「お前が悪いんだって言ってるだろ!横どころか前もしっかり見てないクセに!」
「うるさい、お前なんか前見てるけど直進しすぎてぶつかるクセに!」
「なんだと!」
「お前がなんだよ!」
何かを叩き付ける音、それに被さるようにして何かを蹴りつける音。
それきり静かになって、ドアが開く音。再び開く音。また、閉じる音。
それからもう二度、開く音。
暫し沈黙。
そして音の発生源だった部屋から、ソフトンが溜息混じりに出てきた。
「中、どうだった?ソフトンさん」
心配そうに尋ねてくるビュティに視線をやって、彼は少しだけ困った様な顔をした。
「よし、これでアイテムが揃ったぞ!首領パッチのフィールドにソーメンを召還だ!」
「ギャー!やりやがったなボーボボ!」
「ああッ、おやびーん!」
「そして僕がシイタケを召還するのらー。これで五万ポイントゲット!」
「意外な伏兵いたー!」
何故か彼らの現在立つ廊下は事件のあった部屋の中よりなお五月蝿い。
だがそこに全てをかき消す勢いで力強く、無駄のないドーンという音が響き渡る。
「アンタ達ッ!ソフトンさんが何かおっしゃるってのにふざけすぎよ!」
「ス…スミマセン」
「ス…スミマセン」
「ス…スリオロシリンゴ」
「…チッ」
結局、彼らは場所を変え改めて話すことになった。
他に客もない小さな宿屋。
多少揉めながらも四部屋に別れた。つい数時間前に毛狩り隊と一戦したこともあって、疲れている分すんなりと決まる。
荷物を置いた後にボーボボと首領パッチが廊下で暴れ、魚雷ガールに呼び出されて説教されていた他には騒ぎはない。
あとは破天荒が首領パッチを探して宿の中を賭けずり回っていたぐらいだ。ソフトンと魚雷ガールの部屋にいるとは思い付けなかったらしい。
やっとの思いで破天荒が首領パッチを発見して部屋に連れ帰り、ボーボボも自分とヘッポコ丸達の部屋に戻ろうかと立ち上がったその時だった。何か口論する声がフェードインしてきて、ついには叫び声になる。
ソフトンが様子を見に行き、首領パッチと破天荒、ビュティと田楽マンもその騒ぎを聞いて廊下まで出てきたのだった。
「…じゃあ、やはり天の助とヘッポコ丸が」
「ケンカあ?アイツ等が?」
首領パッチは投げ槍に言い放ちながらストローからジュースをすすった。
「俺が入っていったのは失敗だったかもしれない」
ソフトンが魚雷ガールから受け取った砂糖をひとつ、コーヒーカップの中へ放る。
「こちらに気付いたとたん、どっちもあいつが悪いとしか喋らなくなった」
「失礼な奴らですわね。一度みっちり礼儀というものを…」
「ま、まあまあ魚雷さん。それは後でもね」
手にしていたコップをテーブルに置きながら、ビュティの苦笑い。
「でも、なんでだろ…大丈夫かな」
「放っといた方がいいんじゃね?口出しするとこでもねえ」
「俺も同感です、おやびん」
首領パッチが珍しくまともな意見を口にした。横の破天荒は本気で同意しているのか、首領パッチだから同意しているのかいまいち伺えない。
「でもボーボボ、二人と一緒の部屋で…」
「まあ、俺はいいんだが」
「あちっ!…し、舌が…」
「わ、田ちゃん大丈夫?」
忙しない旅の中、思えば喧嘩など滅多にない。
あっても大したことはなく勝手に落ち着いている。
それが、人の好いヘッポコ丸と人が好いかはともかく真剣な喧嘩には縁のなさそうな天の助だ。
理由らしき理由も思い当たらない。
「誰か部屋、代わる?本人達もゆっくり休めないよ…嫌じゃなければだけど」
「じゃ、俺が代わってやろーか」
「え!そんなおやびんッ」
「じゃあ俺が代わってやろう」
「いや、ボーボボが代わっても仕方ないよ!同じ部屋だから!」
「じゃ、僕が代わってやってもいいのら」
「田楽マンはだめだ。同室のビュティは女の子だしな」
「ええ、じゃあ誰が…」
そして三十分の話し合いの結果、ソフトンと魚雷ガールが三人部屋へ移動することになった。
部屋の交換は滞りなく済んだ。
背中合わせでむくれていた二人にボーボボが話をすると、ヘッポコ丸が反応するより先に天の助が俺が行く、と立ち上がった。
ボーボボは天の助を引きずってソフトン達のいた向かいの部屋へ、ソフトンと魚雷ガールがヘッポコ丸のいる部屋へ。
その光景を野次馬するわけにもいかず、他の四人は自分らの部屋へと引っ込んでいた。
「不満そうだな」
ソフトンの声にヘッポコ丸は顔を上げた。
寡黙で冷静な、尊敬の対象である一人。そのためだろうか、何もかも見透かされてしまう気がする。
「部屋を代えられたのが」
「…別に、俺は動いてないから」
「そうか」
「…やめたんですか。聞くの」
天の助とヘッポコ丸の口論がいよいよというところに達した瞬間、ドアを開けて入ってきたのはソフトンだった。
何があった。一度問うて、どちらからも答がないのを見るともう尋ねようとはしなかった。
「口出しすることじゃなかった」
「……」
「譲れないものがあるんだろう、どちらにも」
窓の外に目をやって、呟く。
「だから喧嘩になる」
「…解ってないのはあいつだ」
「そうか」
ソフトンはそれ以上何も問わない。魚雷ガールはビュティ達と買い出しに出ていて、いない。
ヘッポコ丸はベッドの上、ゆっくりと目を閉じた。
「なんだよ。お前、買い出し行かなかったの?」
「俺の勝手だ」
ボーボボの一言はもっともだった。
天の助はそうね、とぽつりと言い返して息をつく。
「オラー!」
「ギャ!」
蹴りが一発入った。
「溜息つくと幸せが逃げるんじゃー!」
「先生、僕に幸せはあるんですか!?」
「知るかー!」
先生は冷たかった。だが熱かった。燃えるような蹴りをもう一発。
「……」
「なんだ」
「…なんでもない」
「言いたいことがあるなら言え」
「ないよ」
「ないなら黙れ」
本当に黙ってしまった天の助を見て、ボーボボは彼の後ろにある窓へと目をやった。
天の助はその視線を追おうとして、止める。その代わり、ベッドに沈むようにして体を伸ばすとぎゅうと目を閉じた。
天の助が悪い。
事の起こりは午前中、毛狩り隊との戦い。相手は強くはなかったが、数が多かった。いつもの連中がふざけて、魚雷ガールに文字通り突っ込みを喰らっていた。
そこに何人かが同時に飛びかかった。
ボーボボは隙を見せなかった。首領パッチは自ら相手の懐に飛び込んだ。田楽マンは攻撃されず、俺は無視かよと叫びながら流れ弾をするすると避けた。
天の助だけが構えそびれて悲鳴をあげた。
思わず前に出て、一撃。
オナラ真拳の特性のひとつは、広範囲における複数の相手を同時に攻撃できることだ。
彼はその時礼を言って、自分は首を振った。ただ隠し事をひとつしていただけだ。
宿に帰ってからそれが知れて、天の助は怒り出した。
あっという間に口論になった。
そして、あいつの一言。
それをきっかけに怒鳴り合いになった。
何も解っていない、
天の助が悪い。
ヘッポコ丸が悪い。
事の起こりは午前中、毛狩り隊との戦い。一般隊員ばかりで、しかし数は多かった。いつもの連中とともにふざけて、魚雷先生のきつい一発を喰らった。
そこに、何人かが同時に飛びかかってきた。
他の連中は上手いことそれを避けた。
だがやはりというか自分ひとり避けそびれて、
そこにヘッポコ丸が出てきて毛狩り隊の連中を吹っ飛ばした。
その時は本当に有り難かったし、礼も言った。隠し事なんてものをしてなければ。
あんなことを隠していなければよかったのに。
あっという間に口論になった。
先に怒鳴りだしたのは向こうの方だ。
ちっとも解っていない、
ヘッポコ丸が悪い。
夜が更けた。
疲れているはずなのに寝苦しい。寝転がっていることすら重たい気がしてきて、天の助はベッドから這い出た。
横のベッドにはボーボボがいる、はずだ。
だが頭は半分ぼやけていて、ただ外の空気を吸うためだけに足が動いた。
廊下。
ロビー。
転ばない程度に足を進めるが、周りにあるものがよく見えてはいない。
まるで違う世界の中をひとり歩いているようだった。
扉を開き、外に出る。そこで、一瞬にして現実に引き戻された。
「あ」
「…あ」
天の助と、そしてヘッポコ丸は同時に声をあげ、黙った。
数分は睨み合ったままでいただろうか。
否、数秒かもしれない。
ほぼ同時に目を逸らす。
「…なんだよ」
「お前がなんだよ」
「言いたいことがあるんなら言えよ!」
「お前こそ!」
「ないなら寝てればいいだろ!」
「じゃあお前だってッ、なんで寝てないんだよ!痛いんだろ、腕!」
天の助が叫んで、再び静寂が戻った。
前の晩、ヘッポコ丸は一人こっそりと修行に励んでいた。
寝静まった仲間達を起こさないようにとキャンプから遠ざかり、明かりの少ない場所で視界が悪くなろうが続けていた。
応用の利く真拳もどこからでも撃てなくては意味がない。
木々の間を飛び移り、そしてたった一度だけ失敗した。
受け身はとったがそれでも抑えきれなかった。
そうして片腕をひどく捻ってしまったことを、朝になっても誰にも言わなかった。我慢できない程の痛みはなかったがそれでも昼間、天の助の前に立って技を出した瞬間にそれだけの負担があった。重みを訴え体と同時に動いてくれない右腕が、一文字に切り裂かれる。
それでも黙っていた。
「…もう痛くない」
「嘘つけ。汗かいてる」
「かいてない!」
「痛いなら痛いって言えばいいじゃねーか!」
「お前があんな風に言わなきゃな!」
宿に入って落ち着けば、布でしばっただけの傷口は隠せなくなる。
天の助が大丈夫かよと覗き込んで、捻ったためにひどく腫れていることまで知れた。
いつから。前の晩から。どうして言わなかったんだよ。
最初は問答を繰り返していたのが、だんだん言葉が荒々しくなっていく。
そして。『俺のこと信用できないならいっそ見捨てればいいだろ!ヘッポコ丸のバカ!』
なんでそういうことになるんだ、お前のせいだろお前のせいだ。
そこからいよいよ怒鳴り合いに発展したのだった。
くだらない言い合いはしても睨み合い怒鳴り合ったことなど殆ど無い。
譲ろうとも思わない。
他の連中も、どうしようもないと感じているだろうか。
当人達にもどうすればいいかなど解らなかった。
「…なんで、隠してたんだよ」
「……」
「なんで庇ったんだ」
「…お前がとろいからだろ」
「怪我の上に怪我するなんて、お前の方がよっぽどとろいだろ」
視線を合わせずに言葉を交わしながら、二人はそこから動けないでいた。
「お前こそなんであんなこと言ったんだ」
「ヘッポコ丸がそんなことするから」
「それは!」
「だから!」
互いを睨もうとして、やっと視線が合わさる。「…放っといたらやられるクセに」
「やられたって元に戻るもん」
「そんなの知ってる」
「じゃ、なんで今日に限ってあんなことしたんだよ。怪我してるの隠して」
「言う言わないなんて勝手だろ。放っとけば治る」
「悪化させてどーすんだよ!」
「させたくてさせたんじゃ…」
「…俺は」
息を飲み込むように絞り出した声がヘッポコ丸を遮った。
「…お前がそんな風にするなら、俺がやられた方がずっとよかった」
「…なんで、そんな」
ヘッポコ丸は俯いて、喉をつまらせる。
「それじゃ…俺があんなことした意味も、ない」
「しなきゃよかっただろ。怪我したことすら言えない相手なんて放っときゃよかった」
「言えないんじゃない、言わなかったんだ!」
天の助にのみ黙っていたのではない。ボーボボにもソフトンにもビュティにも、誰にも気付かれないように無理をした。
腕に作った傷に布を巻き付けた時は、軽い怪我だと言っておいた。
「…ケガ人は、荷物になるから」
「そんなこと、ないだろ」
「そんなことないって言っても、荷物じゃないのに荷物の気分になるんだ」
「…だって、ヘッポコ丸」
「戦ってる時のお前が遠く見えることだってあるのに、そんなのでその上助けることだってできないんじゃ」惨めなだけだ。
吐き捨てて、ヘッポコ丸は首を振った。
「…だって俺、前に出ないと」
天の助がぽつりと呟くのが、不思議なほど静かになった夜の世界に響く。
「それが俺のできる戦い方だから」
「…やられてもか」
「やられたって、元に戻る」
ヘッポコ丸の体が震えて、込められた力が抜けていった。
「ヘッポコ丸、弱くないだろ。自分のことは見ないから解らないんだ」
「…ボーボボさんに比べたら、強くない」
「あいつはメチャクチャだろ」
「首領パッチも、メチャクチャだけど強い」
「…ヘッポコ丸だって、強いと思う」知ってる。
そう、繰り返す。
ヘッポコ丸はゆっくりと瞳をあげた。「…気が付いたら、体が動いてた」
「…優しすぎるだろ」
「俺の体に言ってくれよ」
「………ごめん」
消え入るような声で、一言。
「ごめんな、ヘッポコ丸。俺あんなこと」
「…俺も悪かったんだ。黙ってたし」
風が柔らかく吹いて、さわさわと木々をくすぐった。
まるで一緒にくすぐられたかのように二人は同時に吹き出して、
そのまま、お互いを真っ直ぐに見た。
「怒鳴り出すのも一緒で、謝るのも一緒か」
「お前、まだごめんって言ってないぞ」
「…ごめん」
「よし。許す」
「バカ、お前だって…つッ」
「あ、腕…痛いんだ」
「こ、このぐらい平気…っ」
「誰にも見せてないんだろ。自分で手当したんじゃそんな…ちょ、見せろよ」
「…できるのか?手当なんて」
「まーかせろ」
「でも、自分にする必要はないんだよな」
「いいだろー。勝手に塞がっちゃうんだもんね」どこか泣きそうな顔で笑いながら、互いにぶつけ合うようにして喋る。
先程まで開いたままだった距離はいつの間にか半分より短くなっていた。「…明日になったら、みんなに謝んなきゃな。心配かけた」
「そーか?…ヘッポコ丸、逃げるなよー」
「お前もだろ!」
宿に入って幾らもたたない内にあんな風に喧嘩をしておいて、夜の内に勝手に話をつけたと聞いたら皆驚くだろうか。
お互いのために失敗をしてお互いのために怒鳴った二人は、もう今は不思議なほどに笑っていた。「…首領パッチあたりにバカにされるかな」
「かもな」
「天の助、逆ギレするなよ」
「するよ!…あ、いやしないよ!」
「バカ、…ああ、でも」
ヘッポコ丸は痛む腕を軽くさすりながら苦笑いを浮かべた。
「…俺は、ホントにバカかも」
「なんで?」
「本気で怒ってたのにな」
小さく溜息をついて、天の助のすぐ側まで顔を近付ける。
「…ずっと、声が聞きたかった」
天の助はきょとんとそれを見ていたが、暫しして息を飲み込むと、呟き返した。
「…おんなじだ」
似ていないことだらけでしかしどこか似ている二人は、
暗闇の中で一緒に笑い声をあげた。