自分はたった今、何をするため何処へ向かっているのだろうか。
こうして歩いている内に解らなくなってしまいそうだ。解らなくなってしまうというのは大袈裟だが、全身が緊張に薄く覆われている。




『あの方』の前へ立つこと。
難渋ではないように思えても、慣れぬ者には決して楽ではない。
では自分ならばどうかというと、決して慣れていないわけではない。こうして一人で『あの方』のところへ行くのは珍しいことではなかった。
そもそも『あの方』はそう気軽には他者を近付けようとしない。自分を含めたごく少数の者に対してを除けば、滅多に姿すら見せようとはしないのだ。慣れる慣れないという言葉があるようなものではないのかも知れなかった。


それではそのごく少数の者達は、自分と同じような心持ちで『あの方』のところに向かうのだろうか。
解けぬ緊張。
他の者のことまでは知らないが、自分は大体そうだった。


『あの方は人間を嫌っているのだ』


例え直属の部下であっても、『少なくとも自らの理解の内では己は人間タイプの生き物である』と思うとやや気が重くなる。
コンバット・ブルースは足を止めぬまま、小さく息を飲み込んだ。








ツル・ツルリーナ三世。
滅多に顔を見せぬこの国、いやこの世界の王は、しかし確かに王座に在る。
こうして開かれた扉の向こうに。
まず守るべきは、一言一句零さぬこと。



「三世様、失礼します!

…うわっ!」


さっそく失敗した。


「なんだ、なん…!」
三世の姿が見えない。正確に言うと、何かの影がばさばさ舞って目の前を邪魔してくるので周りが見えない。
コンバットはその謎の影を軽くかくようにして、振り払おうとした。
どうにか成功したのか影が去る。
目の前にはらりと何かが散った。


「…なんだ」

ほぼ同時に、こちらの視界の回復を待つようにして流れてきた声。
「…は…あ!えーと、三世様…」
「何だ、と聞いている」
「その、えーと…せ、先日に我がブロックが承りました件で!!…報告に、参りました」
一言一句零さぬということならばもう無茶苦茶だ。
しかし何も言わなければ仕様がないので、半ばやけを起こしながら叫ぶ。とりあえず姿勢の正し方だけならばどんな状況下でも確実であろう、というのはコンバットのややくだらない自慢のひとつだった。
「そうか」
対してツルリーナ三世は、感情の読めぬ瞳でただ返した。
「ならば、早くしろ」
「は、はい……、ッな!?」
言い出そうとした声がまたも叫びに変わる。
先程の『影』がまたもコンバットの前に降りて来たためだ。
ただし今度は視界を覆うのではなく、その姿を見せるように三世との間を遮って。

「……鳥?」

三世を前にして『影』のことは流してしまおうとしていたが、たった今確認したそれは確かに鳥だった。先程目の前に散ったのは一欠片の羽だったのだ。
それが三世の技にも関わる鳩ならば、珍しいことはない。
しかし鳩より大きく羽も長いその真っ白なその鳥の名を、コンバットは知らなかった。
「……」
「…あ、あの……、!」
鳥はこちらをひと睨みしたかと思うと、羽を大きく振って突進してきた。
「な…!!」
とんだ低空飛行だ。何ごとか抵抗しようにも、諸々の位置づけがそれを躊躇させる。
突かれるか蹴られるかぐらいは覚悟してコンバットは身構えた。
が。

「…………あれ?」

痛みのような感触は、来ない。
それどころか視界から白い姿が消えている。
一瞬目の前に三世がいることも忘れて、コンバットは辺りを見回した。
それらしき姿はない。ない。ない。
しかし、右肩のベルト越しに妙な違和感がある。
「…な!なんだお前!」
メットを少し傾けながら確認した己の右肩には、その『鳥』が憎たらしい程に澄ました顔で留まっていた。
「おい、降りろ…降りろってば、重…くはないけど!」
「……」
「……あ」
動く気配も見せない鳥と言葉で格闘してから、コンバットはようやっと三世の視線を感じ取った。
怒りではない。呆れでもない。
読み取れる感情が無いものだがら、嘲笑われるよりもある意味居心地が悪い。
「…三世様、こいつは」
自分が入って来る前からいたのだから、知らないということはないだろう。
何とかして頂けないかと期待を込めて問いかける。
「…どうでもいい」
「へ?」
「そうして喋くることが出来るなら、どうでもいいことだと言うのだ。さっさと報告をしろ」
「し、しかし」
「しかし、なんだ」
いえ、特にどうということは。
飲み込んだ言葉すら、肯定だ。これ以上粘ろうとは思いつきもしなかった。
「…では、お言葉に甘えて」
肩に澄ました鳥を乗せたまま報告に入らせて頂きます。
コンバットはもう半ばを通り越し、五分の四ほどはやけだった。




「…以上、です」
報告、は不思議なほど自然に終わった。
肩に留まった鳥は姿勢がいいのか遠慮はしているのか本当に軽いのか、殆ど負担にならない。羽をたたんで大人しくしているものだから、多少気を遣えばどうなるということはなかった。
それでも頬に時折触れてくるのが擽ったいが、こんな状況にもなると大した風には感じない。
「そうか」
三世は瞳を瞬かせることすらなく、手短かにはっきりと呟いた。
剣を模った耳飾りを指先で弄びながら、それでも確と聞いてはいたのだろう。コンバットはひとまず安堵した。ここに『報告』というひとつの仕事が終わったのだ。
本来ならばそれで終いなのだが、緊急事態につきもうひとつこなさなくてはならない事がある。
それをしなくては退室もできない。
「…おい」
三世をやや気にしながら、『それ』に小声で語りかける。
「俺はもうこの部屋を出るから、どいていいぞ」
返事は来ない。
「聞いてるか?俺はもう行くんだってば」
言葉の先の鳥は、相変わらず澄ましてそっぽを向いている。鳴こうともしない。
「三世様のところに戻れ」
そのくせ退く気配もない。
叩いて引き剥がすわけにもいかないだろう。コンバットは沈黙して、鳥から目を背けた。
自分の肩を見るというのは思いのほか疲れるものだ。そもそもこの鳥はこんなところで澄ましていて心地良いのだろうか。それは左肩の弾丸の上にいるよりはいいかも知れないが。
いやそもそも、自分の肩の上に鳥がいるというのが不自然なのだ。
「……」
ふいに三世が動いた。
身動きと言えるようなものではなく、片手を真っ直ぐに。
「…?」
コンバットはその動きそのものに驚愕したが、怯えは出て来ない。
それは不思議なほどに穏やかだった。
不可解さも殺気も無く、ただ真っ直ぐにこちらへ。

「…来い」

三世の呟きが、はっきりとこちらに聞こえる。
それは肩の上の鳥に向いているものだと解った。自分の言葉はまったく通じた気がしないのに、三世のその一言は確実に届いているように思える。
鳥は、くぅ、と小さく鳴いた。
声を聴くのはこれが初めてだ。ぼんやりと考えている内に、風のようにして肩から離れていく。そこにもまた痛みなどは無い。
鳥はすぐに三世の方へ飛んで行く、のかと思われた。
しかし。
「…なん、だ?」
鳥はまたコンバットの目線、低空を飛びながら身体を向かい合わせてきた。
激しさは感じなかった。羽音も煩くはない。

くぅ。

コンバットには二度目になる鳴き声は、笑うようにも聞こえる。
ただ無言のまま暫しを過ぎると、鳥は三世の方を向いた。
そして、いつの間にか彼の腕に留まっていた。
「……」
コンバットはただぽかんと、その光景を見つめたまま。

三世がもう終わりか、と呟いてくるまでは一歩も動かずにいた。










考えてみれば不思議な話ではないのだ。
三世は確かに『人間が』嫌いだ。だがああして鳩を操ったりするのだから鳥、いや動物達まで嫌っているとは言い切れない。
寧ろその方がずっと自然だろう。

「…おい」

あの光景がまるで別世界のことの様に思えたのも、それは彼が三世であるが故だろう。
三世は強い。どれ程とは言い表せないが、相応しい言葉を探すのならば正に今の世の王だ。
そんな男が常人と多少異なったようなことを考えても、別に不思議はない。

「…おい?」

三世は確かに人間嫌いではあるのだろうが、しかしその部下には人間を置いている。
例えば最高幹部の半分以上は人間タイプだ。タイプは異なっても、人間というカテゴリーの考え方によっては全員が人間に入るだろう。



「…コラ、無視してんじゃねぇよ!」
「わ!」
背に軽く肘を入れられ、コンバットは危うく転びそうになりながら横を向いた。
「なにするんだ、菊之丞」
「何考えてんだよ、テメーは」
「…あれ?もしかして呼んでた?」
「あー、その通りだ」
けッ、と不貞たようにして菊之丞が言い返してくる。
彼もまた人間タイプであり、同時に三世直属の部下である帝国最高幹部の一人だ。
「悪かったってば。気になることがあってな」
「…気になること?」
「ああ、おととい」
一昨日。
コンバットは今と同じ様に帝国本部の通路を歩いていた。
同じといっても一人だったし、会議室からの帰りではなく皇帝のところへ向かっていたのだが、とにかくそこで『ちょっとしたこと』があったのだ。
「………」
「なんだよ」
「……なんか、そんな笑える話でもないからいいや」
「いいやじゃねーだろ、テメー…」
あ、怒った。
コンバットが軽く一歩引く前に、恐らく軽くだろうが、菊之丞が頬を抓ってくる。
「いひゃいっへ」
「俺は笑い話が聞きたいんじゃねーんだよ」
「らから、これりゃいは…ん?」
「あ?」
ばさ、と。
どうしようもない会話を覆うように、羽音が響いた。
「なんだ?」
菊之丞の手が離れて、コンバットの視線もその音を追う。
すぐに見付かった。二人の頭上に、真っ白な影。
「…あ!お前」
菊之丞に抓られていたところにまだ違和感も感じるが、思わず叫んだ。
三世のところで見たあの鳥だった。
「なんでここに…」
「何だ、そいつ?」
「ああ、…わ!」
鳥はまたもコンバットの方へと向かってきた。しかし今度はコンバットも構えていないので、不安定なまま着地は失敗に終わる。
「だから勝手に留まるなってば!」
菊之丞にはさぞ笑える光景に見えるだろう、そう内心溜息を吐きながら、身を捻るようにして避ける。すると鳥は大きく、くくゥと鳴いた。
怒らせたかと一瞬緊張に固まる。
だがそうではないようだった。鳥は襲いかかってくるどころか、やはり器用に低空を飛んで逃げるように舞った。
コンバットの背後に。
「…え?」
「…あぁ?」
二人の男の声が同時にあがる。
そして、直後。
「お前、怖いのか?菊之丞…が」
「…テメー、なんのつもりだ」
それもまた意味するところは同じだった。
鳥は頷きはしないが、菊之丞に向けて何か警戒した気配を飛ばす。
「…おいコラ」
「ちょ、まあ落ち着け。…おい、こいつは怖くないぞ。ちょっとだけ意地っ張りで口悪いけど…」
「誰がだ!」
「わ、怒るな!冗談だ冗談」
睨んでくる菊之丞に誤魔化しながら、コンバットは鳥の方を向いた。
近寄って来る気配はない。動く気配もない。
「……しょうがないな」
「あぁ?」
鳥でなく菊之丞が不機嫌そうに呟く。
コンバットはそちらを向いて、肩を竦めた。
「…菊、先帰っててくれるか?」
「は?」
「こいつ、送ってから行くから。俺」
「…こいつ?鳥をかよ?」
「ああ」
ただの鳥じゃないんだこれが、と小声で付け加えると菊之丞はただ不可解そうな顔をする。
対して鳥はこちらの会話を理解したのか、コンバットの方に視線を向けた。
くぅ。
ひと鳴き。
「…だってさ」
「何がだよ」
「なんだろーな」
実は鳥の言葉などさっぱり解らない。
菊之丞が溜息をつくとほぼ同時に、白い鳥の姿はコンバットの肩へと移っていた。
「あ、お前また!」
「…なんだこいつ」
「…なんか知らないが、俺の肩にとまって来るんだ」
また、右肩だ。
「変な奴」
菊之丞が呟くが、鳥は目を逸らしている。
「…こいつ」
「落ち着けってば。…じゃあ」
「チッ…勝手にしやがれ」
構えかけた手を引っ込めて、菊之丞は不機嫌そうに呟いた。
「それじゃ、またな」
「ああ」
挨拶まで不機嫌だ。
ぷいと一人と一羽に背を向け、ひらひらと手を振る。
それから何も言わずにさっさと姿を消してしまった。



そこに残った影ふたつ。


「…怒らせたかな?」
くぅ。
「俺じゃないぞ、お前のせい…」
くぅくぅ。
「…いや、もしかしたら俺のせいなのか?」
くぅー。
「しかしお前、もっと三世様から嫌われてなさそうな奴に懐いてくれよ。人間嫌いなんだからさあ」
くぅ。
「ハンペン様とか宇治金TOKIOとか…」
無言。
「…俺の言ってること、解る?」
くぅー。
「……これじゃ独り言だな」
くくく。
「…笑われてるのか?俺…いいや。解ったよ、三世様のとこまで連れてってやる」
くっ。
「帰り方が解らなくなったんだろう?違うか?」


鳥はちっとも、コンバットの解る言葉では答えなかった。











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