少しずつ増えたり減ったりを繰り返すボーボボ一行は、一桁ぎりぎりの人数で揃って毛狩り隊から危険視されている。
各ブロック、四天王、帝国幹部。最初はボーボボ一人だったのがだんだんと大勢になって、強者どもを突き破っているのは既に知られていることだ。
毛狩り隊も、両腕を広げて待ち続けるばかりではなかった。
「おい、いたか」
「いや。多分こっちには…」
同じ服を着た男達がぼそぼそと話す声だけが、森の中に響いている。
「こっちじゃないよ。あっちを探してみよう」
「バカ、そこは俺が探してきた方角だよ」
「じゃああっちだな」
「そりゃお前が元来た道だろ!」
「どこならいいんじゃー!」
「逆ギレした!」
わいのわいのと声は大きくなりながらもその場所から遠ざかっていく。
やがて声が届かなくなり、静寂が戻った。
「…ふぅ」
木の上からひとつ、力の抜けた溜息が響く。
天の助はひとり、毛狩り隊から身を隠すように息を潜める羽目に陥っていた。
それというのも始まりは数時間前。
うっかり入った茶店で注文を済ませたところに、真っ黒なガスが広がった。
店員がみな揃ってスキンヘッドであることに気付くべきだった。というか妙に愛想が良いのも怪しむべきだった。あと、よく考えたら皆毛狩り隊の制服の上にエプロンだった。
とにかく気付いても後の祭り、暗闇の中でどうにか合流しよう、体勢を立て直そうと声をかけあう内に皆ばらばらになって、気が付いたら森の中だった。
幾らなんでも一人店の外に出て森に迷い込む状況ではない。
あれは恐らくただの煙ではなかったのだろう。
思えば妙に足場が揺れていた気がするが、茶店ごと森の中まで移動したのだろうか。
乱暴な作戦ではあるが全く失敗というわけでもない。
何のために。
それは恐らくボーボボ一行の戦力を一人でも減らすためだろう。
ひとりひとりを見付けて、様子を伺いつつ大勢で急襲すれば堪らない者も出てくるかもしれない。
ちなみに天の助がそれに気付いたのは、散り散りになって大慌てした後にどうにか落ち着いてからやっとのことだった。
残念ながら遅かった。森の中はもう、どこもかしこも毛狩り隊だらけだった。
(あ〜あ…俺、どうしよ)
一人で戦うのは得意ではない。
元より、一人でいることも好まない。誰かとコンビネーションするなり何なりで、自分の特性を活かした方が良い結果が出る。戦っているうちにだんだんと解ってきたことだった。
そして何より、一人でいると。
全てに置いていかれる気がして、世界がひどく広く見えてくる。
例えるなら閉店間際のスーパーのがらんとした売り場。
あの頃より少し広がって別の場所に移っただけで、恐らく似たようなものだ。いつまでもこの木の上にいるわけにもいかない。
そして、声をあげれば聞こえる場所には敵がいる。
みんなどこ、と呟くことすらできなかった。
いつだったか同じように一人きりになったことがあった。
その時はぬの絵本を読んだのだ。思わず取り出そうとしたが、落としてしまいそうなので止めておく。
それで助かったかというと、やられた。
それから何かと色々あった、が。そういえば結局死にはしなかった。
その時と確実に違うのは、声の届く場所に縋れるものすらないことだ。
ならば諦めるべきだろうか。
だが、縋るものがないのは今に始まったことではない。
出来ること、出来るかもしれないことは一通りやる。
(…今もそんなんでへーきかなぁ)
『死なないでいる』ことはこの身ならば容易かったかもしれない。
それでも手を伸ばして、何かを掴もうと必死になった。
元から何も持たず身軽だった。
地に伏せても転んで這いつくばろうとも、どうにか起きあがることができた。
ボーボボ達は無事だろうか。
考えなくとも、彼らは揃ってただ者ではない。
後は、
自分が生き残ることを考える。
(…やられんのも、ヤだな)
天の助は覚悟を決めて、木の下に広がる地面を睨んだ。
気が付くと、森の中にいた。
直前までの記憶は曖昧になっている。
ただ周りを見覚えのない連中が囲んでいて、まさにこちらに襲いかかろうというその瞬間だった。
周りが見えずただ突っ込んでくる者もいる。こちらを見て驚愕しながら、立ち止まりそこねた者もいる。
何にしろ、敵だ。
例え小虫の様な連中でも、こちらへ腕を構えるならば手加減は必要ない。片腕の己が得物を、一閃。
取りこぼしは無かった。
「大変だー!大変だ大変だ!」
連中の別の仲間だろうか、大声が響いたと思うとそこにまた一人現れる。
「おいお前ら…わー!こっちもタイヘン!」
同じ頭。同じ服。見慣れた姿。
見分けはつかない。つける必要もない。
「あれ、あな…」
「うるせぇよ」
こちらを見て声をあげようとした毛狩り隊隊員に向かって、再び一閃。
「お…オーバーさ……!ぐばッ」
「うるせェっつってんだろうが」
OVERは言い捨てて、彼の来た方向を睨んだ。
地響きと悲鳴。
が、だんだんと近付いてくる。
『ギャァ!』
『わー!オマエあっちには誰もいなかったとか言ってなかった!?』
『知るか!ぐはッ!』
『雑魚隊員十人二十人がナンボのもんじゃーッ!!』
『手ェつけらんねーぞ!』
『お客様!落ち着いてくださいお客様ー!』
『オマエまだ茶店の店員やってるの!?』『毛狩り隊Aブロック元隊長ナメんじゃねェーぞ!』
「……」
OVERの聴覚に捕えられた声の中に、間違いなくひとつ。
耳に残って消えない声があった。
「あー、踊った踊った。喉乾いちゃった」
天の助は内心安堵の溜息をついて立ち止まり、ぬのハンカチでかいてもいない汗を拭った。
大勢の毛狩り隊といっても木の上の天の助に気付かない程度の一般隊員。
力押しで道を開きながら蹴散らして、どうにか暫くやってきた。
直進していればどうにかなるだろう。それを信じるしかなかった。
早い内に森を出てしまいたい。
他の連中も森の中で合流しようとするより外を目指すのではないだろうか。それに四面楚歌ともいえる現状、上下左右から何が出て来ても不思議ではない。「テメーもうるせぇぞ」
「ぎゃ!」
その瞬間、背後からひと蹴り。
「…ギャー!後ろから凄い人来ちゃったー!」
「うるせーつってるだろうが、コラ」まさかの天敵の登場に、蹴られ転ばされた天の助は神を呪った。
「ていうか何でここいんの!?魚雷先生は!?」
「知るか」
「ていうか妙に静かだけど、もしかして毛狩り隊の連中やっつけちゃったのかよ」
「…さあな」
「四天王なのに。見境なし」
一瞬の沈黙。
空を豪快に切る音が響いて、天の助は真っ二つ、にはならなかった。
奇跡的に、もう少しのところで飛び退くことに成功した。
「ギャー!」
「うるせえっつてんだろうが!」
「うえーん、怒った−」
「ふざけんな」
「…ジョークジョーク、ジョークですよ」
冗談が通じないと解ると天の助は両腕を軽く挙げる。
「…妙にあっさり謝るな」
「だって怖いし…」
天の助は怯えています、と声色やら顔やらで表しながら身を縮めた。
OVERが舌打ちして、両者とも沈黙する。
「…おいコラ」
数秒か十数秒後、先に口を開いたのはOVERだった。
「何だ、テメーは」
「…なにが?」
「…減らず口のねえ」
「え?だって何か言ったら怒るから、キャー!」
鋏を突きつけられて天の助が震え上がる。
「あー確かにそれあるけど、この状況って喋るとか喋らないとか!?」
「なら殺すか、あぁ?」
「ヤダ!」
天の助は叫んで、ぴょいと立ち上がった。だが何か構える気配はない。
そこから更にまた、沈黙。「…テメーは」
敵として向かってくる男を前に、怯え恐れるくせに。
「逃げねぇな」
鋏を突き出したまま向かい合って立っている。
怖い嫌だと言いながら、足はそこから動かない。「…うーん…俺、臆病者だから」
「ンなのは知ってる」
「お、臆病者だから!ホントに怖かったら勝手に足が逃げるワケよ!OVER様にはわかんないだろーけど」
わたわたと手を振りながら喚かれる主張に、OVERは眉を顰めた。
怖ければ勝手に足が逃げる。
つまり。
「…俺様が怖くねえだと?」
「あ、そうかも」
すぱん。
清々しい音が響いて、天の助は今度こそパーツ(上)とパーツ(下)に切り離された。
「わー!やっちゃったー!」
「……」
天の助が叫ぶのを見ながら、鋏を握る掌の力を微かに強める。
こう簡単に綺麗に真っ二つになる相手は他にない。
そして、そんな風にされておきながらはっきり言葉を叫ぶ輩も他にない。
そんな妙な奴なのだと、
知っていて。
戦うための、相手を始末するための一撃が、まるで会話か何かの様になっていく。
目をやれば、天の助は勝手に元に戻っていた。「…お前は」
鼻毛の男ならば一対一で向かい合って容赦はしないだろう。
トゲの小さいのもそうだ。
例えふざけていようが。「俺のことを、敵だと思ってねえのか」
敵ならば睨みつけるはずだ。
蹴散らそうとするはずだ。
逃げるはずだ。
周囲に気絶して転がる雑魚どもがそうしたように。そうされたように。
それとも。「俺がもうひとつの姿の時、敵じゃないからか」
彼女は自分であって自分ではない。だが奥底で繋がっていると、『変身する瞬間』を見たならば理解しているはずだ。
他の連中と、同じ様に。
「俺はテメーなんざいつだって殺せる…」
「…うん。そうかも」
天の助は、息を整えながら呟き返してきた。
「でも、ほんとに殺されそうになったことねえから」
「なんだと」
「ホントのホントに死ぬと思ったらやっぱり俺は逃げるのかな」
「…テメーのことだろうが」
「俺、自分のことはよくわかんねーんだ」それは改めて言うようなことではないのに、冗談でもないらしかった。
本心だ。
困ったようにすら見えるその言葉が、本音。
自分をいつでも殺せるのだと言う相手に、何をそんな風に話す。
何故逃げない。何故向かってくる。
何故、目を逸らさない。「OVER、お前今日ちょっとおかし…」
「…テメーが俺の何を知ってる!」
「わ!やっぱ怒った!」
「知ってるなら怒らせる真似すんじゃねえ!」
「何やっても怒るくせにィー!」こちらからもまた、目を逸らさない。
その減らず口を終いまで聞いてやる。
なんなんだ、てめぇは。
「俺を真の姿と一緒にしてやがるなら…」
「そ、そのぐらい知ってるって!だってどー見たって違うし!」
「…同じ体の中にいる」
「…でも、違う人格なんだろ」
どうしてそんな馬鹿みたいに透き徹った目で、俺を見る。
「真っ正面から斬られるより背中から狙われる方がずっと嫌だし…」
「…だから俺は怖くねえだと?」
「怖いけど、怖くない」
「…解るか!」
「わー、また真っ二つー!」
気付けば勝手に両腕が動いた。
相手を打ち倒すのに小細工など必要ではない。斬り裂けばいいだけのことだ。
それが通用しても意味のないこの男に、しかしこの体は動いている。
臆病なくせに自らを守るのが下手糞な男。
言葉の始まりから終わりまで、何よりも強くこの耳に響く声。
「お、俺もう戻んなきゃー…」
「帰すと思うか」
「わー!でも帰るもん!」
やはり必要以上に怯えて、やはり逃げて行かない天の助を睨みつけながらOVERは鋏を軽く振った。
「他の連中が揃ってやられててもか」
「…俺がここまで来れたぐらいだし、あいつらは平気だろ」
「女もか?」
「ビュティは俺よりしっかりしてるし、ボーボボいるし大丈夫。魚雷先生はもっと大丈夫…なのは知ってるか」
不思議なほどに自信を含んだ声で、天の助は言い切る。彼にとっては己のことよりよほど確実らしかった。
「…OVER、心配してんの?」
「あ?」
「い、いやいや!まああれだ、うん、ここらにいるよーな連中に自分のこと一度でも倒した奴らがやられないか…って、そんな睨んじゃイヤー!」
嫌なら慎めばいいだろう。
思えど、口に出したことはなかった。
誰かが本気でそう指摘したところも覚えはない。
耳元まで聞こえてくる懲りない減らず口は、彼を示すもの。
「…なら、さっさと行くぞ」
「え」
「この森から抜けるんだろう」
「…そ、そーだけどさぁ」
「言っとくが、俺はその先のことは知らねえぞ」
魚雷ガールであるにしろ己であるにしろ、少なくともこの森は抜けねばならない。
その後のことは解らない。考えもしない。
だがこの危なっかしい、放っておけば何をするか解らない輩をここに放っておく気にはなれなかった。
「…それとも突き刺して引きずってってやろうか?」
「わー!ついて行きます行きます!…魚雷先生みたいだなぁ、なんか」
「あ?何か言いやがったか」
「言ってませーん」
さっさと背を向けて歩き出すと、足音はしないが草を踏む乾いた音だけは聞こえてくる。
話すようなことは何もない。
だがこちらが黙っていようと、この馬鹿野郎はわめく時は勝手にわめくのだ。
そして何をしようと黙らない。
もし背中を狙って来るならば、返り討ちにしてやる。
しかし天の助にはその様子はなかった。
まるで飼い犬か何かのようにてくてくと、ただついて歩いてくる。そして。
「あ、見てみて。リスさんがいるよ」
「知るか!」
「キャー!」
結局、一分かそこらで沈黙は破られた。