甘いものひとつ
「ねぇ、今日が何の日だか知ってる?」
「体育の日かな?」
「いや、それはだいぶ前だろ、『くさい』の日だな」
「九月はひと月前だし三十一日なんてないぞ」
「…なんでそんなのしか浮かんでこないの!ハロウィンです、ハロウィン!」
「ハロウィンー!?やべぇ、浮き輪出さなきゃ!」
「門松!鏡餅!」
「いや、豆だろ」
「違う、海開きでもお正月でも節分でもないの!わざとやってるですか、三バカ文明!」
幼い少女の容赦ない叫びに、浮き輪を被ったメソポタミア文明と七草を思い出そうと唸る黄河文明と鬼の面を被ったインダス文明は多大なショックを受けた。
「三バカだって!三バカって言われた!」
「まあ、仕方ないよな」
「納得した!!お前クール過ぎるんだよ、インダス!」
泣きながら浮き輪を仕舞うメソポタミア文明と騒ぐ他二バカを見ながら少女、ルビーは深く溜息を吐いた。この連中はハロウィンが解らないのか解っていてふざけているのか、どちらにしろこれでは一向に話が進まない。
「みんな、ハロウィンに何やるかって解るでしょ?」
「スイカ食って」
「鏡開き」
「歳の数だけ豆を…」
「それはもういいッ!」
やっぱり進まなかった。
その後アバウトに一時間ほど、ルビーによる『ハロウィンとは如何なるものか』という講義が行われた。
「…というわけで、ハロウィンはひなまつりともクリスマスとも違うのよ。解ったですか?」
「わ…」
「わらりまひた…」
正座させられた黄河文明とメソポタミア文明はすっかり足がつっていた。
インダス文明だけは未だ平然とした顔で背筋、どこからどこを背と呼ぶかは難しいところだがとにかく背筋を伸ばしている。
「せ、正座して説教するのってプルプー様のクセだっけ…」
「あの人がそれやるのはよっぽど怒った時の話だっていうでしょ…」
姿勢を崩して溜息を吐く黄河文明、足が多いので通常の三倍以上の苦しみを抱える羽目になったメソポタミア文明。
「二人とも軟弱です。インダスを見習うといいです」
ルビーがふん、と二人を見下ろした。
「なんだと、俺なんて足が多くたって我慢してる方だぜ。黄河なんかこーするとほら」
メソポタミア文明がつんつんと黄河文明の足をつついた。
「ギャッ!…や、やったなメソポタミア…オラ!」
こちらもこちらで仕返しにとつつき返す。
「ギョッ…負けねー!ラァ!」
「グぁッ!こ、こっちだって!」
「一生やってるといいです…」
呆れたルビーはインダス文明の方を向いた。
「インダスは解ってくれたよね?」
「ああ。人ではないものの格好をして甘味を要求する祭典ってわけだな」
「…間違ってないけど言い方は変えて」
引き攣るルビーに、インダス文明は無表情のまま自分の頭部を指した。
「これと豆でいい?」
「全然違う!」
インダス文明の頭には未だ鬼の面が乗っかっていた。
黄河文明とメソポタミア文明は痺れこそひいたもののダブルノックアウトし、インダス文明は『俺は平気なんだが中の犬の足が痺れた』などと言うのでルビーは彼らを放置して城の外へと出た。
まだまだ今日は続くというのにさっそくハロウィンという催しの姿が掠れてきたので、新鮮な空気とともに気分転換でもしようというのだ。
「あれ、ルビー」
「うん?」
自分の名を呼ぶ声。
そちらを向くと、無限蹴人が手を振っていた。
「散歩?」
「そうよ。それより聞いてです、あの三人!ハロウィンのことちっとも解ってないったら!」
「三人ってインダス達?」
「そうです。蹴人は解るよね?」
問うと、少年は胸を張る。
「解るさ。お菓子の日だろ?」
「……まあ、遠回しに言えばそうかもしれないけど」
「え、違う?」
仮装の日と言うならまだよかった、とルビーはまたも溜息を吐かされた。その勢いで目線を落とすと、自分より幾らか身長の高い蹴人の手が視界に入る。
彼は何かの小さな包みを握っていた。
「蹴人、何持ってるの?」
「これ?もらった」
へへ、と笑って蹴人は手を開き差し出した。
光沢のある緑と赤と濃い黄の包み紙。キャンディかキャラメルか、チョコレートでも入っているのだろう。よく見るとカラフルな文字やお化けカボチャの模様が入っている。
「わ、いいなぁ」
「いいだろー。駅で子供にだけ配ってるよ」
「駅?」
ルビーや蹴人、三大文明の所属するOVER城において駅といえばハレルヤランドに通じる駅だ。ちなみにOVERに『駅』の話をすると不愉快そうな表情をする。巨大テーマパークはお気に召さないらしい。
「へ〜」
ルビ−は目を輝かせて体の向きを変えた。
「なんだ、ルビーも行くの?」
「せっかく配ってるんだから貰っとくです!」
軽く手を振りながら早足で歩き出す。
蹴人はそんな少女の背中を見て、首を傾げながら笑った。
「やっぱりお菓子の日じゃん」
「こんにちはー」
ルビーがにこにこ笑いながら声をかけたのは、城の近くの『駅』とハレルヤランドを繋ぐ電車を仕事場とするカネマール。ハレルヤランドを経営するハレクラニの部下の一人だ。
「あれ、ルビーちゃんか。…もしかして、これ貰いにきた?」
腕に抱いた籠を持ち上げて、カネマールも笑い返した。
「蹴人君から聞いたんだな」
「はーい」
電車が仕事場と言っても、運転士でもなければ車掌でもない。籠を持つ手の側の脇に抱えているのは、切符鋏ではなく長い槍。
何かと狙われることも多い四天王ハレクラニの居城ハレルヤランド、そこへ繋がるもっとも確実な手段である『電車』を守るのがカネマールの役目である。怪しい者がいれば電車の上に引き上げて捕まえるのだ。
そういった役割であることもあって、彼はOVER城の面々とはある程度顔なじみであった。
「まあ、もう客も乗り込んだ後だしな。三つ選んでいいよ」
「わーい」
ルビーは嬉しそうに声をあげ、差し出された籠の中の色とりどりの小さな包みに指を伸ばした。
「ハレクラニ様には内緒でな。電車の乗客じゃない子供にまで配ったってバレたら、俺が怒られるから」
「一円にされるですか?」
「…まあね」
カネマールは知ってたの、という風に苦笑いした。
「カネマールさんがよく一円にされるって、聞きました−」
「誰から?」
「ヘル・キラーズの人達から。五人みんな一回は教えてくれたです」
「……は、覇王さんまで…?」
『一円の刑』については当人の知らないところで有名なエピソードとして広がってしまっているらしい。
カネマールはややショックを受けた表情を隠しながら、ルビーが三つ包みを取ったのを確認して籠を上げた、
「じゃあ俺、もう行くから…」
はぁ、と溜息をひとつ、それでもルビーに笑いかける。
「そういえば、これってハレクラニ様が考えたですか?カネマールさんって普段はあんまりお客さんの前に出ないのに」
「ああ、うちも今日はハロウィン一色だからさ。これもその一つで、俺は手伝い…なんだけど、どうも小さい子に限って電車の上もよく見てるみたいでな」
俺の顔を覚えてる子もいたよ、と苦笑する彼をルビーは羨ましそうに見上げた。
「いいなー。遊園地、楽しそう」
「仕事だがね」
言って、ぐるりと槍をひと回ししてカネマールは地を蹴った。あっと言う間に空へ上がり、電車の上へと軽く足を着く。
「カネマールさん、ばいばーい」
「ああ」
片や小さな包みを手に、片や獲物たる槍とはやや不釣り合いな可愛らしい籠を抱えたまま、二人は手を振り合った。そうしてからカネマールが軽く挙手すると、それが合図になったらしくドアがゆっくりと閉まる。
ハレルヤランド行きの電車は時刻通り、ルビーに見送られてOVER城前駅を発車した。
「おちょぼ口くーん」
「ん?」
OVER城内の一室にて座禅を組んでいたおちょぼ口は、少女の声に閉じていた片目をぱちりと開いた。
「おや、ルビー様」
「またお風呂のこと考えてたの?」
「いやーもう。心頭滅却すれば湯もまたぬるし…」
「わーい、悪い奴なのだー」
おかしそうに笑うルビーは、おちょぼ口の隣にちょこんと腰掛けた。
「お願いがあるんだけど」
「何か?」
一流の忍たるもの、己を奢らず強き者に習い弱き者にも習う。
そして女湯の隙は浸かってから数秒とあがる直前、でも見えない、とそんな言葉を浮かべながらおちょぼ口は頷いた。
「ちょっとこの地図のここんとこに運んでほしいですー」
「はぁ」
「ラムネちゃんとスズちゃんからこの前会った時に借り物して、今日ここで待ち合わせして返すって約束してるんです。ついでにお菓子くれるって言うからー」
「お菓子?ルビー様って誕生日か何かでしたっけ」
「おちょぼ口くんも知らないの?」
ルビーはむっとした顔をして、おちょぼ口を軽く叩いた。
「今日はハロウィン!なの!」
「え、あぁ…あー、ああそうか!そんな日もあったっけねこれ!」
「うちのお城の人はみんなしてこれです…」
「まあまあ、解りましたよ。じゃあえーと、ここね。ここ」
「間違えちゃダメよ」
「心得たっス」
しからば、と立ち上がり印を結ぶ。
「あ、ちょっと待って」
「ん?」
「おちょぼ口くんにこれあげるです。キャラメル」
「ありゃ、いいんですか」
小さな包みを受け取ってまじまじと見つめる。それはきらきらと光っていた。
「ほんとはチョコレートもあったけど、ガンプにあげちゃったです。ハロウィンのこと知ってたから」
「へぇ。どーも有り難うございます」
あとで頂きますよ、と懐に仕舞いながら頭、口でも頭を下げておちょぼ口は再び構えを取った。
「では失礼して!」
「ハーイ」
「忍法!口バキュームの術!」
口の中に亜空間が開かれ、ルビーを吸い込んで行く。
しゅぱんと音がして少女の姿は消えて行った。
「…よし、と」
おちょぼ口は再び座禅を組んで目を閉じた。
目を閉じると色々なものが見える。例えば、割り箸とセロハンテープだけで自由工作を乗り切れまいかと目玉を血走らせた、あの夏の終わりの日の記憶。そして迎えた新学期。
彼の思考は郷愁から眠りの世界へとトリップした。