ものによっては、縛り付けておけばそれだけで満足だ。
ものによっては、拘束した事実すら忘れ去ってしまう。
ものによっては。
格子
「どうですか、気分は」
上からものを言うわけにはいかない。そして、言う気にもなれなかった。
向こうの態度を見ていれば現状すら忘れかける。
格子に囲まれてすら、王座に在るように。足だけやや崩して座りこちらに視線を向けている。
「さぁな」
笑っているのか、そうでないのか。
硬い格子の中で帝王のあげた声は、軽く放たれてやや重く耳を打った。何も考えてすらいないのかも知れない。
全てを読み尽くされているのかも知れない。
ただ何をしようともせずにここにいる彼は、もしかするとこちらの出方を楽しもうとしているのだろうか。
「どういうつもりだとか、聞かないんですね。ギガ様」
「あぁ?必要ねぇじゃん」
小さく笑みを漏らして見上げてくる。
しかしどうしても、こちらから見下ろしている気にはなれない。
たった今の自分の表情が彼にはどう見えているだろうか。
この腕から生み出した丸い檻のひとつが、彼にはどう見えているだろうか。
檻の中のギガと、
檻の外から支配している筈の王龍牙。
上司と部下。あってはならないであろう光景。
咎めるものもなければあって然る動きすらない、ただ二人だけの空間。
まるでその場所そのものが檻の中の様だった。
(なら、俺の目の前にいるのは鳥か何かだってのか?)
檻の中に閉じ込められた男、その傍らに籠の鳥。
鳥は飛べるが、男は飛べぬ。
(…馬鹿みてぇ)
さあ、これからどうする。
まるでギガの視線から、そんな風に問われている様だった。
主君のその身をこうして檻の中に閉じ込める。
傍らに佇みその光景を見ながら、いったい何をするつもりなのか。
龍牙自身にすら確かには見えないそれが、ギガには読み取られているのだろうか。もしくはやはり、何も考えようとはしていないのかも知れない。
理解することはない。
理解することはない故に、その先を期待してすらいるのかもしれない。
ギガの瞳がまるで幼子のそれの様に思えて、龍牙はとっさに目を逸らした。
ギガのすることは解らない。
幼いと言ってしまえばそうかもしれない。
世界そのものを治めるほどの皇帝との関係も、もしかすればゲームか何かの様に考えている。
大都市の帝王でありながら、それらしくあろうと気張る様子もない。
ふとした気まぐれを繰り返す。
そしてその手元には、まるで人形を集めるかの様に気に入りしか置こうとしない。己の領域を持ちたがる者。
ひとつの事柄に傾倒する者。
自身の在り方に並ではない信念を持ち続ける者。
あのハレクラニと初めて出会ったのも、当然ながら彼を通してのことだった。
放っておく分には無口でどこかすかした男。
軽く憎らしい程には綺麗な男。
この世界の全ては金だと、不思議なほどに言い切る男。
自分の前で彼の名を呼びながら、ギガはそれは楽しそうだった。
思えば彼は、龍牙の生み出す檻のことも気に入っている様に言う。
牢獄。
すべてを閉じ込め、封じてしまうもの。
ものによっては、縛り付けておけばそれだけで満足だ。
ものによっては、拘束した事実すら忘れ去ってしまう。
ものによっては。
自分はどうして、彼を閉じ込めておこうと思ったのだったか。
「…そうして、閉じ込められるのは」
座ってその視線でこちらを見るのは、
「どんな気分ですか?」
いつまでも慣れぬ敬い言葉をかけながら、彼の上にもうひとつ術を重ねた。
その両手首に輪を生み出して、強引にその身の後ろに繋ぎ止める。
後ろ手に縛り上げられてギガは小さく眉を潜めた。
しかし何かをどうしようという意思は、未だ見られない。
「こっちに顔、寄せてください」
「……」
「もっと」
側で見るほど、その表情は幼く見えた。
瞳の裏の意思は知れない。
意地の強そうなその無表情の裏、今ならば一体何を考えているのか。
解らない。
「……」
「…ン、ぅ!」
乱す術を手繰るようにして、格子の間から強引に口付けた。
それ以上近付くことを檻は主にすら許さない。
引き寄せるために新たな枷を。そう考えれば、実行する直前にあちらから顔が離される。
「……龍、牙」
「…はい」
声が小さく、乱れを見せながら己が名を呼んだ。
瞳は僅かにだが見開かれている。
唇を拭おうとしないのは枷のためか思い付かないからか、期待を思いもしない形で返されて影響を受けているのは確かだった。
「なんですか、ギガ様」
とても、
気分がいい。
きっと今、己はこうしてから初めて笑っているのだろう。
彼の表情に笑顔はない。
代わりに、どうにかして欠片ほど生まれた驚愕を冷まそうとしているらしかった。
「どうです?気分は」
そんな彼に重ねて、問う。
ギガは間違いなくそれを受け取り、ゆっくりとこちらに視線を合わせて来た。
「…つまんねぇじゃん」
普段より幾らか上擦った様に聞こえるその声が返されて、ただ二人きりの空間に響く。
檻の中の籠。
危ういバランスで閉ざされた、駆け引きの空間。
「それで終わりかよ?」
続けて、ギガは笑った。
その笑顔もまた。今まで見てきた彼のものとはどこかが異なる。
龍牙は解りきってそれを導いてきたのではなかったが、心の内はどこか満足だった。
いつ破壊されるかも解らない格子、重ねられた枷。
一対一のただそれだけの場所。
「まだ、ここに俺がいるでしょう」
返した己もやはり、それまでとはどこか違った笑みを浮かべていたのだろうか。
それを知る者は彼しかない。