きずあと





時は夕刻。
OVERの使いで近くまで出ていた蹴人は、夕陽の中を小走りに進んでいた。
急ぎでないとはいえ、あまり遅くなれば主の機嫌を損ねてしまうことにもなりかねない。
用を済ませて気付けばもう、城近くの駅にハレルヤランド発の電車が到着する頃になっていた。







四天王OVERの城と、四天王ハレクラニの居城ハレルヤランド。
二つの城の間は昔から一本の電車で繋がれていた。
蹴人の物心ついた頃からそれは走っていて、当時も今も一般シートから寝台車までが常に満席になる。決まった時間に来ては遊び疲れた乗客を吐き出し、そして新たに世界中から集まった乗客達を吸い込んでいくのだった。
何か特別なことがない限りは日に一度走ってきて、そして帰っていく。
本当に幼い頃は電車を迎えたり見送ったりするのが好きで、その時間になると駅まで走ったものだった。


小さかった自分の足取りを思い出しながら、蹴人は思わず笑みをこぼしていた。
五忍衆ではなかった頃の自分。今いる道も、歩き慣れていなかった。
駅よりも向こうは殆どが知らない世界だった。ハレルヤランドにも行ったことはなくて、憧れのように思っていた。

思えばこの時刻、こうして駅の近くを歩くのはどれくらい振りだろうか。
城へ戻るためには先に駅の側を通ることになるのだ。
近付くにつれて、また別のことを思い出す。


ハレルヤランドがまだずっとずっと遠くの世界だったころ、そこはどんな場所なのかと尋ねてみたことがある。
駅員ではなかった。
乗車員でもなかった。
彼らは優しかったが年が遠かったためか、会話をするのもやや躊躇われたのだ。
そのとき蹴人の年齢は二桁に達していなかった。
そして相手は、片手で足りるぐらいの歳の差のやはり少年だった。

少年はある時期から、蹴人の視界の中に現れるようになった。
彼はいつも電車にいた。
中ではなく、車両の上に佇んでいた。
走る電車の上にいることは、普通の人間のする真似ではない。その頃の蹴人にもそれは理解出来ていた。
何度目に見た時のことだったろうか、彼が気晴らしのためか車上から飛び降りたところに駆け寄って、声をかけた。

『電車の上、怖くないの?痛くない?僕でもやれる?』
『…俺は平気だけど、真似はしない方がいいと思うぞ』
『どうして槍なんて持ってるの?』
『そりゃ…これ持って戦うのが仕事だからな』
『趣味じゃないんだ』
『いや、趣味って…あ、こら!危ないから返せ!』
『わ、おもいっ』
『むやみに触るなったら、伸びたりビーム出たりするんだからそれ!』
『見たい!』
『ダメだって!…ええと、君だってその大事そうにしてるボール取られたりしたら嫌だろ?友達だろ?』
『いや、ボールはボールだよ』
『……』

彼は戦う為の槍を持ち、毛狩り隊の印の入った格好をしていた。
その頃は四天王になってからそう経っていなかったハレクラニの、部下。
彼自身からそう名乗ることはなかった。後々になって少しずつ、当然のように理解していったことだ。
いつの間にか自分は彼に名乗り、彼の名も知って、OVERの部下となり、五忍衆になった。


そうして他人とは言えなくなるまでに何度会ってきたのだったか。
蹴人も大きくなるにつれ毎日そこに通うことはなくなったし、彼も常にそこにいるのではなかった。
定期的に休みは与えられていたのだろう。そうでなくても何故か突然、何日か続けて姿を消してしまうこともあった。



思えばもう、初めて交わした会話を断片としてしか覚えていない。
自分は初めて出会った頃の彼と同じか少し上ほどの歳になり、
彼はそろそろ少年ではなく青年と呼べる歳になるだろう。

あの頃からずっと、人が好くてどこか抜けたところは変わっていない。





耳の内に微かにざわめきが入り込んでくる。
そこでようやく、もう目の前に駅が見えてきていることに気付いた。
電車の到着した直後なのかと思えばそうではないらしい。
既に到着してから暫し、入る者がまばらにいるだけで出るものはなかった。


夕陽を浴びる車両の上に、人影がない。
蹴人の視線は自然と彼を探す。


「あの、無限蹴人様?」
呼び止められて振り向くと、そこには駅員の服を着た男がいた。
駅員とはいっても毛狩り隊だ。この場所に駅を作った、ハレクラニの部下ということになる。
「どうも。…あの、何か」
立場からすれば蹴人の方が上と言って間違いないだろうが、所属の違う年上の者に礼儀を損なうわけにはいかない。
突然のことでつい声が上擦って、息を飲む。
「いえ、もしかして…ご存知ないのでしたか」
「何を」
「ああいや、気にせんでください。先程ここでひと騒ぎあって、OVER城の方も来ていたもんで」
年上といっても男は若かった。
幼かった頃の記憶にある駅員とはまた別の人間だ。
「ひと騒ぎ?何があったんですか」
「はっ。車内に賊が」

その言葉に蹴人は一瞬、眉を潜めた。
ハレルヤランドに行く電車ではなく、OVER城に戻る電車の中に何者かが潜んでいたという。

「…つまり、狙いはうちの城なのか」
「ええ。たまたま移動手段としてセキュリティの甘そうな戻りの電車を使用したみたいなんですが…片道だけ」
「そいつらは?」
「捕えまして、OVER城の方にお引き渡ししました」
蹴人が使いに出ている内に事があって連絡が行き、誰かがここまで来たのだろう。
礼を言うと、駅員は自分の仕事へと戻っていった。

ハレルヤランド側の駅と違って、こちらの駅からOVER城までにはそれなりの距離がある。
辿り着いたとしても大体はお庭番のガンプに見つかって終いだ。彼の目を誤魔化せたとしてもメソポタミアの罠に引っかかるか、誰かしらに見つかって捕えられることになるだろう。
それが電車の中で捕まっているようでは仕方がない。まず移動手段の選択を失敗している。


そこまでぼんやりと考えてふと、あるところに辿り着いた。
先程からどこにも見えないでいる『存在』。
とっさに辺りを見回し、その姿を探す。



(…いた!)

『彼』は、電車に向かって歩いているところだった。
自然に足が動く。駆け寄る。

頭の中で一瞬、今の自分と記憶の自分とが重なった。
初めて声をかけた時もこうして駆け寄っていったのだ。



「カネマールさん!」


違うのは、今は彼の名を知っていること。
叫ぶようにして呼ぶと彼は振り向いた。


「あれ?蹴人く、」
「電車にいた連中捕まえたの、カネマールさんですか!」
「…あ、ああ」
ブレーキをかけながら勢いで問うと、彼、カネマールは驚きながら首を縦に振る。
「じゃあありがとうございま…すっ」
蹴人の方も慌てて息を詰まらせながら続けた。
結果的には、OVERの城に侵入しようとしたらしい輩を捕まえるのに、ハレクラニの部下である彼が仕事をしたことになるのだ。
「いや、電車はもともと俺の担当だからさ」
「それでも……ん?」
蹴人は瞬間的に何かに違和感を感じて、瞳を瞬かせた。
原因はすぐに目に入る。
彼の左の二の腕に見慣れない布が巻かれていた。
「…包帯」
「あ。これか」
薄く透けてガーゼやテープの影が見える。
思わず眉を潜めると、カネマールは困ったように笑った。
「ちょっとな」
「なにが、」
思わず追求の言葉が漏れる。
「…戻りの電車だからって、気を抜いてたもんだから」
「切られ、ちゃったんですか…?」
「いや。かすり傷」
擦り傷といっても止血されているのだから、間違いなく切られたのだろう。服を汚さずには済んだ様だが痛々しいのに変わりはない。
駅の誰かが手当をしたのだろうか。



蹴人の中にふつふつと、煮詰まる様な感情が沸いてきた。
怒りではない。

確かに四天王の部下をしていればそんな負傷など当たり前のことかも知れない。
けれどもこれは彼の失敗だろうか。
行きも帰りもずっとああして佇んで、何かあってもその瞬間には預ける相手もないだろうに。
自分はこれまで仕事をしている彼のことしか見たことがない。
電車の走っていない間には休んでもいるだろうし彼なりの生活があるのだろうが、
それでも。
そうして考えていると、その傷は見えていないのに深く大きく思える。

自分が知っている彼はその存在の内のほんのひとかけらに過ぎないのだ。
だからどこか寂しげに見える。
現実以上に、儚くも見える。


カネマールという男は、孤独という言葉に決して近くない。
出会う時一人であることが多いのは彼の立場ゆえで、自分の方も一人である時が少なくはない。
互いにそこまでは知り合っていない、そんな相手に寂しげだの儚いなどと思うのは礼を失することかも知れない。




「…蹴人君?」
「…あ!?え、いや、その」
急に聴覚に彼の声を捉まえ、返事もままならずに裏返る。
「考えごとしてたのか」
「いや!べつにッ」
「電車、そろそろ出るからさ」
見ると、駅員が互いに合図を送っていた。
確かにそうだ。小さかった頃この駅に通って、よく見ていた光景。
「…ほんとだ」
「ここで会うの、久し振りだっけ?」
「小さい頃にはいつも来てたんだけど」
「…その頃はまだ五忍衆じゃなかったんだっけ」
「カネマールさんはもうハレクラニ様の部下だったよね」
「?ああ、俺はずっとそうだな」
蹴人がカネマールと初めて出会った時、彼は既にハレクラニの部下だった。ハレクラニの部下として電車を守っていたのだから当然だろう。
今の自分よりも確か少し幼いぐらいで、そういえば声変わりもしていなかったかもしれない。
「…懐かしいな」
「…そうだな」
毎日のようにこことハレルヤランドを往復する彼には、その思い出の中に別の意味での懐かしさも含むのだろう。
考えてみれば不思議なのかもしれない。
思い出が砂にならずに残っている。駅も電車もここにあり、彼も自分もここにいる。
時とともに過ぎ去って行ってしまったものもあるけれど。

「ケガ。…大丈夫ですか?」
「ああ、こんなの大したことないって」
「それならいいんだけど…」
「じゃあな、また。OVER様によろしく」
「こっちこそ、ハレクラニ様によろしくお願いします」

そう言って頭を下げると、カネマールが笑みを漏らしたように思えた。
彼の中では自分は今も子供のままなのかもしれない。

(…そりゃ、まだ大人じゃあないけどさ)

それは今の内は、彼にも言えることだろう。
電車へ向けて走り去る背中を見ながら思った。


腕の傷も忘れたように身軽な体が影になり、被さるようにアナウンスが響く。
騒ぎこそあったが、ダイヤに乱れは出さずに電車は出発した。
多くの乗客とそれから彼を乗せて『ハレルヤランド』へ。


彼が、ハレクラニのところへ帰っていく。





(…もしかしたら)

もしかすると、寂しいと思っているのは自分の方なのかもしれない。
儚いと感じたのは彼自身でなく、自分と彼との繋がりなのかもしれない。

ふとそんなことを考えて、蹴人は首を振った。
それはおかしい。なぜそうして思い悩む必要があるのだろうか。
幼かった頃から彼のことを知っているはずなのに、今になってそんな風に感じるようになる理由があるだろうか。


理由。
彼との繋がりはほんのささやかな思い出を除けば、OVERとそしてハレクラニを通ることになる。
蹴人はカネマールに出会う時、彼のことを思い出す時、どうしてかハレクラニのことまでも考えずにはいられなかった。
彼はハレクラニのところへ帰る。
昔からそうだ。
世間話のように自分の上司のことを語るようになって、他のハレルヤランドの関係者とも出会って、彼とハレクラニとの間柄が知れた。
彼自身が話す。
他の誰かが話す。

ハレクラニにはどうしても隠し事など出来ずにいるカネマール。
そんなカネマールに、時には酷い罰も与えるハレクラニ。
カネマールは失敗を犯したならば、例え罰が怖くてもありのままを報告するのだという。
それも含めての自分の役目なのだという。
彼が暫く電車の上からいなくなったならば、それは罰を受けている時なのだと聞いた。

厳しいというならばOVERもまた、そうだ。
しかしハレクラニとOVERではどこかが大きく違う。
蹴人がOVERの部下でありハレクラニの部下ではないためかも知れないが、ハレクラニのすることは多くが謎に満ちている。
彼はどのように何を考えて、命令を下し、罰を下すのだろう。
カネマールのことはどう考えているのだろうか。
カネマールはハレクラニのことを慕っている。
蹴人から見てもどこか無邪気に、本当に慕っている。
たとえどんな罰を受けたとしても。


それは自分からは遠い、見えない世界のことだ。寂しさという言葉に間違いはないのかもしれない。
ただカネマールがもうこの駅から出て、ハレルヤランドへ戻って行くのだと思うと小さく胸が締め付けられた。
彼にもきっと泣き言があるだろう。
悩むことがあるのだろう。
それは当然のことで、しかし自分は見たことがなかった。
見せられたことがなかった。
彼からもこちらからも他愛のない話をするぐらいで、互いの時間のほんの一欠片ほどしか顔を合わせてはいないのだ。



蹴人はカネマールが仕事をしているところを知っている。
戦っているところを知っている。
笑っているところも知っている。

他には何を知っているだろう。


(…何を?)


ゆっくりと俯いて、夕陽が地面に自分の影を作っているのに気付いた。

昔から、はじめの頃から、彼と顔を合わせる時には自分の方が『見上げて』いた。
あまり離れていないと思っていたのがどんどん離れていった。
片手で足りるか足りないかほど歳が離れている分、彼の方に先に背の伸びる時期が来たのだ。
自覚のない彼に、あと数年して自分にもその時期が来たらきっと追い越してやると言った。そうしたら彼はそうなるかもな、と大したことではないように頷いた。
少なくとも自分にとっては小さなことではない。
もう一つか二つ歳をとれば、彼にやや遅れて成長期がやって来る。

カネマールはハレクラニのことを話す時、幸せそうな表情をする。
そんな時視線は宙を向く。
きっと、空ではない。
空より少し低い場所。
自分が彼を見上げるように、彼が見上げている場所。










長く細く遠ざかって行く影。
道の先。


その向こうにあるものがぼんやりと思い出された。
OVER城だ。
城を狙う者が捕えられたのだから、少しした騒ぎになっているかもしれない。


蹴人は足を止めて、暫くその影を見つめた。
だんだんとゆっくり歩き出す。
振り向かずに少しずつ足を早めながら、使いの包みを抱く腕に小さく力を込める。
幼い頃、夕暮れの中でこの道を歩いていく時。
いくつかの寂しさを捨て切れなかったことを思い出しながら。




できるならもう暫くは、この胸の内にあるものの正体を知りたくない。











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