求める果てには
献身的に尽くすことと献身的に尽くすその姿、本当に求められる要素がどちらなのかは知れなかったが、
これまで出会ってきた者達の殆どは易く騙されてくれた。
非力な少女の姿。
甘いマグカップ。優しいストロー。
グラスを前に朽ち果てた名も知らぬ影を、小さな二人は首を傾げて覗き込んだ。
「倒しちゃったね」
「ね。見かけほど強くなかったよね」
「ねっ」
「でもこいつ、ジュース残してるよ」
「あー。もったいなぁい」
持ち上げたグラスの底には罠の名残が揺れる。溶けかけの氷がかちかちと音をたてた。
「ファイン様ぁ。こいつどうするの?」
「ばらばらにしちゃうの?」
グラスを放って振り向くと、男はつまらなそうに二人を一瞥する。
倒れ伏した影には目もくれない。グラスの氷は放っておいても溶けていくが、手すら出されぬ名も知らぬ影はただ目を回したままでいた。
「捨てとけ」
呟いて、逆立て髪の男は踵を返した。
「はぁい」
「ばいばいニャン」
軽く引っ掛けようとしてみても彼は然したる興味を示さない。
ブルーDとレッドKは顔を見合わせると、幸せそうに伸びた名も知らぬ影の足を手分けしてよいしょと抱えた。
ビービビの命に従う発毛獅志十六区のメンバーは、決して固定されたものではない。
各地区の総隊長がそれにあたる。基本的には番号の順に実力を有するとされていた。
ブルーDとレッドKは元から組んで戦う者同士だったが、認められたがゆえに所属地区を分けられた。
ブルーDは九区、レッドKは十区の総隊長として発毛獅志に名を連ねる。
「ファイン様はおこってるの?」
「そんなことないよぉ。私達ちゃんと敵を倒したもの」
見かけだけならば二人とも無邪気な幼い少女だ。その風貌と可愛らしい服装に騙される者は少なくない。
ビービビから特に何か言われることもないのは結果を出しているからか、彼が大らかだからなのか、彼にも幼い子供があるゆえか、今のところは知れない。
「最初の三人はさっさとやっちゃって、最後のひとりもちゃんと捨てたもんね」
「でもファイン様の出番がなかったね」
「だから怒ってるのかなぁ?」
ファインは七区の総隊長で、ブルーDとレッドKとともに南のリンスー塔を守護する役目に就いている。
十六区の真の任務はビービビとその兄バーババの周りを固めることだ。その為に存在する四つの塔に、獅志達は四人ずつ振り分けられる。
一区から六区の隊長達は十六名の中でも別格とされているが、だからといって七区である彼の実力が足りていないのではなかった。
ビービビも彼にこの塔の指揮者を任せるだけ、それなりの信頼を置いているのだろう。
上との実力云々の話になるとすぐに機嫌を損ねるどうにも短期な男ではあるが、ファインは確かに強かった。
南の塔を守るもう一人の発毛獅志は、十三区の総隊長ということになっている。
現在は空席である。先日乗り込んできた敵を相手に倒され、それ以来王国からその姿を消した。
ブルーDとレッドKは彼の行き先を知らなかった。
ファインに塔の最上階から蹴り落とされたのだという噂もあるし、ビービビ直々に消されたとも聞く。
だが実際には、七区の総隊長は敗北者にも興味を示してはいなかった。少なくとも二人は『それ』を見ていたのだ。
「三人だけだとさ、めんどくさいねぇ」
「サポーターが二人になっちゃうもんね。相手が大したことないからいいけど」
「すぐにいなくなっちゃうんだもん。四人目」
「十三区だけじゃないよぉ」
「ね。…次はさ、『お兄ちゃん』にしてみよっか」
「『ご主人様』飽きちゃったの?」
「だってビービビ様も『お兄ちゃん』だよ」
「えー」発毛獅志の入れ替わりは決して珍しいことではない。ブルーDとレッドKもまた例外ではないが、しかし勝ち続けている限りは他人事だ。
他の獅志達の意識も不安などにではなく、最近はビービビの兄弟達へと向いていた。
ビービビの兄は他でもないバーババだ。が、彼は元々五人兄弟の二番目であって、最近『裏切り者』と称されたブーブブがその妹であった。
他にも彼にはあと二人弟がいる。どちらも二十年前に毛の王国を脱出して以来、その姿を見せていないのだと聞く。
ただ末弟であるという『ボーボボ』はマルハーゲ帝国を相手に戦っているのだという話だ。ビービビがそれを語った時の笑顔は、俺の可愛い弟があんな連中に負けるかと言いたげだった。
下す決定に躊躇のない彼も身内のこととなるとやけに人らしくなる。「やっぱり妹や弟はかわいいんだよ」
「でも、ブーブブは?」
「ビービビ様は裏切り者がきらい。でもそれもかわいいからよ」
「二十年前、いっしょに生き残ったんだって」
かつての毛の王国の姿は、つまりは波に浚われた砂の城だ。
それを知る者にとっては永遠の思い出にもなり得るだろう。しかし知らぬ者にとっては、目を凝らしても見えることはない。
ブルーDとレッドKの興味は今、砂の城よりもまだ見ぬ新たな十三区の隊長へと向いていた。
「新しく来るひとをお兄ちゃんって呼ぼうよ」
「ファイン様は相手にしてくれないもんねー」
「ひどいよねー」
「十三区の人達ってみんな優しいのに、すぐいなくなっちゃうの」
「だからそれはしょうがないよぉ」
既にその姿を消した前の十三区総隊長も、二人には甘く弱かった。
だからどうということはない。結局力ある者は残り、弱き者は消え去る。
他の塔を担当する地区の総隊長が知らぬ内に入れ替わっているのも、決して驚くようなことではなかった。
洗濯が終わってすっかり乾いた被り物を抱いて、二人はぱたぱたと走っていた。
軽くアイロンをかけなくてはならない。
そういった作業は苦ではなかった。二人で向かい合ってやっていると意識せぬ間に終わっている。寧ろ楽しいので、部下には任せない。
他の衣類も一通り終わらせてしまって、ならばファインの服でもやろうかとなると彼は怒るのだった。
「ファイン様ってたんきー」
「ねー」
本人に聞こえないのでそんなことを言いながら、二人は笑う。が、すぐに進行方向の先に在る影に気付いた。
『二人にとっては』大きく見える。男性のものだ。
「きゃ」
「ファイン様ぁ、ごめんなさーい」
思わず言いながらあわてて前を向くと、
そこに立っていたのはファインではなかった。
「……???」
「あれっ。ファイン様じゃないよ」
「ほんとだ」
無表情に、しかしどこか困った様に佇んでいるのは見覚えのない男だ。
黒ずくめの服を着て、両目は眼帯に隠れている。片手には鞭を掴んでいた。
「パンダさんみたい」
「いや、別にそれは意識していなイエッサー」
レッドKが呟くと、男は妙な台詞で返してくる。
「あ。13」
「え?」
直後、ブルーDが声をあげた。彼女の示した先にレッドKも視線をやる。
「ほんとだ。十三区の人だぁ」
十三区の人というよりは、十三区の総隊長だ。
毛の字に所属地区の番号は発毛獅志の証である。
「…貴方達は九区と十区の総隊長でいイエッサー?」
「はぁい」
「イエッサーってなーに?」
質問には答えず、男は綺麗に背筋を伸ばした。「私は本日より発毛獅志、十三区総隊長として南のリンスー塔に配置されましたルナーク大佐であります!よろしくおねがイエッサー!!」
「……」
「…わー」
敬礼と、きつく後ろに流された黒髪の揺れるのが格好いい。
格好いいと言えば良かったが、『よろしくおねがイエッサー』がそれらを上手に台無しにしていた。
「しかし九区と十区の総隊長殿がこんなに幼い方だとは思ってイエッサー……いや失礼」
幼いという言葉に失礼と言ったのかイエッサーの語尾に向けたものか、とにかく彼はもう一度敬礼をしてみせる。
「こ、こんにちはっ」
「…いえっさー?」
なんとなくつられて敬礼を返し、ブルーDとレッドKは互いに顔を見合わせた。
「いきなり十三区の総隊長さんなんだ。すごいねぇ」
「いつもはね、下の地区の人が上がってきたりするのよ」
数分の後、いつもの調子を取り戻した二人はルナークを部屋に引っ張りこんで座らせ、コーヒーを煎れていた。
紅茶でもと思いはしたが彼のイメ−ジはどうしてもコーヒーだ。黒ずくめの格好のためだろうか。
その彼はというと、鞭を脇に置いて大人しくしていた。
「あの…上の地区の総隊長殿達にそんな事をして頂くのは、申し訳なイエッサー」
「いいの!」
「座ってるの!」
そうきっぱりと言うと、ルナークは背筋を伸ばす。
そしてこれ以上は何も言わなかった。ある意味ではっきりとしたところが、これまでの十三区総隊長とは若干異なっているかも知れない。
始めからきちんと二人を隊長扱いしたのも彼が初めてだ。
「ちょっとした歓迎会だニャン」
「マグカップをプレゼントするニャン」
「……にゃん…?」
自分も妙な語尾を付けて喋るくせに、ニャンという響きはどうも耳にしっくりこないのかルナークは複雑そうだ。
「私達のこと、知ってるの?」
しかしレッドKが尋ねると、律儀にまた背筋を伸ばした。
「はっ。七区総隊長ファイン様、九区総隊長ブルーD様、十区総隊長レッドK様…元十三区総隊長は殉職されたと伺ってイエッサー」
「…じゅん」
「…しょく」
呟いて、二人は黙る。
「……!も、申し訳なイエッサー!」
「あ、ちがうの」
「ちがうの」
慌てたルナークにフォローしながら、二人は手早くコーヒーの準備を進めた。
「…よいしょ。できたぁ」
「はい、御主人様。コーヒーをお持ちいたしましたにゃん」
殺し文句でかかるとルナークは思わず、
どうにかなるものではなかった。
言葉を返しかねたように黙る。
「…………ご主人様は、ビービビ様では?」
その瞬間、ブルーDとレッドKはメイドの演出も忘れて吹き出した。
「ルナークっておもしろーい」
「コーヒーおいしい?」
「は、はい…おいしイエッサー。どうもありがとうございま」
「ちゃんとお礼も言えるねぇ」
「いいこいいこ」
「わ!」
言い終えぬ内に髪をぐしゃぐしゃ掻き回され、ルナークは危うくカップを取り落としかけた。
「髪の毛かたーい」
「イメージの問題でありますイエッサー…」
「ぐしゃぐしゃにしても梳かしてあげるから大丈夫だよー」
「リンスー塔だもん。さらさらにしようか」
「そ、それはちょっと困るかも」
イエッサーを付けぬ言葉がそれこそ素の彼のものに思える。
よく見てみれば、それなりに柔らかい表情も出来る男の様だ。
「えい」
「わ!」
後ろにまわっていたレッドKが不意にルナークの眼帯をずらした。
「ちょ、やめ、レッドK様…」
「あれー。普通の顔」
「こらレッド、かわいそーよ」
飲み干されたカップを回収しながらブルーDが注意する。とはいえ彼女も楽しげにルナークの顔を見ていた。
「も、元々面白いものじゃなイエッサー」
レッドKが手を離したのを確認して、ルナークは慌てて眼帯を戻す。
「どうして両目につけてるの?」
「なんで?なんで?」
「パンダさん?」
「いや、パンダじゃなイエッサー」
三人の何やらずれた会話に口を挟むものはない。
と思えば、部屋のドアが音を起てて開かれる。
指紋照合でロックを開く特別休憩室のドアを、管理室からでなくどうこうできるのは三人を除けば一人だけだ。
「…何やってんだ?新入り」
南のリンスー塔指揮者、七区総隊長ファイン。
レッドKとブルーDが何か言う前に、ルナークは立ち上がって敬礼をした。
「コーヒーをご馳走になっていました!」
「へぇ」
「ファイン様、ルナークのこと知ってるんですか?」
「あ。カップお片づけしなきゃ」
「いやえーとブルーD様、それは自分で…」
「いいの。私がやるの」
ファインに一礼してから流し台へとぱたぱた走るブルーDの背を見て、ルナークはまた少し困った様に首を傾げた。
「大佐はお前らにひっかからねぇらしいな」
「たいさ?」
「呼び易いだろうが」
問うレッドKにファインは笑う。
「どちらで会ったんです?」
「最初に俺んとこに挨拶に来てんだよ」
「ふぅん」
「点数稼ぎかと思ったがな。あんまり律儀なんで気ぃぬけた」
数時間前まで不機嫌だったはずのファインは、今は楽しげだった。名も知らぬ敵のことなどもう忘れ去ってしまったのかも知れないが。
「お気に入りですか?」
「弱けりゃいらねぇ」
「ファイン様、厳しいー」
「文句あんのか」
「ありませーん」
レッドKが縮こまって返すと、彼はまた笑った。
ファインは自信家だ。
微粒子真拳を扱うが、それだけに頼ってもいない。
彼は時にはあえて敵の技を喰らい、追求し知り理解することで戦いの幅を広めていった。七区の総隊長まで昇ったのもそれゆえだろう。
とはいえ認められぬ者相手ならば、つまらないからと言ってほぼ見向きもしない。適当に粒子にされてしまった姿というのも無惨なもので、ブルーDとレッドKは弱そうな相手であればなるだけ自分達がとどめを刺すと決めていた。
本当に知りたいものがあると、彼は楽しげな顔をする。
「…ファイン様ぁ」
「あぁ?」
「ルナークのこと、ばらばらにして消しちゃったら嫌です…」
「まだしてねぇだろうが。何の文句がある」
「だって楽しい人なんだもん」
「けッ。気に入ってんのはテメーらなんじゃねーか」
ファインの『知る』行為の終着点は相手を粒子にして消し飛ばすことだ。
リーダーになると他のメンバーを粒子にして利用することもあるが、全てを分解するわけではなく技を終えれば元の姿に戻す。
未だ彼の『興味』がそこに達したのを見たことはなかった。
だが彼は本当に知り尽くしたいものがあれば、きっと最後には『溶かして』しまうのだろう。
心を向けるものには、どこか違った意識を伸ばす。ビービビのように。
「あいつが弱くなきゃ何にもしねぇよ」
「えー……」
「おい新入り!」
ブルーDがカップを洗う姿をなんとなく見守っているルナークに、ファインは声を投げつけた。
「バトルのルール覚えてんだろうな」
「はッ!問題なイエッサー!!」
「ならいい」
妙な語尾にか、別のことにか、機嫌の良さそうな笑い声を小さくあげてファインは出口へと向かった。
「あれ?ファイン様、もう行っちゃうの?コーヒー…」
思い出したようにレッドKが問うが、ファインは構わずまたドアを開く。
「いらねぇよ」
そして通路へと姿を消していった。(…なにしに来たんだろ)
レッドKはツインテールを揺らして、もう見えぬファインの背を見送る。
そしてふと、気付いた。
『弱くなきゃ何もしねぇよ』
『弱くなければ』。
『弱ければ何かをする』。
今まで弱いと呼んだものには、『興味すら示さなかった』彼が。何をするのだろうか。彼の好む追求か。罰としての破壊か。
どちらにしろ、彼が何かをその手にかけて粉々にまでするところなど未だ見たことはない。
何をするというのか。
何をしに来たのだろうか。
ルナークの姿を見るために。
これから料理する食材の、どこに切れ目を入れようかと見定めるごとく。
「…まさかぁ」
「え?」
「…なんでもないよー」
レッドKの後ろでファインを敬礼で見送ったらしいルナークは、振り向くと未だその格好で固まったままでいた。
カップを拭くブルーDの黒髪が見えたが、彼女にどこまでが聞こえていたかは解らなかった。「…ねぇ、ルナーク」
「はイエッサー」
「ファイン様ね、とっても厳しいんだよ」
「は…勇敢な方とも伺っておりますイエッサー」
「無理なこともいっぱい言うよ。怖くない?」
見上げると、ルナークは無表情と沈黙で返した。
暫くしてからゆっくりと口を開く。
「…私は、そんなに勇敢ではなイエッサー」
眼帯に隠れた目がしっかりとこちらに合わさっているように思えた。
少しだけ厳しそうな、それでもごく普通の色をしているように思えた彼の瞳。
「命が惜しければ緊急退避してしまうかもしれません」
これまで出会った者達とはどこか異なった優しさのようなもの。それこそ、ある意味では純粋に感じられた。
そしてその言葉は本音なのか、レッドKのためのものなのか、その両方を含んでいるのだろうか。
「ファイン様が逃してくれなくても?」
「生きようとする人間の力は恐ろしいものです」
「…ねぇ」
ルナークの後ろから、ブルーDが彼の服の裾を引いた。
「ブルーD様?」
「もしやられちゃっても私達がちゃんとその相手を倒すけど、でもやられちゃだめよ」
どこから話を聞いていたのか、彼女はにこりと笑う。
「でもルナークはそう簡単にはやられないニャン」
「ねー」
「こ…光栄です!頑張りますイエッサー!」
照れたようにと言うよりは本当に嬉しそうに笑い返して、ルナークは敬礼した。
自分達はそれなりに彼のことを気に入ってしまったのかも知れない。
今までの十三区総隊長のように、彼が音無くいなくなる光景を想像できない。
だがファインによって確実に崩される彼の姿を思うと、できることならそれも実現してほしくはなかった。
だからその分だけ、彼の敬礼が肯定するためだけのものではないことを、彼の二つの眼帯が従うべき以外を見ぬためのものではないことを祈る。
「…ブルーD様、レッドK様」
「ニャン?」
「なーに?」
ほぼ同時に自分の方を向いてきた二人に、ルナークは改めて背筋を伸ばし敬礼した。
「私は御三方を信頼いたします。ただ従うのみでなく、それゆえに命を預けます…だから、いずれ認めて頂けたならその時には私を信じてほしい。よろしく」い、の部分に彼の口癖が付かなかったのは、意識してのものだろうか。
ファインは既に彼に何らかを期待しているのだろう。そんな様子であったし、しかしそれゆえに、彼の最後が訪れれば自ら手にかける気だ。
ブルーDとレッドKは考える前に小さな手で敬礼した。
「よろしくねぇ」
「いえっさー!」
そんな二人にルナークは初めて、照れたような表情を見せた。