔らかな髪が見える。跪いても近いのは、彼が浴槽の中にいるためだ。
細い様に見えても引き締まったいい体格をしている。見せるのを躊躇しないだけのものはある。
(…なに、見てんだ。俺)
眉間がじんわりと熱を持った。
そしてその熱が消える前に、新たな波紋。

傷口から全身に柔らかな熱が響く。

「…!?」
遅れて腕に視線をやると、そこに信じられないものが触れていた。
「や、やめ…!おやめくださッ、…」
やめてください、ハレクラニ様。
名前まで呼びきることが躊躇われた。
その舌先が薄く滲んだ血を弄ぶ様に、軽く撫でつけてくる。
「ぁ…!」
「痛むか」
「……は、い…」
「貴様の失態の証だ。悔やむんだな」
言葉とともに離れては、揶揄するようにまた触れる。
カネマールは全身を浅く震わせ、その現実に耐えた。
痛みなどは大したことはないのだ。それは苦しさなどとは別のところで、目を瞑っていなければどうかなってしまいそうな状況だった。



「ッ…」
やがてハレクラニがそこから顔を離すまで、気の遠くなるほど長い時を感じた。
最後に傷口を軽く吸われ、電流が駆ける。
それは更に暫し体内に残ったままでいた。
「…は…ぁ」
思わず身体をへたり込ませる。己の膝を見ながら傷口を見れないでいると、見下ろしてくるハレクラニの視線を感じた。

「ハレルヤランドへの侵入を許したわけでもない。この件はもういいだろう」
「ぁ…はい…」

濡らされて更に外気を冷たく感じる傷口は、痛みだけでない何かでずくずくと疼いている。
外は冷たく、内側は熱い。
「カネマール」
「は、い」
ただ頷くことを繰り返すしか出来なかった。
子供でももう少しましにやるだろう。頭の中で、現実と夢との境目が曖昧になっているようだ。
意識がどこか遠くへ離れていく。
「くだらないものを身体に残すな。情けない」
「申し訳…ありま、せん…」
息を整えながら繋ぎ止めて、それでもハレクラニの方へ視線を向けることはできなかった。
「痕を残すようなら」
「……」
「その時、罰してやる」
それが、彼の出した答。


「…はい、ハレクラニ様」


それを間違っているとは思わない。
辛うじて考えられるのは、それだけだった。





まだ今よりも幼かった頃からそうだ。
こうして呑み込まれそうになることは幾度もあった。
ハレクラニは厳しく、
そして時折ふいに優しげにもなる。
それに揺られて、不思議に思うこともありながら、こうして追い詰められると何も考えてはいられなくなるのだ。

ハレクラニが恐ろしいか。
どこかで恐れているのは確かだ。
しかしそれに重ねて、様々な感情が彼に向けて積まれている。






カネマールは傷口を晒したまま、ただ磨かれた床にくたりと横たわる包帯やガーゼの残骸を拾った。
ふらふらと立ち上がり、再び紙幣と硬貨に身を沈めたハレクラニに辛うじて頭を下げる。


その傷口を、もう何を用いても覆えそうにはない。
本当にそれが痕を残すことになったならば、彼は自分をどうするのだろうか。




早足はハレクラニとは逆の、どこかへと向かっていた。
それでも最後には彼のところへ帰るのだろうと知りながら。












…ただハレカネを考えていたはずが……(沈黙)
『OVER城から誰か出してハレクラニに繋げよう』と考えながら書いていたのに、
記憶のすれ違いとか考え始めてしまって、前半が蹴人の話になってしまいました。なぜ。
こ、後半こそどうにか考えていたハレカネで…!申し訳ない限りです…!(汗)

…すみません、本当にこんなもので申し訳ないのですが…(本当だよ)
こちらは『PUMPKIN』のモイカ様へ捧げたく思います。よろしければ見てやってください。
相互リンクに素敵なイラストに、本当に有り難うございます。


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