よく磨かれた刃は、鏡にも勝り世界を透かす。
天上から奥底を、真実から嘘を、目に入るものから見えぬものまでを。
よく磨かれた刃は知っている。
知っている欲望を映し出す。


破壊の果ての血が欲しいと、この心に連なって鳴き叫ぶ。




仮初めであると言われれば否定のできぬこの身。
内にある心はどうだろうか。
真の姿に対して重なるものであり異なるものであり、一枚のカードに表があるならば裏が在るように、それは比較の対象などにはなり難い。そこにあって然るものだ。
だが己が心は叫ぶ。

血を寄越せ。悲鳴を寄越せ。慟哭を聞かせろ。
つまらないものなどではなく、確かに強き者の、そうするだけの価値のある者のそれを感じさせろ。
戦え。その果てに焼き焦がされる様な熱を寄越せ。
全てを斬り伏せたいと思うだけの、何かを寄越せ。

真の姿と言える『あの』存在にはひとつの確かな行動理念があり、そこにはこの叫びに似たものがあると言えばあるのかも知れない。
だがそこから組み上げられたものは恐らく異なっている。
例えば同じことを思えど、そこに辿り着くまでの道行きは少しずつ違っている。
それらの果てにあるものは何だろうか。
それらの、
果てに。

「…クソが」

そんな思考を心の内にして掻き回す必要はなにひとつ無いはずだった。違和感も何も無い、例えるならば一枚のカードの表と裏。
しかし今、たった今、胸の内を緩く掻きむしるこの感情はどうだ。
己、真の姿、叫び、何もかもが渦巻いているようにも感じる。心地が悪くて腹が立つ。

OVERは舌打ちをひとつして、その手に握った鋏の刃に視線を滑らせた。
よく磨かれた刃は、鏡にも勝り世界を透かす。
表には見えぬ奥底までも。







どうしてか唐突に『自分』に戻ってから、OVERはそれまで共にいた連中と距離を取っていた。
本来ならば距離などという問題ですらない。ボーボボをはじめとするその連中は己の敵、いつかは与えられた屈辱を返してやらねばならない相手の筈だ。
それは『自分』であり『自分』ではない、魚雷ガールという存在にとっても同じことだろう。
だが何かがおかしくなったきっかけは彼女で、そのボーボボの仲間である連中の一人に惚れ込んだのをきっかけに、何を考えているか解らない阿呆共を生徒などと呼んで引きずるようにまでなった。
ボーボボの一行の一応は一員として連中と歩く。惚れた相手の隣に立ちたがり、何かと想いを示そうとする。煩くした者があれば並べて説教をする。
OVERならばする理由すらないそれらの行動の数々は、しかし確かに記憶としては頭の中に残っていた。

魚雷ガールとしての意思が強く働いているのだろうか、ここで決着をつけるという選択肢がしっくりとこない。
しかし無理をしてまで不快な思いをすることもないとしたOVERは、置いて行くなら勝手に行けとばかりに一行から外れて、森の木々の中に一人佇んだ。
『魚雷ガール』に戻った時、もし望むならば彼女は連中を追うだろう。
OVERは『魚雷ガール』である時には持たぬ己の獲物にふとゆるりと視線をやった。
こんなくだらないことに気を揉むのも腹が立つが、それが失敗だった。
磨かれ過ぎた刃。くだらないことばかりが何故か心の内を襲う。


振り切るようにした思考は、連中と出会う前の日々に及んだ。

ふと思い出したのは、連中に負けず騒がしく間抜けな部下達のことだった。
主の不在に狼狽えるような連中を部下に置いた覚えはない。どうせくだらないことを好きにやっているだろう。
忠誠心はあるものの好き勝手にふざけることを選ぶ連中ばかりで、思えば怒鳴りつけてばかりだ。年少の二人は真面目といえば真面目だが、同時に何をやらかすかが解らない。
そこまで考えて、OVERは自分と魚雷ガールを繋ぐものを見付けてしまった気がした。黙って振り払う。
なぜあんな連中を部下にしているのかと問われれば、そこに理屈はない。
気に入らなければとっくに切り捨てている。それだけだ。
妙な連中を部下に置いているといえば軍艦がそうだ。プルプーもそうだった。どちらもボーボボ連中に負けた弱者だが、己も一度負け姿を見せた今はそれも笑うばかりではいられない。
そもそもハレクラニも含め、四天王は偏屈ばかりである。金に執着する男、力に執着する男、何を考えているのか解らない男。ハレクラニを妙な視点で見ては笑うサイバーシティのギガも、芸術に執着するという意味では立派な同類だろう。

ならば己は、それを笑う立場にあるだろうか。

鏡に勝る磨かれた刃は、深き叫びを映し出す。
血を寄越せ。悲鳴を寄越せ、慟哭を寄越せ。
そして最後には地に伏せろ。
跪け。

『魚雷ガール』と同様にして異なる『OVER』の叫び。

なぜそれが繰り返して今、渦巻いている?

OVERは力任せに、鋏を地に突き立てた。

直後、背後からひ、と忘れたくとも忘れぬ声が聞こえた。




「…あぁ!?」
「!!ごごごごめんなさい、間違えました!そう、間違えました!!」
振り向いてやれば脈絡のない言い訳、必要以上の慌てぶり。
それらに増して逆撫でされるのが、ここまで近付かれて気付いたのがたった今だという現状だ。
あと一歩でも側に寄られるか向かって来られていたら気付いていただろうが、今となってはそんなことを考える意味もない。
それよりこの男が何のため、こそこそこちらを探っていたのかが問題だった。
「何してやがる?…天の助ェ」
「あ、あのですね、心配だったから!心配だったから見に来たの!」
間違えました、という言い訳は記憶のどこかに吹っ飛んでしまったらしく、ところ天の助は後ずさりしながら悲鳴をあげた。
「行ったんじゃねぇのか?」
「…み、みんないるよ、あっちに」
「は?」
「だってお前がここにいるから……」
「……」
くだらないことを、と思った。
OVERはもう六度怒らぬ限りは『魚雷ガール』ではない。それを待とう気にしようなどという選択はあまりに馬鹿らしい。
「お前、置いて行かれちまうんじゃねぇか?」
くく、と笑って言ってやると、気に障ったのか天の助は退いていた身を乗り出した。
「失礼なヤツだなー!俺、こっそり抜け出して見に来てやったんだぞ!」
「…なんだと?」
彼の思考との繋がりの見えない言葉に眉を顰める。
「とりあえず腹式呼吸大会することになったんだけどさぁ、みんなの息が切れたころにこっそりね」
ところてんがどこをどうやって腹式呼吸をするのかは知らないが、気になるのは最早そこではない。
OVERのことを天敵だと叫び、喧嘩を売る、言い訳をする、逃げ惑うを繰り返す天の助が何をどう心配するというのか。
「テメー、本当に置いて行かれるぞ」
「ンなことねーよ!ない…よな…ない……うん、ないんじゃないかな…」
どうも不安を捨てきれなくなってきたらしく、言葉尻が力なくしぼんだ。
そんな態度をするならばわざわざ来なければいい。その筈だ。
何故そうまでしてこの場所にいるのか。
「…何しに来やがった?」
「だから言っただろ!見に来てやったんだよ」
調子に乗ると止まらない。すぐに偉そうに胸を張って見せる。
打算も計算も秘め事も無いような、こちらをどう思っているのか読み取ることのできない、態度。
「ンな言い訳を聞いてるんじゃねぇよ。何をしに来た」
「だーからー…」
「ここに何を見に来た?この俺に何を期待してやがる?いつも通り真っ二つにされることか」
「え…ヤだなぁ」
血の気が引いたように(解らないが)天の助は張った胸をへこませた。
何かを抱いて向き合うのではない。後先も考えていない。それならば他のボ−ボボの仲間とも、帝国の連中とも違う。
違う。
違うのは、何だったろうか。

「なら、望み通り」

ぶった斬ってやるよ。

思考が働く前に、決まりきった答を返した。
天の助が喧嘩を売り、言い訳をし、逃げ惑うのならば、それを斬り捨てる。
いつの間にか決まり廻ってすらいる。
よく磨かれた刃は、その姿を気持ちの良いほどに真っ二つに分けた。

「あらヤダやっちゃったー!」


「……!」


ぐ、と何かが胸を押した。
渦巻く波による逆撫でに息が詰まる。

どうした、まだ得られたのは間の抜けた悲鳴だけだぞ。上手くすれば慟哭も聞けるだろう。だがそれも数秒後には意味を成さない答に辿り着き、お前は血を見ていない。奴は地に伏せ跪きはしない。そうさせてもやはり意味はない、何故なら何ごとも無かったように全て忘れてしまった様にして起き上がるからだ。一巡の先に待つものは振り出しだ。
どこに繋がっているか解らない器官から血を吐かせることは可能だぞ、そうするか。
細切れにしてやることは可能だぞ、そうするか。
ふざけるなと罰の一文字でも彫ってやるか。

残らず消え去るぞ、お前は知っているだろう、よく理解しているだろう!


「…クソが!」


叫び。
それを吐き出したOVERを、既にすっかり元に戻った天の助が見上げていた。
「…OVER?」
天の助は困惑したように声をあげた。
「…お前、どっか悪いんじゃ…」
「……なにを」
「だ、だっていつもと違うってーか…」
「…黙れ」
どうして動いているのか当人にも理解しきれていないであろう身体は、傷ひとつ残さずに同じ形に再生する。
切り裂かれても、ばらばらになっても、粉々になっても、噛み砕かれたとしてもだ。
大した力は持たないくせに、何をされても平気な顔をしてまた現れる。気にくわない。

だが、気に入らないのはそんなことか。
苦にするのはそんなところではないだろう。

「お、おい…OVER?大丈夫か?」


血を見ない、悲鳴も慟哭も意味を成さない、地に伏せない。
その果ての示すものはただひとつ。
殺印すら剥がしたこの男には『何も刻めない』。
それが何故こんなにも気に食わない、
何故こんなにも意味の無いことを繰り返す、
先生と呼ばれて奴を引きずるのが己の真の姿であるならば、
そうでない己は何をする。



「…何をする?」
「…な、なに?」
「…どうする?お前が俺を殺してみるか?」
「ちょ、お前…おまえホント変だぞ」
OVER本人には困惑と怯えの混ざった天の助の表情しか見えていなかったが、天の助にはOVERの妖しく笑んだ顔が見えていた。
「らしくねーって…」
「…らしい?真っ二つにされるのとどっちがマシだ」
「や、そっちもヤだけど!なあ、お前なに言ってるか解ってんのかよ」
今のOVERが決してそこまでおかしく見えるわけではない。
その足で立ち、自慢の鋏を握って、一見すれば普段通りの彼でいる。
だが天の助には解らないその言葉の意味が、感じられる小さな不和が、そして何よりも、
突然に生まれ出た瞳の奥の濁りが。
二人きりのその空間を狂わせていた。
「言う?さあな…ああ、テメーに殺されるなんざ思ってねぇよ。冗談だ」
OVERはく、と、逆にあまりにも普段通りの笑みを浮かべた。
「どっちに何かしろだの何だの、そんな間柄じゃねぇだろ」
「そ、そりゃまあ…」
「俺にはさっぱりテメーが解らなくなってきたぜ」
「……」
鋏を軽く振り上げて、一歩天の助に近付く。普段ならばすぐさま一歩退がる彼だが、今はやや遅れた。
構わず、OVERの手に握られた長い鋏が伸びる。そして天の助の目前で寸止めされた。
「どうする?」
「…へ」
天の助は息詰まり、鋭い刃の先から目を逸らして、瞳を泳がせる。

どうする。
どうしたらいい。
どうしてほしい。

互いの間を緊張に冷えた時間が渦巻いた。
「…ギ、ギブアップ」
「…あぁ?何をだ」
「い、いろいろ」
「…!」
視線を苛つかせたOVERに、天の助はぶんぶんと腕を振った。
「だって、俺にも解んねぇもん!ズルいぞ、お前ばっか質問しやがって!」
「テメーに何が解らねぇだと」
「いろいろだってば!お前何考えてんだって感じだし、俺にはさっぱり話が見えねーよう」
「けッ」
鋏が下げられる。天の助は脱力したように、ぷるんとなだらかな肩を落とした。
「…もういい、とっとと消えろ。連中にはブッ殺されたくなきゃとっとと行けと伝えるんだな」
「え?でも…」
「どうした。怒らせて、魚雷先生になって戻って来てほしいか?」
「魚雷先生?」
「そうだ」

そうだ、と。そう答えた瞬間だった。
天の助がぷ、と吹き出す。

「…何が可笑しい!」
「だ…だってさ、お前先生、先生って…!ああそうか、覚えてんだよなぁ…!」
笑いを堪え出した天の助をOVERは睨んだが、どうも怯えるどころではないほどに意外だったらしい。
「知ってんだろうが。俺が魚雷、魚雷は俺だ」
「でも、別人じゃん」
「同じだ」
「そうかも知れないけど、俺には別のひとに見えるもん」
「俺は仮の姿だぞ」
「難しいことはわかんねーよ。でもひとつの身体にふたつ心が入ってるってことだろ?」
天の助はどうにか笑いを飲み込んだらしく、顔をあげる。
「なんつーかさあ、スーパーに売ってる小さなケーキのパックみたいでさ」
なんだその例えは、と怒り出す前に、調子に乗り出した天の助の話は続いた。
「二つの味が楽しめますっていうけど、つまり違う味が二つあるんだろ?お得だよな」
「…得だと?」
「それに、魚雷先生はいくらなんでも俺に『殺す!」なんて言わねーぞ!そういう違いもあって、それでも同居してんだろ?お得だから」
OVERの下手くそな物真似まで加え、天の助は無意味に自信を込めて言い放つ。
「…っていうか俺は魚雷先生ほど逞しくない、OVERちゃんのこと見に来たんだからな」
「……OVER」


先生と呼ばれて奴を引きずる『魚雷ガール』が真の姿であるならば、
そうでない『OVER』は何をする。
血を、悲鳴を、慟哭を欲しがり、ブッ殺すと叫ぶ己の存在が、天の助の中で確立されている。その上で天の助はここにいる。
それがさっぱり解らない。
何を思って、何のために。彼もまた解らないと言う。
そうだ、抱くものもなく後先も考えず物を言う彼なのだからそこに何かあった方が不自然だったのかも知れない。
魚雷ガールは彼に疑問を抱くだろうか。
OVERは抱いている。そして苛立ちを覚えている。刃を向ける。

OVER。それはただ一つ、己の名だ。
このわけの解らない、しかしある意味では恐ろしく単純な相手に疑問を抱く男の名。


故に明かすこと、何かを『刻む』ことは、OVERの手によって成されなくてはならない。


その瞬間、それを割り切った瞬間に、目まぐるしく回転した頭がひとつの答を導き出した。



「…たった今、いいことを思いついたぜ」
「…え?突然なーに?」
「テメーをブッ殺す方法だ。…刺しっぱなしにして抜け出せないようにしてやりゃいいんだなァ?」
「…あれ?え?」
俯き加減に笑って顔を挙げてやると、天の助がぴょいと跳ねとんだ。
「あああ!いつものOVERに戻ってるー!」
「…うるせェ、大人しくしろ!」
片手に鋏を、そしてもう片手にも新たに鋏を取り出し、OVERは大きく構えた。
先程まで出来ないことと考えていた己があまりにも馬鹿らしい。
己がここにいて、獲物が手にあり、標的が目の前にいるのだから、あとは成せばいいのだ。
何の為にそれを繰り返すか。そこにはまわりくどいものなど必要が無い。
第一には己の抱く思い。

こいつを殺してやるのだと、OVERはそう宣言したのだから。

「ひえー!お助けー!ボォーボボー…!」
「バカめ、あの連中と別れた場所がどれだけ離れてると思ってやがる…逃げ切れると思うな!」
「ギャー、ナニこの流れ!マジでちっともわかんねェー!」

天の助の絶叫とOVERの高笑いが、重なるようにして木々の間を響き渡った。






なぜこのところてんの言葉にこうも気が晴れてしまったか。

不可能への思いも苛立ちも『焦り』も、雪解けのようにして崩れていった。
手の届く位置に奴がいる。近付く力も引き寄せる力も当然のように持っている。
それを『成せないかもしれない』という考えこそが失敗だ。


そして始まりのざわめきもまた、恐らくこの騒がしい阿呆のために。



OVERは最終的にそこまで理解したが決して口には出さない。
代わりに己が獲物を一閃、その刃を煌めかせた。












その力ゆえに、ネガティブOVER様。漠然とした焦りと自分に対する不可解みたいな…
…私の力不足ゆえに解りにくい話になってしまいました(汗)
OVERは天の助を殺したくて、そこには様々なものが重なるのですが、結局答えは…というか。
OVERと魚雷先生は互いを不自然とは思わず同居しているそうですが、やっぱり心は違うんですよね。
ちゃんと互いを認め合ってるんだろうけど、でもOVERが『仮の姿』だという…

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