見えない雨



通路を歩きながら、普段とは違った空気を感じた。
しかしその理由をすれ違う人々から読み取ることはできない。
皆、いつも通りに黙礼なり敬礼なりをしては通り過ぎる。
「詩人」
視界の外から名を呼ばれてゆっくりとそちらを向いた。
詩人を呼び捨てにする者は、ここには両手で数えられるほどしかいない。
「何か用?」
「別に大したことじゃないが。お前、外に出ていたのか」
髪を逆立てた目つきの悪いよく見知った男、ソニック。詩人が総長を務める電脳六闘騎士の一人だ。
「そりゃ用事がある時は出るさ。それより、なんだか今日はいつもと違わないか」
「今日?」
ソニックは不可解そうな顔をしたが、すぐに頷いて溜息を吐いた。
「詩人、何日部屋から出ていないんだ」
「一昨日から」
「…うっとうしい雨が降っているんだ。昨日の朝から、ずっと」




詩人は自分の世界を持っている。
世界とはいっても、宛てがわれた部屋がその能力によって形を変えたものである。
詩人の使うゴシック真拳はあらゆる物体を文字に変換することができる。
文字だらけの中に読みたいと思う本だけがそのまま散らばった世界が、彼の住処だった。
入浴からトレーニングまで、必要なことは部屋の中で事足りる。食事も自分で用意する。部下に運ばせてもいいのだが、読書や瞑想の時間を邪魔されるのは気に入らない。
処刑も部屋の中で行う。六闘騎士ともなれば宛てがわれる部屋も一つではないから、処刑もできれば暇つぶしに本も読める場所を作って書獄処刑場と名を付けた。
もっとも処刑する相手には大した実力者もいないため、仕事は適当に終わらせて趣味の方に熱中している。

雨が降っていることにも気付かなかった。
とはいっても気に障るような湿気は感じないし、問題も起こってはいない。ソニックがうっとうしいと言ったのは、彼の趣味と実益を兼ねたバンジー処刑場が空の下にあるからだろう。
(ソニックのやつ、屋内の簡易施設じゃ満足できないってことか)
詩人にもその気持ちは解らないでもない。
趣味の時間を邪魔されることにはいい気持ちがしない。処刑にしても、相手が弱すぎて真拳を使う機会がないのでは嫌にもなってくる。


できるならいつだってあの部屋にいたい。
自分の世界に浸っていたい。

ただ、今は別だ。
こうして外にいるのには理由がある。
総長として、帝王に呼びつけられているのだから。



何のために呼ばれたのか、行ってみなければそれは解らない。
定期的な報告やどうしても必要な場合はこちらから向かう。
そうでない時は、来い、と。
帝王のその一言に逆らえる者などいない。
そもそも逆らおうと思う者がいない。
そして詩人は、逆らいたいと思ったことすらなかった。

「真拳狩りってのをすることにした」
人払いをして、二人きりになった部屋の中に帝王ギガの楽しげな声が響いた。
「真拳使いを消すのですか?」
「消すんじゃねーよ、意味ねえだろ。オブジェにすんだ」
つまりは真拳使いを捕える、ということになる。ギガが自ら出向くようなことではない。誰かがその役をすることになる。
「解りました。それで、狩人は誰が」
詩人の使うゴシック真拳でも檻を出すことができる。だが、より適しているであろう男は他にいた。
「解ってんのに律儀に聞くんじゃねえよ。龍牙にやらせる」
「ならば如何致しましょう」
「命令は俺が出す。その分の仕事の振り分け考えとけ」
「承知しました」
ギガは時に気まぐれにこうして何かを言い出すことがある。それは如何なる時も絶対であり、素早く理解して答えぬようならば怒りを買うことになるだろう。そうして消された者達もいるが、詩人には苦にもならない。

六闘騎士の総長という立場は他ならぬギガから与えられたものだった。
間違いなく、名誉である。しかし同時に複雑でもあった。
一番の使い手だと認められたわけではないからだ。
もしも最も強い者を総長とするならばそれはJだが、彼はその役割故にまとめ役として立ち回ることは不可能に近い。それを前提にして、あくまでも一番向いている者。それが詩人だったのだ。
自分でもよく解っている。しかし拒否しようなどとは決して思わなかった。
帝王直属の部下の総長。
理由はどうあれ、その名を与えられたことに勝る幸せはない。
彼の側に仕えるに勝る幸せはない。

だから、呼びつけられれば何よりも先に飛んで行く。
何もかもあなたに従う。
服従し、ひざまずき、傷つけられることさえも。
理屈よりも先に本能が、堪らないほどの心地良さを感じているから。

「てめぇはまた閉じこもってやがったのか」
「…一昨日からです」
「それが今はここにいる、と」
「ギガ様の御命令に背くなど、考えたこともありません」
「クソ真面目」
「貴方のお役に立ちたいとだけ思っています」
「恥ずかしくねえのか、その台詞」
「幸せです」
「フン」

「今が、何より幸せです…」

あなたが、微かにでも笑って僕に触れてくれる。



「…クゾうぜぇ雨が止んだ」
「え…」
「てめぇがボーッとしてる間にだ。とっとと処刑場を開け」
簡易施設での処刑を一段落させいつも通りの処刑を再会する。
外に処刑施設のあるパナやクルマン、ソニックはさぞかし喜ぶだろう。
「解りました。…あの、ギガ様」
「あ?」
「…雨。この部屋にいらっしゃっても、お解りになるんですね」
帝王は不敵な、馬鹿にしたように笑みを浮かべた。
「俺に解らねえとでも思ってやがんのか?」
「…いえ、失礼しました」
思えば、それは当たり前のことだ。
詩人は深く礼をすると、ギガの支配の中心であるその部屋から出た。





外には、雨。
文字と本ばかりの詩人の世界からは気付けない雨。
オブジェと、圧倒的な存在が支配するギガの世界からは見えている雨。
否、ギガの世界はこの部屋ではない。
この世の中の全ては彼の掌の上にある。彼が気まぐれを起こせば、何もかもがどうとでもなる。
詩人の世界など問題にはならないのだ。

ゆっくりと、帝王の部屋を思い出す。
彼の真拳に創られたオブジェの山。これから更に増えていくことになる。
壊されないでいるだけのガラクタ達。
(僕は違う)
触れることが許されている。
(僕は電脳六闘騎士の総長だ)
感じることが許されている。
(帝王の中に存在している…!)
近付くことも遠ざかることもできない距離に縛られている。

もっと遠かった時には、近付くことばかり考えていた。
今は近付かないことと遠ざからないことの両方を考えている。
ギガがギガである故に。
詩人が詩人である故に。
今の距離が崩れてしまうことが何より恐ろしい。

触れてくれる。感じさせてくれる。縛りつけてくれる。

何もかも変わってくれるな。
詩人の世界。誰にも邪魔をされない世界。それすら容易く支配する、ギガの世界。
心地よい痛みと痺れと甘い感覚。
このままで、縋らせてくれ。




「ギガ様」
誰もいない通路に、掠れた声が響いた。
「僕に、あなたを、愛させてください」
その支配の中で。
ひとり呟くことだけならば許されている。

今以上には、何も望まない。











1100hit、ゼロ様からリクエストを頂きましたギガ×詩人です。
有り難うございました!…そ、そしてすみませんでした…ラブってないです。
詩人のギガに対する尊敬心とか畏敬の念とか、それ以上の感情とか…
そして今が幸せだから後にも先にも進みたくない、という。

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