夢を、見る。


上も下も、黒だかも白だかも解らない空間にひとり立っている。
暫くすると遥か遠くに小さな影が見え始める。それはだんだんと大きくなっていく。
自分は、影が米粒ほどの大きさである内からその正体を理解している。

ただそれを見つめる。
手は、伸ばさない。
彼が自ら離れていくのだと知っているから。

「……、…」

微かに声が聞こえるように感じたが、それは目覚めとともに薄れて影ごと消えていった。

眠るたび、必ず一度は同じものを見ている。
同じものを感じている。
知っている影。何かの声。
夢の中にいる内はそれを覚えているが、目覚めてしまうとすべて解らなくなる。






「……」

夜は未だ明けていない。
頭のどこかにぼんやりと残る気怠さをどうにかしようと、無造作に手を伸ばす。
プラスチックの玩具箱に触れた。
中には金属や布、硝子、様々なものが無造作に放り込まれている。全てこれまで関わってきた者たちから奪い取ったものだった。
金属のアクセサリーは互いに触れあい傷を付けあっているだろうか。
下敷きにされたバンダナの類いなど破れてしまっているかも知れない。
硝子細工があった気もするが、とっくに割れて欠片になっていてもおかしくはないだろう。

放り込んだものを掘りおこしたことはなかった。
身につけたこともそうはない。
何もかも、最後には必ずこの箱の中のひとつとなった。

最初に触れてすくいあげたのは、ブレスレット。
元の持ち主の顔は覚えていない。銀色の、派手ではないが細工の細かいそれを気に入ってはいる。一度だけ腕にしてみたこともあった。
それを手放すと、爪先に別の何かが触れる。
ピアス。
身に付けるのならば穴を開けなくてはならないが、随分前に開いていたものはどちらの耳も塞がってしまった。
そもそもどうやら片方しかない。連れ立ってきたであろう相棒は、箱の何処かに溺れてしまったようだ。

ピアス。
ひとつ付けているのだから、もうこれ以上は必要ない。
口元に、ひとつ。
似合っていると言われたのだから、もうこれ以上は必要ない。



『ああそうか、それアクセサリーなんだっけ?』

ええ、当たり前でしょう。

お前、会った頃からずっと付けてんじゃんか。

それはそうでしたけど。

だって似合ってるしさぁ、
ずーっと付けてるもんだと思ってたんだよ。

そうですか。

ああ。

『それ、いい感じだと思うぜ。うん』



「……ッ」

空いている方の手が、指先が、己の口元のピアスに触れる。
そこに在るのが当然の、まるで体の一部。
飽きてしまう日が来たら外せばいいと思っていた。
そしてこの箱の中、底を覚えてもいない海に沈めてしまえばいい。
だがあの日から、
手放すことを考えなくなった。
考えられなくなった。

お前によく似合っていると、笑ったその声が。

今はもう聞こえない。

夢を見るようになったのは、彼の居場所を知ったその日からだった。
その影の正体を知っていた。
人のそれではない、透きとおった、あのひとの。

「…い、ちょう」

その声の正体を知っていた。

本当は、知っていたのだ。


「…隊長」


他の誰でもない、あれは己自身の声だ。
夢の中、何度も彼の名を呼んできた。

「天の助、隊長…」

気が済むまで繰り返せば、目を覚ました時には何も解らないのだと感じていられた。

口元のピアスは彼のように柔らかくはなかった。
彼のように、大きくはなかった。



『あれ、つけねーの?』
『どれですか』
『前、持って帰ってきたろ。えーとなんか…あれだ、ネックレス』
『ああ。ええ、まあ』
『つけねぇの?』
『つけたいと思わなかったから、つけてません』
『えぇ。もったいねぇー』
『…別にいいでしょう。無理につけてるよりか』

『どっから持ってきたんだっけ?』
『覚えてません。その辺りの奴から』
『ふーん。…ってお前、手癖わりーなぁ』
『別に盗んでるんじゃない、勝ったら持ってくっていう報酬みたいなもんです』
『フ…じゃあ俺のような奴からは何を持っていくのかな?』
『……ハンカチは…別にいらないな』
『あ、オマエぬのハンカチに失礼だぞ!ぬのハンカチにあやまれ!』
『俺が隊長に勝ったら、何か別のものを頂きますよ』
『だからぬーにあーやーまれー!…でもいいや、俺お前には負けないもんね』
『…隊長、俺を甘く見てるでしょう』
『お前だって、俺のこと甘く見てるだろ』

『隊長の俺と副隊長のお前にはそれなりの実力差があるんだぜ』

『見くびるなよ、カツ』




「…解らない」
気付けば、彼は遠いところにいた。
気付けば、彼は敵になっていた。
気付けば、その言葉に納得する時間すらなかった。
「…解りませんよ、隊長」
天の助が似合うと言った口元のピアスに触れれば触れるほど、彼を思い出し、そして解らなくなる。たったひとつ知っているのは、彼がここから離れてどこかへ行ってしまったことだけだ。
片割れを失った方のピアスを摘む指先に力を入れる。すると、それは爪先を滑り箱の中へと落ちていった。
同じ箱の中。
同じ世界の中。
一度見失った相棒を見付けられるのか。
見失ってしまった片割れを見付けられるか。

(…同じか)

夢の中、影に向かって幾度も隊長、と繰り返す。
しかし影は振り向かず、その顔を見ることも叶わなかった。
同じだった。
箱の底に埋もれたままのもう片側のピアスは、他のものと擦れ合って形が変わってしまっているかもしれない。割れてしまっているかも知れない。
見えない内には、それを確かめることは出来ないのだ。

イヤリング。サングラス。首輪。
あの連中からなにひとつ奪うことができなかった。

代わりに、

持っていかれた。

「隊長」

呼んでも、返事はなかった。
現実には彼の影すらない。
己に、カツに見えないどこかで彼は今も生きているのに。
声が聞こえない。

「天の助隊長」

次に出会う時、あなたは俺と睨み合う側にいるのだろう。
あなたの息の根は俺が止める。

ピアスに触れていた指先を離して、小さく息を吐いた。



隊長。
天の助隊長。
俺の、隊長。

俺はあなたに勝つ。
あなたに勝って、聞こえないその声を貰う。
あなたの心を貰う。
あなたの命を貰う。
夢では叫ぶのみで終わるのならば、現実で引き寄せてやる。


これが俺の決意だ。
あんたの全てを奪い取って、今度こそ放すものか。












カツ天。天の助隊長時代の設定を思うと割とほのぼのするんですが、それだけにその後が切ない。
この辺りの関係、詳しくは語られていないけれど考えるとずっしり重い気がします…
天の助はカツのことをどう考えていた(&考えている)んでしょうか。

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