ここに来てこの立場になってから、まだそうは経たないが色々なことがあった。
以前の自分を知る者が見たらなんと言うだろう。
何か変わっただろうか。変わったというか、流されている気はする。
記号の上では一番のブロック。
そのはずが何故か基地がない。宿舎が異様にいかつい。
実力は確かである、と同時にその何倍も癖のある隊員達。
そして、実力主義のこの毛狩り隊でコネもなくのし上がってきたというが、疑わしいほどにそれを感じさせない。自分の上に立つ、ひとりの男。
「全員戻ったかァ」
「おー」
隊員達がわらわらと騒ぐのを、カツは半ば違う世界のことのように聞き流していた。
戦いの感触が未だ手に残っている。痛みや痺れというよりは、疼き。きっかけさえあればまだ幾らでも動き続けるだろう。
毛狩り隊は命まではそう奪わない。あくまで主目的は『毛狩り』である。
それはどこでも同じ様なものだったが、カツがそれまで所属してきたブロックにはもっと重い何かが満ちていた。
それが今いるブロックの連中は、その実力を認められてここに並んでいるであろう割にどこか気が抜けている。弱いわけでは、当然ない。
「副隊長、そろそろ解散にしても?」
「…ああ。いいんじゃないのか」
問われたことには必要なだけ答える。
カツがそれ以上何も言わないのを彼らは既に理解していた。一応は真面目にさせていた表情や格好を崩し、各々好きに喋りながらぞろぞろと立ち去っていく。
カツはまだ疼きの残る掌を開いて、ゆっくりと目線を落とした。
髪飾り。
どんな人間のものだったかもう覚えてはいないが、元の持ち主にそれが必要なくなったことだけは確かだった。「あ!…ふ、副隊長!」
しまった、と言いたげに叫んだのは隊員の一人、完・乱謝だった。そういえば全員いるか、と確認していたのも彼だ。
反射的に掌を軽く握りながらそちらを向く。「…あの」
「どうした?」
「いや、全員いると思ったんですけど…」
「…?」
「……隊長がいませんでした」
疼きがすう、とひいていくのを感じながらカツは黙った。
『一応俺が待ってるから、お前はもう戻れ』
カツのその言葉に、乱謝は暫く迷っていたらしかった。
だがカツがやはりそれ以上何も言わなかったのを見て、お先に失礼します、とだけ声かけて去っていった。
幾らもしない内に彼の気配は消える。
思わず、溜息が漏れた。
人間タイプでない者が隊長になるのは、少なくはあるが決して珍しいことでもない。
それよりも気にするべきは『Aブロックの』隊長であるということだ。実力が有ればある程度は認められる、逆に言えば力が無ければどうにもならない毛狩り隊の、高位ブロックを率いる者。
初めて顔を合わせた時も緊張していないわけではなかった。
どんな男か。どんな目をしているか。どんな風に仕事をこなすのか。
だが初めて出会ったその男は、こちらが驚くほど気楽ににこにこと笑って自分を迎えた。
そしてひと睨みくれるより先に、人のものより柔らかなその腕に肩を叩かれたのだ。
今でもそれを、思い出す。
知れば知る程解らない。
その男はどこか間抜けで、すぐに笑ったと思えば泣き、ふざけてばかりで。そして、隊員達は時折苦笑いをしながらそれを見守って、思い思いに認めている。
カツにはその、馴れ合いのようでそうでない空気が不思議でたまらなかった。
ただ、その『隊長』を嫌っているのかといえばそうでもない。だからといって得意でもない。
妙に律儀で、隊長として副隊長に接する態度をとったと思えば、仕事の話が終わると友人か兄弟にするように張り付いてくることもある。
それもまた、理解を超えていた。
「…隊長」
声に出してから、思わず自分が恥ずかしくなった。
戻ったはずの宿舎とは、ずいぶん離れた場所まで歩いた。
先ほど通った道とその周り。ずいぶんお節介になったものだと思う。
「天の助、隊長?」
ところ天の助、Aブロック隊長。
どこか理解し難い己の上司。
探しに行くのなら辺りの隊員にでも命じればいいのに、何故か自分がここにいる。自分でもよく解らなかった。
「隊長…」
聞こえるのなら応えてください。
そう言いたいのなら、もっと大きな声を出せばいい。だがそこには至らなかった。
カツにとってそれは自分でもよく解らないが、彼を探しているのだということを自覚するための合図のようなものだった。
(…どこですか?)
まじないのような、ものだった。
(あまり面倒とか心配をかけないでください)
待っていればひょっこり帰ってくるだろう。それを待ったからといってお咎めがあるわけではない。
だが。
(…俺には、向いてないんですから)
それは、絶対ではない。
ふらふらしていて、放っておくと風か何かに飛ばされてどこかへ行ってしまいそうなのだ。
見守って笑うことはなくとも、そう感じさせられることはあった。
天の助本人が言うことには、彼は元々店に並んでいた心太で、あまりに売れ残るのでクビになって毛狩り隊に入隊したらしい。
仕方なく。そう彼は笑っていたが、隊の中に自分の居場所を見出してはいるようだ。だが明るい態度の陰で、彼は怯えてもいるようだった。
居場所を失って手に入れた新しい居場所。殆ど素でふざけて笑っているのだろうが、時折無理をしたようにこっそり息を吐いているところも見る。
カツに比べ好戦的ではない。野心があるのだと思えば小心者でもあるらしい。
本当はもう少し穏やかに生きていたいのだろう。実力主義の、競争が日常の毛狩り隊よりも穏やかな場所で。(なんで俺がそんなことを知ってる?)
己に問いかける。だが本当はとっくに自覚していた。
見ているからだ。楽しいと笑いながら同時に怯えも抱く彼を、目で追っているから。
そしてカツは例えば彼のように怯えることなど無かったが、
ひとつ。
心の内に小さな、ほんの小さな不安のようなものを抱くようになった。
「…あ」
思わず声をあげる。あと数歩、気付かずに歩いていたら踏みつけてしまうところだった。
森の中に仰向けになって、『隊長』は暢気に鼾をかいていた。
(…勘弁してくれ)
昼寝をするならすると言ってからいなくなってほしい。小さく溜息をついてから、カツは彼の横にしゃがんだ。
「隊長」
目を開ける気配はない。
「隊長、起きてください」
肩を叩き、ゆする。ぶるり、ではなくぷるり、と彼の体が揺れた。
「んぁー…?朝か?」
「…昼です」
「…わ!なに!?あれ?」
自身の現状を忘れてしまったらしく、天の助は辺りを忙しなく見回す。
だが段々と思い出してきたらしい。こちらを向いて、首を傾げた。
「カツ、なんでここにいんの?」
「戻ったら隊長だけいなかったから」
「あ、そっか」
「何故こんな場所にいるんです?」
問うと、天の助は立ち上がりながら少し笑った。
「あれ、見てた」
「…あれ?」天の助の視線を追うと、一輪の花。
小さな赤い花がぽつんとひとりで咲いていた。
まるで別の場所から切り離されてきたように。「…隊長、花が好きなんですか?」
「好きだなー。キレーだもん」
「珍しいですね、こんな所に。一輪だけ」
「キレーなもんは何でも好きだぜ。スゴイよな、ひとりっきりでも上向いて」
カツには面白いこともなかったが、天の助は眠ってしまうぐらいにそれを眺めていたらしい。花などひとつも咲いていない場所に、ぽつりと佇んだその赤を。
「持って帰るんですか?」
「んーん。こいつが咲いてんのはここだから」
「……」
言いながら、天の助を横顔を見る。
確かにそこに在った。
それで、いい。
種のように小さな不安。
この手の届かぬ場所に、彼の姿が消えなければ。
その種が花開くようなことがなければ、それでいい。
「隊長。もう戻りますよ」
「ハーイ」
まるで小さな子供が親にするかのように彼は手をあげた。
隊長らしく偉そうにすることもあれば、こうして無邪気にふざけることもあり、そして小さな花を愛でることもある。
カツは天の助の言う、ひとりきりでも上を向く赤い花にふっと目をやった。
(…悪いが、もう連れて帰るぞ)
そんな思いがまさか届くものでもないとは思うが、風に揺れているところを見るとまるで話しているようにも思えてくる。
それもこれもこの隊長の影響だろうか。
だが例え間が抜けて見えたとしても、彼は実力者であって、間違いなく己の上に立つ『隊長』だった。そう呼ぶことにも既に抵抗はない。彼は強い。その立場に相応しい。
それを認めさせるくせに、こうして溜息を吐かせるようなこともある。不安にさせられる、こともある。「じゃあなぁ」
どうやら、彼は花に手を振っているらしかった。
「よっし、帰ろ帰ろー」
「…はい」
「ん?カツ、なんだそれ?」
言われて、カツは握ったままの己の手を見た。天の助はそこからはみ出したものをそれ、と示しているらしい。
「…髪飾り…さっき、取ってきました」
「またかぁ」
「…またです」
使いもしないのに、奪ってくる。
「キラキラしてんな」
「…隊長が持っていますか?」
「いーの?」
「ええ」
どうせ使わないのだから、その辺りに放るか何かしてしまうのだから、ならば隊長の部屋の飾りにでもなった方がいい気もする。
それに、自分の得たものが彼の手に渡るということが何か悪い気をさせない。
「はい」
「んじゃ、もらう。…ふーん」
空にかざすようにそれを見ている天の助を、カツは暫し黙って眺めていた。すっきりしたような、しないような。
「…よし。じゃーあれだ、お前かわりに俺の手でも握っとく?」
「…え?」
「なんつって」
笑う天の助に、カツは沈黙する。
が、すぐに手を差し出した。
「え?」
今度は天の助が声をあげる。
「握るんじゃないんですか?」
「お、おう」
天の助は片手に髪飾りを持ってもう片方の手を差し出した。
その手でどうやってものを掴んだりするのか、解らなかったが解る必要もない。
カツはただ、その手を先程まで髪飾りを掴んでいた手でかるく握った。
「…帰りますか」
「うん」
あんな風に言われたものだから、思わず。
だが今更離すわけにもいかず、無愛想にぽつりと呟く。
子供を引率している気持ちというか、何かまた別の気持ちか。内では複雑だった。
「…なんかさぁ」
「…はい」
「あったけーな」
「…そう、ですか」
二人向かい合ったまま、天の助はくすぐったそうに笑った。
「人間の手って、あったかいんだな。いーなぁ」
「…初めてですか?手なんて繋ぐの」
「ああ。はじめて」
悪い気は、しなかった。
カツはその手を握ったまま、天の助が覚えているかどうか解らない、自分たちの帰るべき方向へ向かって歩き出す。
「途中で離さないでくださいね……迷子に、なりますから」
「うん、ママ」
「…なんでママなんですか」
こうしていれば、自分にも彼の負う何かを支えることができるだろうか。
こうしていれば。
彼は暖かくて心地よいと笑ったが、カツにとっては柔らかく、心地良かった。
天の助が何ごとか話すのを聞きながら、頭の中で微かに。
この強く脆いひとの手を、
離したくないと思った。