目を開くと、視界が妙に眩しい気がした。




はじめは未だ寝惚けているのかと思った。
会議室に忘れた書類を取りに戻って、ついうとうとし出してからの記憶が途切れている。
時計を見ればどうやら五分か十分そこらしか経っていないようだが、そこまで深く居眠りしていたのだろうか。
思考が覚めてきても視界には違和感が残ったままだ。
軽く頭を降って、その正体を考える。

考える。

考えるまでもなかった。


その動作を行うことで、何がおかしいのかがはっきりと知れた。
「…あれ?」
額に触れると、つい最近短くしたばかりの髪の感触。
日々の寝起きならばおかしいことはないが、今まで自分が寝こけていたのはあくまで出先の会議室だ。






「…俺のヘルメット、どこだ?」







マイナス







眩しかったのも無理はない。
ヘルメットを深く降ろした視界に慣れると、何にも遮られない目前というのにはかえって違和感があった。

(どうするかな…)

ようやく慣れてきた目をぽつぽつと瞬かせる。
それでも未だ残る妙な感覚に首を傾げながら、コンバットの足はのろのろと廊下を進んでいた。


眠っている間に落ちたか転がったか、隅から隅まで覗いてみたが手がかり一つ見つからない。部屋に入った時には間違いなく頭の上にあったわけだから、室内に無いとなると本気で行方不明ということになる。
無いからどうにかなるというわけではないが、ないならないで困らないでもいられなかった。
思えば人前で頭部を無防備にしておくことなど滅多にない。
とはいえ仕事が終わって自室に戻れば外すわけで、翌朝支度が整うまでは外したままであり、散髪する時にも付けたままでは仕方ないので外すわけだが、兎に角そういった例外を除いたタイミングでないのだからどうしても気が落ち着かなかった。
しかもまったくの行方不明ということだ。
(……気分が悪い)
あまりに慣れてしまったもので、今の格好ではまるで半裸でいるような気分になる。
肩にかけた弾丸のかちかちと触れ合う音も、今は煩く感じられてきた。


とりあえず部屋に無いのだから、もと来た道を辿るしかない。
誰かが見かけたとしたら自分のものだと解るだろうし、ものを失くしそうな場所を歩いたわけでもないのできっと解決には近付くだろう。
見付かってくれないと、困る。




「…あ」

困る困ると思っていたからだろうか、さっそく望ましくないことが起こってしまった。
前方に見知った影が見える。
しかも、三つ。
「……」
コンバット歴二十五年自称の勘は、自分自身に対し逃げろ隠れろと告げていた。
ヘルメットが無いから連中とどうこうというわけではない。が、言い換えればつまり『半裸で人と会えるか』という話である。
実際は別に半裸でもなんでもないが、御免だった。

踵を返すか通り抜けるかを判断しようとした、その時。

三つの影の中から恐らく最も実力を持つであろう男が、こちらに気付いて視線を向けて来てしまった。

「…ん?お主」
というか気付かれてしまった。
お前、と来たならば明かに捕捉されている。
(しまった…)
参った、困った。と、そう思った時はヘルメットを押して深くする癖があるのだが、額の辺りに触れても前髪の感触があるだけだ。
そんな今はまったく意味のない癖を反復していたので、他の二人までこちらを向いてしまった。

Aブロック隊長ハンペン、Cブロック隊長ジェダ、Fブロック隊長宇治金TOKIO。
三人はコンバット、マイナスヘルメットを視界に入れたまま暫し無言で固まっていた。


「……」
「………」
「…あー」
驚愕の無言にあらず、不愉快の無言にもあらず。だがしかし三人はすっきりしない顔で、視線を泳がせるなり首を傾げるなりしている。
コンバットはいっそこのまま何も言わずに逃げてしまおうかと思った。
だが、ここでそんな更に意味のない行動を繰り返したところで、事態はまったく進展しない。というか発見された後の逃走など怪しいことこの上ない。

「…………」
無言の最高幹部三名。

そのいずれか、もしくはコンバットから何か言葉が出てくる前に、軽い動作によって静寂は破られた。
ジェダが自分の目線の前に横にした掌をかざしている。
コンバットはその行動になんだと構え、そしてジェダの両脇のハンペンと宇治金TOKIOは視線をやった。


「…ああ。コンバット」

「あー、やっぱり!そうやったか!」
「なるほどな」


「………」
三人とも別に気付いていなかったのではないだろうが、言い出しかねていたのだろう。
コンバットはなんだか納得いかない気持ちで未だに沈黙していた。





「コンバットはん、いつも被ってるあれはどないしたんでっか」
「…なくした」
「失くす?失くすか、あれを」
ハンペンが不思議そうに声をあげる。
それはそうだとコンバットも頷きたかったが、失くしてしまったものは仕方がない。
「眠ってる間にどっかへいったみたいで…」
最高幹部一の実力を持つ男に、こんな報告をしなくてはならないのが非常に情けなかった。
なさけ無し。
ヘルメットがないのだから、まさにその通り。
(…イヤだ……)
うまいことを言った気分にはなれなかった。
そんなことより、こうして出会った以上は問うておかねばならないことがあるだろう。
「そんなわけで…俺のヘルメット、知らない?」
「いや。見たら見たですぐに気付いたろうな」
でしょうね。
すかすかする頭の違和感を消せないことも手伝って、ハンペンの言葉に返した溜息は深かった。
「しかし考えてみるとえらい珍しいでんな、コンバットはんの鼻より上。初めてとちゃいます?」
「別に見せもんじゃないぞ」
「いや。…わしも初めて見たか」
「そうでしたか?」
お前はどうだ、と『自分をどうにか判別した』ジェダに視線をやると、ジェダは読み取れぬ無表情でコンバットの方を見ている。
「…別に困ることはないんじゃないかねぇ」
「いや、困る!」
「何を?」
「うーん……気分が優れなかったりとか?」
ジェダは肩を竦めて、首を振った。
「慣れていないだけだろうに」
「あと、頭部の防御力が落ちるかな」
「別に誰も何も被っちゃいないだろう。手がかりがないなら、いっそ忘れてみたらどうだ」
コンバットが納得する前に、ハンペンも頷く。
「失せものは忘れた頃に、とは言うからな」
彼らの言うことは確かにもっともだ。
それでもいざ自分のこととなると、なかなか忘れられないのが現実でもある。

「…なんちゅーか、目ぇ見えてると解るけどめっちゃ納得してへん顔やな」
「そんなに不快か」
「目線が震えてるぞ」

「……」
どうやら、今のコンバットの表情は指摘されるほどに引き攣って見えるらしかった。
別に珍しいことでもないが目が見える見えないでは与える印象も違うらしい。

彼らのなんとなくの気遣いは知れたが、それでも頷くことは出来なさそうだった。
忘れる気にはなれない。代わりを見付ける気にもならない。
恐らくこうまで思うならば、あれが無くては駄目だ。

「…時間を取らせてすまない。俺は他を探すから」
自分でもいつもより元気なく聞こえる言葉とともに、コンバットは踵を返した。
聞いた三人は軽く顔を見合わせる。
コンバットの声色からは焦りすら聞き取れた。
「そんなおかしくあらへんで」
「ああ。それでも十分にやっていけるだろうさ」
「…ああ。ありがとう」
「探すならあちらにしろ。わしらは向こうから来たが、それらしいものは見なかったからな」
「…ありがとうございます」
立場上同等ではある二人と、立場上自分より上である一人の優しさを心に染みさせながらコンバットは軽く頭を下げた。
そんな一挙一動にすら違和感が付きまとうのを感じながら。



彼らにとっては実際、珍しく見えても気にしてしまうほどのことではなかったのだろう。
それは嬉しくはあったが、自分自身が許せない内にはやはり頷けそうになかった。

今日、この場に集まっていたのが最高幹部だけだったというのはとても幸いだ。他の隊長連中にまで素顔を晒すのだと思うと、別に大したことではない筈がどうにもぞっとしてくる。
同時に不幸せでもあるかも知れない。
ギャルとガールが側にいる時であれば、不注意でありえない失せ物をすることなど無かったに違いないだろう。

しかし彼女らの前で今の状況にあることに、それこそ耐えられるだろうか。
一応は自分から惚れて声をかけた間柄であるのだし、面倒をかけるのも申し訳ない。
こうして歩いているとなんだか足取りまで危うい気もする。『ヘルメットを被っていない自分』が周りからどう見えるかというのも、思えばよくは解らないのだ。
あの二人には素顔を見せたことがあっただろうか。
あったかも知れないし、無くともあのぐらい側にいたなら見えてはいるはずだ。
別に顔を隠そうとして被っていたのではない。ただずっと必要だと思っている内に、手放すことを考えられない存在になってしまっただけだ。
これまでは外していても間違いなく手元にはあったし、手繰り寄せることが出来るのが当たり前だった。

(…重症だな)

これだから、自分はここぞというところに弱いのかも知れない。
くだらないと笑われもするだろう。


だが例えくだらないと言われても情けないと笑われても、失くしたくはなかったのだ。


何を。
『それ』を。






早足に歩いた通路の先に、またも知った影を二つ見た。
先程のことがあってかそれほど焦ることはない。焦るというよりも、感じたのは諦めだった。
何せ、気付いた頃にはとっくに四の瞳がこちらを向いていたのだから。

「……」
「………」

『逃げられない』居心地の悪さは先程よりも上だ。
先程と違って迷う間すらなかった。諦めと疑問の生み出すまったくの無言。
そうしてふたつの影は、すっと手を視界に被せ、

「ああ、やっぱり!」
「…お前か」

いくら一緒に出て来たとはいえシンクロするにも程がある。
「…俺のキャラ、ヘルメットなのか?」
またもや『顔の上半分を隠して確認』されたコンバットは、呟くしかなかった。



「格好を見てればなんとなくそんな気はするんだけど、なんだかね」
いまいちフォローになっていないフォローをしてくれるレムは、はっきり覚醒しているらしい。今出会うなら穏やかに寝惚けてくれていた方が良かったかも知れないが。
「ヘルメットひとつ失くした如きで駆け回るのか?バカ」
ランバダときたら相変わらずだ。コンバット、というより呼び易いのかすぐにバカバカ呼んでくる。
「一応、俺なりに困ってるんです。ランバダ様…」
とはいえ、彼の元より冷めた在り方のためか苛立つことはない。
彼は本当に頭も良いし腕も立つ。馬鹿で結構、という極端な話ではないにしても。
「どうして失くしたの?」
「いやー、それがさっぱり」
「それじゃ解らないじゃない」
困った様に首を傾げた、レムの言葉はもっともだ。

彼らも恐らくヘルメットの行方を知らない、というより見てはいないのだろう。
手がかりどころか失くしたタイミングすら解らないので、見かけていない限りはそれ以上頼ってしまうわけにもいかない。

「…やっぱ見てない?」
「残念だけど」
レムが首を振った。
「…見てません?」
「あんなマヌケな文字の入ってるヘルメットなら嫌でも目につく」
ランバダが無表情にもはっきりと答えた。
まったくもって手厳しい。
「それにしても、その状況じゃどうしようもないだろう」
そして、的確だ。
彼の言うことは大体にしてそうなのだ。斬り捨てた意見とはいえ、諦めの悪い人間が解っていても口にできない現実を代弁してくれる。
こちらの様子を見てこその台詞だろう。

コンバットにもそろそろ自覚が沸いていた。
そして現在、神経が焦燥と不安に押されているのを感じる。

「…そんなに大切なものだった?」
レムにもそれを感じ取られたか、どこか気遣わせてしまっている様にも聞こえた。
「…たぶん、失くしたら生きていけない……という程ではないな」
「紛らわしい」
ランバダが呟く。
「見ての通りどうにか歩けてますしね」
そして、醜態を晒している。
そう自嘲するほど大袈裟な話でもないのだが、自分自身にも理解し難いどうしようもなさがそんな気分にもさせるのだ。

「…でもどうも、ダメだ」

気がついたらそれが何処にも無かったという現実が、頭の中で進行すればするだけ重苦しく変わっていく。
失くしてしまったからもう生きていけないというわけではない。無かろうがやっていけるし、やっていかなくてはならない。
けれども、それを考えるとずるずると焦れていくのだ。
コンバットにとってあのヘルメットは、特別と呼べるものの中のひとつに違いないらしかった。

「そんなに大事だったんだ」
レムがふっと呟く。
コンバット自身もたった今そんな気がしてきただけだったが、それが理解し難いことであるとも十分に感じていた。
「馬鹿みたいだろう」
本当に。
ランバダがバカだ、と返してくれることを期待していたが、彼は無言のままだった。


ランバダとレムには、その言葉に重なるコンバットの表情が見えていた。
普段は見えないそこには笑みこそあったが、恐らくはあくまで自分らに対して向けるためのものだろうと知れる。
そして笑みだけではなかった。
恐らくは焦燥が、恐らくは不安が。
恐らくは、苦痛の様なものが。

コンバットはそれがどれだけ大切なものかと、語ったことなどなかった。
ただ妙な趣味の一環の様にして被っていただけだ。
けれどもこうして付けていないところを見ると、姿を置いてもその仕草にすら違和感がある。どうやら腕を頭の上に動かすまいとしている様で、時折本当に微かに強張っていた。
そこに見せた姿そのものではなく、迷子の子供の様に不安定な様子がどこか痛々しくすらある。


それが、理解出来ないかといえば。

「…なんとなく、解るかも」
レムの言葉に、コンバットは息を吐く。
「ヘルメットが、ってわけじゃないけどね」
「だろうな」
その声は幾らか和らいではいた。
「別にそのままでもいいんじゃないか」
暫し口を閉じたままだったランバダが続けて呟く。
「そうしてる方がまともに見えるぞ」
「確かに。…割と普通っていうか、むしろ悪くないっていうか」
「…悪くない、か?」
レムの、素直に出てきたらしいその感想にランバダはやや不自然に首を傾げた。
「そうなのか?」
コンバットにも自分の顔のことはぴんと来ないらしい。
「うーん、軍人っぽさが下がる…し、何より面白くないと思うんだがなー」
「…面白いって」
「…そんな問題か?」
見慣れぬその表情は普段より真面目にも思えたが、先程より幾らかは『コンバットの』ものに感じられた。






それじゃあ俺はここで、と二人に軽く挨拶をして、コンバットはそこから立ち去った。
だいぶ時間は経ったが諦めてしまったわけではない。
寧ろランバダやレムと会話して、何があろうと見つけ出さなければならないとも思えてきたのだ。
彼らがそれを促していたのではない。理解を見せてくれはしたが、諦めが大切というのもまた事実に違いないだろう。
重ね重ね、コンバットにもそれは解っている。
それでもまた足取りに焦燥をまとわりつかせながら、失せ物を求めて足を早めていた。

「待て、バカ」

背後から、声。
反射的に足を止めて振り向く。姿を見れば間違い無く、先程別れたはずのランバダだった。
「ランバダ様?…レムは?」
「先に行かせた」
「…俺、なんか忘れましたっけ?」
整った顔に無表情を浮かべて佇む少年に、どうにも居心地が悪く頬を掻く。
一対一で会話をしたことなど滅多にない。ましてや彼から話しかけてくることなど、一度でもあっただろうか。
「違う」
「じゃあ」
「…ひとつ聞くが」
少年らしさの残る声はしかし低く、素早く響く。


「お前、今の状態で戦えるのか」
「………」


返す言葉を掴めず、コンバットは黙った。
戦いのことなど今は何も考えていない。しかしそれは自ら選択した生活、常にすぐ側に存在する。
思わず、そこに無いものに触れようと手が空を舞った。
「お前にとっては大切なことなんだろうが、折り合いをつけないと痛い目を見るぞ」
「…解ってます」
子供じみた返答。
ランバダのその言葉は、責めるための響きを含んではいない。彼が言ってくれなければ自分自身でも横に追いやってしまっていただろう。
たったいま己は、それだけ危うく見えるということだ。
「…自分でも情けない。諦めがつかないんです」
「解らないとは言わない」
「ありがとうございます。…俺自身も、どうしてこうなのか」
ハンペン達に出会った時はまだ、どこかであっさり見付かってくれるものだと思っていたのだろう。
今はどうだ。
冷静さすらとうに欠いているのではないか。
こうしてランバダと向き合っているのも辛く感じる気がする。ギャルやガールにすら、今の自分を見られたくはなかった。
『ヘルメットを付けていない』自分ではない。
『ヘルメットを失くしたことに弱りきっている』自分をだ。

「…情けない、限りです」
「……」

立場が上とはいえ、幾つも歳下の彼に対してこんな風に愚痴っている現状も情けない。
ランバダの無言に甘えているのだ。彼の性分故の言葉少なさと、その中にこうして見せてくれる態度とに。

「……今日一日、探そうと思います。それで見付からなければ…」
「代わりでも探すか?」
「いえ。…たぶん、このままで」

このままで。
それも、悪くはないかもしれない。
違和感にもいずれ慣れていくのかも知れない。周りの連中など自分自身以上に早く慣れてくれるのかも知れない。
いざ考えてみると、それは最も近くに待つ現実だ。
心の底では自分自身で未だ納得できずにいたが、その感情だけは目の前の少年に悟られないよう、どうにか伏せた。

「そうか。なら好きに探せばいい」
ランバダはそれを察してか否か、ふいと踵を返す。
「見付からなかったら…その時は、笑ってやるよ」
「…有り難うございます」


そのままでもいいと、そう響いた彼の言葉。
出会いはじめは解らなかったが、そう冷たいばかりでもないのだ。
殊にどうやら『誰か』に対しては。
去っていく姿がどこか早足のランバダの後ろ姿を見ながら、コンバットは幾らか気軽に笑えていた。











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