昔幾度か目にした小さな子供のためのお伽噺は、目覚めの描写まで穏やかだった。
眠りの夢から現実へ。世界の転換と思うと優しい印象まではない。
だが姫君は必ず優しく起こされて、ゆっくりと目を覚ます。
ゆっくりと、その瞳を開く。読んでいると幸せになれるものだから、決して嫌いではないけれど。
やはり現実はそうはいかない。
「起きろ」
「ぶっ!」どこの王子様だろうか、腹に膝を一発。がっしりと入った。
そりゃあないんじゃないの、と言おうにも息が苦しくてそうはいかない。
こんな扱いばかりだ。「げほ、ごほッ…」
「起きたか」
「うう、苦しいよー」
涙ながらに訴えたものの、相手は動じた様子もなかった。
やっぱり俺、こんなのばっかり。天の助は息を整えながら運命を呪った。
そうして頭が冷えてくると、疑問が湧いてくる。
首領パッチや田楽マンにしては大きい。ボーボボにしては小さい。魚雷ガールか、否、声は男のものだった。まさかOVERかとも思ったが、彼にしては落ち着いている。他の連中はこんな真似を、しないとは言い切らないがきっとしないだろう。
(…あれ?誰よ?)
本当にどこの王子様だか、心当たりがない。
が。
顔を見れば、覚えがあった。
顔立ちは首領パッチを幾らか大人びさせたようなもので、その寡黙さは落ち着いている時のボーボボと重なる。
当然といえば当然だ。彼らであって彼らでない男。
「お前は!」
「…パッチボボ」
誰だ、とも誰だな、とも言う前に、本人が答を告げた。
出会ったのはたった一度。だがしかし初対面だったとは言い切れない。
そして何かと印象が強かった。
ボーボボと首領パッチの融合した姿、彼の名はパッチボボ。
さんざん人を道具にするわ撃ち落とすわ、なんだかんだでボーボボであり首領パッチであるのだろうパッチボボ。
「……」
天の助はカサカサと、先程まで眠りこけていたのが嘘のような勢いで木の影に隠れた。
「逃げるな」
「…だってお前ちょっと怖いんだもん」
ボーボボや首領パッチと確実に違うのは、ほぼ常に無表情で何をするか解らないところだ。身構える隙もない。
「…」
確かにパッチボボは無表情に、そして無言で、唐突に何かを放り出した。
「…わおーん!100%リンゴジュース!」
100%、弾ける果汁と書かれた紙パック。
ところてんが一匹釣れた。
「……」
「……」
「…だって100%だから…フレッシュだから…」
ジュースを片手にあっさり釣られたことを、釣り人に対して弁解する獲物。
釣り人ことパッチボボは相変わらず無表情だった。
「あとで飲めよ」
「えー」
「後だ」
一分間、時間を制限された融合体連中は性格にも無駄がない。
確かに腹に一発蹴りを入れて起こすというのは、揺さぶるより早く声をかけるより手間要らずだろう。
口付けとはまさか言うまいが、もう少し優しく扱ってはくれないものかと天の助は溜息を吐いた。
「話はしっかり聞けよ。俺は一分しかここにいられない」
「そーだな」
それは知っている。一分経てば、彼は『ボーボボ』と『首領パッチ』に戻る。
だが今の彼がボーボボであり同時に首領パッチであるかというと、そうとも言い切れない。天の助も何度かボーボボと融合したことがあったが、その間のことは自分自身の記憶としてははっきり残っていない。
自分ではない。だが、自分でないこともない。
「寝転べ」
「は?」
「いいから寝転べ」
パッチボボの話というのは、有無を言わさぬ勢いだった。前後の説明などひとつもない。だが本人からすれば、必要ないからないのだろう。
「なんで?」
「寝転べ」
これでは寝転ぶまで、何度でも寝転べと繰り返されるのだろう。
拒否する理由もない。天の助は先程まで眠っていた時とほぼ同じように、その場にぱたんと寝転んだ。
視界には広い空。
すると、腹に何かが下りてくる。
くすぐるような感触と、その先にある固くてやや重いもの。
頭。
「…おーい?」
「うるさい」
「いや、お前なに…」
「うるさい。眠れないだろ」眠れない。
つまり、これから眠ろうということか。
ところてんの腹を枕にして。
(…ところてんの腹なんて言葉ねえよなぁ)
己のことながら可笑しいといえば可笑しい。
そんなことを考えている内に、九十度の角度で頭だけ天の助の腹に乗せたパッチボボはすっかり落ち着いてしまったようだった。
無駄がない。
隙もない。
そしてボーボボのように強引で、首領パッチのように強烈で。
「でもさお前、一分したら元に戻っちまうんだろ?」
「…関係ない。俺が眠いんだ」
だがボーボボではなく、首領パッチでもない。
ボーボボであり首領パッチである。結局は、
彼はパッチボボである。
「…しょーがねーなぁ」
このパッチボボに何か言ったとしても、どうやら無駄であろうと天の助は理解した。
別にそう不愉快なわけでもない。
ただ強いて言うのなら、ボボパッチの方を思い出すと胸の奥がどんよりしてくるくらいだ。ボケに乗ってもらえなかったこと、最後には観覧車に張り付けにされたことを思い出す。
彼もまたボーボボであり首領パッチであり、ボーボボでなく首領パッチでもない。
そしてパッチボボとも違う。
ボボパッチはボボパッチ、パッチボボはパッチボボ。
ボーボボはボーボボで、首領パッチは首領パッチ。(だからまぁ、いいや)
パッチボボという男がそうしたいと言うなら、枕になってやっても構わない。
「助けてもらったもんな」
「ああ。助けてやったな」
「そのあと散々な目に合った気もすんだけどな」
「あれが俺の技だ」
目を閉じたまま、パッチボボは言い切った。「子守唄でも歌ってやろか」
「いらん」
「ああ俺、そーいやボーボボが寝てるとこ見たことねーや」
「子守唄はいらないぞ」
「…可愛くねえの」
乱暴な王子様に蹴り一発で起こされて、その後は彼が眠りにつくのを枕になってただ見守る。
お伽噺でもなかなか見ない。
だが自分は姫君ではないのだと思えば、むしろ自然な気もしてきた。
騒がしく柔らかな限られた時間。
「ありがとうな、パッチボボ」
以前に彼が現れた時は、戦いばかりで伝える暇もなかった。
こんな風に時間が過ぎていくのもいいだろう。
一分間、戦うわけでもなくこうして目を閉じている彼も。
一分間の終わりまであと数秒か、十数秒は残っているか。
パッチボボは少年と青年の間ほどの、整った寝顔を見せてゆっくりと息をしていた。とりあえずは早い内、リンゴジュースを飲み干してしまおうと思った。
何せ自分はところてんだ。頭だけひねって、紙パックに口を付けることだってできる。
例えどんな味だったとしても、次にいつ起きている彼に会えるかは解らないけれど。
一分間のおしまいまで、あと数秒。