数日ぶりに宿の取れた翌朝、早くに目が覚めた。
同室のヘッポコ丸は毛布を掴んで体を横に向け、静かな寝息をたてている。
もうひとりの同室である田楽マンは天井に吊るされたまま何故かぐるぐると回っていた。
熟睡できていないようならば可哀相かとも思ったが、すぴぃすぴぃ、と小さく鼾をかいてどうやら安らかに眠っているようなので放っておくことにする。

眠い時は寝る。
どんな体勢であっても眠ることができる。丸まってその辺りの隙間にいることには、情けない話だが慣れていた。
逆に、眠れない時はどうしても眠れない。
そして音をたてずに起きているというのはなかなか難しいもので、同じ部屋にいる年下連中の睡眠を妨げるわけにもいくまいと、忍び足で早朝の散歩に出た。






朝の空の下が、好きだ。
昼間より幾らか涼しい空気は澄んでいるように感じるし、何かある日でもなければ確実に静かで人気もない。
騒がしいのは好きだが一人になりたいと思う時もあった。行動を共にしている連中はお互いの時間に無理に干渉しようとはしないが、それでもたまには一人物思いに耽りたくなることもある。
誰にしても、そういうものなのかもしれない。もしかしたらたった今、別の誰かが同じ様にこうして外に出ているかもしれない。
だがそれが目的ならば出会ったとしても互いの邪魔などしないだろう。
挨拶はするとして、話題があれば話す。そうでなければ朝食の時間までまた別れればいい。
だから、気楽に歩けばいいのだった。

だが。

「天の助さん?」

村の外に出てから暫し歩いた場所。
己に声をかけたのは、仲間でもなく敵でもなかった。




「おはようございます」
青年、いや少年と呼んでもまだ間違いではないだろう彼の、その整った顔立ちには笑顔がよく似合う。
実際人は好いのだろうが、敵にまわせば恐ろしい。綺麗な笑顔は油断もさせる。
天の助もまた、一度彼に毒など盛られたことがあった。
「ライスじゃん。…お前どーしてここに?」
「朝の散歩です」
「へー…いや、そーじゃなくて」
「そうすると朝ご飯が美味しく食べられるからね。炊きたてで」
「いや朝飯にはところてん食えよ!」
「はは、僕的にはところてんはデザートです」
米の貴公子、元キングオブハジケリスト、黒下着の合図があればベールを脱いで変態ぶり、もとい本気を見せてくれる彼の名はライス。
ボーボボには敵わなかったが、それでも文句なしに強い。一人旅にも決して恐ろしいことはないだろう。
ところで、本当に彼は何故ここにいるのだろうか。
「ところてん食え〜。パン食え〜ナンも食えー」
「ううっ…僕は米の貴公子だ!屈しないぞ!」
とりあえず礼儀としてパンを押し付けてみる。ボーボボと首領パッチというハジケどもが不在なので、一対一で頑張るしかない。
「こんなものはこうしてやる!」
ライスの一声と同時に、パンとところてんは米に包まれた。
「朝食のおにぎりです。めしあがれ!」
「混ぜたー!!」
ビュティやヘッポコ丸がいないのでツッコミもする。
「どうしてくれんのよ!ところてんはデザートだっていうから黒蜜かけちゃったじゃない!」
「なんですって!僕はあの黒いのは醤油だと思ってたのに!」
「ぜんぜん違うわー!」
ぬのハンカチを両手に飛び出すように叫ぶと、ライスはハジケ返さずにまたにっこりと笑った。
「お元気そうですね」
「お前のおかげでカンペキ目、覚めたもんね」
「でも僕と比べるならまだまだだな。これでも元キングですから」
なんだよ、と天の助は言い返したが否定はできない。
彼との戦いではツッコミ役の二人と揃って米の中に捕えられていたのだ。仲間になったばかりだったとはいえ、格好良いところを見せたとは言えない。
「でもさ、偶然だな。こんなとこで会うなんて」
「そうかな。偶然じゃないかもしれないですよ」
「えー?」

「天の助さん、僕のこと呼びませんでした?」

「…?」

ライスを。呼んだ。
自分が。

「…ライス、お前まだ寝惚けてるだろ。パンツもシャンプーハットも被ってないし」
「やだなあ、朝六時はディナーじゃないですよ」
確かに朝六時夜六時加えて昼十二時にフィーバータイムに突入されたら、彼もその相手も身が保つまい。
どうやら彼は正気のようだった。

何だろう。
寝言でも言っただろうか。
深夜に魂が飛び出て、枕元に立ってしまったりしたのだろうか。
そういえばボーボボに猿轡を噛ませられ地面を滑らされた時は本気で魂が抜けかけた。

「…じゃなくて」
「何ですか?」
「いやいや」
問題はそこではない。
「俺、お前のこと呼んだのか?」
「さあ、どうでしょう」
「えー。なんだそれ」
なんだよ、と問うてもライスは答えなかった。
代わりにその笑顔が近付いてくる。
「ん?」
思わず後ずさったが、その分また近寄られて、

「わ、わ…あ!」
「あ」
転んだ。

「…ってて」
「ああ、ごめんなさい。大丈夫ですか」
声をかけてくるライスを見ると、幾らか焦ってくれているらしい。
つい、からかってしまえという気持ちが芽を出した。
「痛いー」
「痛いですか?」
「立てないー」
「そんなに?」
ライスは天の助の答を聞く前に、自分も腰を降ろした。
「ごめんなさい、僕のせいですね。戻る時はおぶっていきますから」
「え?…あーいや」
普段行動している仲間ならば相手にしてこない方が自然だし、ライスも以前戦った時に己が再生したところを見ていた。ちょっとやそっとでどうにかなる心太ではないと知っているはずだ。
こうも真面目に心配されるとは。
「…ごめん、やっぱ立てる」
「本当に?」
「ああ、歩けるから」
「本当ですか?」
「ホントホント。ごめん、ちょっと大袈裟だった」
頭を下げながら、天の助は立ち上がった。
「俺、間接とか骨ないし柔らかいから。平気ヘーキ」
「…だったらいいんだけど」
「…スマン。そんな心配してくれるとは思わなくてさ」
他の連中なんてちっともだぜ、と言いながら腰をはたいていると、ライスの小さな溜息が聞こえる。
「羨ましいな」
「羨ましいかぁ?」
「羨ましいですよ。天の助さんが平気だってことを知ってるから、みんな心配しないんでしょ」
「…そーなのかなぁ」
ビュティやヘッポコ丸は優しいもので、それでも気を遣ってくれることもある。
逆にボーボボや首領パッチときたら酷い。元に戻らなくても気にかけないかも知れない。
とはいえ確かに実際は平気だ。どこまで平気なのかは己でもよく解らないが、よっぽどのことがなければ痛みもそうは感じない。
「天の助さん、そういえば一人で散歩?」
「ああ、まだみんな寝てる…や、もう起きてるかな?」
「一人で散歩とか、するんですね」
「そりゃするよ。ひとりになりたいこともある〜」
適当なメロディーで歌って主張してみると、ライスは暫し黙っていたが、急に問いかけてきた。

「…何度目です?」

「え?」
「もしかして最近、一人になりたいって思うこと多いんじゃないかなって」
「えー…」
なりたい、と。思ったことならば、少なくはない。
本当にひとりの時間を過ごせる機会がそこまであるわけもないが、無理をして作りたいとも思わない。
いや。

(…あれ?どっちだ)

作りたいと思っていたかも知れない。
ここで出会ったのが、ライスでなく普段から一緒にいる誰かだったとしたらどうだろう。

「…言われてみりゃ。でも、なんで?」
「ちょっと気を張ってるみたいだったから」
「そーか?」
別にしたくないことを無理にした覚えはない。
昔、失敗をやらかして居場所を失くす可能性と隣り合っていたことを考えるとむしろ気が楽かもしれない。
ボーボボは頼りになる男だ。首領パッチとも気が合うと思う。ビュティも頼りになるし優しいし、ヘッポコ丸も自分のことを考えていてくれるのだと解る。
ソフトンもなかなか冗談が通じる男で、田楽マンも自然とふざけ合える相手だ。魚雷ガールは魚雷ガールでいるぶんには(どうも目を付けられているようだが)多少怖くても頼りになるし、破天荒も愛想はないが悪い奴ではない。

「…そういや俺、一番年上なんだなぁ」
「他の皆さんのこと?」
「うん」
「…それじゃ、天の助さん」

「たまには思い切り、甘えてみたくなりませんか?」
「……」

思い切り。
甘えてみたく。

「…って、子供じゃあるまいし」
「甘えたい甘えたくないって、歳っていうよりその人のタイプかと…」
「俺、甘えん坊に見えるか?」
「ちょっとだけ」
「えー」
そうだと言われればそうかも知れないが、誰かに甘えようとはなかなか考えない。
はしゃいだり絡むのとはまた違う。
甘えたがりには違いないかもしれないが、そこにはなんというか、
度胸がいる。
それは意地なのかもしれないし、普段と違うふっとした思いを己で恥じているのかもしれない。
だが甘えたいとして誰に甘えろというのだ。
ボーボボや首領パッチに改めてそんな話をするのも気恥ずかしい。魚雷ガールやソフトン、破天荒も違う。他の三人は本当に年下というイメージが一応あるので、彼らが己をどう考えているかはまた別だがそういう気にならない。
懐いて、構ってくれと言うことに抵抗は無いのだ。
だが縋りつきたいことがあると思うと、情けないところを見せるのだと思うと、どうもプライドが邪魔をする。

「……なんか俺、つまんねー奴かも…」
「そんな。落ち込まないでも」
「いーんだ」
いいんだいいんだ、と繰り返して膝を抱えると、ライスの手が肩を撫でてきた。
「天の助さん」
「いーんだい」

「僕ならどうですか」

「…え?」

お前?と問う前に彼が、僕です、と繰り返した。
「お仲間の誰かに甘えるのがまだ気恥ずかしいなら、僕でどうでしょう」
「えー…と」
「他の人達とはまた違った関係だと思うし、新鮮味もあるんじゃないかなぁ」
「…でも、俺さ」
「天の助さんの気持ち、ちょっとだけ解ります」
ライスの手が止まり、だが触れたままそこに残る。
「信用してないんじゃないんですよね」
「…うん」
「そういうこともありますよ。他の人だってそう思ってるかもしれない」
確かに、そうかも知れなかった。
そういうものかもしれない。
「だから、とりあえず僕に甘えてみるのはどうかな」
「……」
「好きにしてくれればいいです。…僕は、あなたなら構いませんよ」

「受け止めるから」

「だからたまに、僕のことも受け止めてみたりしてくれません?」


そんなことだって、あったっていいでしょう。
そう微笑むライスは純粋に輝いてすら見えた。


「…なんかお前、すげえなあ」
「相手によりますよ。だって天の助さんだから」
「俺だから?」
「それに、僕のこと呼んでませんでした?」
「呼んでねえってー」
「じゃあ、これからは呼んでくださいね。僕のことが必要な時に」

あなたの声を聞いたなら、同じ空の下から駆けつけますから。

それは、まさかと笑うには妙に説得力のある響きだった。


本当は彼の名を呼んでいたのかもしれない。
誰にも聞こえない声が。



もやついて収まらない時、ひとりになりたいと思う他に術が見付からない。
自分ならば暫く騒いだり何だりを繰り返すと忘れてしまうが、ライスにもそんなことがあるのだろうか。

「…じゃ、おんぶして」
「あれ、やっぱり痛いですか?」
「痛くねーけどおんぶー」
「…はい。なんなら抱っこでも肩車でも」

ライスは背中を天の助の方へと差し出した。
思い切り飛び乗ってやると、笑いながら割と軽いんですね、などと言ってくる。
ところてんだからな、と言い返して、
二人で笑った。






日常の中には様々な感情がある。
騒がしくありたい時も、ひとりになりたい時もある。
だからこうしていたいと思う時があってもいいと思った。

宿の朝食の時間にはまだまだあるだろうから、
気楽にやればいいのだ。












天の助は意地っ張りというか格好つけなところがある気がします。
そこで、ライス相手だから見せられるところというか。
ライスからも、ボーボボさんや首領パッチ先輩とはまた違う天の助にこそ見せるものがあって、という…
『では貴様にはこれをやろう』『ありがとう』なんてやってツッコミもらう二人なので(…

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