『銅貨一枚で売り買いされるのは、どんな気分だと思う』


どんな気分だと思う。





硬貨



「あと、他に本日の報告は…いえ、以上です。ハレクラニ様」
どうにも慣れていない、しどろもどろの言葉がマネーキャッスルの中心に響く。
声の主は獄殺三兄弟の次男、メガファンだった。
「…そうか」
暖を含みはしない、かといって冷た過ぎるでもない、深く澄んだ声が返される。
ハレクラニはメガファンの報告に対して快も不快も感じていないようだった。
「…は」
メガファンとてこうした類の仕事に慣れないわけではない。ヘル・キラーズの報告は五名が交代でまとめて行うのだから、五回に一度は担当していることになる。今とてそれが変わったわけではない。
ただ普段と違うのは通常の報告の後にもうひとつ、明らかに不慣れな『別の報告』を付け加える必要があることだった。
「…あの」
「なんだ」
「い、いえ。過ぎたことです、取り消させて頂きたい」
メガファンの尊敬する長兄覇王ならば、それをそつ無くこなしたことだろう。可愛い末弟のビープはどうだったろうか。見かけは冷静なガルベルや本当に常にすかした顔をしているT-500、そういった同僚達ならばどうか。
どちらにしろその『別の報告』、それ以上にその報告を行うために必要な『仕事』が、ヘル・キラーズにとっては何度繰り返そうと手を焼くものだった。
実力の問題ではない。いわゆる専門の技なのだから仕方がない。
だから、

そろそろカネマールのやつを戻してやってくれませんか。

だがそれを決めるのはハレクラニであって、他の誰でもない。
例えハレルヤランドの電車に関わる業務に他の連中が手を焼いたとしてもだ。
「…ふん。どうせどこぞの一円玉のことだろう」
「い、いえ」
カネマールが一円玉にされてから数えて今日で五日目。
彼の仕事の代わりがメガファンまでまわって、今日で一巡したことになる。
「…申し訳ありま」
「報告書をまとめてやれ」
「え?」
ハレクラニの言葉に、メガファンは開いていた口をぱくぱくとやった。
「今朝戻してやった。一日休ませてやったのだから動けるだろう」
「…は、はい」
未だせねばならない事をまとめかねるメガファンだが、ハレクラニは待たない。
ゆっくりと視線が伏せられる。
「…ハ、ハレクラニ様。それでは、失礼します」
それが、もう話すことは無いと示す合図だということをメガファンはよく心得ていた。
迷う思考を一時停止して、慌てて起立した。


カネマールという男を一言で表すならば『電車一』だ。
一般の人間にはわけの解らない単語だが、走行する電車の上で飛び回り、伸び縮みする槍を操って車内まで把握する技は彼でなくては成せないだろう。
電車という言葉を使わずに表すとなれば難しいが、強いて言うなら『正直者』。
誰に対してもそうなのかは解らない。ただ彼はハレクラニに対して、嘘はおろか隠し事や誤魔化しすらしないと言って過言ではない。
言い訳ならばするだろう。だがそれも現実に即するもので筋は通っている。
笑えないのは、正直が過ぎて他人の罪まで被ってしまうことだ。『ハレクラニが怒るであろうことを』『自分には責任が無くても』見たままに報告してしまう。

五日前彼が一円にされたのも、ハレクラニにランド休業の看板を外し忘れていた件を報告したためだ。
確かに電車での客の出入りを見ながらすぐさま気付かなかった彼にも落ち度があるだろう。だが看板の件に関しては彼は責任者ではない。言うならば連絡の上手くいっていなかった自分らも同罪と言える。
思えばカネマールがハレクラニによって一円の刑を受けるのは、これが一度目ではなかった。



「あ、メガファンさん。こんばんは」
ノックに返事、基本的な礼儀を通して開かれた先の私室で、カネマールは平気な顔をして笑っていた。
「もういいのか?」
「今日一日休んだんで、すっかり。今日の当番はメガファンさんだったんですね」
カネマールはヘル・キラーズに対して正式な場では様付けに敬語を使うが、普段はこうして幾らか崩した形で接している。これはナイトメアなども同様で、ヘル・キラーズも認めてのことだ。
ただ歳の近いビープとは本人の希望もあり、身近な友人の様にしていることもあった。
「大変だったでしょ」
「別に。…と言いたいとこだが、まあな。電車のことはやっぱりお前だな」
カネマールはそうですか、と照れくさそうに笑んで、メガファンの差し出した五日分の報告書を受け取った。
「そういえば、五日誰とも会ってないんだなあ…皆さんお元気ですか」
「ああ。いい加減お前の心配も、みんな飽きちまったみたいだがな」
「そーですか」
苦笑いが返る。
「ああ、冗談だ。後でビープんとこ会いに行ってやってくれよ」
「ええ…あれ?珍しいですね、メガファンさんからそんなこと言うの…いつもは」
「とんでもないブラコンだって?」
「あ、いえいえ」
幾ら何でもそこまで、といった様子でカネマールは首を振った。
ハレクラニに対してでなくても、根が解りやすい男なのだろう。
「退屈してたからな。…ああこれ」
「ん?」
「ついでだから、やるよ」
ポケットの中のガムを一つ放ると、カネマールはやや慌てながらしかと受け取った。
「…これ、まさかとんでもないガムじゃ」
「バカ、普通のだ。ヘルズガムの方がいいか?」
「遠慮します」
引き攣って首を振ったカネマールをメガファンは笑ってやった。
電車で戦うのが彼の専売特許であるなら、ガムを使った戦い方は自分の十八番だ。他の者には真似出来るものか。
「じゃあな」
ややだるそうではあるがすっかり普段の調子のカネマールに手を振ると、軽い礼が返ってきた。
ハレクラニの言う通りだ。明日には恐らく本調子で動けるようになっているだろう。


一円玉になったことそのものに対し、カネマールはひとつも愚痴をこぼさなかった。
メガファンとてハレクラニのすることに間違いがあるとは感じない。だがカネマ−ルの態度にも、どこか底知れぬものがある。
もの言わぬ硬貨にされるというのはどんな気分だろう。
メガファンには理解できなかった。


ハレルヤランドが休業の看板を外し忘れ、ハレクラニが謎の大会へと出かけて行った、その日から五日目のこと。










「部下を金に変えちまうってのはどんな気分だ?」
問う声に、ハレクラニは緩く首を振った。
「…どうということはありません」
「だろうな。テメーにその気がありゃ戻してやる…と」
「あれは基本的に罰ですから…もっとも、有象無象どもの中に覚えのある者はそうはいませんが」
『一円玉』は大概そこに転がって終わる。
ハレクラニの言葉に彼の目の前の男、ギガはくつくつと笑った。
「…電車の坊やを許してやったそうじゃねぇか?」
「…ああ」
カネマールのことは、サイバー都市の一部の者達にもよく知れている。
ハレルヤランドと外界を繋ぐ手段として大きいのは港と駅で、電車の方を一目見た時に目につくのは彼の姿だ。
「あれには、それなりに必要のある役目を与えていますから」

電車の上に二本足で立って、平気な顔をしている男。
まるでどうということのない地面の様に飛び回る男。
大事に抱えているその槍の様に、鼻で笑えるほど真っ直ぐに出来た男。

ギガが興味を示した数少ない対象。

「…ギガ様は、いつか。あれを面白いとおっしゃいましたね」
「あぁ?ンなこともあったな」
ギガは何かと、ひとつのことに執着する技や性格を持った部下達を抱えている。
例えばハレクラニが金という要素を常に傍に置くような。
「テメーも気に入ってはいるだろう」
「…そう、ですか」
なぜなら、とはギガは言わなかった。
ただ普段通り、人の悪い笑みを浮かべてハレクラニを見たままでいる。
「…あれは。単純な男ですから」
今朝術を解いてやった時の、生身の体を取り戻した第一声が、謝罪。
生命活動の大半を止められていたとはいえ消耗した体で、それでも立ち上がった。今ばかりは揺れるのは地でなく己の体だろうに。
こちらの言葉が返るまで必死に身を支え、許しが出ると不安定な足取りを取り繕うようにして出て行った。
あれのことを、気に入っていると。
「ギガ様は不思議なことをおっしゃる」
「そうかよ?」
「ええ」
予想外に強まったハレクラニの声の後、暫し視線のみが重なったまま沈黙が続いた。
「…いいね。その顔」
それを破ったのはギガだった。
ハレクラニは浮きそうになった動揺を繕い、首を振る。
「何か?」
「拗ねてんのか、ハレクラニちゃん」
「……」
そんな、子供のような。
声にはならず、言葉が宙に浮く。
「来い」
「…はい」
歩み寄ると、ギガのどこか細い指先が伸びた。
ハレクラニの髪に触れて滑らせる。
「……私が拗ねているなど。子供でもあるまい」
「ああ、そうか」
ギガはどうということは無いという風に応えた。
目を閉じると、続いて響く。
「あの坊やはあの坊や、テメーはテメーだ。なあ…」
言葉は胸を擽る愛撫の様にして流れ行った。
「ハレクラニ」
何に比べても、名を呼ぶ声が。
ハレクラニは黙ってそれに頷いた。



もう空も暗い。
更けた夜と共に、二つの影も時に沈む。
ハレクラニがある戦いで多くの戦士達と競うこととなった日から、五日目を数える夜のことだった。











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