何がなんでも、失くして良いはずがなかったのだ。
くるみ。きれいな形をした、傷のついていないふたつのくるみ。
たくさん落ちているくるみの中から、二つだけを拾った。
そういえば昔一緒にいた頃にくるみ拾いをしたことがあった。二人きりではなかったが、一緒にいられた大切な思い出として今も残っている。懐かしいですね。
ぽつりと言うと、片方の手が差し出された。
そーだな、ほら、一個やるよ。みんなにはナイショだぞ。
もう一つのくるみを持って、前を歩いていく背中。
二人きりのくるみ拾い。
あなたの手から渡されたもの。
失くしていいはずがなかったのに。
目が霞んでいた。汗をかいているのだろうか。それとも、暗くなって視界が悪くなったのだろうか。
太陽が憎い。沈むのが早過ぎる。
木々が憎い。影になって邪魔をする。
月が憎い。もっとよく照らせ。
「…くそッ」
土を掻きむしるようにして、破天荒は呻いた。
失くしもの。小さなくるみ。
「……、くしょう」あなたから貰った小さなくるみ。
あなたから貰った小さな幸せ。
あなたが。あなたがくれた。俺にくれた。
何だってよかった。言葉にならない位嬉しかった。
もう一つのくるみを持って、前を歩いていくあなたの背中。
俺の手にしたくるみと、たった二つ。
まるで魂の欠片を貰ったようで、心が喜びに浸食されていった。「…ちくしょう」
自惚れた。浮かれていた。
自分が憎い。
「畜生!畜生!畜生ッ!!」
探さなければならない。見つけなければならない。失うわけにはいかない。
あなたと俺を繋いでくれるものを、こんなにも確実なものを。
見つけるまでは帰れない。
あなたの側に、帰れない。「ちく…しょ、う」
座り込んで、ただ呻くばかりだった。
全身を湿らせる汗も、痺れた指先も、瞳を霞めるものも、全てが情けない。
それでも止まるわけにはいかないのだ。再び手を動かそうとした時、ひとつの声が駆け抜けた。「破天荒」
聞かなかったことにするわけにはいかない。
振り向かずにはいられない。
「……おや、びん」
誰より会いたくなかった、しかしどこかで何より求めていた存在。
全身の力が抜けた。
酷使した指先が、初めてぼんやりと痛みだした。
「…おやびん、なんで……」
「長い旅だった」
「え…」
「カジノの一番奥のスロットは天空へのネズミ穴だった…そこでは魔王が腰痛で苦しそうだった。俺の華麗な一撃で完治の後彼は法曹界へ繰り出した」
「おやびん、お疲れさまです」
破天荒は首領パッチに労いの言葉をかけた。どんなに痛かろうと疲れていようと彼の前ならばそんなことは忘れてしまう。
「それで、お前はどーした」
「あ…」
いつもなら、本当の笑顔とともに。
今は違う。笑うことができない。笑っている資格などない。
それでもどうにかして笑おうとしたその表情は、きっと惨めだっただろう。
「…探しものを、してるんです。もう遅いですから、おやびんは先に……」
「何を?」
首領パッチにはその、惨めな顔が見えている。だからこうして尋ねてくる。
隠す。誤魔化す。曖昧にしておく。
「…み…ませ…」
できない。
「すみま、せん…すみません……おやびんが俺に…俺にくれた…」
どんなに情けなくても、自分が嫌でも、言わずにいられなかった。
誤魔化しなどできるはずもない。全てが裁かれる。俺は、罪人だ。
「…くるみ」
「…あー、あれか」
首領パッチはそれを思い出したようだった。破天荒は目を閉じて彼の判決を待った。
指先が震えていた。
痛みのせいではない。全身が震えているのだ。
その先に続く言葉を恐れて。「破天荒、これを見ろ」
その声に、破天荒は恐る恐る目を開いた。
「それ、もうひとつの…」
「ぽーけっとーのーなーかーにーはーくーるーみーがひとつ♪」
首領パッチは自分で持っていたもう一方のくるみを片手に歌いだした。
「ぽーけっとーをたーたーく…と見せかけてオラー!!」
そしてそのくるみを、放り投げた。
「え!?」
暗闇にまぎれてあっと言う間に見えなくなったそれを破天荒は呆然と見送った。
「お…おやびん…?」
「くるみを甘く見ていたー!旅に出たんだ!間違いない!」
「え」
くるみの飛んでいった方向に向かって首領パッチが叫ぶ。
「仲間から引き離しちゃったからかー!復讐か!?リベンジに来るのか!?」
「……」
ああ、そうか。
くるみが、ふたつ。
たくさんの中からたったふたつ。
ふたつだけが拾われて、片方が逃げ出した。
違う。逃げ出したのとは、違う。まるで自由を目指すかのように消えていった。
取り残された、もう一つのくるみ。自由を生きるあなたを見失うまいとする、俺。
だからせめて、今この時の幸せを保とうとしたのに。
首領パッチはうつむいた破天荒の横まで歩いてきた。
「くるみ二号は一号に会えるかな」
「え…」
「縁があれば会えるかもな。で、一緒に復讐しに戻ってくるかも…やべー!」
ひとつ震えてから、見上げてくる。
「根性ある奴らだぜ」
「おやびん…」
「チキショー。挨拶もせずに行っちまいやがって」
二号を投げ飛ばしたのは首領パッチなのだが、目尻を拭って見送ってみせる。
「…おやびん、俺、なくして」
「お前のせいじゃなくて、旅に出たんだろ」
くるみの人生にも色々あるさと笑って、破天荒の足をぽんと叩いた。
「でも」
「そーゆーこともあるって。黙って見送ってやるんだ!くるみのことはくるみに任せて」
その手で足に触れたまま笑う。
その無邪気な笑顔は優しく、甘かった。「俺らもとっとと戻ろーぜ」
軽く叩かれた場所から温もりが広がっていく。
繋がりが、切られていない。
「もう晩ご飯の時間だし…」
「…は、はい」
「その前にちゃんと手を洗うのよッ!」
「も、もちろんです」
首領パッチはその答えに満足そうによし、と言うと村の方へ歩き出した。
しばらく歩いて、破天荒の方を振り向く。
「どーした?早くこないと夕飯、終わっちゃうぞ」破天荒はひとつ息を飲み込んで、笑った。
指先の痛みはもう忘れてしまった。視界も霞んではいなかった。頬が濡れているような気もしたが、気にはならなかった。
失くしものは見つからないままだ。
残念だったが、本当に自らどこかへ行ったのかもしれない。
首領パッチにそう言われれば、そうかもしれないのだと思えた。
何より。
俺はくるみを失くしたけれど、おやびんはこうして俺の目の前にいる。
「…待ってください、おやびん!」
そして、今度こそ本当に笑うことができる。
くるみの未来はくるみが選ぶ。
俺の未来も俺が選ぶことができるなら。
あなたが許してくれるなら。気にするなと笑ってくれるなら。俺はずっと、あなた追いかけていきたい。
あなたの背中を。あなたという光を。
進む道が違っても、ずっと一緒にいられるように。「許してくれますか」
「ん?だから気にすんなって言っただろー」
「…ありがとうございます!」
破天荒は耳の奥で、ふたつのくるみが軽く触れ合ったような音を聞いた。