どんなに格好をつけた言葉を掲げても、現実は常に容赦の無い選択をする。


その男はどんな表情をしていただろう。
最後に交わした言葉は何だったろうか。

灰色の空に、浮かぶものはなかった。







「…レジスタンス」
「そうだ」
一同が黙する中にハンペンの声が響く。
定期的に行われる最高幹部の会議。ここ最近は話し合うような事も、有る時の方が少なかった。
「大した騒ぎになっていないということは…収まったのですか」
今は目を覚ましているレムが緊張を含んだ声で問う。ハンペンは頷き、続けた。
「これ以上広める必要はないが、お前達には言っておこう」

あるブロックの幹部レベルの人物がそのグループに内通していたこと。
隊長の不在を狙い、隙をついて攻撃を仕掛けようとしたこと。
それが失敗に終わったこと。

「…その連中は?撤退したのか」
「いや」
ジェダの問いに今度は首を振って答え、一瞬詰まってから先を続ける。

「連絡を受けて帰還した隊長により、一人残らず捕えられたそうだ」

更に暫し沈黙がはしった。
その場に座る者は皆、その言葉の先にある事実を既に感じ取っている。
その出来事から一日。その後の対処はまだ終わっていないだろう。その『隊長』も、『この場にはいられない』はずだ。
「…ああこう、複雑やなあ…その」
どこか気まずいその空気を打ち消すためだろうか、宇治金TOKIOが多少大きな声を張り上げた。
「内通者とはねぇ」
続けたジェダの声は、響きは冷静だ。
「隙があるのがそもそも問題だろう」
珍しいランバダの発言。それを受けてから、ハンペンが再度一同を見回す。
「とにかくもう終わったことだ、」
「俺らは何もする必要はない。そういうことだろ」
それに被さる様にして、別の声。
声の主を除いた全員の視線が、瞬間的にそこに集まった。
「…うむ、菊之丞の言葉の通り。三世様に伺うまでもない、あくまでそのブロックの問題だ」

その言葉に何かを重ねる者は無かったが、皆の視線はばらばらに、ひとつ空いた席へと移っていく。
それらが過ぎさっても菊之丞は動かない。
ただ、一瞬。
長い睫毛を伏せ、誰にも届かぬような舌打ちをしたのみだった。





『その男』の顔と声はよく知っていた。
愛想は良過ぎることも悪いこともなく、そうまで身近ではなかったが、遠目に見ても知った者だと解る程度には近かった。
それなりの立場にあった部下の一人。
それがあの連中の中にいたのだと、確かに感じたのは報告を受けてからだった。

何も考えなかったのだ。
何よりも先に体が動き、己ほどは戦い慣れぬ者達を飲み込んで。
そこに至るまでの己のことも他のことも何も浮かばない。
自分自身が疑わしくも、なる。

『あの…話を聞きますか』
『いい』
『え』
『いいと言っている』

何を話す。
問いつめるのか笑うのか、それとも励ましてでもやるつもりか。
そんなことが何になる。己にとっても相手にとっても、何の意味を持つのだろうか。
例えどんなに情けという甘い言葉を好もうが、現実は今それを否定する。
そして、己も。

己も、否定した。
一撃をもって。






かつん、かつん、と通路を打つ音がひとつ。追うようにして、幾らか不安定な別の音。
後ろから追う方のそれは緊張に満ちて慌てている。
「…そ、それで。少々交戦もあったのですが大した騒ぎでもなく、先にセキュリティにもひっかかりまして、隊長に連絡がいっていてですね」
どちらも、足音。
それに重なる声は一人のものだけで、もう片方はただ黙したままだった。
「連中が逃げ出しそうになるところに間に合ったんです。当然向こうも時間や脱出場所はずらそうと思っていたようで、何人かは中で捕まえたんですが何人かは外に」
それでも話し続けなくてはならない男は、その張り詰めた空気に震えを隠していた。
容赦の無さでは最高幹部でも上を争うという男が訪ねてきて、言葉少などころか今はただ黙ったまま。心の内など解るはずもない。どこか美しくもあるが、冷ややかだ。
「…ですが外に出た連中は、隊長の『罠』に捕まりました。それで残っていた連中も観念したようでした」
昨日の出来事に最終的に決着を付けたのは、土壇場で戻ったブロック隊長の真拳の一撃だった。
真面目に戦うように思えなくても帝国の最高幹部。基地の各所から外に抜けた連中を穴に落とし、それを逃れた者は網を出して引き上げ、残らず身動き出来ないようにした。
上の方には一人残らず捕えた、と話がまわったようだが、正確にはその光景を見て逃げるのを諦めてしまった者も多い。

その頃にはもう、ブロックの中のある男が内通者であったと判明していた。
その報告を受けた隊長は、対処は任せる、とだけ。
本当なら放っておくべきだろうが、門前払いできるような来客ではなかったのだ。


「隊長、失礼します!お客様です!」
叫んでから、男はもうひとつ困惑することになった。
返事がない。物音ひとつしない。居心地の悪い間が流れる。
「た、たいちょ…」
「どけ」
背後から響いたのは、先程までまったく喋らなかった来客の声だった。
「あ、あの…!」
留めても効果はない。扉が開かれる。

「…あれ?」

在るはずの姿は、無かった。
「あ、あれ?確かにここに…」
「……もういい。テメーは帰れ」
「え」
再び響いた声に、男は固まった。
「聞こえないか?帰れっつってんだろ」
「で、ですが」
ぎん、と。
軽く睨んだつもりだったのかも知れないが、男には重い。思わずびしりと背筋を伸ばして叫ぶ。
「し、失礼しました!」
そのまま回れ右をして通路に出てからちらりと振り返った先には、既にこちらを向いてもいない背中。
男は走らないように、かつ全力でその場を後にした。


何も知らない連中にも言っておかねばならない。
薔薇百合菊之丞が来ているから、くれぐれも最上フロアに上がって邪魔になるようなことはするなと。




単純だがその分何を考えているか解り難い、その男が何処へ消えたか。
考えることもないただの直感で足が動いた。
そもそも彼のいるブロックまで来たのも気まぐれに過ぎない。
ただ、勝手に足が向いただけだ。

エレベーターを使わずに階段を上がる。扉をひとつ抜ける。
多少風の強い、曇り空の下に出た。


がん。
「!!」
辺りの壁を蹴る合図とともに、寝転んでいた影が跳ねるように起き上がる。

「なに、寝こけてんだよ」
「…菊、之丞?」

呆然と返された声の主は、眠ってはいなかったが覚醒もしていなかったようだった。


「いいご身分だな。コンバット」
「寝てないぞ」
Eブロック基地、屋上。深い雲のために日の光は無いが、寒気もない。
コンバット・ブルースは起き上がった場所にそのまま座り、菊之丞は側のフェンスに背を預けた。
「御活躍だったそうじゃねぇか」
「なんだ、もう知ってるのか?」
「ハンペンからだ」
「…そうか、もう」
呟くように言って、笑う。
「後で自慢するつもりだったんだがな。私の活躍話」
「はッ」
バカにしたようにしてみても、返される言葉はなかった。半ば硬直したように、ゆらりと黙ったままでいる。
「テメー、こんなとこでサボってていいのかよ」
「サボってるんじゃない。後の始末は他の連中に任せた」
「状況が状況だ。穏やかじゃないらしいぜ」
「子供じゃないんだから、その内静まる」
子供の様なことばかりする男がよくもそんなことを言う。また笑ってやりたくなった。
ふと見上げた空は、微かに灰色をしている。
「…煮えきらねぇ天気」
「だが、ここはいい場所だぞ。息抜きするにはな」
「サボってんじゃねーか」
「息抜きだってば」
「テメーの場合、同じだろうが」
コンバットの格好は普段通り、そうまで使うこともない弾だの何だのを付けた軍服だったが、気に入りの傾向の雑誌は持ち込んでいないようだ。
ただぼんやりと、仰向けに寝転んでいたのみ。
「菊之丞こそいいのか。自分のブロック放り出して」
「ンな大した仕事は残してねぇよ」
「そうか。立派だな」
バカにしてんのか、と言い返そうとして、菊之丞は黙った。
その言葉を発したコンバットの中途半端な笑顔。深く被ったメットに隠された視線は、自分の方を向いてはいない。
「どんなに冷酷だと言われてもお前の目はちゃんと届いてる」
「あ?」
「こなすべきことをこなす、己に恥じない己であれる」
ふと目をやった、その手。
掌に爪を食い込ますほどに握りしめられている。

「格好を付けたいくせに自分を操れない男が立派か?ただ機械的であるだけの行動が立派か?口では何とでも言えたが、動くものを捕えただけで他には何もしてない」

「…オレは、あの時のオレがどうやってああしたかも覚えてないんだ」
「…つまらねぇ話だ」
「…忘れてくれ」
ふっと息を漏らして、コンバットは上を向いた。
「空が近いだろ」
雲は隙間も作らず重なって、薄い灰紫に渦巻いている。
「そして、最下層の地下牢からは一番遠い」
「……」
「戦略的撤退でもなんでもない。こんなのはただの現実逃避だ!」
立ち上がって、彼はフェンスに手をやった。しっかりしたフェンスは音をたてず、しかし菊之丞の背に僅かな振動を与える。
「…すまん。自分がどうしたらいいか解らないから、ただ聞いてほしかっただけだ」
「甘ちゃんだな」
「まったくだ」
普段の彼のそれではない笑みを張り付かせたまま、指先はフェンスを弾いた。

そのまま、彼の動きは止まった。
意識と体がずれた場所にあるのだろうか。
この屋上から出て行こうともしない、菊之丞に対して何か語りかけるでもない。しかしじっとしている事に対しても苦痛を覚えているようだった。
どうしたらいいか解らないから。
甘いと笑われようがくだらない自信に胸を張る男の言葉。
本能を優先させがちな男の、言葉。
フェンスではないどこかから、微かな軋みを感じる。

指先が、自然にその肩に伸びた。


「やめろ」

声。
拒否ではなかった。明るいものでもなかった。
悲しげに、だがはっきりと響く。
「せっかくの綺麗な指だ」
「…何、言ってやがる」
「花は脆いが、求められるもので、必要だ」
コンバットは自信の指先をフェンスに絡めながら、菊之丞の方を向くことはなく呟いた。
「拳は殴ることもできるが、救うこともできる。形は世界を造る、風は世界を彩る」
ひとつ『何かの例え』を挙げるごとに、フェンスにかかる指が揺れる。
「眠りは穏やかで、夏は心を踊らせる…」
ゆっくりと、表情を隠すようにして首だけをまわしてきた。
笑った、ままなのが解る。
「……鉛と血と火薬と、悲鳴だけの匂いがうつる。やめておけ、菊之丞」

がしん。

固い網にぶつかる音、ぎしりと続く音。
菊之丞の手は退かなかった。
目の前の男の胸ぐらを掴み取り、叩き付けた。

暫し、吐息だけが流れる。

「…やっと目、合わせたな」
「…殴られるかと思った」
「本気で殴るぞ」
「やるなら不意打ちでやってくれ。まだ後悔せずに済む」
多少上にずれたメットを深めるように押して、コンバットは今度こそ声とともに笑った。視線は間違いなく菊之丞の目に合っている。
昔一度、見えているのかと問うたことがあった。見えてはいるようだった。
そして確か嗅覚を自慢されて、お前は花のにおいがするからすぐ解る、と妙に自信ありげに語られた。
「……なあ菊之丞、オレは」
胸ぐらを掴む手を剥がそうともしない。
よく喋るのはいつものことだが、普段とは異なっている。
菊之丞は黙って、しかし手は離さなかった。
「…部下が惚れた女を知っていた。それから部下の通い始めた店が、小さくない組織の溜まり場だと知っていた」


調子に乗って、見守っているような気持ちでいた。
女はその店の店員に過ぎないのだからと気付かないふりをして、その気持ちが本物だと見ていて感じたから、微笑ましいものだなどと笑っていた。
その男の真面目さばかり見て、危ういほどの一途さからは目を逸らしていた。
何かあってもどうにかするとどこかで甘えていた。あのぐらいの組織では大したことはできまいという事実に甘えていた。
現に、何もすることが出来ずに幾人かが捕まって、連中は逃げ出そうとした。
そこに居合わせた。その瞬間、そこで何をすることがどういうことになるかも、それでもしなくてはならないという責任も、何も抱かなかった。
抱く前に腕が動いた。

そんなものは情けでもなんでもない。
ただの甘え、無責任、制御の失敗。


「…一番バカで愚かだったのは、オレだ」

掠れた声が響くのに小さく息が漏れる。
甘い男の抱いた、誰に悔やめばいいのか解らぬ気持ち。
地下牢とやらには捕えられたその男もいるのだろう。内通者というから、特別扱いになっているかもしれない。
その行為に『間違い』は無い。ただ後悔は生まれ、そして誰も救われない。
想いを貫いたその男の心の内はどうだろうか。目の前の男は、笑みで本心を隠して行き止まりに背をもたれた。
「…コンバット」
呼ぶが、声は返らない。
「顔上げろ、こっちを向け。馬鹿野郎が」
顔を横に倒すように向けているコンバットの胸ぐらを解放する。
と、彼はゆるりと菊之丞に向き直した。
「…俺も」

ただひとつ、それだけが間違いのないこと。

「テメーと、同じ匂いがするだろうよ」

力を持つ、憎まれもする、支配の匂い。
理解してそこに在る筈だ。
己も、彼も、誰も。

再び胸ぐらを掴む。
そうして引き寄せて、噛み付いた。
びくりと震える体を押さえつけ、暫し。
奪い合いのように小さくもがき合って、離れる頃には互いに息を荒げていた。


「…したか?血の、味がよ…」
「……お前、は」
「…さあな」



色気も何もない口付け。
荒んだままの互いの吐息が、灰色の空に向かって溶けてゆく。












あえて『らしくない』話…にしてみたら何だこれ暗いこと。
お題を考えた時からなんとなく考えていました。
『裏切り者』というとボーボボ一行にいる三人とかもあるのですが、違う視点から…

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大人向け&質問、ヒントは受け付けておりませんが、もしよろしければ探してみてください…

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