マルハーゲ帝国。
皇帝ツル・ツルリーナ三世により治められるその国は、力により全世界に領土を広げている。
その支配は決して甘くはない。
とすれば聞こえは恐ろしいが、少なくとも時節の祭典や催し事を楽しむほどの余裕はあった。
そして秋のある日の帝国の中心、人嫌いの皇帝が直属と認めし強者が七名。
それぞれの祭
「ハロウィンってなんだったっけ?」
長く抱いていた眠気もようやく冷めたらしい、紅一点の発した唐突な言葉。
他六名の視線がそこへ集中した。
「…名前ぐらいなら聞いたこともあるが」
自然と始めに応えたのは、皇帝に次いで権力を持つAブロック隊長ハンペンだった。
彼を除く者が皆、突然の質問への答をなんとなく彼に求めるような空気だったからこその一声でもある。
「わしはあいにく、そういった類の祭にはあまり明るくなくてな」
残念だが、と言いたげに軽く溜息をつくと、視線を横に移す。ハンペン、そして皇帝と並び三大権力者とされる男、ランバダの座る場所だ。
男といっても未だ少年と言って差し支えのない歳ではあるが。
「俺も、興味ない」
無愛想ながらはっきりと、ランバダの答が返った。
皇帝ほどではないにしても彼もまた付き合いを好まない。ただ、己が認めた相手に対してはそれなりの態度を取るのも彼の在り方である。
彼の視線はそのまま動かなかったが、流れは更にその隣席へといった。
「…ああ」
片手に持った本に栞を挟みながら、風神のジェダは小声で返答する。
別に会議中だというのに読書に耽っていたわけではない。定期的な会議の終いには大体とりとめのない雑談の時があり、そもそもハロウィンの話も今がそうだからこそ出てきたのだ。
彼はつい先程、読みかけていたらしい何かの本を開いたばかりのところだった。
「死者が蘇るだとか、魔女が飛ぶだとか、祖先の霊を迎える日だとか、そんな伝説ぐらいなら」
読書を中断されても特に不機嫌な様子はなく、とりあえずは知っていることを並べてその視線を横に流す。
そこに座るのが質問の主、七人の帝国最高幹部の中では唯一の女性でもあるレムだった。
「ずいぶん昔には有名だったのかもしれないけど…時期が近いみたいで、うちのブロックの近くの村でちょっとした騒ぎになってるの」
それで気になって、と付け加え、レムは横を見た。
さすがに女性の隣で開くのは気が引けるのか、あまり大声では言えない趣味の本を今は持たないコンバット・ブルースは空いた手ごと肩を竦める。
「ジェダでさえそれぐらいしか知らないのに、俺が知ってると思うか?」
「…よね」
軽く納得してしまった様子でレムが頷いた。
コンバットも溜息で返すと、そういう話なら詳しいんじゃないのか、と言いたげに逆隣を向く。
黙って話を聞いていた宇治金TOKIOがうーん、と唸った。
「いやー、夏の催しやったら解らないこともないんやけど。もう秋でっからなァ」
かき氷でも暑い方が好きなんや、と付け加え、彼もまた他の連中と同じ方向に話をやった。
宇治金TOKIOの、そして他の者の無言の視線に、多少居心地も悪そうに薔薇百合菊之丞が眉を顰める。
「…ンなもん、残ってる地方には残ってるだとかその程度じゃねぇのか?」
もうない地方の者には解りようもない、と言いたいのか、少なくとも一同にはそう伝わった。
「じゃ、誰も知らないのね」
「そんなに気になるようなことだったのか」
ハンペンの問いに、レムは苦笑して首を傾げる。
「ちょっと、楽しそうだったから」
どうとういうこともないけれど、と。
なんとなく皆和んだ空気にはなった。
ちなみに、冗談でも『三世様なら知っているんじゃないか』などと言い出す者はいない。人間嫌いのあのツルリーナ三世が、まさか人の祭に対して興味を抱くようなこともあるまい。
ただ誰も、己にとって身近な場所に、何か知っている者がいたとしてもおかしくはないだろうと。
そのぐらいのことならば欠片ほどは心の内に置いていた。
その後話題は別の方角へと転がり、定期会議は終わりを告げた。
彼らは知らないが、ハロウィンと呼ばれる祭の当日まであと二週間を切ったある日のことだった。
「波浪院?」
「わざとらしい間違えしてんじゃねぇよ。ハロウィンだろ」
最高幹部の面々から正しい答を得ることは出来なかったレムが次に問うたのは、三狩リアの基本メンバーとして戦いの場で肩を並べる二人の隊長だった。
他のグループと比べ共闘と言える戦い方とは遠いものの、互いの信頼は深い。とはいえそれは戦いの間のことで、普段この二人の男達はどうも気が合わないようだ。
三狩リアを組んだばかりの頃は心配にもなりハンペンに相談したが、返ってきたのは『上手くいっていないからああなっているのではないだろう』という答だった。
当時はその意味がまったく解らなかったが、今はだんだんと解ってきた気もする。ただ、それが日常になってしまったからかも知れないが。
「五月蝿い。というわけでレム様、拙者には何のことやら」
「解らないんじゃねーか」
「なら貴様、解るのか」
穏やかでないゴエモンとルブバをやれやれと見守りながら、レムは溜息をついた。
「ルブバはどうなの?」
「ああ、俺っち…じゃねえ、俺は聞いたことありますよ。ガキがみんなで仮装して、家の扉を叩いてまわるんでしょ」
「へえ。そんなことするんだ…でも、どうして?」
「さあ」
「なんだ、貴様もその程度しか知らねぇんじゃん」
ゴエモンが横から茶々を入れる。
「うっせぇよ、ゴ、エ、モ、ン」
「あ、貴様!浪漫貴公って呼べっつっとるだろーが!」
「あー、うるせぇ」
「コラー!」
まだ何やかんや初めてしまった二人をやはり見ながら、これで情報打ち止めか、とレムは小さく肩を竦める。
そういえばゴエモンの『偽名』を耳にしたのも久々だ。他の隊長達も皆だいたい呼び易い方を使うものだから、ちっとも定着しないのだ。
だが逆に隊員間ではゴエモンという本名の方を知らない者が多いという噂もあって、不思議な話だとは思う。
しかしそれをからかうルブバもルブバだ。
「その口縫い付けたろうか、この遊び人…!」
「テメーの方がうるっせぇだろ、盗人!」
こんなやり取りを聞くのももう何度目だろうか。むしろこれが穏やかな時、子守唄のようにも思えてくる。
だんだんと眠くなってきて、少し寝るから静かにね、と二人に断ると、スイッチを押したように怒鳴り合いが止んだ。
すっかり慣れたものだなぁ、と感心しながらレムは本当に眠りについたのだった。
「ハロウィンですかぁ。知ってますよー、師匠ハンペン!」
チクワンの明るい返答に、ハンペンは頷いた。
「して、どのようなものだ?」
三狩リアは様々な布陣にて行われるが、ここぞという時のための基本的な設定メンバーがある。
ハンペンもまたレムと同じように、他の二名に『ハロウィン』たるものを問うていた。
「えーと、お菓子を貰いに行くんだったかな?」
「…菓子?」
「なんか、チョコとか飴とか。小さな子が」
「なるほど…」
大人達も協力しての子供らの祭なのか、とハンペンは再び頷きかけたが、菓子を貰うだけというのもどうもしっくりとこない。
「GUY坊、何か知っているか」
「…GUYは…そちらの方のことはどうも」
残念ながら専門外です、と小さく礼をすると鈴が鳴る。
チクワンはやや子供らしさの残るところもあるが、逆にGUY坊はやや自信家でありながらも落ち着いたものだ。
それは欠点にもなりうるが、ハンペンとしてはその点は大切にすべきだと感じている。
「そうだな…」
腕を組んでやや思案していると、ハンペンの視界に異なる影が入った。
「…ん。ランバダ?」
覚えのある名で呼ぶと、影が振り向く。勘違いではなかったらしい。
「…ああ」
Bブロック隊長のランバダは、基本的には三狩リアを組まない。一人でやるのが己の在り方だとして、その通り一人で戦い十分な成果をあげている。
ハンペンは彼のその在り方もまた気に入っていたが、最高幹部ではない隊長達にはやや遠く恐れられる存在でもあった。現に、チクワンとGUY坊の密かな緊張を背に感じる。
「ハロウィンのことでな。何か解ったか?」
「まだ気にしていたのか?」
ランバダは首を傾げた。
「知ってどうするんだ」
「レムに教えてやればいいと思ってな。自分で知るのも悪くない」
「そうか」
ランバダは無愛想でも決して身内を無下に扱う輩ではない。
だがその意識の表現の手段としては、あくまですると判断したことをするのみだ。ハロウィンという祭事には興味なし、つまり彼にはぴんと来ないらしい。
「なんでも、菓子を食う祭らしいのだが」
「…そいつらから聞いたのか?」
「ああ、チクワンからな」
ひぇ、とチクワンが震えた。その横で小さく鈴の音も響く。
「あ…そ、そんな風に聞いてたんですけど、ウワサで」
「…へぇ」
元よりそう甘党でもないランバダは、菓子にも興味は示さないようだった。
「俺はあまり興味がないな。子供でもないし」
「そうか?」
「そうだ」
決して子供ではないが、それなりに歳のいったハンペンとやや離れて小さいことは確かである。現に幹部最年少であるランバダは、多少不愉快そうに肩を小さく上げた。
「わしはたまには皆で同じことを祝うのも悪くないと思うがな」
「別に、いつも集まってるだろ」
溜息混じりに呟きが返される。
最高幹部は三世直属の部下として定期的に会議を行い、同様に二十六名の隊長の間でもやや長い間隔とはいえ決まった時期にやはり会議を行うのだ。
更に有名な祭事時には簡単なパーティーだの三世への挨拶だのもするので、ランバダにとってはそれでもう十分ということらしい。
「それはそれ、これはこれだ」
「物好きだな」
「そうか?」
「そうだ」
例えばツルリーナ三世は、直属の部下の実力を認めはするものの、その者達の好むような騒ぎや祭を好みはしない。
度合いが違うとはいえ似た様なところがあるのではないか。
人付き合いを嫌うが認めるべきは認め、冷たくありながら押さえるべきところは押さえ、強者である二人の男。
ハンペンは他者からやや引いて見られがちなその男達のことを、特に気にするでもなくむしろ好いていた。
「…それで、ハロウィンというのは聖人を記念する祝日の前夜祭だったそうだ」
「あー、そーかよ」
ランバダと同じく、この件について特に感心を持たなかった菊之丞は、しかしジェダに捕まってハロウィンの説明を聞かされていた。
タイミングが悪かった。別にジェダは語りたがりでもないのだが、たまたま彼がラパラパと覇凱王を相手にその話題をあげている所に通りかかってしまったのだ。
「伝説だの何だのが多く残っている…それも記録の知識に過ぎないがな」
「それで?何かあって無くなっちまったっていうのか?」
「地域によっては残ってるんだろう。ジョウキゲーンの頃にはもう少し盛んだったんじゃないか」
マルハーゲ帝国が世を支配する前、世界はルンルン王国のジョウキゲーンによって治められていた。
それがマルハーゲ三世によって新たに支配されたのだが、何世紀も前からそうして戦乱もしくは王の交代を繰り返す内に、残るところには残り残らないところからは消えてしまったのかもしれない。
もしかすると実は世界の殆どには残っているのかもしれないが、なぜか現隊長の中にはハロウィンについて詳しい者がたまたま少ないようだった。そもそも皇帝がそんなことに全く興味を抱きそうにない男なので、不思議に感じるものでもないが。
他の隊員連中ならば幾らでも知っている者がいるかもしれないとはいっても、菊之丞にはその気もなかった。
「それで?わざわざ俺を捕まえて語るからには、何か言いたいことがあるんだろうな」
「教えてやれ」
ジェダから話を振られて、ラパラパと覇凱王はやや居心地悪そうに顔を見合わせた。どうやら彼らが、この様子を見ると聞きかじり程度にはハロウィンについて知っていたらしい。
「えーとですね、俺が聞いたのはなんでもガキが他人の家をまわって…」
「『お菓子くれなきゃイタズラするぞ』とか言うんだったかな」
ラパラパの言葉に覇凱王が続ける。と、ラパラパは不可解そうな顔をした。
「いや、ハロウィンどうたらこーたらじゃなかったか?」
「でも、菓子は貰うんだろ?」
「リンゴじゃなかったっけ?」
「それはパーティーの余興だろ。魔女がリンゴ持って庭かけまわり、黒猫はコタツで丸くなる…」
「歌じゃねーんだぞ!リンゴは釣るんだろ」
微妙に偏った知識にどうやら不揃いがあるらしく、二人は上司達そっちのけで確認と調整を始めてしまった。
ジェダは慣れたものなのか黙ってそれを見守り、菊之丞はただ呆れてそれを見守る。
「…ワケが解らねぇぞ」
「まあ、重要なのは一点だ」
「なんだよ」
「菊之丞は甘党じゃなかったか?」
ジェダの問いに、眉を顰める。菊之丞は確かに甘い物も嫌いではないが、たまに食べるだけで決して甘党ではない。
単なる勘違いかとも思ったが、どうもその言い方には含みがあった。
「俺じゃねぇよ」
思わず出てしまった答に、ジェダはしれっと返す。
「ああ、そうか。間違えた」
「何をどうしたら間違えんだよ」
「気にするな。身近な人間同士の好みを取り違えるのはありがちだ」
「誰のことだ!」
あくまで無表情のジェダに叫び返してから、菊之丞は小さく舌打ちした。
ジェダがからかっているのが自分と、自分よりずっと甘党という言葉に近いであろう別の男のことだというのは恐らく間違いない。
だがその名を出してしまえばそれこそ彼を楽しませるだけなので、それ以上何か言うようなことは無かった。
「なるほど、時代の流れで変わっていくものもある…悲しいねぇ」
ジェダも自分から駒を進めることはなく、ただぽつりと呟いた。
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