夜の森はただ静かだった。
月の明かりが辛うじて生い茂る木々を照らし、道を歩けば草の擦れる音がする。動物達は眠りにつき、今夜は風もない。慣れない者なら不気味だと震えるかもしれないが破天荒は違う。
一人旅には慣れている。
そう、ずっと一人だったのだ。最近になってボーボボ達と出会うまでは。
長い間ずっと、ずっと。
「…違う」
無意識に言葉が漏れた。
「そうじゃない!」
違うはずだ。
その流れのどこかで首領パッチと出会っているはずだ。そしてそれは大切なことであるはずが、考えては思い出すことのできない苦しみに陥っている。
「やめろ」
目の前には無表情な闇が。
振り返ればそこにも同じ景色が。
どこまでもどこまでも繰り返す。
「やめろ、違う…!」
どこまで繰り返しても、首領パッチの姿が見えなければ。
「俺からおやびんを…ッ…くそ!」
その先の言葉を己で続けることはできない。
破天荒は力任せに大木を殴りつけ、拳に血を滲ませた。
本当ならば今すぐにでも、この場で暴れだしてしまいたいくらいに追い詰められている。
それなのに、意識がそれを許さない。
鈍い痛み。引き剥がされていくように。遠ざかって行く。
ずいぶんキャンプから離れてしまったらしく、人の気配もしない。
人?
人とは誰だ?
ボーボボ?ビュティ?ヘッポコ丸?
ずっと一人で歩いて来た。出会うことがあっても、それは別れることが前提だった。
あてのない人探しの旅には終わりを示す地点などなく、手がかりを得て喜ぶことはあれど、酷い目に遭うことはあれど、ほぼ退屈な日々の繰り返し。
こうして一人闇の中を歩くのには慣れている。
(…ああ、そうか)
皆が首領パッチを忘れたのではない。
自分の記憶が薄れてゆくのではない。
忘れられていくのは俺なのではないか。
その、始まりだというのなら。
上等だ。永遠など無いことは知っている。故郷も壊され滅びていった。
元々どうだっていいのだ。
毛の王国の生き残りを探す。それだけは果たすつもりだが、それ以外にこの自分の生きる道に何がある。
悲しむようなことではない。
そうだろう。何もないこの俺に手を伸ばすものなど、
何もないこの俺に声をかけるものなど、いただろうか。
「お前、名前はなんていう」 時よ、世界よ。
そうじゃない
「…破天荒」 置き去りにするならば好きにしろ。
たった一つだけ
お願いです どうせもう、何も。
俺の名を呼んだ手を伸ばした
俺を…俺をあなたの弟子にしてください
「じゃあ、オレのことはおやびんって呼べよ」
言葉では言い表せない。強く、愛しく、頼もしく、輝くもの。
「…はい!首領パッチおやびん!」
「よっしゃ!お前も今日からハジケ組のメンバ−だ!」
俺はその時、己に誓った。
その瞬間、光が弾けた。
「…や、びん」
誓ったのだ。あなたの刃にでも盾にでもなると。
「おやびん……」
目的のため、離れなくてはならない日が来ようともその誓いだけは消すまいと。
「…首領パッチ、おやびん」
俺の命を助けてくれた。俺の知らない生き方を教えてくれた。時には俺の手をひいてくれた。俺が初めてあんな風に別れを惜しんだ。俺のことをすくい上げてくれるひと。
「…ずっと会いたかった……ずっとあなたを忘れなかった」
忘れるわけにはいかないし、忘れられるわけにもいかない。
この誓いのどこにも嘘はない。
他のなにより大きな光、大きな意味。
あの人が嘘であるはずがない。虚構であるはずがない。
よく知っている。
そして思い出も未来も嘘や虚構でないと、その光が示してくれるから。
「失うものが、あるはずが…ないんだ」
破天荒は瞳を確かに開き、ゆっくりと、周りに広がる暗闇を見回した。
今ならば、解る。戸惑う己を笑っていた者がどこかにいる。
自分を闇の中に誘い込もうとした何か。
こうまで気付かないでいる程に追い詰められていたのだ。
今はもう不思議なほどに、体内を満たしていた重みの全てがどこかへ行ってしまっている。ただその何かに、冷めた怒りを覚えていた。
首領パッチを、己の全てを引き剥がそうとした何か。
悪夢なら覚ませばいい。何者かの罠だったなら、この手で打ち壊す。
うごめく影のような存在を感じながら、破天荒は笑った。
あれだけ悩んだ。
今、はっきりと言い切ることができる。
あなたを取り戻した俺に、怖いものなんか無い。
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